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次の一手編

肩書きは「武器」になるのか「足枷」になるのか【後編】

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 大勢の生徒を引き連れて、嘉正が洋峰学園第一体育館に入ってきた。初めて洋峰学園に来たという者がほとんどで、第一体育館の広さと大きさに驚いていた。

 嘉正が体育館を出ていった時はまだ終わっていなかった設営も、終わっていた。

 入門者へのルール説明向けに用意された、大盤解説で使われる嘉正の身長ぐらいある大きなマグネット盤も壇上に用意されてある。茶色の紙に9×9の線を書いた手製の九路盤と、それに合わせて作ったクリアファイル製特大マグネット碁石だ。


 洋峰学園生徒会長がマイクを通して指示を出す。初心者は大盤が見やすいように壇の前に、中級者は体育館中央に、そして上級者は出入り口に近い位置に座るよう指示された。

 各校の囲碁部部長がさらに細かい指示を出す。大会などで顔見知りもいたりするが、どうしても同じ学校同士で固まりがちになる。それでは『交流会』の意味が無い。なので隣に座る生徒は違う学校の生徒になるよう、調整をする。

 半数にあたる約100人ほどが初心者向けの机に座った。ルールは理解しているが後進指導のためにプロからちゃんと一から教わりたいという者もいた。優里亜や三嶋、女子人気の和田など、低段の棋士に指導して貰う。

 中級者向けは約70人弱。そこそこ打てて、大会でも2~3回戦ぐらいまで駒を進めた事がある実力の者が集まった。岡本や江田、武士沢ほか、高段の棋士に指導して貰う。

 そして上級者、29人は京子一人で担当する。

 事前アンケートで「畠山京子とガチンコ勝負したい」という強者が半数以上いたのだ。さすがにそれだけの人数を相手にするのは無理、ということで『五級以上またはそれ相当の実力を有する者』という条件を付けたにも関わらず、29人も残ったのだ。


 集まった生徒全員が席に座り、洋峰学園生徒会長と副会長、そして囲碁部部長が挨拶するため、壇上に上がる。

「ん?まだだいぶ空席があるな。まだ来てない学校があるのかな?」

 生徒会長が体育館を見渡しながら言った。

「あー、まだが来てないみたいだね。遅れて来るなんて……」

 副会長がぼそりと言った。

「まぁまぁ、畠山さん……」

 囲碁部部長が副会長を宥める。

「迷子になってるかも知れないから、僕、もう一度玄関に行……」

 嘉正がまた体育館から出ていこうとした時、体育館の出入り口が騒がしくなった。

「遅くなってすみません。央貴学院です」

 上下とも黒の制服に身を包んだ生徒、50人が入って来た。京子が今、「あの学校」と言った学校の生徒だ。

 当初150人程度だった人数が、200人まで膨らんだ原因が、この学校が入り込んで来たからだ。


 『央貴おうき学院』
 旧華族や大企業の令息令嬢の通う上流階級校。つまり将来の日本を背負って立つ中学生ばかりだ。(ちなみに江田の出身校である)

 どこから噂を聞き付けたのか「参加したい」という申し出があった。本来なら東東京地区にある学校には参加資格は無いのだが、理事長も校長も『大人の事情』で断れなかったそうだ。


「この度は特例を認めて頂き、ありがとうございます。央貴学院生徒会長の岩井いわいつかさです」

 まるでアイドルのような甘いマスクとスタイルに、初心者向けの席に座った女子から黄色い歓声が上がる。

「洋峰学園へようこそ。生徒会長の大橋流星りゅうせいです」

 流星と京子、嘉正は壇から降り、流星はそつなく挨拶する。しかし流星の横では、京子が頬を引き攣らせ必死で笑顔を作っていた。

 今回の央貴学院の参加に、一番異議を唱えていたのが京子だったのだ。

 「他校にどう説明するんですか!」
 「特例を認めて、以降、他校も「じゃあウチも」と言ってきたら、どうやって断る気ですか!」
 「一回特例を認めると、調子に乗って何度も来ますよ!」

