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布石編

気合いの入った新入生(バスケ部の場合)

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「それでは紅白戦を始めます!」

『よろしくお願いします!』


 新1年生本入部から1ヶ月経ったこの日、中等部女子バスケ部で紅白戦を行うことになった。

 新入生が正式に入部してまだ日が浅いのに、なぜ紅白戦をやるやる羽目になったのか。理由は1ヶ月前、京子が囲碁部で院生Cクラスの解良鈴菜をけちょんけちょんにいたぶった日まで遡る。



 ●○●○●○



「遅くなってすみませんでしたーっ!」

 京子は制服からトレーニングウェアに着替え、第一体育館にやってきた。

 事前に部長から時間をもらっていたが「30分だけ」のはずが「1時間」になってしまった。対局前にLINEで連絡はしたが、鈴菜がいつまで経っても投了しないせいで、予定より時間が押してしまった。

「いいから、いいから。校舎ラン、行っといで」

 女子バスケ部部長の3年生・山内真梨は、手を「シッシッ」と払うように京子にランニングに行くよう促した。

 ちなみに『校舎ラン』というのは、雨の日は外をランニングできないないので、校舎の中を走る。それが『校舎ラン』だ。


「待ってください、畠山先輩」

 ランニングに行こうとした京子を止めたのは、仮入部を申し込んだ5人の新1年生のうちの一人、平田ひらた胡桃くるみだった。昨日、1年生だけでなく、2~3年生も全員が自己紹介した。

「なに?平田さん」

「先輩、囲碁棋士なんですよね。どうして囲碁部じゃなくてバスケ部なんですか?囲碁だけやってればいいじゃないですか」

 うわぁ!なんか面倒くさいのキター!

 この子、昨日の仮入部1日目もちょくちょく尖った発言してたけど。

 男の尻追いかけ回す恋愛脳か、自分が気に入らない事にはすぐ喧嘩売る脳筋か。今年の1年生って、こんなお粗末な脳味噌の子しかいないの?

 でも京子はこういう好戦的な子は嫌いじゃない。

 こんな風に敵意を露わにする理由は、大抵その敵対する人物の実力なりを認めているから。いわゆる同族嫌悪だ。

 敵を味方にすれば、頼もしい仲間になる。なら、どうやって敵対する人間を味方につけるか。京子はそれを楽しむ。人慣れしていない動物を手懐ける感覚に似ている。


「私、ミニバスチームにいたのよ。それに私の囲碁の師匠が「体力作りをしっかりやっておきなさい」って」

 京子は笑顔でサラッと言った。しかし胡桃は相変わらず眉間に皺を寄せ噛み付いてくる。今、自分がどういう表情をしているか、気づいていないんだろうか?

「囲碁なんて、ずっと座りっぱなしで体なんか動かさないじゃないですか。なんで体力が必要なんですか?体力作りなんかしなくていいでしょ?無駄ですよ」

 京子は大きく溜息をついた。

 囲碁のルールすら知らない人間がよく言う台詞だ。

「平田さんは10時間、座りっぱなしでいたことある?」

「10時間?そんなに長時間座りっぱなしなんて、あるわけないじゃないですか。体に悪いし」

 だよねー。私も座りっぱなし、嫌いだわー。……じゃなくて。

「対局では「持ち時間」と言って、考える時間が決まってるの。長い場合だと、一局5時間。二人分で10時間、座りっぱなしになるわけ。まぁ、トイレに行ったり、ご飯食べたりで、10時間ずっと座りっぱなしって訳じゃないけど」

「座りっぱなしでないなら、やっぱり体力作りなんて必要ないじゃないですか」

「平田さん。ちょっと話がある。ケイはランニングに行って」

 喧嘩になりそうな京子と平田胡桃を止めたのは、洋峰学園中等部女子バスケ部コーチで、B2リーグ・千葉インペリアルズで8年間プレーしていた元プロ選手、安井やすい篤人あつひとだ。外部委託という形でコーチを依頼している。

「はい。行ってきます」

 京子は第一体育館出入り口に向かって走り出した。

(たぶんコーチは平田さんにウチの学校の部活動の在り方とかを説明するんだろうな……)


・兼部を認める
・部活をやる・やらないは個人の自由
・練習も自分に合った量と質に
・たとえ同じ部内でも、他人が自分と同じように練習しないからといって、強制してはならない

