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次の一手編

「仕事にする」か「授業にする」か

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 研究会に行くと、帰りに京子から大量のノートを渡される。多い時で10冊。少なくても5冊。

 そのノートを捲るとミミズの這いずったような線が書いてある。速記だ。これを解読して誰でも読めるように翌週までにパソコンに起こしていく。このためにわざわざ速記を覚えさせられた。

 三島大成たいせいは大学卒業が決まってから、日々この作業を繰り返し生活している。

 塾の授業内容の資料作成だったり、保護者への説明会プレゼン用資料だったり。

 時々速記ではなく英語や記号の時もある。圃畦ほけい塾専用会計ソフトの作成なんか俺に任せてくれればいいのに、と抗議しようとしたら、IT科に通う俺の顔丸潰れの超難解プログラムだった。そもそも俺には会計に関する知識が無い。プライドをズタズタにされながらも、命令されるがままにソフトを作成した。

 一番大変だったのが、秋田に関するものだ。

 やたら地名が出てくる。秋田の地名なんて秋田と能代と角館ぐらいしか知らないから漢字で書いてくれと言っているのに、それでもミミズ文字で書かれてある。しかもその付近の地図を添付しておいてくれと指定が入っていたりする。地図アプリで検索して調べたり、京子に聞いたりしている。


 どうやら妹弟子は、この塾経営を足掛かりに秋田県の活性化を目論んでいるらしい。ハッキリとは教えてくれないが。


 今日は建国記念日の振替休日。学校は休みの妹弟子に呼び出されて、師匠の研究会部屋で軟禁……、ではなく缶詰にされている。岡本邸研究会部屋は【株式会社KーHOけいほ】の一時的なオフィスになっている。

 俺は資料と睨めっこしながら圃畦ほけい塾のアルバイトのガイドラインを見直していた。

「あのさぁ、京子。このガイドラインなんだが……」

「なんですか?三嶋さん」

 笑顔で京子が振り向いてくれる。「お前」と呼ばなかったからだ。

 (名前呼びか「お前」呼びかで、こんなに態度が変わるんかい!)

 つくづく京子には二面性があると思わされる。

 普段は思っていることが正直に顔に出る。嫌な事を言われればハッキリ嫌だと主張し、嬉しい時は飛び上がって喜びを爆発させる。

 しかし碁を打ってる時は冷静沈着。何を考えているのかどこを狙っているのか、さっぱりわからない。

 囲碁や将棋はその人の性格が出るといわれるが、これほど囲碁に性格が表れない人間はいない。

 まるで性格自体が変わるかのようにコロコロと態度を変える京子に、三島はどう接したらいいのか、分かりかねる時がある。

 兄弟子の武士沢や江田にも相談したことはあった。しかし二人とも「そうか?」と、全く意に介していないようだった。

 二人とも……特に武士沢など、あれほど京子に振り回されているのに、なんで京子の性格には無頓着なんだろう?


 京子は三島から渡された資料を受け取り、目を通す。

「『クレーム処理』ですか」

 いくつか想定問答が書かれてある。ただし紙切れ三枚だけ。

 子供が怪我をした時。子供同士が喧嘩した時。子供の学力が伸びなかった時、の三項目だけだ。

「ああ。これじゃ不十分だよ。アルバイトに来てくれる皆が皆、お前のように口八丁手八丁じゃないんだよ」

「こういうの、三島さん得意じゃないですか。三島さんに任せます」

「なんで俺!?どっから俺がこういうの得意だと!?」

「相手は子を持つ親、ではなく、です。女性の扱いは三島さんの右に出る者はいませんから。私では力不足です」

「お前、面倒な事は全部俺に押し付けてないか?」

「なんて言いました?」

 京子が薄ら笑いを浮かべて、聞き返す。

 (しまった!思わず「お前」って言っちまった!)

