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次の一手編
先輩の「洗礼を受ける」か「迎撃する」か
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新入段中心の若手棋士16人で行われる猫目石戦という非公式戦がある。
晴れた日には四万十川を眺めながら屋外で対局するという、趣のある棋戦だ。
ちょっと変わった棋戦で、16人が4つのブロックに別れリーグ戦で戦い、そのブロックごとに優勝者が出る。
同時期に虎目石戦という棋戦も行われる。こちらは60歳以上の超ベテラン棋士参戦の非公式戦だ。この棋戦も猫目石戦と同じく、16人の棋士が4つのブロックに別れて、そのブロックごとに優勝者を出す。
そして各棋戦の優勝者同士8人がトーナメント戦で頂上決戦を行う、試金石戦が行われる。『デビューしたての新米棋士』vs『本戦から遠ざかっているベテラン棋士』の対決とあり、毎年『名を売るためにガツガツしている若手』と『昔とった杵柄を振るうベテラン』の、意地と意地のぶつかり合いが見所のひとつとなっている。
一昨年は出場停止による不戦敗、去年は猫目石戦ブロック優勝し、試金石戦決戦トーナメントでは準決勝まで駒を進めた畠山京子は、金緑石戦優勝により、今年は出場資格が無い。
今年デビューした田村優里亜は、一日も早く京子と対戦し、恩返しをしたいのだが、京子は全く手の届かない位置にまで駒を進めてしまっているため、願いが叶うのは当分……いや、もしかしたら永遠にその機会が来ないのではないかと思い始めている。
「でもさ。それでも、いつか来るかもしれないその日のために、レベル上げもスキル上げも大事だと思うのよ」
優里亜は籤を引き、ブロックリーグ表を見ながら大声を張り上げた。
「なんで四国くんだりまで来て、初戦の対戦相手があの生意気な糞餓鬼なのよーーーっ!」
デビューした三年前はブロック優勝、一昨年・去年と決戦トーナメント決勝進出。立花富岳だ。
「ホントに私ってば籤運無い!同じブロックになる方が確率は低いのに、なぜ!?」
こんな事は言いたくないが、優里亜も認めている。立花富岳の実力は。
「余程俺のこと嫌いみたいだな」
リーグ表を眺めていた優里亜の真後ろから声がする。振り返ると、163㌢の優里亜とさして身長の変わらない富岳が立っていた。
「……なんだよ、その顔は」
「なんでアンタ背が伸びてるのよ!」
「俺にも成長期はあるんだよ!」
「生意気に声変わりまでして!」
「畠山と同じこと言うな!」
「「さん」をつけなさいよ!畠山さん!!」
「同い年だよ!それに俺のほうが棋士としては先輩だ」
「京子のほうが、アンタより4ヶ月早く生まれてる!」
「細かいな!」
「京子で思い出したけど、アンタ最近【圃畦塾】に顔出していないじゃない」
宿題を出され、ほぼ「京子に追い出された」と言っていい。しかし行かなくなった理由はそれだけでは無い。知りたい情報は手に入ったからと言っていい。なぜ塾を作ったのか、それだけが知りたかったのだが、まさかあんなにあっさり自分から白状するとは思わなかった。よくよく考えてみたら、初対面の時から、自分の弱点をベラベラ喋っていた。回りくどい事をせずに、本人にズバッと聞けば良かった。余計な時間を使ってしまった。
「まぁな。あいつが何やるのかと思って探りに行ったけど、思ってたより、つまんなかったしな。アンタだって、そんなに俺が嫌いなら、行かないほうがいいだろ」
「よく分かってるじゃない。ついでに今日、私に負けてくれない?」
「八百長だろ!そんな事して勝って、嬉しいのかよ!?」
「私はどんな手を使ってでも、アンタに勝ちたいのよ!!」
「俺、アンタに何した?」
「やっぱり覚えてない!!くやしい!!こんな奴に、まだ実力で勝てないなんて!」
優里亜は地団駄を踏んで悔しがる。まだ戦ってもいないうちに、負け確宣言してしまうのは優里亜の悪い癖だ。
「もう東京に帰りたい!京子の真珠戦挑決決定の瞬間を見たい!」
優里亜が高知県で先輩棋士からプロの洗礼を受けている裏で、京子は東京でベテラン女流棋士との大一番を向かえていた。
●○●○●○
女流棋戦 真珠戦 決勝リーグ最終戦
決勝リーグ出場者は6名。その6名の中で四戦全勝しているのは二人。今日、その全勝同士が戦うので、これに勝利した方が現真珠王挑戦権獲得となる。
全勝している京子の相手は、史上二人目の女性金緑石王、市村聖良五段だ。
日本棋院6階に三室ある特別対局室の一つ『紫雲の間』に、いつも通り大荷物を抱えて京子が入室する。そしていつも通り対局相手に大声で元気よく挨拶する。
「おはようございまーす!畠山京子です!」
大きな音といっても、せいぜいクラシック音楽を聞くぐらいしか鼓膜に負担をかけていない市村には、京子の挨拶の声は騒音ぐらいの破壊力があった。
京子とは初対局だが、噂話には事欠かないこの子は、初対局の感じがしない。
「今日はよろしくお願いします!!」
京子がお辞儀した勢いで風が起きる。思わず市村は仰け反る。
(噂以上に元気のいい子だなぁ)
「おはようございます」
市村は蚊の鳴くような声で挨拶する。
京子は着席すると、いつものようにノートと鉛筆を取り出す。噂で聞いていた通りだ。
(大一番のここでも勉強するんだ)
なぜ対局中に勉強するのか、人伝に聞いてはいるが、それでも今日も勉強するなんて。片手間で挑戦権が手に入ると思っているなんて、随分舐められたもんだと思う。
対局開始のブザーが鳴る。京子はビクッと飛び上がる。驚いた京子に市村が驚く。
「あ。すみません、驚かせて。この音、まだ慣れなくて。大きすぎると思いません?この音」
私もそう思わなくもない。でも正直「あなたの声の方が大きいですよ」と言いたい。
それにしてもこの子、思った事を正直に言い過ぎだ。そんなに簡単に思考を面に出して、対局で不利にならないのか?
