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9章

イケメン上司のからさわぎ

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「偽善者か……グサっと来たな」

 千紗との通話を終え、田吾作──井村聖はため息をついた。しかも名前までディスられた。親にはもっと彼女の好きそうな名前をつけてもらうべきだった。
 
 パソコンの画面を開き、千紗ことタマのSNSをチェックする。
 数か月前から万年寝太郎というユーザーが千紗に卑猥で攻撃的なコメントをしているので、動向を調査していた。
 どうやら過去にも女性インフルエンサーに執拗に誹謗中傷や、ネット上でつきまとい活動休止に何度も追い込んでいるらしい、
 千紗は会社では有能だが、ネット知識には疎くて色々セキュリティ面が甘かった。
 毎回千紗が動画を上げるたび、画面に身元を特定する情報がないか確認していた。以前胸ポロリをやらかした画像はまだネット上に残っているし、心配でたまらない。

 田吾作を名乗り、千紗にネットで別人を装って近づいたのにもワケがある。
 一年半前、会社にバイトとしてやってきた千紗と初めて会った日を思い出す。

 ──うわ。めっちゃタイプ。
 それが井村が初めて見た千紗の印象だった。

 顔が小さくて、目が大きくて、ちょっと髪型とか服装を変えたら、アイドルグループにいてもおかしくないくらいかわいい。
 ただ随分愛想が悪くて、みんなとうまくやれるか心配になった。
 案の定、バイトということもあって社内の誰とも交流せずに、千紗は孤立していた。

「なんか陰気だしコミュニケーション取りにくいし、あんな子雇って大丈夫ですかぁ」

 そんなことを言う女子社員もいたが、 

「あの子よく見たらめっちゃ美人だし、確かに今風でない服着てるけど凄いスタイルいいっすよ。コミュ力に難ありだけど、かなりそそるタイプ」
「俺、俄然やる気出たっす。磨けば光りそうなのに敢えて磨かない感じが逆に萌えですね」

 と言う男子社員もいた。
 眼鏡の下の顔立ちのかわいらしさとか、もっさりした服装の下の男好きのしそうな体のラインだとかに男達が気づかないはずはない。
 だが千紗は一律誰にでも平等に無関心だった。男子社員の欲望に満ちた目にも気づかない。
 誰に対しても心を開く様子もなく、全員に平等にそっけないので、口説けるような猛者はいなかったが、井村は注意深く千紗を見ていた。

 ある日、昼休み一人で持参の弁当を食べる千紗に声をかけようとした。

 ──日の丸弁当? 

 うら若き乙女が日の丸弁当とは、栄養が足りないのではないだろうか。確かに一人暮らしだと、バイトだけではランチ代もきついだろうとは思う。

「あのさ、高倉さん。さっきは書類の不備見つけてくれてありがとう。歓迎会まだだしランチ行かない? あ、いや他の奴も誘うからさ」
「見てのとおり、私は節約のため持参してます」
「いや、さすがに奢るし」
「いえ。結構です。休み時間は一人になりたいので」

 はっきり言う子だなと思いつつ、下手な社交辞令よりはいいかと納得した。
 千紗は仕事が早くて正確だったから、バイトとはいえかなり頼りになる存在だった。
 かわいいと浮足立っていた男性社員も、千紗のあまりの塩対応に段々話題にも出さなくなった。女子社員からは鉄仮面ロボットと呼ばれている。
 だが、他の男にも冷たいのは競争率が下がるから正直ありがたい。
 ──と思っていたのだが、ライバルは全世界にいることをのちに知ることになる。 


 にべもなく断られたあと、どうやって誘おうかと千紗を後ろから見ていると、彼女のスマホの画面がちらりと見えた。見るつもりなどなかったが、見えてしまったのだから仕方ない。
 肌露出多めの女性が映っていた。きわどいコスプレのような格好の──。
 その女性に見覚えがあった。
 最近ネットニュースで見かけた三味線を弾く動画でバズっている女の子だった。乳チラしてしまい、それが狙っていたのではないかという意見と、とにかくこの子の体はめちゃエロいという意見で割れていた。


 その時はスルーしたが、家に帰りなんとなく気になり、その女性の動画を改めて見てみた。人気アニメ「夏色☆浪漫」のヒロインの衣裳で、バニーガールのコスプレをしていた。
 なかなかの巨乳である。

「これ高倉さんだ……」

 慌ててニュースを見直し、SNSを見た。やはり彼女だ。
 井村は千紗が自らラッキースケベを演出するようなキャラとは思えなかったが、そのチャンネルは過激路線で一気に登録者数を増やしていったらしい。
 アニメのコスプレなんてのはいいほうで、ひどいとマイクロビキニで三味線を弾いていた。
 ──完全に開き直ってる。
 会社にはなんな地味な格好をして、おとなしそうな顔をしながら、あんなスケベなコスプレを世界に晒しているとは……。

