GIVEN〜与えられた者〜

菅田刈乃

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布石編

祝勝会

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 岡本邸の近所に寿司屋がある。

 その寿司屋は岡本幸浩ゆきひろはもちろん、岡本のライバルだった柴崎真人まことも現役時代は行きつけで、二人はタイトルを獲るたびにこの『旭寿司』で祝勝会を行なっていた。

 それは弟子にも受け継がれ、武士沢や江田がタイトルを獲るたびにこの『旭寿司』に皆が集まった。


 そして今日は岡本の末弟子が、この店を貸切にした。

 カウンター席と店の入口との中間に立ち、京子は集まってくれた皆に向かって挨拶をする。

「皆様。お忙しい中、本日は私、畠山京子の金緑石アレキサンドライト戦優勝祝勝会にお越し頂きありがとうございます!」

 金緑石戦第三局から1ヶ月後。

 岡本、武士沢、江田、三嶋、岡本の妻・純子すみこ、杉山夫妻、そして柴崎真人とその弟子数人も駆けつけてくれた。京子は田村優里亜も呼びたかったが、今日は平日で夜遅くまで宴は続くし、囲碁将棋部でお祝いはしたから今回は遠慮するという話になった。


「皆さんにご報告があります。私、畠山京子は金緑石アレキサンドライト戦優勝で、晴れて『見習い棋士』から『正棋士』となりました!」

 全員が拍手する。

「そしてもうひとつ。昨日の青玉サファイア戦予選A一回戦勝利で、『40勝』の条件を満たしたので、二段に昇段しましたー!」

 拍手がさらに強くなった。

 昔は初段から二段への昇段条件は『30勝』だったそうだ。しかし、翠玉エメラルド戦の棋戦規定の変更により、今までより10勝多い、40勝しなければならなくなった。


「長かった……。私、「いつ二段に上がれるのかな」って田村先輩に愚痴ったほどに……」

「アホ。見習い棋士としては早い方だぞ」

「三嶋さん。私を「アホ」と呼ぶのは構いませんが、三嶋さんが「アホ」と言ってるのを見た周囲の人達が三嶋さんをどう思うか。もっと他人の目を気にされたほうがいいと思います」

 こう言われた三嶋はキュッと固く唇を結んだ。その表情を見て京子はフンと鼻で笑う。それを見た三嶋がまた京子に喧嘩を売ろうとした瞬間、京子がすかさずこう話をはぐらかした。