 と、京子は断固反対派だったのだが、最後は囲碁部の囲碁棋士オタクの「江田さんの出身校なんだって」の一言で折れた。

 しかし納得はしていないらしく、こうしてせっかくの美少女を台無しにしている。

「初めまして、畠山さん。やっと会えた。どうしても君と打ってみたかったんだ」

 司が京子と対峙する。京子の方が身長が高い。京子の現在の身長は170㌢ちょうど、司は165㌢ほどだろうか。司は右手を差し出し、握手を求める。

 しかし京子は無視して、頬を引き攣らせながらこう言った。

「そうでしたか。それなら棋院に指導碁を申し込めば良かったのに」

 男の声かと思う程、低い声だった。相当怒っている、というよりキレている。

 低段者の指導をするため壇のすぐ前で待機していた優里亜が、京子を引っ張って後ろに下がらせた。

「何やってんのよ!京子!知ってるでしょ?あの子の父親、紫水晶アメジスト戦のスポンサーなのよ!棋戦ひとつ潰すつもり!?」

「それなら枠が空くので、株式会社KーHOウチの会社が新スポンサーになっちゃえばいいかと」

 優里亜は頭を抱えた。そうだ。この子に常識とか、そんなものは通用しない。しかし、京子のやりたい放題させておくわけにはいかない。京子が央貴学院の参加を渋っていると、どこから聞き付けたのか、棋院理事長・横峯からお目付け役を任されたのだ。

 優里亜は振り返って、央貴学院の生徒の顔色を窺う。あからさまに女子生徒数人が京子を睨んでいる。

 (ううっ……。こんな時、なんて言ってこの空気を変えればいいのよ!京子のバカ!)

 優里亜がおろおろしていると、江田が司に話かけてきた。岡本が対処しようかとしたら、江田に止められたのだ。

「やあ。司くん、久しぶり。しばらく見ないうちに大きくなったね」

「照臣さん。お久し振りです。先日の金剛石ダイヤモンド戦第四局の配信、見ていました」

「そう。ありがとう」

「お父様はお元気ですか?代替わりされてから、お会いしていないので」

「ああ。相変わらずだよ」

 会話の内容からして、この二人は家族ぐるみの付き合いがあるようだ。

 江田の朗らかで物腰の柔らかい声が効いたのか、京子を睨んでいた央貴学院の女子の視線が和らぎ、優里亜はホッと息をついた。

 が、それも束の間。司のこの一言に、また京子がぶちギレた。

「それより、どうやら僕達は歓迎されてないようですね」

「当たり前でしょ!」

 そう言った京子を優里亜が後ろから羽交い締めにする。京子はまた優里亜の胸圧で気絶しそうになる。

 (全くこの子は!せっかく江田さんのお陰で和らいだ空気を台無しにするなんて!てか、なんで人の神経逆撫でするような言い方するのよ!)

「京子!おとなしくしてなさいよ!じゃないとまたシメるわよ!」

「わかりましたよ……」

 ぐったりとしながら、京子はなんとか返事をした。

「ちょっと元気な子がいるけど、気にしないで」

 江田が妹弟子の失態を取り繕う。

 流星もこの場をやり過ごそうと、央貴学院の生徒を席に座るよう促す。


 一悶着あったが、その後『交流会』開始の挨拶を無事済ませ、嘉正もなんとかつっかえつっかえ挨拶をし、交流会は始まった。



 ●○●○●○



 
「えー、それではルールから説明します」

 壇上では、和田三段がマイクを持ち、優里亜を助手に据え、手製の大盤で初心者向けの指導が始まった。

 マイクを通して和田の声が体育館に響く。その中で中級者と上級者は碁を打つ。

 中級者向けの指導碁を担当する高段棋士達も、「お願いします」と一人一人に挨拶し、指導を始める。

 それを見届けてから、京子も動いた。

 『アマチュア中学生29人』vs『女子中学生金緑石王新人王』の始まりだ。

「では始めたいと思います。ルールですが、いくらでも石を置いて貰って結構です。石を置かない場合は逆コミ6目半です。本気で私に勝ちに来て下さい。私も一切手加減しません。ルール説明は以上ですが、質問はありますか?」

