GIVEN〜与えられた者〜

菅田刈乃

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布石編

不自然な江田の行動

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 『クリスマスケーキのご予約はお早めに』

 と、書かれたコンビニの幟を脇目に、畠山京子と岡本門下の兄弟子二人・武士沢ぶしざわ友治ゆうじと三嶋大成たいせいが、飯田橋駅近くのちゃんこ鍋専門店に入っていく。

 武士沢と三嶋はこの日対局だった。二人はほぼ同時に対局を終え、一緒に飯でも食いに行こうかと話していた所に、制服姿の京子がやってきた。「なら、私も連れって下さい」と、ヘラヘラと笑いながら。


 この店は武士沢が棋士になった時から通い続けている店で、店主とも顔馴染みで、いつも個室を用意してくれる。

 武士沢はいつものように店主と挨拶すると、いつものように個室に通された。

 三人は席に座り、店員がいなくなると、京子は前置き無しで開口一番、こう言った。

「最近、江田さんの様子がおかしいんです!!」

 岡本門下の一番弟子、江田照臣てるおみの事だ。今は地方対局で福岡にいる。

 (京子が学校帰りに棋院に寄るなんて珍しいな、と思っていたら、江田のことでの相談か)

 兄弟子の中で、京子が一番懐いているのが江田だ。京子の父親と年齢が近いせいなのかもしれない。

 (それにしてもなんだ?テルと京子の間に仲違いがあった様子も無いし。しかも俺達に相談なんて、余程の事だな。初めてかもな)

 京子は一人っ子のせいか、自分の力だけで問題を解決しようとする性格だ。その京子が周りの人間に相談を持ちかけてきた。ただ事ではない。場合によっては、京子と同居する師匠夫婦に相談した方がいいかもしれない。


 武士沢はそんなことを考えていたのだが、三嶋には関係ない。

「お前、江田さんを変人呼ばわりするなよ」

 妹弟子に先にタイトルホルダーになられるという屈辱を味わった三嶋だが、京子に対する態度は今までと変わらない。

「そういう意味で言ったんじゃありません。あと、お前って言ったら今度からペナルティ制にしますから」

「んだよ。お前って呼んだくらいで!」

「二人とも止めてくれ。この店、俺のお気に入りの店なんだから。出禁になりたくない」

 ここの塩鶏団子鍋が絶品なのだ。そして最近、胃袋が年齢を感じてきた武士沢のお気に入りが醤油ベースの鱈鍋だ。

 対局で弱った胃腸に優しいこのちゃんこ鍋を、現役であるうちは食べ続けたい。最近ますます喧嘩っ早くなったコイツらのせいで出禁になりたくない。


「で、京子。テルがおかしいって、何があったんだ?」

 とりあえず武士沢はさっさと注文を決め、店備え付けのタブレットで注文を済ませた。三嶋と京子もメニュー表を見ずに注文を済ませた。

「私が話しかけても、素っ気ないんです。私、避けられてるみたいなんです」

「とうとうお前の本性に気づいたんだろ」

「三嶋さんは黙ってて下さい!」

「じゃあなんで俺まで連れてきた!」

「オマケです!」

「大成。京子。これ以上喧嘩したら帰ってもらうからな」

 三嶋も京子もこの店は大好きで、何度か連れて来てもらってきている。何も食べずに帰りたくない。しょうがなく三嶋は話が終わるまで黙っていることにした。


 お通しのふろふき大根が来たが、武士沢は手を付けずに、京子の話しを聞くのを先にすることにした。

「で、京子。具体的に何があったんだ?」

 京子が徐に口を開く。

「あれ?と思ったのは、先月の金緑石戦祝勝会でした」



 ◇◇◇◇◇



 お酌しようと江田さんに話しかけると、江田さんは私と全く目を合わせてくれなかったんです。今までそんなことは無かったのに。いつもニコニコと私の目を見て話してくれたのに。

 変だとは思ったんですけど、他の人にもお酌しなければならなくて、そのまま等閑にしてしまったんです。


 そして先週の研究会後の夕食で、「江田さん、おかわりは?」と聞いたら視線を逸らして「うん」しか言わないんです。

 いつもなら「うん」の後に「ありがとう」とか、もう一言添えてくれるのに!