 洋峰学園理事長の大川慶一郎曰く、
「生徒を『商品』として『扱う』のではなく、『命ある者』として『接する』」

(入学式で理事長が話した事を、平田さんは思い出してくれればいいけど)



 京子が校舎ランを終えて戻ってきても、まだコーチと胡桃は話し合っていた。

「納得いきません。畠山先輩だけ練習サボってもいいなんて」

 胡桃はコーチを睨みつけこう言った。

「だから、サボるとかじゃなくて……」

 口八丁の安井コーチも手を焼いているようだ。

(頑固な子だなぁ)

 でも、こういう頑固な子を手懐けられれば、それだけ強い信頼関係が築ける。


 京子はコーチの安井にこう言った。

「おそらく平田さんは、私とポジションが被ってるのを気にしてると思うんです」

 胡桃の頬がピクリと動いた。

「べっ、別にそんなこと気にしてないし!」

 図星だな。そうと分かれば話は早い。

「コーチ。提案なんですけど。このまま話し合っても埒が開かないので、1ヶ月後、紅白戦で白黒つけるというのはどうでしょうか?」



 ●○●○●○



 この1ヶ月間、京子は1年生5人の練習を具に観察してきた。

 ミニバス経験者2人、バスケ未経験者3人。全員、去年の文化祭に来てくれて洋峰学園を受験しバスケ部に入ると決めたそうだ。

 平田胡桃もミニバス経験者。ポジションはポイントガード。長身の京子とは違い、小柄でその分小回りが利き動きも素早い。パスも鋭く判断も早い。司令塔向きだ。

 ただ、やはり性格に問題がある。

 他人が何をしているか、逐一監視する(「トイレ長いね」など)。他人の持ち物にケチをつける(「こんな子供っぽいの好きなんだ」など)。他人の嗜好にまで文句を言ってくる(「きのこよりたけのこでしょ⁉︎変な人」など)。

 典型的な過干渉タイプだ。

 当然、2~3年生だけでなく1年生からもウザがられている。

 それでも京子は胡桃を辞めさせたくない。今、中等部女子バスケ部は総勢10名。部内で練習試合が出来る人数だ。

 もうすぐ西東京地区大会がある。

 大会で戦うための戦略を立てるため、どのみち部内で紅白戦をやらなければならない時期だ。



「ちょっとどうする?このチーム、オフェンス弱いよ」

 京子と同じ白チームになった3年の相川雛乃ひなのが腕のストレッチをしながら言った。

 他の白チームメンバーは、京子と同学年2年生の大森詩音。そして1年生バスケ未経験者の2人。

 それから助っ人として高校生を両チームとも1人ずつ。計6人。

 チーム分けの方法は指名制。胡桃から1人指名し、次は京子、と交互に1人ずつ指名していった。

 胡桃は得点力の高い、部長の山内真梨や2年の稲川梨花を指名した。

 1年生5人だけを見ていればいい京子と違い、9人全員のプレーの特徴を把握しなければならなかった胡桃は、たった1ヶ月でちゃんと一人一人の能力を見極めている。及第点だ。


「ケイ、このメンバーであのチームに勝てるの?」

 詩音が足のストレッチをしながら聞いた。

 赤チームは単独でも点の取れる決定力に長けたプレイヤーばかりだ。

 一方、白チームは攻撃力よりも防御力に長けたプレイヤーが集まった。


「ん?私、勝つつもりなんてこれっぽっちも無いよ」

 京子はお手製の戦略ボードに紅白のマグネットを置きながら言った。

「なんで⁉︎あの生意気な1年に一泡吹かせてやるんじゃないの⁉︎」

 この1ヶ月間、横柄な態度の胡桃と負けず嫌いの詩音の間でも、度々衝突があった。詩音は、なんとしてでも胡桃をギャフンと言わせたいらしい。

「まぁまぁ。「損して得取れ」って言うじゃない。元を辿れば今回のこのいざこざの原因って、「胡桃クミは、自分とポジション被る畠山京子が気に入らない」ってだけなんだからさ。畠山京子を認めさせるプレーを私がすればいいだけなんだよ。申し訳ないけど、みんな付き合って」

