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エピローグ
60日目.邁進
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目が覚めて、俺はテレビの電源を入れる。すると、懐かしいニュースが目に飛び込んできた。
『九州地方を覆い尽くしていた雲が晴れて、今日で五年となりました。当時、月輪氏の調査では………』
「五年……流石に短いよ。色々とね。」
そんなことを呟きながらパンをトーストしていると、電話が掛かってきた。
「早瀬です。」
『実よ。…唐突だけど、明日って帰って来られる?聖穂が帰ってきているの。』
「ああ、行くよ。丁度俺も帰郷する予定だったんだ。連れて行っていいかな?」
『私は構わないよ。』
「ありがとう。また現地で会おう。」
そう言って、俺は電話を切った。そしてパンを食べて、出掛ける支度を済ませる。
しばらくの間電車に揺られて、目的地の最寄り駅に降りると、莉乃が待っていた。
「一便遅れたね?」
「それは謝るけど、まだ来てない奴が居ることがおかしいと思う。」
「それは私も同意見だよ……」
「お待たせーごめんなさい!」
待つこと十五分、ようやく彼は来た。
「二便遅れは流石に駄目じゃない孝雄?」
「マジでごめんって!駅でたまたまめっちゃ好みの女性見つけたからつい!」
「最悪だな……主に仕事よりナンパを優先しているところが……」
「ほんっと、自由奔放なんだから……!」
「莉乃、君だけはそれを言っちゃいけないよ。全部返ってきてる。」
そんな他愛もない会話をしながらも、俺達は調査場所に徒歩で向かう。
孝雄は大学生時代のサークルの友人で、当時はバカ真面目だった。今はというと、ちょっと性格のいいチャラ男。何があったのかは俺にも分からない。
「てか、咲淋は?今日は来る予定だった気が……」
「咲淋は昨日から高熱でね………だいぶ下がったけど、安静にしているよ。」
「蓮斗、付き添ってあげなくて大丈夫だったのか?俺と莉乃の二人だけでも何とか……」
「いや、今季一大変な調査をこのポンコツ二人に任せるのは……」
「「何だって?聞こえなかったよ。」」
「息ぴったりすぎ怖っ!」
確かに二人とも頭も回り優秀。しかし、今日の仕事は今後を左右する大事な仕事。極力出席しておきたいし、彼らの暴走を見張る役が必要なのだ。
日が沈む頃、無事に記録が完了して、現地調査終了となった。
俺達は駅に歩きで向かいながら、適当に話していた。
「そういえば、明日から数日家を空けるから。五年ぶりに帰郷する。」
「いいね。ていうか、蓮斗は盆休みとか正月に帰っていないんだね。」
「行き来に時間がかかるし、年末も夏も忙しい時が多かったから。電話とかは定期的に入れているから、もう音信不通ではないんだけどね。」
「だいぶ変わったよなー蓮斗。もう七年も経ってるし当然っちゃ当然か……」
「孝雄もね。莉乃は……変わってないな。」
「それ、どういうこと?」
そんな会話をしながら電車に揺られて、それぞれの帰路に解散していった。
翌朝、早々に身支度を済ませて、咲淋を起こしにいく。
「体調はどう?」
そう訊ねるが、反応がない。
「これは駄目そうだな……」
近くの棚を背にして、実に連絡を入れようとしたその時、彼女は目覚めた。
「……蓮斗?そろそろ出掛ける時間?」
「そうだよ。…無理はしないでよ。」
「大丈夫。もう元気だから。」
「分かった。じゃあ行こうか。咲奈と恋奈も起こしてくる。」
少しバタついた朝となったが、何とか出発予定時間の電車に間に合った。車窓から見える懐かしい風景に見惚れながら、目的地に移動していった。
あと一駅となったが、水滴は付着しない。恒夢前線が消滅してからもう五年経つが、晴れてからここに居たのは三日程度。雨雲が迫ってきているが、それは動いている。
改札を出ると、もうあの時のように心を締め付けられない、晴れやかな気持ちで駅前の風景が目に飛び込んでくる。