 誰も手を挙げる者がいなかった。

「それでは始めます」

 京子は、体育館の出入り口に一番近い席に座った岩井司の前に立つ。たとえ大企業の御曹子だからとて、遅れてきたのだからと、下座に座らせた。央貴学院の生徒で、京子とのガチンコ勝負を申し込んだのは9人だった。司の隣にはずっと京子を睨んでいた女子一人と、男子7人。残りの央貴学院の生徒は全員中級者向けの席に座った。

 司の隣に座った女子は「岩井様に下座に座らせるなんて!」と言わんばかりに京子を睨んでいたが、司はそんな事は気にならないのか、目をギラギラと輝かせていた。

 京子は一人一人に「お願いします」と礼をし、打ち始めた。



 ●○●○●○



 石を置く者はいなかった。全員逆コミで対局する。

 座席順に打っていた京子の手が止まる。長考する者が出てきた。際どい局面に差し掛かって来たのだ。

 長考している盤は飛ばし、石を取り出す時の音を頼りに、京子はその盤に向かう。ほんの僅かな間、盤を見つめ白石を持ち、すぐさま打つ。また石の音を聞き付け、その盤に向かう。

 なるべく机と机の間隔を狭めて配置したが、恐らくそれでも今日、京子が歩いた歩数は相当な数値が出るだろう。なにせ29人を一人で相手するのだから。

「負けました」

 京子が今打った盤の隣に座る者が投了した。第一号だ。

 京子は対局者から見て中央から右辺の石をどかして、石を並べていく。

「この手でこっちに交換して、こう進めれば『鶴の巣籠もり』の形にできましたね。十級くらいですかね」

 こう言われた男子が外方を向く。実力が足りていないのをわかっていて、京子との対戦を申し込んだらしい。

 互いに「ありがとうございました」と礼をし、石の片付けは対局者に任せて、京子は残りの28人との対局を続ける。


 しばらくして、京子があることに気づく。央貴学院のレベルの高さだ。9人全員五級以上の実力がある。こちらが出した『五級以上』の条件を満たしている者ばかりだ。しかも初段以上の実力をもつ者もいる。

 それから生徒会長の岩井司の碁だ。五段程度の実力はある。

 (この人、そこそこ打てるな。それに安富先生の碁に似てる)

 素人の指導に定評の、タイトル一期、安富やすとみあつし九段だ。大盤解説もわかりやすく、オールドファンに人気がある。

 (お坊っちゃまだからなぁ。恐らく子供の頃から安富先生から教わってたんだろうな)

 京子は司の今日の目的を勘ぐる。

 (もしかして「棋士プロの一番になったくらいで、いい気になるなよ!アマチュアにもこれだけ強い奴がいるんだ!」とか言いに来たのかな)

 京子はこの我が儘な、どこぞのお坊っちゃまを完膚なきまでにやっつけてやろうと思っていたのだが、気が変わった。

 (ただ普通にやっつけてしまったら、つまらない。どうせなら揶揄ってやろう)

 京子がまた、いつものニヤニヤヘラヘラ笑いを始めた。



 ●○●○●○



 上級者向けの席に座った者達が次々と投了していく。最後まで残ったのは、岩井司だった。対局を終えた者達が司の盤に集まる。

 大勢の目の前でヨセに入る。京子はリズム良く白石を打っていく。司は時折手を止める。

 京子の後ろで誰かが呟く。

「これ、どっちが勝ってるんだ?」
「さぁ。どうだろうな」

 互いにアゲハマは2子。盤上も見た目には互角だ。

 司が口を開いた。

「終局でいいですか」

「はい」

 京子はニッコリと微笑む。ダメを詰め、整地を始めた。カシャカシャと石がぶつかる。

「白、23目」

 司が言った。続いて京子はこう言った。

「黒、23目。逆コミ6目半なので、29目半。黒の勝ちです」

 ワッとギャラリーから歓声が上がった。

「すげー!」
「畠山さんに勝った!」
「マジ?畠山さん、負けたの?」

 ざわめく中、一人だけ冷静な者がいた。司本人だ。眉間に皺を寄せ、碁盤を見つめている。

「もしかして、わざと、か?」

 司は京子を睨みながら言った。しかし京子は、司の威圧には屈せず、しれっとこう言った。

「何がですか?」

「しらばくれるな。わざと持碁にしただろ」

 京子は鼻を「フフン」と鳴らし、椅子に座る司を見下ろしながらこう言った。

「まさか。とんでもない!それに持碁じゃないですよ。コミの分、私が負けましたから」

 京子はここまで言うと、言葉を切って、こう付け加えた。男の声かと思う程の低い声で。

「なんせ大事なスポンサー様の御子息でいらっしゃいますから、うっかり勝って大切な棋戦を無くされたら、棋院の怒られてしまいますから。粗相の無いように丁重におもてなししないと」