「いや、あのだな」

「わかりました。三島さん、アルバイトに行ってきて下さい」

「はぁ!?こないだまで学習塾へ研修に行ってこいって3ヶ月もアルバイトに行かされたばっかりだろ!なんのために!?ふざけんなよ!「お前」って言っただけで、なんで行かなきゃなんないんだよ!!」

「バイト先は幼稚園です」

「は?」

「指導碁で知り合った区役所職員にアルバイトの打診をしておきますので、どんなクレームが来てどんな風に処理してるのか、探っ……コホン、勉強してきて下さい」

「お前今「さぐって」と言ったな。っていうか、普通に聞き出せばいいんじゃないか?」

「ライバル関係になるんですよ。他所の託児所や塾からしたら。正直に教えてくれるわけ、無いでしょ」

「『聞き方』の問題だろ」

「ほう。やっぱり三島さんには自信があるみたいですね。じゃあ、幼稚園や託児所で働いている保育士のお姉さま方とお友達になって、どんな感じでクレーム処理してるのか、調べてきて下さい」

「どっちにしても結局俺にやらせるんじゃないか!!」

「三島さんなら出来ますよ。優しい保育士さんとお知り合いになりたくありませんか?」

「お前、俺をなんだと思ってるんだ?」

「仕事の出来ない□工作?」

「俺はそこまで女たらしじゃねぇ」

「仕事の出来ない、は認めるんですね?」

 三島は墓穴を掘ってがっくりと項垂れる。項垂れた拍子に、今まで貯まっていた鬱憤が逆流してしまった。

「京子。「お前」と言ってすまなかった。許してくれ。それから見逃してくれ。確かに保育士のお姉さんとお知り合いになるのは魅力的だが、あれもやらなきゃこれもやらなきゃで、俺にはもうキャパシティー越えてるんだよ!この通りだ!」

 と言ってそのまま三島は土下座した。

 (うわぁ!この人、また土下座してるよ)

 京子は生ゴミでも見るような目で三島を見下す。

「三島さん。ひとつだけ、一回だけ言わせて下さい。
 『仕事も出来ない、女も懐柔出来ない。三島大成にどんな価値があるんですか?』。
 まったく。男の人って、何なら出来るんでしょうね。家事はやらない、子育てもしない、不景気不景気と言いながら景気回復もできない。結局なんにも出来ないじゃないですか。今の日本人男性に、どんな価値があるんですか?」

 三島は土下座していた頭を床にゴンと打ち付けた。暫くすると、鼻をすすり上げる音が聞こえてきた。

「三島さん!?もしかして泣いてるんですか!?」

 三島は土下座したまま体を震わせている。

「返す言葉も無い……。俺は去年は4勝しかできなかったし、京子がいなかったら大学も卒業できなかったし、大学卒業後は仕事をそこそこ頑張ってあとは遊んで暮らそうとか思ってたし……。俺はろくでなしなんだよー!」

 と叫ぶと、土下座したままワッと泣き出した。

 (しまった。やりすぎたか……)

 どうやら三島を追い詰めてしまったらしい。やりすぎないように気を付けてはいたが、大人なんだし大丈夫だろうと思っていたが、大丈夫ではなかったらしい。

 このままだと鬱病になってしまう。最悪、足紐をつけずにバンジージャンプしたり、服を着たまま真冬の太平洋で寒中水泳したり、換気をせずに練炭を炊くかもしれない。それはさすがにマズイ。

 (そういえば結構役に立ってくれている)

 腕のいい塾講師をヘッドハンティングしてきてくれたし(一人だけだが)、保育士を何人かスカウトしてくれたし(明らかに自分の好みの女ばかりだったが)。

 「何ならできるの?」と言ってしまったが、役には立ってくれている。それに成人しているというだけで、未成年の京子には使える駒なのだ。

 (さて、どうしようかな……)

 もう三島にこれ以上の仕事を振るのは無理だ。かといって、他に使えそうな駒は無い。手伝いを申し出てくれた女流棋士のほとんどは三島とは違い女流棋戦を順調に勝ち上がっていて、これ以上の手伝いを申し出るのは気が引ける。本業に支障があっては、手伝いの範疇を越えてしまう。

 京子は腕を組み、頭を捻る。

 (時間をかけずに幼稚園や保育所の保育士に取り入って、クレームをどう処理しているか、聞き出すには……)