「帰って来た……連絡は入れてるけど、時間が一瞬で過ぎ去るんだよな……」
そう口に零して、午前中は商店街付近を歩き回った。
午後四時頃に実家に到着して、玄関の扉を開いた。
「おかえりなさい。そしていらっしゃい。」
すると、母が出迎えてくれた。
「お久しぶりです。お母様。」
「あら、咲淋ちゃんも大人の女性になったわね。娘さん達も成長しているし、嬉しいわ。」
母は心の底から嬉しそうな様子だった。俺が幼い時には、本当に誤解していたんだと深く心に刻んでいる。
ある意味、それが原因で家庭内がこじれていた時期もあったから。
「ええ、光栄です。しばらくの間、失礼しますね!」
「肩の力を抜いて、ごゆっくり。」
それからしばらくゆっくりしていると、愛と結が帰って来た。
「わっ、お兄ちゃん。」
「久しぶりですね。」
「ああ、久しぶり。愛と結も大きくなったな。」
「叔父さん目線ですか?」
「兄妹だけど、年齢差的にそんな感覚だろうね……」
結のツッコミが的確過ぎてクリーンヒットだった。
娘の成長も妹の成長も止まらない。割と特殊なこの現状に、どんな心境で居ればいいのか分からなくなりそうだ。
「というかお兄ちゃん、そろそろ行かなくて大丈夫なの?実さん達と集まるんでしょ?」
「あ、そうだね。不在の間、咲奈と恋奈をよろしく。双子のことは、双子がよく分かってそうだからね。お姉ちゃん。」
「偏見ですね。…まぁ任せてください!」
「そうそう、家族も友情も大切でしょ?私達に任せちゃって!」
「本当に会う度に成長していて嬉しいよ。行ってくるね。」
そうして、母さんや咲淋にも出掛けると伝えて、俺は飲食店へと向かった。
「蓮君!こっちこっち!」
入店すると既に全員集まっていて、聖穂が手招きしてきたため、その席に座る。
「皆、久しぶり。」
「音信不通じゃなくても、中々予定が合わなかったわね。」
実の言う通りだ。意図的に避けていた訳ではないけど、全員の都合の合う日が中々なかった。
「特にこの五年間は邁進の五年間だったからね。来年にもなれば落ち着いてくると思うけど。」
「俺も同感だ。けっこう皆募る話がありそうだ。」
そうして、俺達は五時間ほど会話を楽しんでいた。実が出産した話だとか、唱が苦戦した仕事の話だとか、聖穂が伝説の卒業ライブを世に残した話だとか。個々の行く先の話で盛り上がっていた。
「もうこんな時間か……」
ふと時計を確認すると、十時を回っていた。序の口と言えば序の口だが、まだ小さい家族も居ることだし、そろそろ帰った方が良さそうだ。
「蓮斗、もう帰る気か?」
「ああ。家族も待っているし、俺はこの辺りで失礼するよ。」
そう言って荷物をまとめて帰宅する準備を整えた。席から立ち上がろうとすると、聖穂は俺の袖を掴んで引き留めた。
「蓮君……私の気持ちは、ずっと変わっていないよ。これが最後の告白。……幸せになってね!」
「……健気だったよ。聖穂は。…君こそ、幸せになれると願っているよ。」
そう言い残して、俺はお店を後にした。聖穂はずっとアプローチを続けてくれていた。だけど、もう応えられない。
それでも、彼女も大切な友人だ。勿論、唱と実も。
街灯に照らされた夜の帰路を辿っていた。もうあと数歩で家に到着するという時、横切った家の扉が開いて彼が姿を現した。
「お久しぶりです。蓮斗さん。」
「その声は夕焚だな。……気が変わった。ちょっと話さない?」
「はい。上がってください。」
夕焚の家に上がり、五年前のような配置になった。俺は彼に訊ねた。
「あれから……変化はあった?」
「はい。地域全体の雰囲気が明るくなったように感じます。それまでは、我々の気持ちも曇り空でしたから……」
「まぁ…そうだね。事故多発はもう大丈夫なのか?」
「不自然な事故はほとんど無くなりました。普通の事故は度々起こっていますが、我々警察の手に負えています。」
「…そう。俺ももう、トラブル体質とは言わせない。危険な調査をする時もあるけどね。……聡は今、何をしているか分かる?」