「こうして昇段のご報告が出来るのも、偏に皆さんの応援のお陰です。本当にありがとうございます。来年も金緑石王になれるよう、頑張ります!」

 拳を握りしめて決意表明する京子に、先ほどまで拍手してくれた皆は、誰も拍手してくれない。

「あれっ!?私、なにか変なこと言いましたか?」

 先程は京子に一杯食わされた三嶋が、今度は鼻高々になっている。

「金緑石戦は『勝ち抜戦』なんだよ」

「勝ち抜け戦?」

「そう。つまり、優勝したら来年以降は出られない」

「はあ!?じゃあ私、来年の金緑石戦、出られないんですか!?」

「そういうこと。だから連覇は出来ない。ちゃんと棋戦概要、読んどけよ」

 してやったり顔の三嶋にここまで言われた京子は、唇を噛みしめて目を潤ませている。

「お?泣くか?」

「……しくったー!じゃあ、ギリギリまで準優勝しておいて、金緑石戦に出られなくなる前の年に優勝しとけば、効率良く賞金を稼げたじゃないですかー!!」

「金の話かーい!つーか、そんな都合良く勝ち負け出来ると思ってんのか!他の棋士に失礼だろ!」

「そうでしたね。三嶋さんに失礼でした」

「こいつ……。本当お前、生意気になったな」

「「お前」って言うな!!」

「京子ー。それくらいにしておこうね」

 本気の喧嘩が始まりそうな所で、今まで傍観していた江田が二人を止めた。

 それまで臨戦態勢をとっていた京子が、江田のこの一言でブサイク顔から美少女顔に変貌した。

「はーい!江田さん♥️では、岡本先生。乾杯の音頭をお願いします」

 岡本は「はいはい」と返事をして立ち上がると、グラスを持って京子の隣に並んで立った。

「早いもので、京子が東京にやって来て早2年が経ちました。ここに来た頃は野猿のようで、「この子は東京でやっていけるのだろうか」と心配していたのが嘘のようです」

「岡本先生、その辺の小咄は後で」

 口を挟んだのは、顔を真っ赤にした京子だった。京子の辞書にも『恥』という文字があるらしい。しかし岡本は京子に構わずこう続けた。

「まぁこういう所ですね。師匠が話しているのに、横槍を入れるような」

 純子が堪らずクスクス笑いだした。

「本当、とんでもないお転婆さんだったものね。襖を足で……」
「わーっ!ちょまーっ!純子さんまで!」

 岡本と純子が見つめ合い、クスッと笑い合った。そんな二人を見て、京子もつられてクスッと笑った。

「でも、そんな気質が囲碁棋士という職業にぴったりだったのでしょう。プロ入り二年目でタイトル獲得の快挙です」


 快挙ではあったが、囲碁界の外では大した話題にはならなかった。

 女性の金緑石王は京子で三人目という事もあったし、それ以上に世間では某芸能プロダクションの不祥事のニュースが連日テレビやネットを騒がせていたからだ。


 ただし京子の地元、秋田県だけは別だった。

 金緑石戦優勝の翌日の地元紙『あきた轟新聞』は、一面カラー写真付きで京子の快挙を報じた。

 地元テレビ局から取材の申し込みもあったし、なんと県知事と年末に対談も決まった。「若者と秋田の未来について考える」というテーマだ。京子の他に、来年のオリンピック出場を決めた陸上選手も一緒だ。


「えー、身内の集まりで長々と挨拶するのも野暮なので、これくらいにしまして。では皆様、グラスをお取りください。
 畠山京子のこれからの益々の活躍を願いまして、乾杯!」

「「「乾杯!」」」

 ビールジョッキに混じって烏龍茶やオレンジジュースの入ったグラスも掲げられた。京子は勿論、柴崎とその弟子達のグラスだ。

 乾杯が済むと、京子はすぐさま柴崎の隣に座った。新年会で会って以来、10ヶ月ぶりだ。

「柴崎先生!今日は来て下さってありがとうございます!」

 京子は柴崎のグラスに烏龍茶を注いでお酌する。

 大病を患い棋士を引退した柴崎。正月に会った時よりも顔色は悪いように見える。

「京子ちゃん、おめでとう。すごいねぇ。二年目でタイトルを取るなんて」

「いえいえ。運が良かっただけですよ」

 京子は手をブンブンと横に大袈裟に振る。

「運だけではタイトルは取れないよ。実力が無いと」

 柴崎の目付きが、病弱な老人の目から棋士の目付きに変わった。これほどまでに弱っていても、かつて岡本と共に囲碁界を沸かせた『奇術師』の一面を覗かせる。その目付きにゾクッと背筋が凍る。京子はブルッと身体を震わせた。

 (やっぱりすごいなぁ。柴崎先生は)

 棋士を引退して長く経つのに、まだこれだけの気迫を出せる。京子が柴崎を尊敬している点だ。


「お弟子さんの皆さんも、わざわざ来て下さってありがとうございます!」

 全員京子より年上だ。何人かは見覚えがある。

 (たしか翠玉エメラルド戦だ。ということは棋士か。で、見覚え無い人達は弟子だけど棋士ではない、と)

「俺は畠山さんに会いたくて来たんだ」

 一番年長と思われる弟子が言った。見覚えがある。棋士だろう。

「あら、ありがとうございます。心行くまでこの顔を堪能していって下さいね」

 京子は右手を頬に当て、うふふと微笑んだ。

「なんだよ京子。こいつらには「畠山って長いし呼びづらいから京子って呼んで下さい」って言わないのかよ」

 柴崎の後ろの座敷に座っている、三嶋のやっかみだ。

「三嶋さん、今日はおいで下さいました」

「なんだそれ。嫌味ったらしい」

「嫌味を込めて言いましたから、嫌味に聞こえたならオッケーです。妹弟子に先を越されたのに、よく今日の祝勝会にノコノコと顔を出せましたね」

「ああ。俺はつまらんプライドなんてもんは持ち合わせていないからな」

 正確に言うと、寿司を食いたかったのでプライドを捨てた、だ。

「どこ行っちゃったんでしょうね、三嶋さんのプライド。仕事で負けず嫌いを発揮しないで、どうするんですか。棋士、引退します?」

「京子ちゃん。軽々しく引退なんて言うもんじゃないよ」

 柴崎に窘められた。柴崎の前では言ってはいけない台詞だった。

 しかし京子は話を続けた。

「聞いて下さいよ、柴崎先生。最近の三嶋さん、全然対局に身が入っていないみたいな碁を打ってばかりいるんですよ。どうすれば三嶋さんのやる気スイッチをオンに出来るんでしょうか?」