「あ!そっか!私、中学生じゃん!」

 土下座していた三島がビクッと飛び上がる。

「な、なんだ!?どうした!?」

 今度は何をさせられるのかとビビっていた三島が恐る恐る聞いた。が、京子はニヤニヤともヘラヘラともつかない笑みを浮かべた。



 ●○●○●○



 翌週、京子は学校の授業を終えると、部活を休み、とある幼稚園に来ていた。

 京子はあの後、都内にある幼稚園や保育所に片っ端からメールを送った。内容は、

『少子化問題を考える上で、保育の大切さ・重要性を学びたい』的な事を、として、あくまでと思わせる内容のものを送ったのだ。

 中学生、しかも女子が保育に関わる仕事に興味があると言えば、誰も不信には思わないだろうという読みからだ。

 なんと5つの幼稚園や保育所から返事が来た。そのうちのひとつに今日はやって来た。京子としては日曜日辺りにして欲しかったのだが、さすがに日曜日は無理ということで、平日になった。バスケ部の練習を休まなくてはならなくなったので、この上なく不満なのだが、これは絶対にやっておかなければならない事なので社長として仕方なく、自分でやる事にした。


 この幼稚園の園長は、岡本の妻・純子すみこと歳が近いと思われる女性の園長だ。

 騙し討ちするような後ろめたさから、(ちょっと、やりづらいかも……)と思いつつ、京子は幼稚園園長に淡々と質問していく。
「子供の褒め方」
「子供の叱り方」
「子供が失敗した時の対処方」などなど。

 あまり突っ込んだ質問をすると疑念を持たれるので、いかにも中学生が疑問に思っているような事柄を質問する。

 ただ、園長がいい人で、京子の裏の目的など知る由もなく丁寧に答えてくれるのは、(本当に申し訳ない……)と思わずにはいられなかった。

 一通りの質問が終り、いよいよ本題に入る。が、いきなりではなくワンクッション置く。

「他の保育士の方からも、お話を聞かせてもらえませんか?」

 園長にこう持ちかけると、「ええ。もちろんいいですよ」と案内してくれた。

 (本当に本当に申し訳ない!)

 別に悪いことをしている訳ではないのに、こそこそと探りをいれるやり方を選んだ事を後悔した。


 案内されたのは年長組の教室だった。小さな椅子とテーブルに座り、4人の保育士達が紙で何かを作っていた。


 園長が京子を紹介すると、保育士達が笑みを浮かべる。歓迎してくれているようだ。

 ここでも京子は直球で質問せず、ワンクッション置く。

「何を作ってらっしゃるんですか?」
「知育おもちゃを作るのって、ご自分たちでなさるんですか?」
「私が保育園に通ってた頃は自分で全部作ってたと思うんですけど」

 と会話を進めるうちに、京子は自分がしたい質問に誘導する。


「その子が上手く作れないと、クレーム言ってくる親とかいません?」

「いる!」
「そうそう!こないだなんか……」


 (よっしゃ!引っ掛かった!)

 釣り人のように棹を大きくしならせて、京子はリールを巻いていく。

 「そうなんですか?」とか「それ、ちょっとひどいですね」と同情的に相槌を打つと、聞いてもいないのに次から次へと「それ、言っていいの?」と聞き返したくなるレベルの内容まで、ベラベラとしゃべってくれた。

 (どこにでも口の軽い女ってのはいるんだなぁ。ありがたい)

 と京子は思いつつ、脳内メモリに確実に記憶していった。



 ●○●○●○



 翌週、三島は京子から11冊のノートを渡された。

 家に持って帰り、いつものように速記を解読する。

 三島が懸念していた案件の対処方が漏れ無く書いてある。

 (あいつ、本当に仕事が早いな。ちゃんと寝てるんだろうか?)

 学校に行きながらこれだけの仕事をこなす妹弟子は本当に人間なんだろうかと思いつつ、パソコンに解読した文字を打ち込みながら三島は、「俺、今年こそは本業を頑張ろう」と決意したのだった。
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