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第五章〜魔法使いは真実の中で〜
16.リベンジマッチ
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静かだ。人の声も、足音も、何かも聞こえはしない。
この静けさは、ここにいる全員が眠っている証拠でもあり、俺が戦う理由にも成り得る。
目蓋を開き、体を動かして、立ち上がる。
その目線の先には、俺を眠らせた少女がいた。眠たげに目は細く、黒いどんな生物とも言えないような人形を手にぶら下げ、少女はそこに立っていた。
「あれ、起きたの?」
「『火竜』」
問答をするより早く、俺の右手を竜に変えてそいつへと放つ。
しかしその竜すらもそいつの元には届かず、直前でまた消え失せる。近付くにつれ魔法の力が減衰する。並大抵の魔法じゃ、こいつには届かない。
だが、ここで放置するという選択肢はない。ここでこいつを放っておけば、より多くの被害が発生する可能性もある。
「あなた、強いんだね。悪夢から、出れるなんて。」
どうする。奥の手を使うか。いや、ここでそれを使えば、間違いなくエルディナとの決勝はできない。
だが、ここでこいつを野放しにしていいのか?
考えろ、アルス・ウァクラート。ここでの最善を、最も後悔しない選択肢を、より俺が俺らしくいられる選択肢を。
「失せろ、睡眠欲。この街からな。そんなに寝たいなら、海の底で永遠に寝てやがれ。」
「……ん。私も、そうしたい。」
俺には理解ならない。ここまで強い奴らが、何故名も無き組織に従うのか。
そこまで強い人間が、あそこまで我が強い人間が集まる組織だ。絶対にそれに勝るほどの利点がそこにはあるはずだろう。
少なとも今こいつにとって、自分のやりたい事より任務の方が優先されているというのは疑いようのない事実だ。
口先で退けるのは無理だし、だからと言って実力で勝つには遠い。
「仕方ない、奥の手を――」
「アルス、何故ここにいる。」
「え?」
仕方なく切り札を切ろうとした時に、声がした。俺の後ろからだ。
そこにはいつも通りの仏頂面の、見慣れた顔の先生がいた。背筋は伸び切り、青い髪と目が真っ先に目を引く。
アルドール先生は俺の前に立ち、あいつをその目で捉える。
「決勝の時刻はもう既に過ぎている。早く行きなさい。」
「アルドール先生! でも、こいつは……!」
「黙れ。本来なら君は決勝の舞台にも立つ事を許されていない。ルールとは、絶対の戒律としてあるものだ。君が幾人もの温情の前で許されている事を理解しろ。」
アルドール先生は指を弾き、空間魔法で収納されていたのであろう剣を、目線ほどの高さから落として地面に刺した。
綺麗な、しかし特徴もなく、装飾もない銀色の無骨な剣。
「だからこそ、君は行け。生徒の身に合わぬ、不相応な障害は教師が取り除くものだ。」
アルドール先生は身近な魔法使いであった。教職である以上、魔法だけでなく様々な事をこの人から教わった。
俺は間違いなく師匠から魔法を教わった。
だからこそか、思い返してみれば俺は、一度もアルドール先生が戦っているのを見たことがなかった。
「賢神魔導会が冠位の一つ、冠位魔導生活科にして賢神第六席。アルドールがこの場を受け持とう。」
だけどその背中は、頼もしい。
俺は頭の中へ湧き出ていた様々な感情を断ち切り、思いを一つに定める。
俺の魔法なら絶対に間に合う。いや、間に合わせてみせるさ。
「ありがとうアルドール先生!」
「……良い試合をな。」
そう言って、俺は体を雷へと変え、闘技場へ急いで行った。
闘技場の会場に、エルディナは一人で立っていた。
フィルラーナとアルスが裏で名も無き組織の幹部と戦っていることなど、エルディナは知らない。
その為に、色んな人が動いているということも、何も知りはしない。
「……学園長が、観客席から離れた。」
ポツリとエルディナはそう呟いた。
魔法を使ってみれば、そこに学園長だけでなく、フランとティルーナもいる事も分かる。
その誰もがアルスの関係者だ。アルスがやっと来たか、アルスに何かが起きたか。そう考えるのは実に自然なことであろう。
ただ、自分には待つことしかできないという事も分かっていた。
