GIVEN〜与えられた者〜

菅田刈乃

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次の一手編

「手を回す」か「手を下す」か【前編】

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 商店街の道路に整然と並べられた500基の碁盤を前に、京子が絶叫する。

「壮観!」

 平塚囲碁祭りに、畠山京子は今年初参加する。まだ真夏並みの暑さが残るここ神奈川で、今日は総勢70名の棋士がここで指導対局を行う。


「すごい!すごいですね!田村先輩!これ全部碁盤だなんて!」

 田村優里亜と一緒に碁盤を眺める京子は、変質者のようにハァハァと呼吸を荒くしている。碁盤を見ただけでこれだけ興奮しているのは京子だけだ。

 他人のフリをしようかと思ったが、面倒見のいい優里亜はそう出来ない性分だ。ただ、優里亜は碁盤にここまで興奮しないので、冷めた返しをする。

「なに言ってんのよ、京子。毎年この光景、見てるでしょ」

「この時期はバスケの大会があるので、不参加だったんです。だから私も今年、初参加なんですよ」

「あ、そっか。え!じゃあ、京子と一緒に平塚デビュー!?」

 先程までの冷めた態度はどこへやら、急に優里亜は顔を真っ赤にした。

「はい!先輩と一緒です!」

「キャーッ!京子と一緒のデビューのものがあるなんて、嬉しいー!!」

 今日の京子の服装は、第8回畠山京子服選びサミットで次点となった、黄色のワンピースだ。そして優里亜も今日は黄色を基調にしたコーディネートで、遠目に見ると双子コーデのようだ。

 そんな二人が手を取り合い、はしゃいでいる。

「はー!本当に夢みたい!棋士として、平塚の囲碁祭りに来てるなんて!」

 優里亜が両手を合わせて、道に沿って真っ直ぐ並んだ碁盤を見渡す。

 京子の左の眉がピクッと動く。優里亜が動く前に京子は一歩下がった。

「京子!私を棋士にしてくれて、本当にありが……、って、京子がいない!?」

 先程まで優里亜と並んで碁盤を見ていた筈の京子がいない。

「ここです」

 優里亜の背後からひょっこり顔を出す。また優里亜に抱き締められ圧死されそうだと察した京子は、いち早く優里亜より動き、逃げたのだった。

「なんでいつも逃げるのよ!」 

「いつも力加減してくれないからです!」

「私より身長あるし、バスケで身体を鍛えてるんだから、大丈夫でしょ!」

「なんでこういう時だけそんな馬鹿力を発揮するんですか!碁に使って下さい!その力を!」

「囲碁で物理の力を使うって、どうやって!?」

「碁盤を叩き割るぐらいの力で碁石を叩きつけるんですよ。たぶん相手もビビります!」

「自分はそんな事しないじゃない。いつもいつ打ったのか、わかんないくらい静かに打つじゃない」

「石でたれれば、碁盤だって痛いでしょ」

「碁盤だよ。痛がらないでしょ」

「もし自分が石で打たれたらって思うと痛いので、やらないです」

 (へぇ、そんなこと考えてたのか)

 前から聞いてみようと思っていて、その機会を逃してきた。

 そんな風に考えていたとは、意外だった。願掛けとか験担ぎかと思っていた。しかし、どちらも現実主義の京子にはそぐわない。

 でも、これでまた『畠山京子対策ノート』に書き込む事が増えた。いつ京子との対戦が叶うのか分からないが、それまでにあのノートを埋め尽くしたい。


「おーい。そこの仲の良いお二人さん。ミーティングが始まるぞー!」

「「はーい!!」」

 若松が二人を呼びに来てくれた。二人はぴったり息の揃った返事をしてお互いはにかむ。

 平塚囲碁祭りは二部制。二人は第一部に出る。



 ●○●○●○



 今年は第二部で指導する事になった立花富岳は、自分の持ち場の番号の書かれた盤を探す。

 富岳は毎年この平塚囲碁祭りに参加している。毎年第一部に出ているのだが、今年は第二部に振り分けられた。なんでも今年は畠山京子が来ているらしい。

 また喧嘩しないための措置だそうだ。それから、どうしてそうなったのか知らないが、田村優里亜とも不仲だという噂も流れていて、あの二人を一部に、富岳を二部にしたらしい。