 明らかに私に対する江田さんの態度がいつもと違ったんです!

 それでいつから様子がおかしいのか、思い出してみたんです。

 祝勝会より前に会ったのは、夏休みの終わりに田村優里亜先輩を家に招いた時でした。あの時わたし田村先輩にばかり気を使っていて、江田さんがどんな様子だったか、覚えてないんです。

 で、それより前だと夏休み期間です。

 夏休み期間中、バスケ部の練習は夕方からだった日もあったじゃないですか。研究会の日と重なったこともあったりして。練習終わりに急いで家に帰って研究会に参加した日は、短い時間しか江田さんと会っていないから、その頃からなのかは判断が難しいです。

 それより前となると、バスケ部の合宿の前です。誕生日プレゼントを貰った日です。でも、あの時まではいつも通りだったし……。

 となると、誕生日プレゼントを貰った7月下旬から祝勝会の2ヶ月間に何かあった、ということになるんですけど、いくら頭を捻っても、思い当たる節が無いんです。

 もしかしたら誕生日プレゼントを受け取った時、私、江田さんの気に障るようなこと言ったかのかな?と。でも考えても考えても私にはわからないんです。

 一人でいつまで考えても結論が出ないので、もう誰かの助けを借りるしかない!と……。



 ◇◇◇◇◇



「京子。ちょっと早いけど、これ。誕生日プレゼント」

 そう言って兄弟子三人から誕生日プレゼントを渡されたのは7月下旬。京子の14回目の誕生日には2週間も早かった。

 来週でも十分間に合うのだが、江田には今日渡さなければならない理由があったので、武士沢と三嶋に事情を話し、日にちを繰り上げてもらった。

 来週は京子はバスケ部の合宿に行く。よって来週の研究会には不参加。

 江田は再来週紅玉ルビー戦の防衛戦がある。よって再来週の研究会には不参加。

 さらにその翌週はお盆。京子は秋田に帰ってしまう。

 つまり今日渡さなければ、2週間遅れで誕生日プレゼントを渡さなければならなくなる。今日しか渡せる日が無いのだ。


 京子は兄弟子三人に、今年の誕生日プレゼントは新しいバスケットシューズが欲しいとリクエストしていた。

 京子は早速リボンを外し、包装紙に張られたセロハンテープを丁寧に剥がしていく。包装紙はブックカバーにするそうだ。

 赤いラインの入った白いバスケットシューズのサイズを確認して、やっと「ありがとうございます」のお礼が聞けた。「お礼が遅すぎるんじゃないか」と三嶋が揶揄すると、京子は「三嶋さんが嫌がらせで全然違う物を送ってくるんじゃないかと」と言い返した。喧嘩するほど仲がいい、とは言うが、この二人は本当に仲が悪い。