これはエルディナにとっても大切な戦いだ。
しかしアルスにとってもそれに劣らず、むしろそれ以上に大切な戦いであることをエルディナは知っている。
自分の愛する戦友であり、自分に唯一届きうる同い年。
四年前の約束を、片時もエルディナは忘れてはいない。ならば自分は前回の覇者として、堂々とここに立ってなくてはならない。
「……」
沈黙が流れる。しかしそれはずっとだ。
決勝の開始時刻から数十分、ずっと静かなままだ。それは無意識下にエルディナの不安を煽る。
しかしエルディナは知っていた。アルスは必ずここへ来ると。
故に待つ。待ち続ける。いくらでも待っていられる。なんせこの時を、四年間、いや、産まれた時から待ち続けていたのだから。
『お待たせ致しました!』
そして、満を持してその時は来る。
観客の冷めきった熱も、まるで油に火をつけたように一瞬で燃え広がった。だが、そんな声はエルディナの耳には届かない。
その視線も耳も、全神経を、たった一人の人間へと向ける。
「待たせたな、エルディナ。」
実況の声など、聞く気もない。聞こえはしない。雇われの実況者如きが、ここにかけて来た二人の想いを理解し得るはずがない。
この興奮は、この情熱は、この戦いは二人だけのものだ。
観客など今一瞬、この二人にとってはただのその他大勢に過ぎない。
「ええ、随分と待ったわ。」
「それは悪かったな。ちょっと旧友と会って話しこんじまった。」
「私との試合より、その話の方が大切だったの?」
「馬鹿言え。お前に勝つために話してきたんだ。お前に勝つための最後の覚悟を揃えて来た。」
アルスは、自分が遅れてきた事をわざわざ説明はしなかった。
それは闘争には不要なものだ。
互いが求めてきた、一瞬の駆け引き、刹那の攻防、血肉踊るような激闘の妨げになる。
「敗北を教えに来たぜ、エルディナ・フォン・ヴェルザード。」
それは傲慢ではなく、自信だった。
今まで積み上げて来た全ての努力と、それによって完成した実力。それがどこまでも強い力をアルスに与える。
しかしそんな事ぐらい、エルディナにも分かっていた。
「……それでも、私が勝つわ。あなたの努力、技、力の全てを、真正面から打ち破って私が勝つ。」
エルディナも、ここまで準備してきた。
アルスほどの伸びはないものの、四年前よりその能力は更に上がっている。
負けてやる気は毛頭なく、むしろ勝つ気しかありはしない。
「四年前の私より、今の私の方が倍は強い。」
「それなら俺はその時の十倍、百倍にだってなってみせるさ。それが例え、無限に近い果ての先でも、お前に勝つ為なら、俺はこの一瞬にでも強くなれるとも。」
無論だが、どちらも誇張である。
これは始まる前の、互いの覚悟と、戦意と、そして強さの確認である。しかしそれを本気で信じるぐらいには、両者が必死であるのには間違いなかった。
実況者はそんな二人を知らずか、流暢に二人の紹介をこなしていく。
そして、戦い前の語らいは、到達に終わりを迎える。他の全てが聞こえなかった二人の耳であっても、それだけは届いた。
いや、その空気を本能で感じ取っていた。
『試合開始ッ!』
「さあ、始めようぜエルディナ! もう言葉は要らねえなあ!」
「当然! 私達の間にはそんなもの、飾り付けに過ぎないわ!」
歴史に残る一戦が、未来の賢神の戦いが、始まった。
この静けさは、ここにいる全員が眠っている証拠でもあり、俺が戦う理由にも成り得る。
目蓋を開き、体を動かして、立ち上がる。
その目線の先には、俺を眠らせた少女がいた。眠たげに目は細く、黒いどんな生物とも言えないような人形を手にぶら下げ、少女はそこに立っていた。
「あれ、起きたの?」
「『火竜』」
問答をするより早く、俺の右手を竜に変えてそいつへと放つ。
しかしその竜すらもそいつの元には届かず、直前でまた消え失せる。近付くにつれ魔法の力が減衰する。並大抵の魔法じゃ、こいつには届かない。
だが、ここで放置するという選択肢はない。ここでこいつを放っておけば、より多くの被害が発生する可能性もある。
「あなた、強いんだね。悪夢から、出れるなんて。」
どうする。奥の手を使うか。いや、ここでそれを使えば、間違いなくエルディナとの決勝はできない。
だが、ここでこいつを野放しにしていいのか?