 柴崎はシャリ少なめのエンガワを口に運んだ。ゆっくり咀嚼してから京子の質問に答えた。

「京子ちゃんはなぜ大成くんをやる気にさせたいんだい?」

「それは、あんな情けない碁ばかり打って結果を出せない棋士が、私の兄弟子だなんて言われるのが嫌だからです」

「うん。自分軸だね。京子ちゃんらしい。でもそれで京子ちゃんがに伸し上がるには楽になるよね。ライバルは少ないほうがいい」

「ライバルが多いほうが強くなれるじゃないですか!実力の伴わない肩書きだけの棋士にはなりたくないです!」

「つまり京子ちゃんは大成くんをライバル視している、と」

「ライバル、というより、弟子になったばかりの頃は、三嶋さんは目標でした」

 京子の予想外の告白に、三嶋の寿司を食う手が止まった。

 (初めて聞いたぞ。俺が目標だったなんて。京子の奴、最近俺を扱き下ろす発言ばかりしているけど、本心では兄弟子の顔を立てたいと思ってたんだな……)

 ほんの少しだけ、三嶋の目頭が熱くなった。

 だが京子はこう続けた。

「目標って、すぐに叶えられそうなくらい低く設定しておいても、達成出来たらモチベーション上がるじゃないですか」

「俺を持ち上げといて落とすのかい!」

「でも、いざ三嶋さんより先にタイトルを手に入れるって目標達成しちゃったら、なんか低い目標設定だったみたいで、金緑石戦の格を落としたみたいな感じになって、素直に喜べないっていうか……。上手く言えないんですけど」

「ヒドイ!妹弟子のオイオトシが止まらない!」

 柴崎の弟子達がそっぽを向いてクスクス笑い出す。それに釣られて岡本夫妻や杉本夫妻もクスクスと笑い出す。


「完全実力社会だからね。本人次第な仕事だから、周りの人間がとやかく言うことではないよ」


 柴崎のこの言葉に、三嶋は何故かズキンとした痛みを感じた。柴崎先生なら、俺を庇ってくれるのでは無いか、などと思っていた。

 (柴崎先生も今の俺のこの状況を良く思ってはいないのか)

 それもそうだろう。五段昇段まであと一桁、という所にきて長く足踏みしている。三大棋戦で本戦リーグ入りすれば、一気に七段に昇段出来る特別措置もあるけど、本戦リーグどころか予選トーナメントさえ一回戦で姿を消す時がある。

 俺は「大学に通っているから」と言い訳した。しかし卒業が決まったため来年からは言い訳が使えない。

 京子は「学校に通っているから」を言い訳にしなかった。それどころかタイトルを獲ってしまった。

 京子はまだ中学生。中高一貫校なので、少なくともあと4年は学生棋士だ。

 おそらく京子はその4年間も、俺のように「学校に通っている」ことを言い訳にはしないだろう。

 (……なんだ俺。こんなに格好悪かったのか……)


 三嶋はようやく気付いた。京子が今まで言いたかったことを。



 ●○●○●○



 柴崎が「そろそろ」と席を立った。

 帰り支度を始めた柴崎を、京子は止めた。

「あー、柴崎先生。ちょっと待って下さい。皆さんにも聞いて欲しいことがあります」

 京子は立ち上がって、皆の方を向いた。

「私、畠山京子より皆さんへご報告があります。私、会社を立ち上げました」

 全員ノーリアクションだ。

 それもそのはず、棋士は個人事業主なのだ。

 だから京子のこの報告も、個人事業のの業務の話かと、全員が思った。

 それに京子は子供の頃からアプリやらなんやらIT関連の小遣い稼ぎをしていたのを知っていたので、その方面の会社を立ち上げるのだと思った。

「そうか。税理士さんとか、紹介しようか?」

 京子の親代わりの長兄弟子、武士沢は、早速心配性モードをオンにした。

「大丈夫です。去年の夏に、鬼のように仕事しまくった時に知り合った税理士さんにお願いすることにしました。それに弁護士の新井先生もついてくれますから」

「そうか。新井先生なら、大丈夫だな」


 京子のこの説明で殆どの者は納得したが、三嶋は京子から視線を外し、岡本は京子をじっと見つめ、杉山靖は首を傾げてからニヤリと笑った。
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