 詩音は京子に何か言い返そうとして口を開けたが、すぐに閉じた。

「……なんか戦略があるんだね?」

「もちろん。私、何手も先を読む囲碁棋士だよ。軽はずみな手は打たない」

「わかったよ。ケイにまかせる」



 ホイッスルが鳴った。

 今回、審判とスコアラーを務めるのは高等部女子バスケ部。中等部の紅白戦のために一肌脱いでくれた。

 ルールは、第3・第4クォーターのみのハーフゲーム。1クォーター8分。インターバル2分。その他ルールは公式に準ずる。



「よし!行こう!」

 白チームのキャプテン、相川雛乃ことヒナは円陣を組みメンバーに檄を飛ばす。

 京子はコートに散るメンバーの1人に声をかけた。

「レイ先輩、お願いします」

 高校生助っ人枠で白チームに入ったポイントガード、レイこと3年生の矢島玲衣鈴れいりは京子をひと睨みする。

「ったく、面倒を押し付けて。この借りは大きいわよ」

 京子は笑って手を振った。京子はベンチスタートだ。

 それに気づいた胡桃が案の定、京子に噛み付いてくる。

「ちょっ⁉︎ケイ先輩!スターティングメンバーじゃないんですか⁉︎私との勝負、忘れたんですか⁉︎逃げる気なの?」

「私「勝負する」なんて一言も言ってないよ。「白黒つける」とは言ったけど」

 胡桃は一瞬戸惑った表情をした。1ヶ月前の記憶を辿っているようだ。

「なっ⁉︎さ、詐欺!」

「詐欺じゃない。私は先発じゃなくて、シックスマン。去年の秋からは人数ギリギリで仕方なく先発メンバーだったけど、本来はゲームを掻き回す役なんだよ」

「えっ⁉︎シックスマン⁉︎」

「そう。だから私の得意のポジションで戦うだけ。クミもそうでしょ?」

 胡桃は何を思い、何を考えたのか。京子はこの表情からは読み取ることが出来なかった。

 胡桃は「チッ」と舌打ちすると、センターサークルへ走っていった。



 ●○●○●○



 第3クォーターは6対5。赤チームリードで終えた。

 試合の流れは超スローペースとなった。赤チームが攻撃を仕掛けようとすると、洋峰学園中等部女子バスケ部一のディフェンス力を持つ白チーム詩音が盤石の守りでブロックする。もしくは玲衣鈴が敵ボールをスティールする。しかし決定力の劣る白チームは肝心の所で点が取れない。

 残り3分の所で京子が玲衣鈴と交代して出てきたが、『手』というほどの事はせず、ただ両チームともボールを回しただけ、というような展開で最初のクォーターを終えた。


 2分間のインターバル。京子は玲衣鈴にタオルを渡しながらこう言った。

「レイ先輩、ありがとうございました。第4クォーターは3分で私が出ます」

「もういいの?」

「はい。充分です」

 京子は赤チームのベンチに目をやる。

 予想通り、赤チームで独り捲し立てているのは胡桃だった。

「なにやってるんですか!あんなに簡単にスティールされて!」

 (よしよし。いい感じに仲間割れしてくれてるな)

 京子が玲衣鈴に頼んでいた、「スローペースに」する作戦は、京子の思った以上に効果が出ている。


 ホイッスルが鳴った。第4クォーターが始まる。赤チームはまともに作戦会議が出来なかったようだ。


 第4クォーター。序盤は両チームとも全く点が入らない。第3クォーターの再生映像を見ているかのようだ。

 玲衣鈴に宣言した通り、3分過ぎた所で京子は交代した。

 京子は軽くジャンプしながらコートに入る。

「やっとお出ましですか」

 胡桃だ。いちいち噛みつかないとコミュニケーションを取れないのだろうか。

「うん。さぁ、始めましょうか。平田胡桃さん」

 京子の目つきが変わった。この1ヶ月間、見たこともない囲碁棋士・畠山京子の目つきに、胡桃はビクッと身を震わせる。

 他のメンバーは、京子のスイッチが入ったのを確認する。


 コートに入ってすぐ、雛乃が京子の耳元でこう囁いた。

「ケイ。あんたの思うようにやっていいよ」

「ありがとうございます。ヒナ先輩」


 再びコートに全員散る。試合は赤チームのボールで再開した。

 京子は胡桃をマークする。

 胡桃はドリブルしながら京子に話しかけてきた。

「やっと私と勝負してくれるんですね」

「だから、勝負じゃなくて、白黒つけるんだって」

 (何が違うってのよ!同じ意味じゃない!)