「聡……というかTCCは、今も活動を続けています。地域活性化に向けて色々取り組んでいるそうですよ。」
「とりあえず元気そうで安心した。」
日の光が雲に遮られずに入ることが、これほどまでに心に影響するとは驚いた。これがいつしかの日に咲淋が言っていた“天気は心と結びついている”ということなのだろう。
本当に不思議なものだ。人間の感受性も、勿論“空”という存在も。
「……俺からも一つ…いいですか?」
すると、彼はそう質問をしていいか訊いてきた。
「遠慮無く。」
「何故、貴方の精神力はこんなにも強いのですか?」
「……それはどういう…」
「五年前、再会したばかりの時の蓮斗さんは、上京前と同じでまるで心が色褪せていました。別に生活に満足していない訳でもないのに。そして、意外にもそれは今も何処か変わっていないように見えます。ですが、“信念”という灯火は明らかに、過去を越えています。……イコールになっていないことに、違和感を感じるんです。」
不屈の精神ということを言っているのだろうか。過去に縛られているのに、振り返らずに前進する。必要な時は、過去の助けを借りる。この“進行と停止のコントロール力”が、彼にとっての疑問らしい。
「……感情と冷静さ、慎重と強引、知恵と無茶。相反するやり方を混在させなければ、あの真実には辿り着きようがなかった。この矛盾した心の編み出し方は、正直俺にも分からない。……ただ、関係があるかは分からないけど、一つだけ俺には強い想いがある。」
「……強い想い…ですか?」
「ああ。俺の心は、底だけには色が無い。そこに色を添えられるのは……きっと那緒一人だけ。」
もう、俺の心は色褪せてはいない。出会いや経験を通して、再び色彩豊かな姿を取り戻した。
しかし、その深層だけは、何があっても色づかない。ここに色を添えられるのは恐らく、“世界で一番愛した彼女”だけのように思う。
「さてと……俺はもう帰る。遅くなりすぎると、子供達に心配されるからね。」
「はい。…一言だけいいですか?」
「…何だ。」
「だいぶ遅くなりましたが、ご結婚、ご出産おめでとうございます。」
「……四年遅いよ。でも、ありがとう。」
そう言い残して、俺は彼の家を後にした。
「ただいま……って、もうどの部屋の電気もついてないね……」
家に帰ってきたが、既に寝静まっている様子だった。
元俺の自室だった空き部屋に入ると、布団が敷かれていて、咲淋と咲奈、恋奈が眠っていた。
「……ぐっすりだね……」
守るべき家族。勿論、俺は彼女らを愛している。仕事も好調で、家に帰れば迎えてもらえる。友人関係も良好で、もう何のいざこざもない。俺の人生はカラフルに色付いていた。
けれども、たった一ミリの深層だけは、色褪せたままで上塗りできなかった。
この空白に入るのは、“那緒”というもう会うことの叶わない人。俺が一番愛した人。咲淋という最高の妻も居て、二人の娘にも囲まれて、それでも彼女を求めてしまうのは最低で強欲だろうか。
俺はそうは思わない。何せ那緒に向ける愛は、最早軽い言葉や関係では言い表せなくなっている。
「……君達を最高に愛している。だけど…那緒のことだけは…絶対に忘れられないよ……。」
そう静かに口に零して、五年ぶりにロケットペンダントを開く。
胡蝶草の花言葉は、“いつまでも一緒”。ようやく気付いてしまった。俺は一生祓えない“深過ぎる愛情”という名の呪いに、ずっと憑かれていたことに。
これから沢山の幸せを経験して、邁進しようが、ふとした瞬間に思い出す過去のしがらみから逃れることはできない。“最愛の置き土産”を超えることは、とても難しいだろう。
それでも、何も苦痛は感じない。決して、過去に囚われている訳ではないから。前を向けば、また別の愛情がそこにある。
“何故”、彼女にこんなにも心を奪われてしまったのか。その理由を追求し続ければ、愛の本質を知ることができるはず。それを知るために、これからも俺は邁進し続けることだろう。
