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次の一手編

色を「塗る」か「染める」か【後編】

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 都内のフレンチレストランに、京子と仲の良い女性囲碁棋士6名が集まった。メンバーは今日の主役の畠山京子、田村優里亜、槇原美樹、長沢楓と東原沙羅、そして藤原羽那はなだ。

 ここに集まったメンバーで『第9回畠山京子服選びサミット』が行われている。正確に言うと、「服を選んでいる最中にお腹が減ったので、食事にしよう」という流れだ。来月から始まる紅水晶ローズクォーツ戦挑戦手合の為の秋物の服を選んでいる最中なのだ。


 娘三人寄れば姦しい。囲碁棋士が六人も集まれば、当然のように囲碁の話になる。席に案内されるや否や、藤原が真珠戦第一局に触れた。

「それにしても、あの天元打ちはぶっ魂消たわ!」

 藤原は、まだ昼だというのにビールを注文している。

「だよねー。研究会ならまだしも、タイトル戦の初っ端から奇策とか、私だったら、あり得ないわー!」

 メニューを眺めながら長沢が同意する。この二人は院生の同期だ。

「しかもその後の左辺での三連星だよね。あの形にするのは、いつから研究してたの?」

 美樹が矢継ぎ早に質問する。しかし京子からしたら耳に胼胝が出来るほど受けた質問で、口が草臥れるほど同じ答えを繰り返したので、はっきり言ってこの質問に答えるのは面倒臭くなっている。

 どうしようかと黙っていたら、優里亜も便乗してきた。

「で、どうなの?答えられる所まででいいから、答えてよ」

 優里亜も早く真珠戦の詳細を聞きたかったのだが、受験生ということもあって、今日の服選びサミットまで我慢していたのだ。今日は、受験勉強の息抜きと称して参加している。

「どうもこうも無いですよ。インタビューで答えた通りです」

 京子はメニューさえ広げずにいる。この店ではオーナーの高橋にその日のおすすめをお任せしている。そう、この店は、秋田県庁職員・松山愛梨華と一悶着あった店だ。

「やっぱり話してくれないかー」

 藤原がメニューを閉じる。長考せず、さくっと決めてしまう所は、棋風が出ている。

「あの、そうじゃなくて、本当に全部インタビューで正直に答えちゃったんですよ。ですから、もう付け足すお話はこれっぽっちも残ってないんですよ」

「そうなの?」

 藤原がまだ食い下がる。藤原は『畠山京子服選びサミット』の噂を長沢から聞き付けて、第4回から参加している。

 京子は、しつこく訊ねる藤原の目をじっと見つめる。

「じゃあ聞きますけど、具体的には何を聞きたいんですか?何手目とはっきり言って下されば、正直に答えますよ。女性棋士全体のレベルアップに繋がるのであれば、私側にしても秘密にする必要なんて無いし。それが日本の棋士全体のレベルアップになるのなら、尚更です」

 藤原も京子を見つめ返す。

 藤原がこんなにも食い下がる理由は、みんな知っている。

 現・紅水晶王は、この藤原羽那なのだ。

 つまり、この場に現王と挑戦者とが卓を囲んでいるのだ。

 現在まで藤原と京子の対戦成績は、一戦のみで京子の勝利。棋士になって3年目の京子の棋譜は数が少なく、藤原はなんとか対・京子戦の勝利の方程式を導きだそうと画策している。


「羽那。これ以上はやめてくれない?折角のお料理が不味くなる。楽しく食事しましょう」

 長沢が京子に助け船を出す。

 藤原は他のメンバーの表情を窺う。ちょっとうんざりした表情だった。

「ちょっと、しつこくし過ぎちゃったみたい。京子ちゃん、ごめんね」

「いいえ。私の方こそ、言い方がキツ過ぎました。すみませんでした」

 (へぇ、ちゃんと謝れる子なんだ)

 藤原は、予想していた京子の性格とのギャップを見つけた。とにかくなんでもいい。京子の性格でも、癖でも、棋風に直結しそうな情報は手に入れておきたい。

 これまで感じている畠山京子の性格。

 好戦的。
 立花富岳と乱闘騒ぎを起こしたほど、気が短い。今も私がしつこく真珠戦の詳細を聞こうとしたら、こうだ。しかし盤上では冷静沈着。けしかけても誘いに乗らず、上手くあしらわれた。二面性がある?

