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13章
爽やか男のモーニング
しおりを挟む目を覚ますと、キッチンからいい香りがした。
「おはよう」
「おはようございます?」
一瞬自分がどこにいるかわからなくて、部屋をきょろきょろしてしまう。
──あ、私襲われて、家に帰れなくて井村さんの部屋に泊まったんだ。それで好きだって言われて、キスされて……。
昨夜のことを思い出し、耳まで赤くなる。
結局一線は越えなかったものの、暴走した井村は千紗の寝間着の中に手を突っ込んできたり、きわどい一夜だった。
「食欲、ある?」
朝からスッキリとした曇りなき笑顔。ドラマのワンシーンのようなさわやかな顔で訊ねられると、昨日のことは千紗の勘違いなような気がしてきた。
じゃがいもとにんじんの入ったコンソメスープと、サラダとオムレツと炊き立てのご飯が出てきた。朝食なのに、千紗が作る夕飯よりも手間がかかっている。
ズボラな千紗にはSNSにUPする目的以外でこんな朝食を作る人がいるなんて信じられない。
手際の良さに驚いていると、お腹が鳴った。
「いただきます……」
独身男性がこんな丁寧な暮らしをしていいのだろうか。あまりに映える。映えすぎる。
「お出汁、ちゃんと取ってるんですね」
「うん。早起きしたから」
「いつもこんなに丁寧に朝食を?」
「いや、昨日ろくに食べてないでしょ。だから頑張った。普段は適当だよ」
テーブルに正しく並んだ朝食に、思わずきっちり背筋を伸ばして頂いた。
それに甲斐甲斐しく世話をされ、甘やかされ、心地よくなってしまっていた。
──ここにずっといたらダメになりそう……。
と思いつつ、疲れた心と体に井村の優しさはじんわりと沁みて、どっぷりこのぬるま湯に浸かってしまっていた。
「美味しかったです。ごちそうさま」
「医者から今日は安静って言われたから、ゆっくりしてて」
確かに、男に襲われた時に打った全身がまだ痛む。
警察からは、余罪があるらしいと聞いている。もう二度と社会には出てきてほしくない。
そして、騒動になった以上、今後動画を上げるのは難しいだろう。
考え出すと、悪い想像しか浮かばない。一番の心配は動画の収益がなくなることだ。ここ一年で一気に借金も減ったものの、借金というのは返せなくなったところで、待ってはくれないのだ。
「昨日の洗濯物、乾いてるよ」
「申し訳ありません」
ふかふかに乾燥させた衣類はきれいに畳まれて置かれていた。普段干してあるものをそのまま物干しから取って着ているのを思い出し恥ずかしくなる。
「色々心配はあるだろうけど」
千紗の陰鬱そうな顔を見て、井村が切り出した。
「今は休んで。おいおい考えよう」
慈愛に満ちた目で見つめられる。まだ好きだった田吾作と苦手な井村が心の中で一致しない。それにしても一年以上気づかないとは我ながら間抜けすぎる。
亡き父にも鈍感で抜けているところをよく心配された。
「やっぱり私帰ろうかと。マスコミがうろついてるなら、逆に安全だし」
このまま井村の好意に甘えていたらダメ人間になりそうだ。甘やかされて優しくされて美味しいものまで食べていたら、もはや戦うガッツがわかないような気がする。
「せめて、あと数日は待とう。俺が心配だから」
「数日……。お財布もスマホもないんです」
「必要なものは俺が買ってくるから。頭打ったあとは動いちゃだめだよ。少なくとも明日まで寝てて。医者もそう言ってたし」
病院の診察代なども立て替えてもらったままだった。
食後も特にすることがなく、手持無沙汰でそわそわしていると、井村が隣に座る。
「今日から田吾作がしてたように千紗ちゃんて名前で呼んでもいい?」
「うわ、そういうこと口に出すのめっちゃ恥ずかしいんで」
千紗の羞恥のツボに、その言葉は突き刺さり、千紗は顔を手で覆った。
「田吾作との関係を、リアルに引き継ぎたい。信頼関係は崩れたかもだけど、今から取り戻したい」
「ぜ、善処します」
自分の危険を省みず、助けてくれた井村の好意を疑ってはいない。けれど恋愛経験知がゼロの千紗には、なにから始めていいのかわからなかった。
信頼しているかしてないかで言えばしていると思う。だがまだ現実に気持ちが追いつかない。
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