「“最愛とは…一体何なのだろうか……。”」
__________________
亡花の禁足地
~何故、運命は残酷に邪魔をするの~
Fin
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『九州地方を覆い尽くしていた雲が晴れて、今日で五年となりました。当時、月輪氏の調査では………』
「五年……流石に短いよ。色々とね。」
そんなことを呟きながらパンをトーストしていると、電話が掛かってきた。
「早瀬です。」
『実よ。…唐突だけど、明日って帰って来られる?聖穂が帰ってきているの。』
「ああ、行くよ。丁度俺も帰郷する予定だったんだ。連れて行っていいかな?」
『私は構わないよ。』
「ありがとう。また現地で会おう。」
そう言って、俺は電話を切った。そしてパンを食べて、出掛ける支度を済ませる。
しばらくの間電車に揺られて、目的地の最寄り駅に降りると、莉乃が待っていた。
「一便遅れたね?」
「それは謝るけど、まだ来てない奴が居ることがおかしいと思う。」
「それは私も同意見だよ……」
「お待たせーごめんなさい!」
待つこと十五分、ようやく彼は来た。
「二便遅れは流石に駄目じゃない孝雄?」
「マジでごめんって!駅でたまたまめっちゃ好みの女性見つけたからつい!」
「最悪だな……主に仕事よりナンパを優先しているところが……」
「ほんっと、自由奔放なんだから……!」
「莉乃、君だけはそれを言っちゃいけないよ。全部返ってきてる。」
そんな他愛もない会話をしながらも、俺達は調査場所に徒歩で向かう。
孝雄は大学生時代のサークルの友人で、当時はバカ真面目だった。今はというと、ちょっと性格のいいチャラ男。何があったのかは俺にも分からない。
「てか、咲淋は?今日は来る予定だった気が……」
「咲淋は昨日から高熱でね………だいぶ下がったけど、安静にしているよ。」
「蓮斗、付き添ってあげなくて大丈夫だったのか?俺と莉乃の二人だけでも何とか……」
「いや、今季一大変な調査をこのポンコツ二人に任せるのは……」
「「何だって?聞こえなかったよ。」」
「息ぴったりすぎ怖っ!」
確かに二人とも頭も回り優秀。しかし、今日の仕事は今後を左右する大事な仕事。極力出席しておきたいし、彼らの暴走を見張る役が必要なのだ。
日が沈む頃、無事に記録が完了して、現地調査終了となった。
俺達は駅に歩きで向かいながら、適当に話していた。
「そういえば、明日から数日家を空けるから。五年ぶりに帰郷する。」
「いいね。ていうか、蓮斗は盆休みとか正月に帰っていないんだね。」
「行き来に時間がかかるし、年末も夏も忙しい時が多かったから。電話とかは定期的に入れているから、もう音信不通ではないんだけどね。」
「だいぶ変わったよなー蓮斗。もう七年も経ってるし当然っちゃ当然か……」
「孝雄もね。莉乃は……変わってないな。」
「それ、どういうこと?」
そんな会話をしながら電車に揺られて、それぞれの帰路に解散していった。
翌朝、早々に身支度を済ませて、咲淋を起こしにいく。
「体調はどう?」
そう訊ねるが、反応がない。
「これは駄目そうだな……」
近くの棚を背にして、実に連絡を入れようとしたその時、彼女は目覚めた。
「……蓮斗?そろそろ出掛ける時間?」
「そうだよ。…無理はしないでよ。」
「大丈夫。もう元気だから。」
「分かった。じゃあ行こうか。咲奈と恋奈も起こしてくる。」
少しバタついた朝となったが、何とか出発予定時間の電車に間に合った。車窓から見える懐かしい風景に見惚れながら、目的地に移動していった。
あと一駅となったが、水滴は付着しない。恒夢前線が消滅してからもう五年経つが、晴れてからここに居たのは三日程度。雨雲が迫ってきているが、それは動いている。
改札を出ると、もうあの時のように心を締め付けられない、晴れやかな気持ちで駅前の風景が目に飛び込んでくる。
「帰って来た……連絡は入れてるけど、時間が一瞬で過ぎ去るんだよな……」
