GIVEN〜与えられた者〜

菅田佳理乃

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手筋編

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 今年最初の三連休の最終日・成人の日。京子と圃畦塾の生徒10人は、洋峰学園から一番近くにあるショッピングモールに来ていた。

 モール内の吹き抜けのある広間一階に、大音量の音楽が流れる。その音楽に合わせて大きな筆で書をしたためる洋峰学園書道部の生徒がいた。

 毎年ここで行われる洋峰学園書道部による書道パフォーマンスだ。

 書道部高等部部長の神崎茉波まなみは自分の身長よりも長い筆を両手で持ち、畳八畳分はあろうかという真っ白な紙の上に、バケツに入った真っ黒な墨汁で揮毫する。

 神崎は筆を止め、紙の上から降りる。待機していた背の高い部員が紙の角を持ち、音楽が終わると同時に高く掲げる。見事な今年の十二支の一文字に、ギャラリーから歓声と拍手が湧いた。部員達は歓声に礼をして応える。

 京子と圃畦塾生徒は、ショッピングモールの吹き抜け部分の二階からそれを眺めていた。

 部員達はぐるりと円を描くように、四方に順に礼をする。一階にいる人達だけでなく、二階三階からパフォーマンスを眺めていた人達にも頭を下げる。

 部員達が京子達のいる方に向く。まず一階にいる人達に礼をして二階に視線を投げる。京子が手を振った。部員達も京子に気づいた。皆笑顔で京子に手を振り、そして深々と礼をした。

 やっと部長の神崎が顔をあげる。目に涙が浮かんでいた。やりきったというより、ほっとしたような表情だった。


 なぜ神崎は涙を浮かべたのか。

 時は文化祭後にまで遡る。



 ●○●○●○



 学校の一大イベント文化祭を終え、生徒会も各クラスと部活の出し物の決算報告書を受け取り、後は定期テストを受ければ2学期の行事はほぼ終わりという頃。

 書道部から生徒会にこんな嘆願書が提出された。

『先日の文化祭で書道パフォーマンス用の大筆が折れてしまいました。正月にショッピングモールで毎年書道パフォーマンスを行っています。それまでに新しい大筆を購入したいと思っているのですが、現在大筆を購入出来るほどの部費の余裕がありません。もし可能であれば、来年度分の部費を前借り出来ないでしょうか』