 京子のせいで、どんどん要注意人物にされてるような気がする富岳だったが、それは京子にも言えることだなと思い直し、それ以上考えないようにした。


 富岳が担当する盤は、本部から一番離れた商店街の端の方だった。若いんだから歩け、という事らしい。

 富岳が担当するのは5人。おじいさんの中に一人だけ、富岳と歳の変わらない男の子がいた。短髪で中肉中背、この場に女子がいたら間違いなくキャーキャー言われてる顔立ちだ。この子が座る瞬間を見ていたが、おそらく身長は富岳とそう変わらないだろう。今年で4回目の囲碁祭り参加だが、歳の近い子に指導をするのは、初めてだ。

「お待たせしました。立花富岳です。今日はよろしくお願いします」

 おじいさん達も「お願いします」と、ゆっくりお辞儀する。

 その男の子もゆっくりとお辞儀する。しかし、どこか違和感がある。富岳の周りにいる同級生とは、あきらかに身に纏う空気が違う。

 (うーん。どこかのお坊っちゃまだろうな)

 身なりがいい。着ている服も靴も、シンプルなデザインだが上から下までハイブランドだ。

 (こんなお坊っちゃまなら、自宅に棋士を招いて指導碁を受ければいいのに。庶民の祭りになんの用だ?)

 富岳は思考を巡らせる。

 この平塚囲碁祭りは、誰から指導を受けたいか、指名ができる。しかし、人気に偏りがでるため、誰しも希望する棋士から指導できるとは限らない。

 (おそらく、誰かを希望していたが抽選で外れたので俺の所に回ってきたんだろうな。
 そう考えるとこの年齢なら……、まぁ、畠山京子だろうな)

 未成年女性棋士を自宅に招いての指導碁は、棋院側で断っている。畠山は企業の指導碁には出向いていると聞いた事がある。だからこの子も、どこかの企業の囲碁部に所属していれば、ここに来る必要はなかっただろう。

 未成年者が、同じく未成年の京子から指導碁を受けるとなったら、こういうイベントに参加するしかない。

 (畠山の客かよ!めんどくせー!……ん?まてよ?なんか引っ掛かるな……)

 『畠山京子と、お坊っちゃま』

 つい最近、聞いたワードだ。畠山関連だから三嶋から聞いた話だろうが、いつ頃に聞いた話だったかも思い出せない。


 対局を始めるよう、アナウンスが流れてきた。

 富岳は、小骨が喉に引っ掛かったような気持ち悪さを覚えながら、指導を始めた。



 富岳の担当するおじいさん達は皆、中々の腕だった。そして驚いたのが、このお坊っちゃまの棋力だ。アマチュア六段相当の腕はある。

 (何歳なのか知らないけど、もし院生になれる年齢だったら、今から棋士プロを目指したりしないかなー。外来受験でもイケそうだけど)

 そんな事を考えながら、富岳は打ち進める。

 中盤に入る。下辺で戦いになる。ここでどう打つか、棋風が出る所で、お坊っちゃまは強気にも狭い所を荒らしてきた。

 (おお!この碁は!)

「安富先生から指導を受けていますね」

 うっかり富岳は指導中に、お坊っちゃまに話しかけてしまった。

 先日、安富篤九段と対局したばかりだった。安富はヨセが強く、ヨセの苦手な富岳は勉強になる事ばかりだった。

「ええ、そうです。分かるものなんですか?誰から習ってるかなんて」

 お坊っちゃまが顔を上げる。間近で顔をよく見る。

 (睫毛、長っ!)