そう口に零して、午前中は商店街付近を歩き回った。
午後四時頃に実家に到着して、玄関の扉を開いた。
「おかえりなさい。そしていらっしゃい。」
すると、母が出迎えてくれた。
「お久しぶりです。お母様。」
「あら、咲淋ちゃんも大人の女性になったわね。娘さん達も成長しているし、嬉しいわ。」
母は心の底から嬉しそうな様子だった。俺が幼い時には、本当に誤解していたんだと深く心に刻んでいる。
ある意味、それが原因で家庭内がこじれていた時期もあったから。
「ええ、光栄です。しばらくの間、失礼しますね!」
「肩の力を抜いて、ごゆっくり。」
それからしばらくゆっくりしていると、愛と結が帰って来た。
「わっ、お兄ちゃん。」
「久しぶりですね。」
「ああ、久しぶり。愛と結も大きくなったな。」
「叔父さん目線ですか?」
「兄妹だけど、年齢差的にそんな感覚だろうね……」
結のツッコミが的確過ぎてクリーンヒットだった。
娘の成長も妹の成長も止まらない。割と特殊なこの現状に、どんな心境で居ればいいのか分からなくなりそうだ。
「というかお兄ちゃん、そろそろ行かなくて大丈夫なの?実さん達と集まるんでしょ?」
「あ、そうだね。不在の間、咲奈と恋奈をよろしく。双子のことは、双子がよく分かってそうだからね。お姉ちゃん。」
「偏見ですね。…まぁ任せてください!」
「そうそう、家族も友情も大切でしょ?私達に任せちゃって!」
「本当に会う度に成長していて嬉しいよ。行ってくるね。」
そうして、母さんや咲淋にも出掛けると伝えて、俺は飲食店へと向かった。
「蓮君!こっちこっち!」
入店すると既に全員集まっていて、聖穂が手招きしてきたため、その席に座る。
「皆、久しぶり。」
「音信不通じゃなくても、中々予定が合わなかったわね。」
実の言う通りだ。意図的に避けていた訳ではないけど、全員の都合の合う日が中々なかった。
「特にこの五年間は邁進の五年間だったからね。来年にもなれば落ち着いてくると思うけど。」
「俺も同感だ。けっこう皆募る話がありそうだ。」
そうして、俺達は五時間ほど会話を楽しんでいた。実が出産した話だとか、唱が苦戦した仕事の話だとか、聖穂が伝説の卒業ライブを世に残した話だとか。個々の行く先の話で盛り上がっていた。
「もうこんな時間か……」
ふと時計を確認すると、十時を回っていた。序の口と言えば序の口だが、まだ小さい家族も居ることだし、そろそろ帰った方が良さそうだ。
「蓮斗、もう帰る気か?」
「ああ。家族も待っているし、俺はこの辺りで失礼するよ。」
そう言って荷物をまとめて帰宅する準備を整えた。席から立ち上がろうとすると、聖穂は俺の袖を掴んで引き留めた。
「蓮君……私の気持ちは、ずっと変わっていないよ。これが最後の告白。……幸せになってね!」
「……健気だったよ。聖穂は。…君こそ、幸せになれると願っているよ。」
そう言い残して、俺はお店を後にした。聖穂はずっとアプローチを続けてくれていた。だけど、もう応えられない。
それでも、彼女も大切な友人だ。勿論、唱と実も。
街灯に照らされた夜の帰路を辿っていた。もうあと数歩で家に到着するという時、横切った家の扉が開いて彼が姿を現した。
「お久しぶりです。蓮斗さん。」
「その声は夕焚だな。……気が変わった。ちょっと話さない?」
「はい。上がってください。」
夕焚の家に上がり、五年前のような配置になった。俺は彼に訊ねた。
「あれから……変化はあった?」
「はい。地域全体の雰囲気が明るくなったように感じます。それまでは、我々の気持ちも曇り空でしたから……」
「まぁ…そうだね。事故多発はもう大丈夫なのか?」
「不自然な事故はほとんど無くなりました。普通の事故は度々起こっていますが、我々警察の手に負えています。」
「…そう。俺ももう、トラブル体質とは言わせない。危険な調査をする時もあるけどね。……聡は今、何をしているか分かる?」
「聡……というかTCCは、今も活動を続けています。地域活性化に向けて色々取り組んでいるそうですよ。」
