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次の一手編

「自己解決する」か「他人を頼る」か

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 降りしきる雨の中、視線を感じ、京子は外を見つめた。

 今、京子がいるのは洋峰学園特別教室棟5階にある図書室。日本史の授業中で、必要な資料を探しレポートを書くためだ。特別教室棟は中等部校舎と高等部校舎に挟まれているが、図書室は建物の端にあり、道路と面している。窓から町の様子が窺える。いつも同じ時間に犬の散歩をしている老人、宅配便のトラック。

 そのいつもの景色の中に、いつもとは違うモノが京子の目に映り込んできた。京子は素早くスマホを取り出し、カメラを起動させたが、狙っていた獲物に逃げられてしまった。

「どうしたの?畠山さん」

 同じ班になった女子が、突然スマホを取り出し外に向けた京子に聞いた。

「うん。あの建物の非常階段から、ずっとこっちを見ていた人がいたんだけど、逃げちゃった」

 そう言って京子は10階建てのマンションを指差した。そのマンションまでは200㍍ほどある。その人物が本当にこちらを見ていたのか、普通なら双眼鏡でも無ければ判断できかねない距離だが、京子の視力の良さを知っているそのクラスメイトは疑いもしなかった。

「えっ!?変質者!?」

「わからない」

 わからないが、明らかに悪意のある視線だった。でなければ京子は気づかない。


 とりあえず学校側には知らせておこうという話しになり、京子は休み時間に職員室へと駆け込んだ。すぐさま校内放送が流れた。



 ●○●○●○



 それでも部活はある。バスケ部ももうすぐ大会がある。三年生にとって、中学最後の大会だ。

 一番気合いの入っているのは、部長の詩音だった。2年連続で全国大会進出を決めて、意気込んでいる。


 洋峰学園では、たとえ大会が近くてもキッチリ決められた時間に練習を終わらせなければならない。

 この日もいつも通り夕方6時に練習を終え、片付けをし、6時半には学校を後にした。


 部活を始める前まで降っていた雨が止んでいた。皆、傘を手にぶら下げて玄関を出る。

 いつものように、京子と詩音、そして梨花と三人で駅までの道を歩いた。


 この交差点を曲がれば駅が見えるという所で、ふと京子が足を止めた。

「どうしたの?ケイ」

 詩音が振り返って聞いた。

「忘れ物したみたい。ちょっと学校に戻って取ってくる」

「えー?ケイが忘れ物なんて、珍しーい!」

 梨花は京子のこの言葉に疑いもしなかったが、詩音はおかしいと思った。京子はいつも部室を出る時、忘れ物がないかチェックする。今日もちゃんとチェックしていた。その京子が忘れ物をするなんて、おかしい。

 詩音は昼間の校内放送を思いだした。そして京子のこの行動の意味を考えた。

 (たぶん、ケイは何かを見つけたんだ!)

 詩音は京子に目配せする。

「そう。ここで待ってようか?」

 暗に京子に「私はどうしたらいい?」と訊ねる。

「ううん。先に行ってて。じゃあね」

 そう言うと京子は走って学校に戻って行った。

 (ケイは「先に帰って」とも「また明日」とも言わなかった)

 私達に何かやってもらいたいことがあるみたいだ。とにかく私と梨花は駅に向かえばいいらしい。

「行こっか、リカ」

「うん」

 二人はまた駅に向かって歩きだした。



 ●○●○●○



 京子と別れてすぐだった。詩音のもとにLINEが届いた。スマホを取り出して確認すると案の定、京子からだった。

 詩音は京子からのメッセージを読むと、梨花の右腕を取り、こう言った。

「リカ。ちょっと黙ってついてきてくれる?」

 駅が目の前という場所で、いきなり進路を変えられ、梨花が訝しがる。

「へ?なんで?」

 黙って、と言ったのに梨花は不満を口にする。

 (しまった。もうちょっと考えてから言えば良かった)

 こうなってしまってはしょうがない、と、詩音は強引に梨花の腕を引っ張り、京子から指示があった駅ロータリー手前の狭い脇道に連れていく。2年間この駅に通っている詩音でさえ初めて通る、付近の住民しか通らない狭い道だ。