 男の富岳でも見惚れてしまうほど美形だ。しかも言葉使いも丁寧。

 (性格は良い、顔も良い、しかもお坊っちゃま。もう人生無双じゃん!こんな人間、本当にいるんだなぁ)

 富岳はしばらくお坊っちゃまの顔に見惚れていた。 

「えっと……、どうかしましたか?」

 質問に答えずじっと顔を見つめている富岳に、お坊っちゃまが逆に質問する。富岳はやっと正気を取り戻した。

「あっ!し、失礼しました!えーと、なんでしたっけ?あ、思い出した!はい、わかりますね。一度でも打ったことがある棋士なら、十中八九」

 富岳はあたふたと、しどろもどろになりながら質問に答えた。

 (うおおー!なんかハズい!男の顔に見惚れてたとか!そっち系の性癖だと思われたらどうしよう~!?)

 自分で自分の顔が真っ赤になっているのが分かるほど、顔が火照っている。ずり落ちたメガネを直すふりをして顔を隠す。

 (話題!話を振って誤魔化そう!)

「小さい頃からしっかり指導を受けていたのがよく分かります。これならプロになれますよ」

「そうですか?お世辞でも嬉しいです。ありがとうございます」

 お坊っちゃまはにっこり微笑む。

 (謙虚!そんで野郎にもこの笑顔!やべぇこの人、男もたらしこむぞ!) 

 しかし悪い気はしない。ふだん無口の富岳が饒舌になる。

「今日は、誰かお目当ての棋士に会いに?」

 (あ、これ、しちゃいけない質問だった)

 個人的な質問はしない。囲碁祭りでの暗黙のルールだ。が、気さくなお坊っちゃまは細かい事は気にしない性格のようだった。

「じつは貴方に会いたかったんですよ」

 なにこれ?俺、BLの世界に召喚されたの?

「同い年の棋士の方と、お友達になりたくて」


 さっきまで火照っていた顔が急に冷える。棋士の勘が警告を告げる。

 直感だった。『このお坊っちゃま、嘘を吐いている』

 お坊っちゃまの口ぶりに、違和感を覚えたのだ。 

 (なんのために?)

 うっかり富岳はこう言いそうになり、慌てて言葉を飲み込んだ。

 本当に俺と友達になりたいのであれば、わざわざ抽選で外れるかもしれない祭りに参加せず、確実に俺に会える指導碁を申し込めばいい。安富先生に角が立つかもしれないけど。

 やはり、未成年の女性棋士で申し込んでいたけど、抽選で外れて俺の所に回ってきたという憶測は当たっていたようだ。となると一番確率の高いのは、お坊っちゃまが言ったキーワード「同い年の棋士」畠山京子で間違いなさそうだ。

 (思い出した!)

 『畠山京子と、お坊っちゃま』

 さっき思い出せなかったキーワード。今年の梅雨の頃だ。

 三嶋が警察から呼び出されて何事かと行ってみたら、畠山京子が知らないオッサンを取り押さえて、取り調べで供述したのがそのオッサンは興信所の人間で、どこぞの金持ちに雇われて畠山京子を尾行調査していたとか。ただし、誰に雇われていたかまでは、聞き出せなかったそうだ。

 しかしその後、畠山京子は自力でそのオッサンの正体を暴き、雇い主を調べ上げたそうだ。

 雇い主は、上場企業の会長だったそうだ。畠山はその会長とは全く面識はないが、その一人息子は知っているそうだ。なんでも、ゴールデンウィーク明けに学校の囲碁イベントで会ったそうだ。

 つまり、その御曹司が親の名で探偵を雇って、畠山京子について調べていたんじゃないか、という畠山の推理だ。

 (世の中には物好きがいるもんだなー。あんな怖ぇー女、どこがいいんだ?つーか、畠山の奴、どうやってその探偵のオッサンの正体を調べたんだ?)