考えろ、アルス・ウァクラート。ここでの最善を、最も後悔しない選択肢を、より俺が俺らしくいられる選択肢を。
「失せろ、睡眠欲。この街からな。そんなに寝たいなら、海の底で永遠に寝てやがれ。」
「……ん。私も、そうしたい。」
俺には理解ならない。ここまで強い奴らが、何故名も無き組織に従うのか。
そこまで強い人間が、あそこまで我が強い人間が集まる組織だ。絶対にそれに勝るほどの利点がそこにはあるはずだろう。
少なとも今こいつにとって、自分のやりたい事より任務の方が優先されているというのは疑いようのない事実だ。
口先で退けるのは無理だし、だからと言って実力で勝つには遠い。
「仕方ない、奥の手を――」
「アルス、何故ここにいる。」
「え?」
仕方なく切り札を切ろうとした時に、声がした。俺の後ろからだ。
そこにはいつも通りの仏頂面の、見慣れた顔の先生がいた。背筋は伸び切り、青い髪と目が真っ先に目を引く。
アルドール先生は俺の前に立ち、あいつをその目で捉える。
「決勝の時刻はもう既に過ぎている。早く行きなさい。」
「アルドール先生! でも、こいつは……!」
「黙れ。本来なら君は決勝の舞台にも立つ事を許されていない。ルールとは、絶対の戒律としてあるものだ。君が幾人もの温情の前で許されている事を理解しろ。」
アルドール先生は指を弾き、空間魔法で収納されていたのであろう剣を、目線ほどの高さから落として地面に刺した。
綺麗な、しかし特徴もなく、装飾もない銀色の無骨な剣。
「だからこそ、君は行け。生徒の身に合わぬ、不相応な障害は教師が取り除くものだ。」
アルドール先生は身近な魔法使いであった。教職である以上、魔法だけでなく様々な事をこの人から教わった。
俺は間違いなく師匠から魔法を教わった。
だからこそか、思い返してみれば俺は、一度もアルドール先生が戦っているのを見たことがなかった。
「賢神魔導会が冠位の一つ、冠位魔導生活科にして賢神第六席。アルドールがこの場を受け持とう。」
だけどその背中は、頼もしい。
俺は頭の中へ湧き出ていた様々な感情を断ち切り、思いを一つに定める。
俺の魔法なら絶対に間に合う。いや、間に合わせてみせるさ。
「ありがとうアルドール先生!」
「……良い試合をな。」
そう言って、俺は体を雷へと変え、闘技場へ急いで行った。
闘技場の会場に、エルディナは一人で立っていた。
フィルラーナとアルスが裏で名も無き組織の幹部と戦っていることなど、エルディナは知らない。
その為に、色んな人が動いているということも、何も知りはしない。
「……学園長が、観客席から離れた。」
ポツリとエルディナはそう呟いた。
魔法を使ってみれば、そこに学園長だけでなく、フランとティルーナもいる事も分かる。
その誰もがアルスの関係者だ。アルスがやっと来たか、アルスに何かが起きたか。そう考えるのは実に自然なことであろう。
ただ、自分には待つことしかできないという事も分かっていた。
これはエルディナにとっても大切な戦いだ。
しかしアルスにとってもそれに劣らず、むしろそれ以上に大切な戦いであることをエルディナは知っている。
自分の愛する戦友であり、自分に唯一届きうる同い年。
四年前の約束を、片時もエルディナは忘れてはいない。ならば自分は前回の覇者として、堂々とここに立ってなくてはならない。
「……」
沈黙が流れる。しかしそれはずっとだ。
決勝の開始時刻から数十分、ずっと静かなままだ。それは無意識下にエルディナの不安を煽る。
しかしエルディナは知っていた。アルスは必ずここへ来ると。
故に待つ。待ち続ける。いくらでも待っていられる。なんせこの時を、四年間、いや、産まれた時から待ち続けていたのだから。
『お待たせ致しました!』
そして、満を持してその時は来る。
観客の冷めきった熱も、まるで油に火をつけたように一瞬で燃え広がった。だが、そんな声はエルディナの耳には届かない。
その視線も耳も、全神経を、たった一人の人間へと向ける。
「待たせたな、エルディナ。」
実況の声など、聞く気もない。聞こえはしない。雇われの実況者如きが、ここにかけて来た二人の想いを理解し得るはずがない。
この興奮は、この情熱は、この戦いは二人だけのものだ。
観客など今一瞬、この二人にとってはただのその他大勢に過ぎない。
「ええ、随分と待ったわ。」
「それは悪かったな。ちょっと旧友と会って話しこんじまった。」
「私との試合より、その話の方が大切だったの?」
「馬鹿言え。お前に勝つために話してきたんだ。お前に勝つための最後の覚悟を揃えて来た。」
アルスは、自分が遅れてきた事をわざわざ説明はしなかった。
それは闘争には不要なものだ。
互いが求めてきた、一瞬の駆け引き、刹那の攻防、血肉踊るような激闘の妨げになる。
「敗北を教えに来たぜ、エルディナ・フォン・ヴェルザード。」
それは傲慢ではなく、自信だった。
今まで積み上げて来た全ての努力と、それによって完成した実力。それがどこまでも強い力をアルスに与える。
しかしそんな事ぐらい、エルディナにも分かっていた。
「……それでも、私が勝つわ。あなたの努力、技、力の全てを、真正面から打ち破って私が勝つ。」
エルディナも、ここまで準備してきた。
アルスほどの伸びはないものの、四年前よりその能力は更に上がっている。
負けてやる気は毛頭なく、むしろ勝つ気しかありはしない。
「四年前の私より、今の私の方が倍は強い。」
「それなら俺はその時の十倍、百倍にだってなってみせるさ。それが例え、無限に近い果ての先でも、お前に勝つ為なら、俺はこの一瞬にでも強くなれるとも。」
無論だが、どちらも誇張である。
これは始まる前の、互いの覚悟と、戦意と、そして強さの確認である。しかしそれを本気で信じるぐらいには、両者が必死であるのには間違いなかった。
実況者はそんな二人を知らずか、流暢に二人の紹介をこなしていく。
そして、戦い前の語らいは、到達に終わりを迎える。他の全てが聞こえなかった二人の耳であっても、それだけは届いた。
いや、その空気を本能で感じ取っていた。
『試合開始ッ!』
「さあ、始めようぜエルディナ! もう言葉は要らねえなあ!」
「当然! 私達の間にはそんなもの、飾り付けに過ぎないわ!」
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