 時には神経質、時には大雑把。
 対局中にも関わらずノートをとって勉強している。かと思えば服装には無頓着でこんな会合を開いて他人から服を選んで貰っている。「こだわりのあるもの」と「こだわりのないもの」との差がありすぎる。

 嘘は吐かない?
 真珠戦の第一局をインタビューで全て正直に答えたと言った後、同じ学校に通う優里亜の急に興味を無くした表情を窺う限り、どうやら本当らしい。でも、嘘を吐かない女なんて、いる?


 あの岡本先生が女弟子を取ったという話を聞いてから、ずっと気にはかけていた。その女弟子は、藤原の予想を越える速さで女流棋戦の挑戦者にまで登り詰めてきた。

 京子のこれまでの女性棋士との対戦成績は、謹慎処分を食らっていた時の不戦敗がひとつあるだけで全勝。あの細川にも、市村にさえも完勝している。

 一戦交えただけでは、畠山京子の為人が全くわからなかった。なんでもいい。ひとつでもいいから、弱点を見つけたいと思い、こんな下らない会合にも参加している。私生活では、まだ子供らしい弱みや欠点はある。しかし肝心の盤上での弱点は、おそらく未だ誰も見つけていない。

 紅水晶戦挑戦手合まで1ヶ月を切ってしまった。気が急く。

 焦るばかりで、何もいい案が浮かばない。

 ストレスが溜まる。悪循環だ。


 料理が運ばれてきた。皆、肉料理に舌鼓を打つ。

「「美味しい!このお肉」」

 優里亜と美樹は、同じ肉料理を頼んでいた。二人同時に感想を述べて、にっこり笑い合う。

「でしょう?お気に入りなんです、このお店のお肉」

 京子が「ちょっと端ないんでない?」と注意したくなるほどの大きな口を開けて肉を頬張る。でも誰も注意しない。おそらく皆も「個室だから、まぁいいか」と思っているのだろう。

「いつ、このお店を知ったの?」

 優里亜が京子に聞いた。

 (あれ?学校でも仲が良いって聞いてたけど、この店の事は教えて無かった?どんな些細なことでも逐一報告してるんじゃないのか)

 藤原にふとある疑問が沸く。

 (もしかしてこの子、秘密主義な所がある?)

 あるかもしれない。嘘は言わない。その代わり聞かれない事は、話さない。

 (さっきの「何手目かを言えば、ちゃんと答える」と言ってた事を考えれば、辻褄が合うわね)

 でも、隠し事など誰にでもあるだろう。

 それに秘密主義という性格を知った所で、対局で主導権を握れるとは思えない。そもそも、次の手はどこを狙っているのかが分からないように打たなければ、勝負にならない。そういう意味では棋士は皆、秘密主義だ。


