GIVEN〜与えられた者〜

菅田刈乃

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次の一手編

記憶を蘇らせるのは「視覚」か「聴覚」か「嗅覚」か

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 初段免状を持ち、誇らしげに微笑む田村優里亜がいた。

 今日は初段の免状授与式、および棋道賞の受賞式だ。


 写真撮影を終えた優里亜が、ずんずんと京子との距離を詰めてくる。

「京子!メール読んだわよ!」

 京子が昨年末、日本棋院所属棋士全員に送った『圃畦塾』に関するメールだ。優里亜も棋士になったので、今日付けで初段免状を受け取った棋士全員にも、同じ内容のものを棋院経由で送ったのだ。

「あ。ありがとうございます。先輩にも手隙の時でいいので、お手伝いを……」

「の前に!私に稽古をつけながら、そんな大変な準備をしてたのに、なんで今まで黙ってたのよ!」

 優里亜の怒りは除け者にされていた事ではなく、今まで内緒にされていた事らしい。

「言ったら言ったで先輩、心配して稽古どころじゃ無かったでしょ」

「それは確かにそうだけど!水臭いじゃない!せめて一言言ってくれてもいいのに!」

「あの時点での私の使命は先輩を合格させる事だったので。心配することぐらいしか出来ることが無い先輩には黙っているのが一番いいと判断しました」

 優里亜は歯軋りして京子を睨む。京子は平然と優里亜を見つめ返す。

「先輩の気持ちは分かりますが、私の立場や気持ちも考えて下さい」

 こう言われ、優里亜は何も言い返せなくなった。仕方なく優里亜は質問を変えた。

「今まで睡眠時間を削ったりとか、してないでしょうね?」

「それは大丈夫です!対局の日以外は、夜9時過ぎには寝て、朝6時半には起きますから。実質9時間睡眠ですね」

 優里亜は口をあんぐりと開ける。

「え……。と、塾の開店準備とか、忙しかったんじゃない?それこそ寝る暇も無いくらい」

「私は指示だけ出して、あとは大人に任せてましたから」

 お陰で三島は頬骨が出るほど痩せてしまった。

「でっ、でもその指示を送るのにも時間がかかるじゃない。どう考えても睡眠時間を削るしか方法がないんじゃ……」

「ああ。授業中にスマホから指示をしてましたから」

「授業中!?って、試験とか……。成績落ちたりとか、しなかったの?」

「ええ。全く問題ないです。学年一位をキープできてました」

 優里亜がさらに口をあんぐりと開ける。

 (授業中に勉強してないのに試験一位って、この子、何者?)

「でも社長なんでしょ?従業員のお給料とか、帳簿付けとかしなくちゃならないんでしょ?時間がかかって、これからが大変になるんじゃ無いの?」

「それは心配に及びません。今、なんでもキャッシュレス決済じゃないですか。特に子供を塾に預けるような年齢の保護者の殆どがキャッシュレス決済ユーザーなので、塾の月謝入金から給料明細から決算報告書まで、会計ソフトが全部一括でやってくれるんですよ。インボイス様様です!」

 ただ、その会計ソフトも京子が作成したのだが、それは優里亜には黙っておく事にする。


「いんぼいす?」

 優里亜がなぜか片言の言葉で口に出す。

「はい!あ、インボイスっていうのは……」

「あー、いい、いい!その説明は!聞いても訳わかんないから!」

 優里亜は聞きたい事を一通り聞いてホッと溜め息をつく。睡眠時間を削って体を壊しているのに更に無理をしているんじゃないかと心配になったのだ。



《続きまして、棋道賞の受賞式を行います》

 日本棋院2階の大広間にアナウンスが流れる。

「おっと。じゃあ先輩、私行ってきます」

 京子が優里亜に一声かけて、先ほどまで優里亜を含む新入段がいた壇上に向かう。今日、京子がここに来た理由は、この棋道賞受賞式のためだ。各賞は既に発表されているので、免状を受け取り写真撮影とインタビューに応える。


《まずは新人賞。畠山京子二段》

 京子は金緑石アレキサンドライト王となったので、『新人賞』を獲得したのだ。


《続きまして、勝率1位賞。立花富岳四段》

 富岳は昨年度の成績は71戦59勝。驚異の8割越えだった。三大棋戦の金剛石ダイヤモンド戦、そして紅玉ルビー戦ではあと一歩でリーグ入りという所まで駒を進めた。

 そして昨年度中、獲得賞金額で三段棋士中最高獲得額だったので、4月1日付けで四段に昇段した。


「よう」

 壇上に上がった富岳が京子に声を掛ける。

「こんにちは」

 京子は丁寧に挨拶する。

 それを見ていた大人達に緊張が走る。また取っ組み合いの喧嘩を始めないかという危惧だ。


《つっ、続きまして、最多対局賞……》

 司会は富岳と京子を壇上に二人っきりにしないよう、進行を早める。


「私達、まだ取っ組み合いの喧嘩をすると思われてるんですねぇ」
「お前のせいだろ」
「立花さんがあんなこと言ったからですよね」
「根に持つ性格だよな」
「ええ。仰る通りです。それより、は捗ってますか?」
「ああ。もう全部頭に入ってる」
「それは良かった。やっぱり立花さんに頼んで良かったです」