「対局を始めて下さい」
記録係の院生が言った。リーグ戦なので、もう既に手番は決まっている。市村が黒番だ。やっぱり黒がいい。昨年取られてしまった真珠王の称号を取り返したい。
「「お願いします」」
相手は魔術師の弟子だかなんだか知らないが、所詮まだまだ子供で中学生で、三年目の新米棋士。大一番での戦い方は知らないはず。
去年行われた金緑石戦の棋譜を見た。
畠山京子は迎撃タイプ。相手の出方次第で自分の碁をコロコロ変える、変則ギアの持ち主。こういうタイプは、こちらの守りをガッチリ固めると案外脆かったりする。
私とは相性がいいはず。畠山京子には、受けも攻めも、何も出来ずに投了させる事が出来れば、私の勝ちだ。
記録係が対局時計のボタンを押したのを聞いてから、市村は大きく深呼吸し、黒石を掴んだ。
(畠山さん。今回はしっかり勉強していってね)
そう思いながら市村は『紫雲の間』に響き渡るほど大きな音を立てて、黒石を碁盤に勢いよく打ちつけた。
晴れた日には四万十川を眺めながら屋外で対局するという、趣のある棋戦だ。
ちょっと変わった棋戦で、16人が4つのブロックに別れリーグ戦で戦い、そのブロックごとに優勝者が出る。
同時期に虎目石戦という棋戦も行われる。こちらは60歳以上の超ベテラン棋士参戦の非公式戦だ。この棋戦も猫目石戦と同じく、16人の棋士が4つのブロックに別れて、そのブロックごとに優勝者を出す。
そして各棋戦の優勝者同士8人がトーナメント戦で頂上決戦を行う、試金石戦が行われる。『デビューしたての新米棋士』vs『本戦から遠ざかっているベテラン棋士』の対決とあり、毎年『名を売るためにガツガツしている若手』と『昔とった杵柄を振るうベテラン』の、意地と意地のぶつかり合いが見所のひとつとなっている。
一昨年は出場停止による不戦敗、去年は猫目石戦ブロック優勝し、試金石戦決戦トーナメントでは準決勝まで駒を進めた畠山京子は、金緑石戦優勝により、今年は出場資格が無い。
今年デビューした田村優里亜は、一日も早く京子と対戦し、恩返しをしたいのだが、京子は全く手の届かない位置にまで駒を進めてしまっているため、願いが叶うのは当分……いや、もしかしたら永遠にその機会が来ないのではないかと思い始めている。
「でもさ。それでも、いつか来るかもしれないその日のために、レベル上げもスキル上げも大事だと思うのよ」
優里亜は籤を引き、ブロックリーグ表を見ながら大声を張り上げた。
「なんで四国くんだりまで来て、初戦の対戦相手があの生意気な糞餓鬼なのよーーーっ!」
デビューした三年前はブロック優勝、一昨年・去年と決戦トーナメント決勝進出。立花富岳だ。
「ホントに私ってば籤運無い!同じブロックになる方が確率は低いのに、なぜ!?」
こんな事は言いたくないが、優里亜も認めている。立花富岳の実力は。
「余程俺のこと嫌いみたいだな」
リーグ表を眺めていた優里亜の真後ろから声がする。振り返ると、163㌢の優里亜とさして身長の変わらない富岳が立っていた。
「……なんだよ、その顔は」
「なんでアンタ背が伸びてるのよ!」
「俺にも成長期はあるんだよ!」
「生意気に声変わりまでして!」
「畠山と同じこと言うな!」
「「さん」をつけなさいよ!畠山さん!!」
「同い年だよ!それに俺のほうが棋士としては先輩だ」
「京子のほうが、アンタより4ヶ月早く生まれてる!」
「細かいな!」
「京子で思い出したけど、アンタ最近【圃畦塾】に顔出していないじゃない」
宿題を出され、ほぼ「京子に追い出された」と言っていい。しかし行かなくなった理由はそれだけでは無い。知りたい情報は手に入ったからと言っていい。なぜ塾を作ったのか、それだけが知りたかったのだが、まさかあんなにあっさり自分から白状するとは思わなかった。よくよく考えてみたら、初対面の時から、自分の弱点をベラベラ喋っていた。回りくどい事をせずに、本人にズバッと聞けば良かった。余計な時間を使ってしまった。