 食事を終える。藤原は席を立つ時、思わず大きな溜め息を吐いてしまった。紅水晶戦に優位に立つ為の情報を手に入れられなかったからだ。


 会計を済ませようと、藤原が財布からカードを取り出す。

「あ、藤原さん。ここは私が払うので。真珠戦のお祝いですから」

 京子はスマホを取り出していた。

 (そうだった)と、藤原は財布を鞄に戻そうとした。が、ここで京子に払わせると、一生このまま京子に奢らせる事になりそうな予感がした。

「今日は私に払わせてくれない?京子ちゃんはまだ中学生でしょ?まだまだこの先、どこでお金が必要になるか、わからないし」

 藤原はもっともらしい理由を付けて、京子が断るよう仕向ける。

「あ、お気になさらずに。私、会社を起こしてるんで、交際費として会社の費用にしちゃいますんで」

 忘れていた。藤原以外の今日のメンバーは、京子が設立した小学生向けの塾でアルバイトをしているのを。

「それに藤原さんの方こそ、お子さんがいらっしゃるんですから、それこそどこでお金が必要になるか、わからないじゃないですか」

 京子も譲らない。どちらも今、王の称号を得ているプライドが譲れない。

 二人のやり取りを見ていた長沢が、溜め息をついてこう言った。

「じゃあ、こうしようか。二人で半分こ。千円未満は私が払う。それならどう?」

 藤原と京子は、「このままでは埒が明かない」と思ったのかどうかは知らないが、長沢の提案に乗った。


 (京子ちゃんは好戦的な子だから、これからもこういう事が起こりそうだなぁ。後で注意しとくかぁ……)


 そんな事を考えながら長沢は、千円未満の支払いを小銭で済ませた。



 ●○●○●○



 今、立花富岳の目の前に客室50室を設えた豪華客船が聳え立ってる。

 ここ、福岡港からこの客船に乗り、長崎に向かうのだ。

 金緑石戦決勝第二局は、長崎で行われる。

 秋山宗介の父が長崎で対局すると決めた理由が、「この買ったばかりの客船を自慢したかった」から。福岡で生産、現地納品。息子のタイトル戦で処女航海したかったそうだ。

 (自慢したいって、お子ちゃまなのか?この脳筋パパ)

 富岳の右隣で、船を眺める秋山親子をチラ見する。第一局の時はうんざりした表情だった宗介だが、今回は目を輝かせて客船を眺めている。

「父さん。凄くいいよ、この客船。ありがとう!」

 (ん?「ありがとう」?)

「おお。誕生日プレゼントは気にいってくれたか!」

 (誕生日プレゼント!?家に入らない大きさの!?)

「うん。今まで散々父さんの我が儘に付き合わされて、母さんと二人で父さんの悪口言ってたけど、これでチャラにしてもいいよ」

「なんだ。そんなに悪口言ってたのか」

「あのなぁ。あれだけ好き勝手やってて、なんで好かれてると思ってたんだよ」

「離婚の話が一度も出てこなかったから、てっきり」

 二人で船に向かってガハハと豪快に笑う。そんな二人を富岳は暫く呆然と眺める。

 (脳筋パパ、家族に何したんだか知らないが、まぁ、こんな豪華なプレゼントをされたら、誰だって許すだろうなぁ)


 秋山親子が真っ先に船に乗り込む。富岳は二の足を踏む。

 船酔いが心配なのだ。生まれて初めて船に乗る。

 船に乗ると聞かされていなかったので、酔い止めの薬を持ってこなかったのだ。



 ●○●○●○



 金緑石アレキサンドライト戦本選決勝三番勝負第二局が行われるホテルの大広間から、昨日福岡から長崎まで乗ってきた船が見える。今回はこの大広間で対局となる。


 昨日、船酔いでヘロヘロになりながら検分を済ませた碁盤は、今日は木目までハッキリと見える。

 富岳は昨夜、ぐっすりと眠れたのだ。いつも外出先ではまともに睡眠時間が取れないのに、今回は船酔いが効いた(?)のか、布団に入るとすぐに記憶がなくなり、目覚ましのアラームで目が覚めた。

 (やっぱり船酔いのお陰(?)なのかな?でもいつも船に乗って対局に行く、って訳にはいかないし。しかし、地方対局でも熟睡出来た事は大収穫だ。後は色々試してみよう)


 今日の記録係は女性棋士。立会人は、岡本幸浩門下の武士沢友治ゆうじ。畠山京子の兄弟子だ。

 入室した時からずっとジロジロ見られて、気になる。まぁ、立会人からしたら他にやることも見るものも無いのだから、一挙手一投足を見られるのは当然なのだが。岡本門下生というキーワードがまだ心のどこかに引っ掛かっているのだろうか。居心地が悪い。