 という内容だった。

 中・高等部の生徒会長、副生徒会長、それと書記長が書道部からの嘆願書を眺めながら腕組みする。

「うーん。どうしようか……」

 口火を切ったのは、高等部生徒会長だった。書道部の友人がいるので他人事ではない。

「書道部のショッピングモールでの書道パフォーマンスは、毎年楽しみにしているって言ってくれているお客さんが結構いるからなぁ」

 中等部生徒会長だ。家が当のショッピングモールに近いので、毎年買い物がてら見に行っている。

「でも前借りだと、来年度分の部費は減額されてしまう。書道は紙や墨とか、消耗品の出費の方が額が大きいだろ。となると来年はまともに練習すら出来なくなる可能性もある」

 高等部副生徒会長も何かしらの支援をしたいと思っているが、この書道部の申し出には後ろ向きだ。


「中等部副生徒会長、さっきから何してるの?」

 この議題になってから、ずっとスマホを弄っている京子を、高等部生徒会長が咎めた。

「あ。すみません。パフォーマンス用の大筆という物がどういう物か、知らなかったので調べてました」

 そう言って京子はスマホ画面を高等部生徒会長に見せた。

「安いものでも3万円!?」

 画面を見た生徒会長は思わず大声を出してしまった。

「書道部の部費って、いくらだったっけ?」

 高等部生徒会長が書記長に聞いた。書記長はノートパソコンのキーボードを叩く。

「……出ました。この金額です」

 生徒会長が頭を抱えた。来年度の書道部の部費は、ほぼゼロになってしまいそうだ。

「困ったわね。どうしようか……」

「あの、ちょっと確認したいことがあるんですけど」

 ずっとスマホ眺めていた京子が口を開いた。

「この書道部の嘆願、私が個人的に解決することは可能でしょうか?」

「個人的にって、どういうこと?」

「実はこのパフォーマンス用大筆を持っている人物に心当たりがありまして、その方に筆をお借り出来ないか、交渉してみようかと」

「「「本当!?」」」

 京子以外の生徒会役員全員が机を叩いて立ち上がった。

「どういう方なの?」

「バブル時代に道楽で大筆を手に入れたそうなんですけど、結局、一度も使わず30年以上放置しているそうです」

「え?30年放置……?使えるの?」

 高等部生徒会長が至極もっともな質問をする。

「使えるかどうかは、書道部の部長さんに判断して貰おうかと」

「なるほど。それで?」

「さすがにタダでお借りする、という訳にはいかないと思うので、書道部の皆さんに……」

「待って。もしかして働かせるってこと?」

「あ、勿論外に向けて大きな声で言えないような仕事はさせないんで」

「当たり前よ!何をさせる気?」

「書道部ならではのお仕事をお願いしたいと」

「「「書道部ならでは???」」」



 翌週の日曜日。岡本家に、生徒会に嘆願書を提出した書道部部長の神崎と副部長がやってきた。

 田村優里亜が来た時とは違い、二人はしっかりと岡本と純子に挨拶した。

 (囲碁やってる人とそうで無い人とでは、こんなに違うのかぁ)などと京子は思いながら、二人を研究会部屋に案内した。

「あの大筆なんですけど」

 研究会部屋の隅に、天井からぶら下げてある大筆を京子は指差す。

 二人はゆっくりと大筆に近づく。そして大声で「えっ!?」と言ったまま動かなくなってしまった。

「……あの……。どうしたんですか?」

 京子がこう聞いても、二人とも返事をしない。

「この筆じゃ駄目ですか?」

「「え!?この筆じゃ駄目ですか!?」」

 質問の山彦が返ってきた。

「いいんですか!?こんなに良い筆を頂いて!」

 神崎は京子ではなく、その後ろにいた岡本に言った。

 この大筆。若い頃、岡本がタイトル(何棋戦だったかは忘れたそうだ)を取った時に副賞として貰ったものだそうだ。しかし貰ったはいいものの、肝心の紙と、墨で汚れてもいい場所の確保が出来ずに、以来30年間岡本家の片隅に追いやられていたのだ。

 副賞に筆を選んだ理由は、字が汚くて書道の師範について稽古していたのだが、その師範が「どうせなら大筆で練習してみたら?上手くなるかも」と唆され……提案したのを鵜呑みにしたらしい。