 実は富岳も頼まれて良かったと思っている。途中から畠山京子の思考を呼んでいる気になったのだ。

 棋風は性格が出ると言うが、畠山京子の性格をそのまま読んでいるようだった。今度こそ負けない自信がある。

 ……のだが、畠山京子との対局は暫く実現しそうに無い。

 理由の一つは、京子は新人王を獲得したため、低段者参加の棋戦にエントリーできなくなったからだ。そして富岳も今、殆どの棋戦の1次予選を突破しており、もし京子と対戦するとなったら、お互い本戦まで駒を進めなくてはならなくなったからだ。

 (もしかしてここまで想定済みで、俺に宿を出したのか?)

 とにかくアイツの思考は全く読めない。敵と言ったり、味方にしたいと言ったり。

 でもそれが『面白い』などと思ってしまっている自分がいる。

 (まぁ、成るようにしか成らないか)

 富岳は暫くこの状況を楽しむことに決めた。



 壇上では連勝賞、女流賞、最多勝利賞、優秀棋士賞と、次々と受賞者の名前が呼ばれていく。


《最後になります。最多対局賞、および最優秀棋士賞、江田照臣九段》


「きゃーっ!江田さん!カッコいー!」

 隣にいた京子が突然奇声をあげ、富岳は耳を押さえた。

「なに、お前。江田さん、好きなの?」
「はい!カッコいいじゃないですか!」

 (江田さんが?格好いい?服のセンスといい、コイツの美的感覚もイマイチわからない)

 京子が今、着ている服も古着だ。しかも赤のタータンチェックのワンピース。どこで見つけてきた代物か、と、むしろ感心してしまう。末っ子で、いつもお下がりを着せられていた富岳には、着る服に無頓着な人間が理解出来ない。


 理事長の横峯弘和九段から次々と賞状が渡され、インタビューに応える。

 京子の番になった時、

「来年は最多対局賞と女流賞を頂くつもりなので」

 と、予告ホームランさながらに、今年の女流賞受賞者に喧嘩を売っていた。

 しかし喧嘩を売られた女流賞受賞者は「待ってます」と、余裕で王者の貫禄を見せつけていた。



 受賞式が終わると、立食パーティーが行われる。京子は早速、肉の置かれたテーブルに駆け込んだ。京子は絶対肉を取りに来るだろうと予想していた優里亜と合流する。

「あれ?先輩、もうスイーツ食べるんですか?」

 優里亜の皿にはもうすでに可愛らしいケーキが乗っていた。

「うん。美味しそうだったから、無くならないうちに取っておこうと思って」

「私も食べたいです!それ、どこのテーブルにありますか?」

 勢い良く振り向いた京子は、真後ろにいた京子と同じくらいの身長の男子とぶつかりそうになった。

「畠山さん。久し振り」

 ぶつかりそうになった男子はこう言ったが、京子には思い当たるふしがない。

「えーと、どちら様でしたっけ?」

「え?忘れたの?俺のこと」

「なんだかナンパの常套句みたいですね」

 すかさず京子はこう言い返した。クックッと笑い声が聞こえる。富岳だった。富岳も肉料理を取りに来たのだ。

「何が可笑しいんですか?立花さん」
「いや、記憶力の良いお前が覚えてないなんて」

 富岳は覚えていた。自分より半年遅れて院生になった男がいたのを。

「そうですよね。変です。よほど印象に残らない人だったんでしょうね」

 富岳が堪り兼ねて横を向き、肩で笑う。京子は優里亜から脇腹を小突かれていた。

「もうちょっと言い方、考えなさいよ!」

 優里亜に小声でこう注意されて、やっと京子は自分の失礼に気づいた。

「え……と、すみません。私、あなたの事、全然思い出せないんですけど。どこでお会いしたでしょうか?」

 優里亜は頭を抱えた。言い方を変えただけで失礼加減は変わっていない。地頭は良いのに、こういう所が京子の欠点だ。

 (まぁ、しょうがないか。まだ、中学生なんだし。むしろ欠点のひとつぐらいあった方が人間らしいか)