「まぁな。あいつが何やるのかと思って探りに行ったけど、思ってたより、つまんなかったしな。アンタだって、そんなに俺が嫌いなら、行かないほうがいいだろ」
「よく分かってるじゃない。ついでに今日、私に負けてくれない?」
「八百長だろ!そんな事して勝って、嬉しいのかよ!?」
「私はどんな手を使ってでも、アンタに勝ちたいのよ!!」
「俺、アンタに何した?」
「やっぱり覚えてない!!くやしい!!こんな奴に、まだ実力で勝てないなんて!」
優里亜は地団駄を踏んで悔しがる。まだ戦ってもいないうちに、負け確宣言してしまうのは優里亜の悪い癖だ。
「もう東京に帰りたい!京子の真珠戦挑決決定の瞬間を見たい!」
優里亜が高知県で先輩棋士からプロの洗礼を受けている裏で、京子は東京でベテラン女流棋士との大一番を向かえていた。
●○●○●○
女流棋戦 真珠戦 決勝リーグ最終戦
決勝リーグ出場者は6名。その6名の中で四戦全勝しているのは二人。今日、その全勝同士が戦うので、これに勝利した方が現真珠王挑戦権獲得となる。
全勝している京子の相手は、史上二人目の女性金緑石王、市村聖良五段だ。
日本棋院6階に三室ある特別対局室の一つ『紫雲の間』に、いつも通り大荷物を抱えて京子が入室する。そしていつも通り対局相手に大声で元気よく挨拶する。
「おはようございまーす!畠山京子です!」
大きな音といっても、せいぜいクラシック音楽を聞くぐらいしか鼓膜に負担をかけていない市村には、京子の挨拶の声は騒音ぐらいの破壊力があった。
京子とは初対局だが、噂話には事欠かないこの子は、初対局の感じがしない。
「今日はよろしくお願いします!!」
京子がお辞儀した勢いで風が起きる。思わず市村は仰け反る。
(噂以上に元気のいい子だなぁ)
「おはようございます」
市村は蚊の鳴くような声で挨拶する。
京子は着席すると、いつものようにノートと鉛筆を取り出す。噂で聞いていた通りだ。
(大一番のここでも勉強するんだ)
なぜ対局中に勉強するのか、人伝に聞いてはいるが、それでも今日も勉強するなんて。片手間で挑戦権が手に入ると思っているなんて、随分舐められたもんだと思う。
対局開始のブザーが鳴る。京子はビクッと飛び上がる。驚いた京子に市村が驚く。
「あ。すみません、驚かせて。この音、まだ慣れなくて。大きすぎると思いません?この音」
私もそう思わなくもない。でも正直「あなたの声の方が大きいですよ」と言いたい。
それにしてもこの子、思った事を正直に言い過ぎだ。そんなに簡単に思考を面に出して、対局で不利にならないのか?
「対局を始めて下さい」
記録係の院生が言った。リーグ戦なので、もう既に手番は決まっている。市村が黒番だ。やっぱり黒がいい。昨年取られてしまった真珠王の称号を取り返したい。
「「お願いします」」
相手は魔術師の弟子だかなんだか知らないが、所詮まだまだ子供で中学生で、三年目の新米棋士。大一番での戦い方は知らないはず。
去年行われた金緑石戦の棋譜を見た。
畠山京子は迎撃タイプ。相手の出方次第で自分の碁をコロコロ変える、変則ギアの持ち主。こういうタイプは、こちらの守りをガッチリ固めると案外脆かったりする。
私とは相性がいいはず。畠山京子には、受けも攻めも、何も出来ずに投了させる事が出来れば、私の勝ちだ。
記録係が対局時計のボタンを押したのを聞いてから、市村は大きく深呼吸し、黒石を掴んだ。
(畠山さん。今回はしっかり勉強していってね)
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