 そんな理由なので、どうせなら書道部にこの筆を寄付するという話にまで発展したのだ。


「ああ。使って下さい。やっと使って貰えて筆も喜ぶよ」

「「ありがとうございます!!」」

 二人は京子ばりに大声で頭を下げた。

「もしかしてこの筆、そんなに良い筆なんですか?」

 京子が二人に聞いた。

「広島の熊野筆だよ!」
「今、日本で筆といえば真っ先に名前が上がる熊野筆!」

「広島!」

 真珠戦挑戦手合いでつい3ヶ月前に行ったばかりだ。

「ああ……。夢みたい。『翠海』の筆でパフォーマンスできるなんて……」

 神崎も副部長も、うっとりと筆を眺める。

「なんですか?『翠海』って?」

 京子が聞いた。

「この筆を作成した人の雅号だよ。ほら、ここ」

 そう言って神崎が筆管を指差す。金色の文字で『翠海』と書かれてあった。

「歴代でも5本の指に入るといわれている名匠だよ」

「名匠!」

 京子が再びショックを受ける。そこにそんな伝統工芸品があるなら、見てくれば良かったと、京子は悔しがる。

 うっとりと筆を眺めていた二人が、やっと正気に戻る。

「あっ!失礼しました!それで謝礼はいつに……」

「はい。1月6日に、またここに来て下さい」



 そして約束の1月6日。

 ぞろぞろと書道部の部員全員が岡本家にやってきた。

 全員問題なく岡本に挨拶を終えると、まず研究会部屋に通された。

「えー、では説明します」

 京子は前日1月5日の仕事始めに棋院から渡された段ボール箱をひっくり返した。バサバサと音をたてて、中から大量の年賀状が出てきた。宛名は全て京子宛だった。

「ええっ!?これ全部畠山さん宛なの!?」

 神崎が年賀状の山を前に驚きの声をあげた。他の部員も唖然としている。予想を遥かに上回る数だったからだ。


 そう。筆の謝礼に京子が書道部に出した『書道部ならではの謝礼』とは、『ファンから届いた年賀状の宛名書き』だ。

 昨年、京子は真珠戦、紅水晶戦とタイトルを奪取した。今年はファンから大量の年賀状が送られて来るだろうと見越していたのだった。その予想は見事当たり、今、書道部員を全員絶句させている。

 岡本が所持していた筆を書道部に寄付したので本来なら岡本の年賀状も含まれていなければおかしいだろうが、岡本は毎年、シルバー人材に発注しているのだ。「老人の仕事を奪ったら生活出来なくなるだろ」と言われてしまったのだった。

 部員の誰かがぼそっと「メールで送った方が安いのに……」と呟く。

「だよねー!でもさ、わざわざ85円も出して送ってくれたんだよ。葉書を買って、宛名書きして送り主の名前住所も書いて。手間暇かかるよね。でも、そんな面倒臭いことをしてまで私に年賀状を送ってくれたんだよ。ありがたいよね。
 本当は自分で全部書きたいんだけどさ、この数でしょ?小正月終わっちゃうから、皆さん、手伝って下さい」

 京子が部員に頭を下げる。

 頭を下げられた部員全員が、納得したような表情で頷いた。

「よし!みんな、頑張ろう!それで畠山さん、何から始めればいい?」

 神崎が部員に激を飛ばす。こうでもしないと、心が折れそうな数だからだ。

「まずは都道府県別に分けて下さい。それからそれぞれ分担する数を決めます」

「なんで都道府県別に?」

 神崎が聞いた。

「碁会所……えーと、碁の組合みたいな所に所属してる人達に送った年賀状の筆跡が全部違ったら、変に思われるでしょ?」

 全員「あー」と納得する。しかし神崎だけは(別にいいのでは?)などと思ったが、これは京子の依頼なので、京子に従うことにした。

 書道部員総出で、京子に送られた年賀状を都道府県別に分ける。これだけでもかなりの重労働で、分けるだけの作業に30分もかかってしまった。

 分けたら今度は部員数で分ける。分けたら今度は研究会部屋・応接間・和室と各部屋に分かれてひたすら宛名を書く、一見単純作業だが、誤字脱字は許されない神経を使う地道な作業が続く。

「では、これから宛名書きして貰いますが、その前に、お昼ごはんは何がいいか、アンケートを取りたいと思います!」

 どうせピザなのだろうと思っていた部員は、目の前に寿司と鰻のチラシをヒラヒラさせられて、俄然やる気を出していた。



 ●○●○●○



 丸1日かけて宛名書きを終えた部員は「腱鞘炎になるー!」と騒いでいたが、このパフォーマンスを見る限り問題は無かったようだ。


 書道パフォーマンスを終えると、今度は観覧していた観客の書道体験が始まった。

 圃畦塾の生徒達は「自分もやってみたい!」と言い出し、ショッピングモールに買い物に着ていた子供達と混ざって、書道を楽しんでいた。


 翌年、今度は京子自ら大筆を買い、書道部に寄付した。ただ単に「面白かった」からという理由でだ。

 書道部もパフォーマンスの幅が広がるので、願ったり叶ったりだった。


 そしてこの「畠山京子年賀状宛名書き」は京子が洋峰学園を卒業しても書道部の正月の風物詩として書道部に定着していったのであった。
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