 「あの、それともう一つ」

 そう言って江田は平たい箱を京子に渡した。

 京子がその箱を開けると、中から出てきたのはモノクロの京子の姿絵だった。

「これ、白黒写真ですか?こんな写真、いつ撮ったんで……」

 額縁に入れられた自身の姿絵を見ていた京子があることに気づいた。

「江田さん!これ額縁から出してもいいですか!?」

 江田の返事も待たずに、京子は額縁をひっくり返し、中に入っていた紙を取り出した。

「髪の所、触ってもいいですか?」

「ああ。いいよ」

 今度は江田から承諾を得て、取り出した京子の姿絵の髪の毛の部分を人差し指で擦った。指が黒くなっている。

「やっぱり!鉛筆画ですね!これ!どなたが書いたんですか?もしかして江田さん?」

「う、うん」

 後ろ頭をガシガシと掻く。子供の頃から変わらない、江田が照れた時にする仕草だ。

「きゃー!すごい江田さん!こんなに写真みたいに描けるなんて!すごーい!知らなかったです!江田さんがこんなに絵が上手だったなんて!」

「俺も知らなかった」

 三嶋が右脇から絵を覗き込む。

 師匠も純子もみんな江田の描いた絵を食い入るように見つめる。

「これ、本当に江田さんが描いたんですか?」

「三嶋さん、疑うんですか?」

「違うって!江田さんが絵が得意なんて、初めて知ったから」


 長い付き合いになる岡本も武士沢も、江田が絵が上手いとは知らなかった。


「最近始めたんだ」

 まだ江田は後ろ頭をガシガシと掻いている。

「きっかけは何だったんですか?」

 京子が聞いた。

「『いちごソーダ』の保科愛香まなかちゃんが絵が得意で美術部なんだってラジオで言ってて」

 『いちごソーダ』は、江田の好きなアイドルグループだ。

「僕も学校に通っていた頃は、美術はそれほど苦手じゃなかったから、ちょっとやってみようかな、と思って始めたんだけど、だんだん面白くなってきて、気づいたらこのレベルに……」


 趣味が転じて、のレベルではない。京子も三嶋も武士沢も白黒写真かと思ったほどのレベルだ。

「江田さん。これ、本当に頂いていいんですか?」

 くれるものは素直に受けとる京子ですら、無料タダでこの絵を受けとるのは気が引けるらしい。その位の出来だ。

「もちろん。そのために描いたんだし」

「ふきゃーあ!うれしいー!」

 奇声を上げて、京子は江田に抱きついた。

「江田さん、ありがとうございます!一生大事にしますね♥️私、肖像画を描いてもらったの、初めて!どうしよう、どこに飾ろう?自分の部屋だと寝る前と起きた時のちょっとの時間しか見れないし。となると、研究会部屋がいいかなぁ?それともリビング?」

「う、うん。それは嬉しいんだけど、京子。ちょっと離れて……」

 江田は目を逸らし顔を真っ赤にして言い澱む。

「どうしてですか?」

 京子は江田の腕をしっかりと抱き締めている。

「ん……。あ、あの……む……」

「む?」

「胸が当たって……」

「そうなんですよ!わかりますぅ?私、最近お胸が大きくなってきたんですよ!」

 そう言うと京子はさらに江田に胸を押し当てた。

「そうじゃなくて……」

 江田はさらに顔を真っ赤にして京子から目を逸らし、しっかり捕まれた腕を引き抜こうとする。しかし腕を動かせばさらに京子の胸に腕が当たり、これ以上動かせない。

「やめろ痴女!お前には恥じらいが無いのか!江田さんから離れろ。嫌がってるだろ!」

 三嶋が京子の首根っこを引っ張り、無理矢理江田から京子を引き離す。

「何するんですか、三嶋さん!離して下さい!江田さんに嫉妬ですか?みっともないからやめて下さい!」



 ◇◇◇◇◇



 ……そこから先は、お約束のように喧嘩に発展して、二人は師匠から怒られていた。


「原因は何なんでしょう?」

 京子が真剣な眼差しで聞く。

 武士沢と三嶋は呆れた顔で、お通しのふろふき大根を食べ始めた。京子は記憶力はいいが、他人の気持ちを推し量る能力はほぼゼロだ。

「あの、武士沢さん。何か気づいた事があればアドバイスを……」

「どうします?ブシさん」

「三嶋さんのアドバイスは聞いてません」

 また喧嘩を始めそうになったので、武士沢は慌てて止めた。

 どうしようか、と武士沢は悩む。京子は江田を好いている。あまりマイナスイメージを植え付けたくない。それに江田の人権にも関わる。

 (しかし黙ってたら京子この子は何をやらかすか、読めないしなぁ……。しょうがない。なるようになるか)