 学校に通いながら囲碁棋士の仕事もして、塾をつくって。人間離れしている京子にも人間らしい所があって良かった。


「んー。じゃあヒント」

 京子とぶつかりそうになった男が言った。

「いちいち言い方がナンパ男みたいですね。気持ち悪」

 京子の強烈な一言に、優里亜と富岳は笑いを堪える。しかしナンパ男は無視して話を続けた。

「畠山さんが小学5年生の時に出た『こども囲碁大会』決勝」

 京子は首を真横に捻り、記憶を呼び起こす。

「ああ!思い出しました!大人しくサガっていればいいのに、カッコつけてケイマで攻めてきて自滅した小学6年生!」

 笑いを堪えていた優里亜と富岳は、とうとう笑いを堪えられなくなり、思いきり笑い出した。

「たしか名前は丸山翼……でしたっけ?」

 京子にしては珍しく、質問では無いのに疑問形だ。よほど印象に残らなかったらしい。それに年上を呼び捨てだ。これも珍しい。

「そう!正解!思い出してくれて良かった」

「どうしてここに?今日は棋院関係者しか入れないはずですけど」

 優里亜と富岳は横を向いたまま腹を抱えて笑う。

「僕もプロになったんだよ。初段の免状授与式、見て無かったの?」

 翼が質問したのに、問いに答えずに京子はこう言った。

「え!?あんなショボい碁を打つ人間でも棋士プロになれるんですか?世も末ですね」

 とうとう優里亜と富岳は立っていられないほど笑い出した。

 しかし、ここまでボロクソに言われても翼は笑顔のままでいる。

「うん。あのあと、すごく頑張ったんだよ。年下の女の子に負けて、すっごく悔しくて。大会が終わったあと、すぐに院生になったんだ。あの時の悔しさがあったから頑張れた。僕が棋士になれたのは君のおかげなんだよ。ありがとう」

 そう言って翼は右手を差し出した。

 京子はその右手を汚物でも見るように見つめたあと、その表情のまま翼にこう言った。

「そうですか。頑張って下さいね」

 翼は差し出した右手をそのままにしている。何がなんでも京子と握手したいらしい。

「あの……、握手してもらえないかな?」

 京子との握手には嫌な思い出しかない富岳の笑いがピタリと止まった。

 (畠山、どうするんだろう?)

 すると京子はこの言葉で翼を一刀両断した。

「嫌です。セクハラで訴えてもいいですか?」

 (気持ちいいな!畠山のこういうところ!)

 愛想笑いをしない。嫌な事ははっきり嫌だと伝える。

 まさに今の日本人女性に必要なスキルを持ち合わせている!

「だ、そうだよ。あとは棋士らしく、対局で頑張るしかないんじゃね?」

 富岳が二人の間に割って入る。京子に「黙ってて下さい」と言われるかと思ったが、違った。

「そうですね。まぁ、当分、私との対局は実現しそうにないですけど」

 京子も今、殆どの棋戦を勝ち上がっている。女流棋戦に至っては、真珠パール戦、紅水晶ローズクォーツ戦、瑠璃ラピスラズリ戦の女流三大棋戦、全て決勝リーグおよび決勝トーナメントに駒を進めた。なので秋には新たに棋戦タイトルを手に入れる可能性がある。

「いつ私に追い付けるか、わかりませんけど。せいぜい頑張って下さいね」

 まるで捨て台詞のように、京子は翼に吐き捨ててケーキを取りに行こうと向きを変えた。

「あはは!畠山のポジションにまで登り詰めるって大変だな!あんたも」

 富岳は翼に同情のつもりで言ったのだが、それが翼には怒りのスイッチになってしまった。

 翼と富岳は短い間だったが同期だったことがある。

 自分の目の前で畠山京子と同い年の子が、史上初の原石戦優勝を成し遂げ、悠々と棋士へと成り上がっていったのを見ていた。

 その嫉妬と京子への歪んだ敬愛は、富岳へと牙を剥いた。

「うるせぇな!チビは黙ってろよ!」

 翼が富岳に暴言を吐く。しかし応戦したのは富岳本人ではなく、ケーキを取りに行く足を止めた京子だった。

「確かに立花さんはチビですけど、あなたよりはずっと魅力的な碁を打ちますよ」

 いつもニヤニヤヘラヘラと笑っている京子が眉間に皺を寄せて怒っている。

 京子の思いがけない反撃に、翼はたじろぐ。そして優里亜と富岳も京子のこの一言に唖然とする。

 京子は更に翼にこう畳み掛ける。

「おい、丸山とかいうショボい碁しか打てない新米棋士!文句があるなら勝ち上がって同じ土俵に上がってから言えよ!完全実力主義の世界なんだからな!」

 初めて聞く京子の年上への暴言に、優里亜と富岳は慌てた。

 また京子が騒動を起こすのではないかと思ったからだ。

 しかし、それだけだった。京子は「フン」と鼻を鳴らすと向きを変え、今度こそケーキを取りに行ってしまった。



 翼はこうなる事は全く予想してなかったのだろう。暫くその場に立ち尽くしていた。

 富岳は何事も無かったかのように、皿に肉を盛り付けた。

 優里亜はというと、京子の思いがけない参戦と言葉の内容に、首を傾げていた。
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