 あんなおとなしい女の子がエロい格好を世界に晒している──そのギャップに井村は鼻血を出しそうになった。
 と同時に、その音楽性に驚いた。

「これ……ただのお遊びってレベルじゃない」

 三本の弦が奏でる力強くも繊細かつエネルギッシュな音。華奢な体なのに迫力が凄い。
 音楽に詳しくない井村でも、千紗の演奏が趣味レベルでないことは一目瞭然だった。
 ──一つ一つの音が煌めいている。あたかもむき出しの魂に訴えかけてくるような迫力──。
 普段感情表現をあまりしない千紗だからこそ、音楽に全てをぶつけているのかもしれない。
 その日の演奏は5分ほどだったが、演奏が終わる頃、井村は自分が涙を流していることに気が付いた。

 それから千紗の動画を全て見た。チャンネル名は「玉響(たまゆら)の調べ」。
 千紗はタマと名乗っていた。
 切ない曲は悲しいほどしっとりと、明るい曲は弾けるほどに楽しそうだった。
 汗だくで一心不乱に演奏する姿は女神のような輝きを放っていた。人気が出るのも当然だ。
 顔から上はお面で隠してはいるものの、身バレ対策がガバガバすぎた。
 このままでは危険だ。

 すぐにSNSでアカウントを作り、一リスナーとして千紗に注意を促した。
 慌てていたので、ハンドルネームは亡くなった曾祖父のものにした。

『初めまして。いつも動画を拝見しているファンです。
 突然のDM失礼します。実はタマ様の動画を拝見し、セキュリティの面で少し気を付けたほうがいいと思ったところがございますので、ご連絡差し上げました。
 〇月〇日の配信で、カーテンが五センチほど開いていますが、そこから自宅の位置など特定されることもあり──』

 延々とネットの身バレの危険性を説明するメッセージを送ると、すぐに返事が来た。

『ありがとうございます! 色々ネットの危険性に無知な私にご教授下さり、まことに感謝申し上げます。余計なお世話とはとんでもございません。一人でやっているため、アドバイス頂けるのはとても嬉しいです。助かりました』

 会社での塩対応とは別人のようなメッセージだった。

『あの……ついでみたいになって申し訳ないけど、演奏すっごいよかったです。俺感動して泣いちゃって』
『え!! 恐縮です。そう言って頂けるととても嬉しいです』
『アレンジも本当にセンスがよくて、心に訴えかけてくるものがありました。体に気を付けてこれからも頑張ってください』

 千紗の演奏への感想などを送るととても喜んでくれた。本当は一度注意喚起のDMを送って終わりにするつもりだったのに、ネット上での円滑なコミュニケーションについ、田吾作のまま交流を続けてしまった。
 脱げ脱げというファンと違い、千紗の安全について語ったせいか、会社とは打って変わって素直に心を開いてくれた。

『コスプレのことばっかり言われるので、肝心の音楽について言われるのはとても嬉しいです』
『すごく才能があると思う。頑張ってね。ファンより』

 それは嘘ではなかった。千紗の演奏には、人の心を揺さぶるなにかがあった。
 そのなにかに井村は完全に心を奪われてしまったのだ。
 ──ヤバい。
 
 三十年生きてきて、こういう思いを誰かに抱いたのは初めてだった。
 交流するうちに、千紗はすっかり田吾作に心を開いて、様々な悩み事を打ち明けるようになった。
 やり取りを続けるうちに、千紗は次第に誰にも明かさない胸の内を語るようになった。
 急死した父親が遺した事業の借金で高校を中退したこと。
 そして、動画の収益で借金を返していること。
 友達は欲しいけどコミュ障だし、こんな惨めな自分をリアルで誰にも知られなくないということ。
 本名は千紗だということも教えてくれた。信頼してくれていることが嬉しかった。

 会社での塩対応とのあまりのギャップに、井村は千紗はメロメロになってしまった。
 誰も知らない千紗を自分だけが知っている──思い上がりかもしれないが、そんな優越感にも酔いしれた。
 千紗と話を合わせるため、千紗がお父さんの影響で読んでいる昔の漫画なんかもネットカフェで読み漁り、一緒にその話題で盛り上がったりもした。
 千紗の気を引くための涙ぐましい努力。
 気づけば、もう後戻りできないほどに千紗に溺れていた。
 田吾作ではなく、井村聖として千紗を口説くはずが、どんどん千紗は田吾作に依存し、現実の井村には冷たくなっていった。

 会社で会うたびに、千紗に構おうとするが、すげなく拒否される。
 一部の女子社員が千紗に仕事を押し付けているのも知っていたが、千紗は恐るべき処理能力でこなしていた。

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