「とりあえず元気そうで安心した。」
日の光が雲に遮られずに入ることが、これほどまでに心に影響するとは驚いた。これがいつしかの日に咲淋が言っていた“天気は心と結びついている”ということなのだろう。
本当に不思議なものだ。人間の感受性も、勿論“空”という存在も。
「……俺からも一つ…いいですか?」
すると、彼はそう質問をしていいか訊いてきた。
「遠慮無く。」
「何故、貴方の精神力はこんなにも強いのですか?」
「……それはどういう…」
「五年前、再会したばかりの時の蓮斗さんは、上京前と同じでまるで心が色褪せていました。別に生活に満足していない訳でもないのに。そして、意外にもそれは今も何処か変わっていないように見えます。ですが、“信念”という灯火は明らかに、過去を越えています。……イコールになっていないことに、違和感を感じるんです。」
不屈の精神ということを言っているのだろうか。過去に縛られているのに、振り返らずに前進する。必要な時は、過去の助けを借りる。この“進行と停止のコントロール力”が、彼にとっての疑問らしい。
「……感情と冷静さ、慎重と強引、知恵と無茶。相反するやり方を混在させなければ、あの真実には辿り着きようがなかった。この矛盾した心の編み出し方は、正直俺にも分からない。……ただ、関係があるかは分からないけど、一つだけ俺には強い想いがある。」
「……強い想い…ですか?」
「ああ。俺の心は、底だけには色が無い。そこに色を添えられるのは……きっと那緒一人だけ。」
もう、俺の心は色褪せてはいない。出会いや経験を通して、再び色彩豊かな姿を取り戻した。
しかし、その深層だけは、何があっても色づかない。ここに色を添えられるのは恐らく、“世界で一番愛した彼女”だけのように思う。
「さてと……俺はもう帰る。遅くなりすぎると、子供達に心配されるからね。」
「はい。…一言だけいいですか?」
「…何だ。」
「だいぶ遅くなりましたが、ご結婚、ご出産おめでとうございます。」
「……四年遅いよ。でも、ありがとう。」
そう言い残して、俺は彼の家を後にした。
「ただいま……って、もうどの部屋の電気もついてないね……」
家に帰ってきたが、既に寝静まっている様子だった。
元俺の自室だった空き部屋に入ると、布団が敷かれていて、咲淋と咲奈、恋奈が眠っていた。
「……ぐっすりだね……」
守るべき家族。勿論、俺は彼女らを愛している。仕事も好調で、家に帰れば迎えてもらえる。友人関係も良好で、もう何のいざこざもない。俺の人生はカラフルに色付いていた。
けれども、たった一ミリの深層だけは、色褪せたままで上塗りできなかった。
この空白に入るのは、“那緒”というもう会うことの叶わない人。俺が一番愛した人。咲淋という最高の妻も居て、二人の娘にも囲まれて、それでも彼女を求めてしまうのは最低で強欲だろうか。
俺はそうは思わない。何せ那緒に向ける愛は、最早軽い言葉や関係では言い表せなくなっている。
「……君達を最高に愛している。だけど…那緒のことだけは…絶対に忘れられないよ……。」
そう静かに口に零して、五年ぶりにロケットペンダントを開く。
胡蝶草の花言葉は、“いつまでも一緒”。ようやく気付いてしまった。俺は一生祓えない“深過ぎる愛情”という名の呪いに、ずっと憑かれていたことに。
これから沢山の幸せを経験して、邁進しようが、ふとした瞬間に思い出す過去のしがらみから逃れることはできない。“最愛の置き土産”を超えることは、とても難しいだろう。
それでも、何も苦痛は感じない。決して、過去に囚われている訳ではないから。前を向けば、また別の愛情がそこにある。
“何故”、彼女にこんなにも心を奪われてしまったのか。その理由を追求し続ければ、愛の本質を知ることができるはず。それを知るために、これからも俺は邁進し続けることだろう。
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