 富岳が碁盤を清めていると、宗介が入室してきた。上座に着席すると挨拶し、碁盤に視線を落とす。

 (あの親子は船酔い、大丈夫そうだったな。やっぱ親子なんだな)

 目の前に座る宗介は、心なしか肌艶が良いように見える。昨日検分が終わった後、また船に戻って、船内を廻ってきたのだろうか。


 ただ目付きは険しい。これから対局を向かえる棋士の目だ。


 宗介は、昨夜はこのホテルに泊まらず、誕生日プレゼントの客船で就寝した。ちょうど十五夜で月が綺麗で、デッキチェアに横たわり眺めていたのだが、そのまま眠ってしまった。久しぶりの船旅は、角番に追い詰められた宗介には、充分過ぎるほどの気分転換になった。

 しかし、気分転換にはなったが、問題が解決した訳ではない。

 どうやって今まで一勝も出来ていない苦手な立花富岳から、金緑石王の称号をもぎ取るか。トップ棋士は皆、金緑石王の称号を手に入れている。日本のトップ棋士の仲間入りをするには、どうしても欲しい称号だ。

 四段の宗介が金緑石戦に出場できるのは、おそらく来年が最後になるだろう。三大棋戦の金剛石ダイヤモンド戦を勝ち上がっているので、もし本選入りすれば七段に昇段し、来年は金緑石戦に出場できなくなる。そう考えると、やはり今年金緑石王の称号を手に入れなければならない。

 宗介は第一局が終わってから、今ここに座るまで、色々策を巡らせてきた。

 いつものように、定石通りに打つか?

 それとも去年、立花が風車定石を打ったように奇を衒うか?

 畠山が真珠戦で打ったような、相手の棋風に合わせた作戦を練れればいいのだが、自分にはそんな発想力が無い。

 そもそも立花とは地力が根本的に桁違いなのだから、策を巡らせた所で相手に通用するとは思えない。

 でも。

 たとえ負けたとしても、棋士プロとして何かしらの爪痕を残したい。見せ場を作りたい。「面白い碁だった」と言わせたい。

 だから。


 お互い礼をする。記録係が時計を押す。対局が始まった。

 宗介は黒石を掴むと、碁盤に勢い良く叩きつけた。「カン」という乾いた音が対局室に谺する。


 天元に打たれた黒石は、宗介の手から離れた。



 ●○●○●○



 その翌週の『埼玉研』は、いつもの福祉センターの会議室ではなく、近くの焼き肉屋で富岳の金緑石戦勝利の祝勝会が行われた。

「まぁ、とにかくおめでとう。乾杯」

「ちょっと三嶋さん。いきなり「とにかく」ってなんですか?雑すぎません?」

 乾杯の音頭を取った三嶋に、富岳が物言いをつける。

「まぁまぁ富岳。気持ちはわかるが、三嶋の気持ちも汲んでやってくれ」

 木幡が烏龍茶の入ったグラスを置き、富岳を窘める。

「でもそれって、三嶋さんも頑張れば良かっただけですよね」

 三嶋は結局、金緑石王の称号を手に入れることができずに、金緑石戦出場資格を失った。岡本門下生で金緑石王となれなかったのは、三嶋だけだ。

 妹弟子に先を越され、年下の研究会仲間にも抜かれ、「岡本幸浩門下生」の肩書きを背負っている三嶋は、肩身が2サイズくらい狭くなってしまった。

「そうなんだけどさ、その話題はそっとしておいてくれないか?三嶋にとって、デリケートな部分なんだよ」

 若松がなんとかこれ以上空気が悪くならないように場を取り繕う。富岳は研究会に入った頃は、こんな嫌味を言う子じゃなかったのに。

 誰かの影響だろうか。それともタイトルホルダーとなった矜持がそうさせるのだろうか。


 肉が運ばれてきた。結局、乾杯もそこそこに四人は肉に手を伸ばした。
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