 誰もいない脇道に入ってしばらく歩いた時だった。

 詩音の背後から、時折聞かせる男のように低い京子の声が聞こえてきた。

「私の大切なチームメイトに何の用?」


 詩音はすぐさま振り返った。

 すると、詩音のすぐ真後ろに、知らない男の右腕を捻り上げる京子がいた。

 足音はしなかった。いつこの男はこんなに近づいたのか、全く気づかなかった。

 詩音は鳥肌がたつのを覚えた。もし京子がいなかったら、この男に何をされたか、わからない。


「痛たた!はっ、離してくれ!道っ!道を尋ねようとしただけだ!」

 髪はボサボサ、無精髭を生やし、よれよれのスーツ姿の40歳半ばといった風貌の男は、吃りながら答える。

「なら、駅で駅員から聞けばいいよね。このご時世、中年男性が女子中学生に声をかけただけで、どうなるかなんて、おじさんの方がよく知ってるんじゃないの。本当は誰に何の用なの?」

「本当に道を訊こうと……」

「そんなつまんない嘘が通用する年齢だと思う?」

 男が急に体を仰け反らせる。どうやら京子が、さらに腕を絞め上げたようだ。 

「アンタでしょ?昼間、マンションの非常階段から、うちの学校の図書館を双眼鏡で覗いていたのは」

 視力検査表では2.0までしか測れないが、もしそれ以上あれば2.0以上の視力があるだろう京子には、この男が昼間の覗き男で間違いない確信があった。

「し、知らない!俺じゃない!」

「嘘を吐くなら、もうちょっとマシな嘘を用意しときなさいよ。プロなら」

「プロ?」

 詩音が思わず聞いた。

「たぶん、この人、探偵だよ」

「探偵!?」

「うん。目的はたぶん、私だよ」

 男の体がわずかに膠着するのがわかった。鎌を掛けたのだが、ビンゴだ。

 京子はこの男が、学校から出てきた時から尾行ていたのは気づいていた。しかし、目的がわからなかったので、泳がせて様子を見ていた。交差点で京子が引き返すと、男は京子を尾行せずに、詩音達を尾行た。この男の目的は詩音か梨花なのかと思ったが、動機がわからない。そこで京子は勝負手を打ってみたのだ。

「私の大切なチームメイトから、私に関する情報を聞き出そうとしたのかな?」

 男は何も言わない。が、沈黙こそが答えだ。

「さぁて。アンタの目的がわかった所で、正直に話してくれない?誰から何を頼まれたのか」

「だから知らないと言ってるだろう!君の勘違いだ!」

 京子がふぅと息を吐く。

「私ね、囲碁の世界じゃそこそこ有名人だから、心当たりがありすぎて、アンタの雇い主が誰なのか、見当がつかないのよ」

 と言っても、全く無い訳ではない。

 有力候補は、『アラクネ』の正体を暴きたいであろう江田正臣か、もしくは先日行われた『文化交流会』で京子がいちゃもんをつけた岩井司か。

「アンタが正直に話してくれれば、このまま帰ってもらってもかまわないんだけど。もし言わないのであれば、警察に突き出す」

 京子がそう言った瞬間、男は捻じ上げれていた腕を振り払おうと体を捻った。しかし、ほんの一瞬、京子の方が早く動き、京子の腕を掴もうとした男の手は空振りした。代わりに京子が男の腕を取り、投げ飛ばした。男の体は宙に舞い、地面に叩きつけられていた。京子が柔道の投げ技で投げ飛ばしたのだ。京子はすかさず絞め技で男の腕を捻じ上げ、アスファルトに押し付け、全体重をかけて押さえ込む。京子の制服のスカートの裾が捲れて、下に履いていたショートレギンスが丸見えだ。


「え?なに?なに?どうしたの?誰?このおじさん?」

 やっと状況が頭に入ってきた梨花が狼狽える。

「昼間に校内放送があったの、覚えてる?」

 男を取り押さえたまま、京子が答える。

 梨花は上を向いたまま黙ってしまったので、暫く放っておくことにする。


「シオ、ゴメン。こんな加齢臭臭いおっさんに触るの、嫌かもしれないけど、このおっさんのスマホ、取り上げて。たぶん、ジャケットの左の内ポケットだと思う」

 詩音は男に駆け寄る。本当だ。臭い!真夏の公衆トイレに一週間放置された生ゴミの方が、まだマシなんじゃないかというほど臭い!