 この話を三嶋から聞いた時の感想だ。

 その後も畠山は別の探偵に付きまとわれその度に捕まえてを、3回ほど繰り返しているそうだ。2回捕まればいい加減諦めるだろうに、尾行する方もされる方も、お互い相当しつこい性格だ。


 で、その物好きで諦めの悪いお坊っちゃまと思しき人物が、富岳の目の前にいる。

 (でも、なんで俺の所に来たんだ?いや、待てよ。お坊っちゃまの言う通り、始めから俺に申し込んでいたのかもしれない。俺から畠山について、話を聞きだそうと)

 ただ、そうなると同門の兄弟子、三嶋さんからの方が普段の畠山の様子はどうなのか、聞きやすいと思うが。三嶋さんとは歳が少し離れているから?それとも同年代の方が話を聞き易いと思った?だったら女性棋士から……、っと、それが出来ないから、男の俺の所にきたのか。

 (ま、あくまで『思しき人物』だしな)

 でも、正体をはっきりさせないのは、気持ちが悪い。

 (さて、どうやってこのお坊っちゃまの口を割らせるかな?)

 冷静さを取り戻した富岳は、初手をどこに打とうか思案する。

 まずは定石から。先程の質問の答えからだ。ボロを出さないよう、一人称も仕事用に変える。

「そうですか。貴方は私と同い年なんですね。でも私と同い年の棋士なら他にもいますが。なぜ私なのか、理由を聞いてもいいですか?」

 富岳は暗に畠山京子の話題に触れる。

「それはもう!史上初、原石戦を優勝してプロ入りした時から応援してましたし、先日の金緑石アレキサンドライト戦の初手天元はドキドキしながら見てましたし」

 お坊っちゃまは興奮気味に捲し立てる。が、冷静さを取り戻した富岳は惑わされない。

 富岳はもうプロ入り4年目だ。本当に俺のファンで、原石戦から応援していたなら、俺に会いに来るのが遅すぎる。それに……。

「同い年なら去年、畠山京子が私より先に金緑石王になっていますが」

 富岳は思いきって、自分から畠山京子の話題を持ち出す。このお坊っちゃまがどこに次の一手を打ってくるか、試す。

「ああ。そういえばそうでしたね」

 お坊っちゃまが「ふふっ」と失笑する。そしてなぜかスペイン語で富岳に話しかけてきた。

『もしかして彼女から僕のこと、聞いてます?』

 突然、前触れもなく外国語で話しかけられて、富岳は少し慌てる。久しぶりに生で聞くスペイン語に、始めの2単語ほど聞き取れなかったが、スペイン語だと理解すると最後のほうはちゃんと聞き取れたので、質問を粗方推理できた。

 お坊っちゃまが英語ではなく、わざわざスペイン語を使った理由を推察する。誰にも聞かれたくない話なのか、それとも俺を試すのか。

 (どちらでもいい。ただ、舐められるのだけは御免だ)

 富岳はスペイン語で答える。久しぶりなので発音が心配だったが、富岳の口から出てきた発音は、問題ないレベルだった。

『何をですか?あいにく、私は彼女とは仲が良くないので』

 お坊っちゃまがまた失笑する。ただ、富岳が流暢なスペイン語を話しても驚いた様子は無い。まるで富岳はスペイン語を話せるのを知っていたかのように。

『貴方と話がしたい。時間をつくってもらえないだろうか?』

 (どうして俺と?)

 と、聞こうかと思って止めた。断ろうかとも思ったが、大企業のお坊っちゃまとのつてが出来るのは悪くないと、考え直した。

『いいですよ。ただ、この場で連絡先を交換するのは禁止されているので、指導碁の申し込みをしていただけると、こちらとしては色々都合が良いのですが』

 ちゃっかり仕事を取り付ける。しかも向こうは断れないと知りながら。

『分かりました。では後日、「岩井司」の名で指導碁を申し込みます』


 富岳の頭の中でクイズ番組で流れる「ピンポーン」という音が流れた。

 三嶋から聞いていた、畠山京子をストーカーしているお坊っちゃまの名前だったからだ。
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