 胡桃がそう思った瞬間、京子は左手を伸ばしドリブルする胡桃のボールを弾いた。ボールはコート中央に転がったが京子が追いつき、そのままゴールを決めた。

「なっ……!なんでフォローしないのよ!」

 胡桃が喰ってかかった相手は梨花だった。

「はあ?私のポジションからどうやってカバーに入れるのよ!もう頭にきた!今まで黙ってたけど、アンタいい加減にしなさいよ!」

 バスケ部のムードメーカー、梨花がとうとうキレた。梨花も京子と同じく胡桃を辞めさせたくない派で、今まで胡桃の横柄な態度を笑って許してきたが、今の一言で堪忍袋の緒が切れたようだ。

 梨花を自分の味方だと思っていた胡桃は戸惑っている。そしてあろうことか、京子に救いの手を求めた。しかし、変わらず横柄な態度で。

「ちょっと、ケイ先輩。リカ先輩と同い年でしょ?黙って見てないで、この人なんとかして下さいよ」

 (なにこの頼み方)

 この場にいた全員の心の声だ。

 胡桃を辞めさせたくない派の京子はどうするのか、全員京子の動向を見守る。


「なんで敵チームの喧嘩の仲裁をしなきゃならないのよ。自分達でなんとかしなさい」

 至極当然の答えだ。

 胡桃は振り返って、赤チームのメンバー、一人一人の表情を窺う。

 誰も胡桃を庇う者はいない。胡桃に意見する者も誰もいない。

 胡桃はやっと、自分は部内で孤立しているんだと気づいた。


 中等部の事情を聞いている審判が、気を利かせて時計を止めてくれた。


 囲碁棋士特有の雰囲気を醸し出していた京子は緊張を解いて、胡桃に話しかけた。

「こういう時はキャプテンが仲裁するもんだけどね。あなたはキャプテンからも信頼されていないみたいだね。なんでだと思う?」

 胡桃はハッとして一瞬目を伏せたが、すぐ顔を上げた。

「……私が自分勝手だから……。でも!」

「クミが必死なのは、大会でいい成績を残したいから、なんだよね。でもいざ入部してみたら、練習時間は短いわ、練習に出てこない先輩もいるわ。失望したんだよね」

 胡桃はコクンと頷いて答えた。


 洋峰学園では、朝練を認めていない。睡眠時間を充分取るよう指導している。居残り練習も認めていない。勉学も大切だからだ。

 大切な時期に当たる成長期を、でその先の人生を滅茶苦茶にしてはいけない。

 『学校という名の大人の責任だ』とは洋峰学園理事長・大川慶一郎の言葉だ。


 胡桃は涙を浮かべていた。でも泣かないように、涙をこぼさないように、必死に堪えている。

 根性がある、と京子は思った。泣いて喚き散らして、自分の思い通りにいかないと癇癪を起こす子だと思っていた。でも違った。

 胡桃の『一生懸命』の形は、方向性が歪んでしまっただけだ。

 なら矯正すればいい。

「クミ」

 京子は胡桃を部活の時に呼び合う愛称で呼んだ。

「ここにいるみんなも試合で負けたいなんて、これっぽっちも思ってないよ。練習だって集中して手を抜かずに一生懸命やってる。
 ただ、ウチの学校は『ダラダラと長いだけの練習をするより、短時間で効率よく練習』をモットーにしてるんだよ」

 京子は安井コーチに目配せした。

 察した安井は胡桃にこう言った。

「長時間の練習は疲れが溜まり集中力が維持できなくて、怪我をしやすくなる。適度に休憩を挟むのも大切だ。
 それに必要以上の運動は、身体の成長の妨げになる。テスト前、部活禁止になるだろ?あれは適度に体を休めて成長を促す為でもあるんだ」

「ええっ⁉︎それ、本当ですか⁉︎」

 胡桃は心底驚いたようだ。

「嘘ついてどうする。まぁ、人によって適度な運動量も変わるが、団体生活をする上では、ある程度は妥協しないとな。どうだ。理解できたか?」

 これで理解できなければ、他の方法を考えるしかない。でも、京子が思うに胡桃は莫迦ではない。胡桃は素直に受け入れられるか、受け入れられないか。

「……それでもやっぱり納得できません。オリンピックに出場するレベルの選手なんて、一日中練習するって聞いたし」

(学校の部活でオリンピックを引き合いに出しやがったよ!コイツ!)