 京子にこう言われた司も、京子の威圧に屈しなかった。

「ルール説明では「手加減はしない」はずだったが」

「ええ。ですから全力で打ちましたよ」

 と言い終えた後、京子が声を出さずに「持碁に」と口を動かす。

 あれだけ騒がしかった野次馬が、急におとなしくなった。

 京子は司を見下ろす。司は京子を睨みつける。そして、司の隣に座った女子は対局中からずっと京子を睨んでいたが、今の京子の口パクで堪忍袋の緒が切れたようだ。

「なんて失礼な方なの!岩井様、こんな無礼な者と関わらな……」

「山本、黙れ。無礼なのは我々のほうだ。無理を言ってこの交流会に参加させて貰ったのだから」

「だからと言って、こんなに失礼な態度で岩井様に接するなんて、あっていい訳がありません!」

「今、なんて仰いました?」

 京子がさらに低い声で、山本と呼ばれた央貴学院の女子に話かけた。

「は?あなたには関係無いでしょ!」

「ありますよ。今のあなたの発言、「私達は特別な生まれの人間なのだから、優遇されるのは当然」というふうに聞こえましたけど」

 そう言って京子は制服の胸ポケットからスマホを取り出した。デジタル時計の表示が動いている。

「この通り、証拠ならありますよ。録音したあなたの声、聞いてみますか」

 京子は、残りの相手が司だけになった時、こっそりボイスレコーダーアプリを作動させていたのだ。

 秒刻みで増えていく京子のスマホ画面を見せられ、山本は何も言い返せず黙るしかなかった。

 山本を大人しくさせたところで京子はアプリを起動させたままスマホをポケットにしまい、二人にこう言った。

「私は囲碁棋士です。囲碁の対局に審判はつかない。対局者同士のモラルで成り立つ競技です。ですから、「ルールを守らない人」というのは、私の中では『人としてあり得ない』んですよ。
 『西東京地区限定』の交流会に貴殿方は今日、ルールを破ってここに来た。しかも親の七光りを使って。私はもう既に働いているせいか、親の威光でやりたい放題するお坊っちゃまお嬢様が大嫌いなんですよ。
 今回、貴殿方が無理矢理この交流会に参加して、私達洋峰学園が他所の東東京地区の学校からなんと言われたか、どれだけの迷惑を被ったかなんて、想像したことも無いでしょう?
 今日、貴方達が犯した罪をしっかり見つめて下さい」


 低い声で京子はそう言うと、さっさと石を片付け、岩井司に向かって「ありがとうございました」と丁寧に礼をし、壇上に向かった。

 まだ初級者向けも中級者向けも指導は終わっておらず、京子は初級者の指導碁を手伝った。


 京子に喧嘩を売られた司は、初心者向けの指導碁を打つ京子をずっと見つめていた。

 司にとって初めての経験だった。ハッキリと敵意を向けられ、大嫌いと言われたのは。

 あの家に生まれたせいで、子供の頃から誰も彼も自分に媚びへつらい、美辞麗句を並べ、嘘と欲にまみれた顔しか見てこなかった。

 (嘘偽りの無い表情というのは、ああいうものなのか)

 交流会が終わるまで、司はずっと碁を打つ京子を見つめていた。



 岡本は、自身の指導をこなしながら時折京子の様子を窺っていた。もし、また暴力騒動を起こすようなら自分が動いて京子を止めようと思っていたのだ。

 最後の一人になった時、何やら小声で対局者と話していたようだが、騒動にはならなかったようだ。

 (余計な心配だったか……)

 そう思いながら、岡本は「ふう」と息を吐き、ニヤリと笑った。

 他所の中級者向けの指導の進捗を見ようと、岡本が周囲を見渡すと、青ざめた顔色の武士沢と目が合った。
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