 はぁ、と大きな溜め息を吐いて、武士沢は口を開いた。


「テルは今まで彼女がいた事が無いのは知ってるな?」

「えっ!?そうなんですか!?今までって、俗に言う「彼女いない歴イコール年齢」ってやつですか?あんな素敵な人なのに!?世の女性達はどこに目をつけてるんですか!?」

 世の中の女性が京子のように外見よりも内面重視の人間ばかりであれば、とうに江田にも彼女の百人や二百人くらいはいただろう。

「まぁ、テル本人から女性にアタックする方法もあるよな」

「……そうですね」

 自分からガンガン攻める京子には、女性から攻める手しか無いと思っていたらしい。

「テルもな。自分から攻めたんだよ。中学3年の時、史上最年少で金剛石ダイヤモンド戦本選入りした天才囲碁棋士ってメディアに取り上げられてさ。悪い言い方をすれば、調子に乗って、当時片想いしていた女の子に告白したんだ」

「……まさかその女、江田さんをフッたんですか!?どこのどいつですか!?住所と名前を教えて下さい。カチコミます!!」

 喧嘩大好き美少女には、話し合いという倫理観がない。

「まてまて。二十年も前の話だから。ただその時、こっぴどく振られたせいで、それ以来テルは女性恐怖症になっちまってさ」

「やっぱり私その女の所に殴り込みに行ってきます。相手を傷つけないように断る方法があるのに!!」

 武士沢は「自分の事を棚に上げて何を言う?」と言い返そうとしたが、話が逸れていつまで経っても終わりそうにないので止めた。

「だから二十年も前の事だから。今さらこの事を蒸し返されても、テルも彼女もお互い困るだけだから」

 京子は小声で「心の傷が癒えていないから、江田さん、こんな風になっちゃったんじゃん」とブツブツ言っていた。

「で、最近京子に冷たい件だが。ここから先は俺の予想だけど、京子がその彼女の年齢に近くなったせいで、当時の事を思い出すからじゃないかと思うんだ」


 京子が無表情のまま動きが止まった。まさか江田が自分を避ける理由が、「自分の体が成長したから」だとは露にも思わなかったのだろう。



 江田が振られた当時、武士沢は江田から話を聞いていた。彼女は学校一の美少女で、交際の申し込みが後を絶たないほどだったそうだ。しかし彼女は勉学を優先させたいと、全て断っていたそうだ。

 そう。京子と似ているのだ。京子は「私より囲碁の強い人じゃないと無理」と、到底無理難題な条件を提示して全て断っている。

 ただ京子とその美少女の違う点は、彼女は外見重視型の性格だった。江田は容姿をこっぴどく貶され、それまで休んだ事の無い研究会を休んだ程だった。

 そしてそれ以来、どう歪んでしまったのか、江田はアイドルオタクになってしまった。


 さすがの京子も今回ばかりは手の打ちようが無いだろう。京子に落ち度は無いのだから。

 (俺はこうして時々相談にのって、そっと見守るしかない)

 武士沢に出来ることはそれくらいしかない。



 頼んだ料理が運ばれてきた。

 熱々の鶏塩団子ちゃんこ鍋二人前と豚白菜ちゃんこ鍋二人前が京子の前に置かれた。京子は一人でこの量を食べる。

 暫く黙々と食べていた京子だが、いち早く食べ終わると、シメのご飯を鶏塩に、うどんを豚白菜の鍋に入れながらこう言った。ちなみに武士沢も三嶋もまだ半分も食べていない。


「わかりました。ようするに、江田さんの女性恐怖症を克服すればいいんですよね?私、江田さんとデートします」



 あまりにも事も無げに京子がサラッと言ったので、武士沢も三嶋もうっかり聞き逃しそうになった。しかし理解が追い付くと、武士沢は口に入れようとした鱈を鍋に落とし、三嶋はキムチを吹き出した。
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