 全員唖然としている。

 しかし京子は胡桃のこの反応を見逃さなかった。

 誰とも目を合わさないよう外方を向いて少し頬を紅潮させている。

(うーん。理解はしたけど、素直に認めたくないって感じかな?)

 ここまで頑固だとこの先、生きづらくなるだろう。今はそんな世の中だ。

(なら、これだけはやりたくなかったけど、勝負手を打つか……)



 試合が再開された。

 詩音は5秒ルールと24秒ルールを使い、赤チームを翻弄する。痺れを切らした赤チームは功を急いで速攻を仕掛けるが、それでもディフェンス力の優る白チームを抜けない。

 スコアは13対10。赤チームリード。

 残り時間は10秒を切った。見学していた高等部女子バスケ部部員が一斉にカウントダウンを始めた。

『10!9!8!』

 今、ボールをコントロールしているのは京子のいる白チームだ。

 京子はボールを持っている白チームキャプテンの相川雛乃に指示を出す。

「ヒナ!戻して!」

 雛乃は京子にボールをパスする。

 しかしギャラリーから「あっ!」と悲鳴に似たどよめきが起こる。

 パスカットしようと手を伸ばした胡桃の手が、僅かにボールに触れたのだ。

 しかしボールはほんの少し軌道を変えただけで、京子は体勢を崩しながらもボールをキャッチした。センターサークルより1mほど自ゴール寄りの、スコアラーズテーブルの真ん前の位置だ。

『3!2!1!』

 残り時間は無い。雛乃と詩音が叫んだ。

「「ケイ!行け‼︎」」

 京子は体勢を整えるとゴールリンクの方を向き、左手だけでボールを持った。そして野球のボールを投げるフォームで550gあるバスケットボールをゴールリングめがけて投げ飛ばした。

「「えっ⁉︎」」

 驚きの声を上げたのは、ミニバス経験者の2人の1年生だ。

 バスケットボールは大きくて重い。ただでさえ重いボールを、大きさがさらに重い体感を与える。バスケットボールをよく知る人間は片手でバスケットボールを投げようだなんて考えない。重心が定まらないので、コントロールが効かない。

 そのバスケットボールをほぼセンターサークルから投げるがいる。

 胡桃を含む、ミニバス経験者の1年生二人は、呆けた顔でボールの行方を見つめる。

 京子のこのを知ってる2~3年生と高校生は、綺麗な弧を描くボールの軌道を見て溜息を吐く。

 ガタン!と爆音を立ててボールはゴールリングに入った。ここで試合終了のホイッスルが鳴った。

 13対13。延長戦はやらないので同点だ。


「………え?」

 今のプレイを見て、胡桃は呆然としている。

(お?効いたかな?)

 京子は胡桃が次にどんな反応をするか、注意深く観察する。

「……え?左手で?先輩、左手利き?」

(気になったの、そこかーい!)

 でも悪い反応ではない。

「正確に言えば左手利きかな。右でも字は書けるから、両手利き?」

 京子は胡桃の質問にこう答えたが、胡桃はそれきりボーっとゴールリングを眺めていた。



 ●○●○●○



 京子の作戦は成功したと言えた。

 失敗した部分は……。


「ケイ先輩、おはようございます!」
「ケイ先輩、こんにちは!」
「ケイ先輩、お疲れ様です!」
「ケイ先輩、タオルとドリンクです!」

 始終世話焼き女房のように京子に付き纏うようになってしまった。


「なんだか、シャーシャー威嚇してた猫が懐いた感じ?」

 胡桃の変わりようにバスケ部部員は、「やっと平穏な日々が送れる」と安堵する者あり、「あそこまで変わるとちょっと……」と引く者あり、「ケイ、あんなにべったりされてウザくないの?」と心配されたりと、様々だ。

 しかし当の京子はというと、

「胡桃が脳筋でよかったわー。力を見せつければコロッと態度を豹変させるからね。扱いやすいよね。脳筋」

 と、いかにも「自分、デキる人間なんで」感を出していた。

 が。部員全員知っている。

 あの後、京子は左肩を押さえて痩せ我慢して、試合後の練習に参加した事を———。
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