 詩音はしかめっ面で、なるべく呼吸をしないようにジャケットを探った。京子の言った通り、左の内ポケットに入っていた。

「顔認証でロック開けて」

 詩音は(この状態でも顔認証で開くのかな?)と思いながらスマホ画面を男に向ける。開いた。ちょっと驚いた。

「開いたよ」

「そのスマホの電話番号調べて。警察に突き出す前に、このおっさんが何者か、調べる」

 と言われたが、アンドロイドスマホだった。京子にどうすればいいのか方法を聞いた。京子の指示通りに操作すると番号が表示されたので、伝えた。すると京子は「OK Google」と3回繰り返し、詩音が伝えた番号を言った。

 詩音は、京子が何をしたのか気になったが、今はそんなことを尋ねる余裕は無かった。

「ありがとう、シオ。じゃあ、ついでたから、メールも見せて」

「や、やめろ!」

 どうやらメールで雇い主とやり取りしているらしい。

 詩音はメール画面を開き、京子に見せた。京子は男を取り押さえたままメールアドレスとその内容を覚える。

 雇い主の情報を流してしまったら、それこそ探偵としての信頼を損ない、仕事はもう出来なくなるだろう。

 しかし、京子にはそんな事、知ったこっちゃない。自分の命は自分で守らなければ、誰も守ってくれない。そんな世の中だと京子は知っているからだ。

「くそっ!女子中学生が相手だから、楽な仕事だと思ってたのに!」

「あー、それ、よく言われるわ。能無しの年寄り共から「可愛げがない小娘だ」って。残念だったね。
 シオ。ゴメン。もう一つ、頼んでもいいかな?警察と学校に電話して」


 先に体育教師が駆け付け、警察官は思ったより早く到着し、京子達は学校で事情聴取を受けた。



 ●○●○●○



 翌日、詩音は昼休みに京子を女子バスケ部部室に呼び出した。昨日の事を問いただそうと、呼び出したのだ。

 昨日、家に帰ってから、よく考えてみた。

 京子のあの行動は、明らかに無茶しすぎだ。

 京子のほうがあの変質者より強かったから運良く捕まえられただけで、もし逆だったら、京子だけでなく、私も梨花もヤバかった。あの男は事情聴取で本当に探偵だったと分かったけど、もし変質者で包丁とか持っていたら今頃どうなっていたのかと考えてしまい、昨日は一睡もできなかった。

 もうあんな無茶なことは、しないで欲しいと伝えるつもりだった。

 が。

「シオ、昨日は怖い思いをさせて、本当にゴメン!」

 と、京子に頭を下げられた。まさか京子が頭を下げるとは思わなかった。

 二年前、初めて京子と会った時の印象は、「近寄り難くてプライドが高そうで相手を見下してそう」、だった。

 こんな容貌をしているせいだと気づくのに、そんなに時間はかからなかった。

 でも、一つだけイメージ通りだった事がある。

 『プライドが高い』

 簡単には頭を下げない。「私、失敗しないんで」の言葉が服を着て歩いているんじゃないかと思うほど、京子は完璧だった。弱点と呼べるほどの弱点が無かった。隙が無かった。昨日、男を捕まえたほどに。

 その京子が、今、私に頭を下げている。

「シオ。カウンセリング、受けた?」

 昨日、事情聴取が終わってから、先生から洋峰学園専属の心療内科医のカウンセリングを受けるように言われていたのだ。

「うん。朝イチで診てもらった」

 詩音はコクンと頷いて答えた。

「そう。無理しないでね。って、事の張本人が言っても説得力ないか」

 と言って京子が後ろ頭を掻いた。初めて見る京子の仕草だった。

 (え!?誰?この人?本当に畠山京子!?)

 あれほど京子に一言もの申すと意気込んでいたのに、京子の予想外の行動に、詩音はすっかり意気消沈してしまった。


 結局、詩音は全く目的を果たさず昼休みを終え、教室に帰った。
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