GIVEN〜与えられた者〜

菅田刈乃

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布石編

職場の先輩

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 対局で見かける度にいつも思う。

 なんであの子、いつもつんつるてんのトレーナーにジーンズなんだろう、と。


 数ヶ月前、この子が昭和中期を思わせるスウェードの赤いワンピースを着た写真が囲碁棋士の間で拡散された。

 でも、中学生ながらモデルのようにスタイルがいいせいか妙に似合っていて、古臭さが一周回って現在流行の兆しを見せる感のある写真だった。

 しかし私としては、こんなにスタイルのいい子があんな大昔に流行した服を着てるなんて、勿体ないと思う。

 私があんなにスタイル良かったら、あんな服とかこんな服とか着るのに。本当に勿体ない!


 そして今日、この服装だ。

 ゴールデンウィーク最終日。囲碁普及のイベントで群馬県高崎市に来たのだが、何を基準にしてあの服を選んだのか想像がつかない。

 指導碁を行うのでそれなりの服装でと通達しておいたのだが、どう見ても洋服の◯山のリクルートスーツだ。

 リクルートスーツに結論が行き着いた理由は何?

 師匠や兄弟子さん達に相談しなかったの?三嶋くんとか、結構オシャレだよね。江田さんだっていつも仕立ての良いスーツ着てるし。

 もしかして兄弟子に相談できないような環境なの?


「あのー、長沢さん。どうかしましたか?」

 イベントが始まる前の控え室。

 じっと眺めていた長身の美少女の顔が突然目の前に現れて、長沢かえで二段は思わず身を引いた。

「……っ、ごめん!畠山さんのその服、どこで買ったのかなって思って……」

 咄嗟に適当な言い訳を考えたが、何も浮かばない。結局自分が思ったことを素直に口に出してしまった。

「ああこれ。洋服の◯山ですよ」

 やっぱり。

「自分で買ったの?」

「はい。ちょうどセールやってたんで」

 それは知らなかった。

「いつも自分で服、選んでるの?」

「はい、そうですよ。……あ!私のあの赤いワンピース、長沢さんも見ましたか?」

 私、そんなに分かりやすく顔に出てたかな?気取られないようにしてたのに、勘がいいなぁ、この子。

 それより。あの写真が棋士の間でバズったの、本人も知ってるんだ。でも、ちょっとドヤってるのが気にかかる。

「あー……うん。あの服、どこで見つけたのかな~って思いながら見てた」

「あれは古着屋さんです」

 だろうなぁ。古着屋さんでないと、もうあんなワンピース、手に入らないだろうなぁ。

「畠山さん、もしかして対局の時に着てる服も古着屋さんで買ったの?」

「はい、そうですよ」

「古着じゃない、新しい服は買わないの?」

「ええ。そんな金があったら、他に金を回したいので」

 この位の年の子が身だしなみにお金を使わず、何に使うっていうの?


「もしかして畠山さん、服とかに興味ない人?」

 私達の会話に入り込んできたのは、若手棋士の姉御的存在の東原ひがしはら沙羅さら三段だ。三十代だが、二十歳と言われても充分通用するくらい若い。とても二児の母とは思えない。

「あー、そうですね。服はいつも母が選んでくれたので、自分で選んだことないので……」

 それだ。親が自分で全部やっちゃって、子供に学習させる時間を与えなかったために、一人では何にも出来なくなっちゃったやつ。

「じゃあ、お金が無くて仕方なく古着を買ってるわけじゃないのね?」

「はい。服選ぶの面倒臭くって。服は着てればいいかなって」

 面倒臭いって、どこら辺が⁇

 服は着てればいいって、原始人?

 こんなに可愛いのに!こんなにスタイルいいのに!何着ても似合うと思うのに‼︎服に興味がない⁉︎


「じゃあさ。私に畠山さんの服を選ばせてくれない?買ってあげるから!」

「えっ⁉︎買っ……?でも……」

「私、子供が2人いるんだけど、どっちも男の子なのよ。可愛い女の子の服、自分で選んで着せてみたいのよね~!」

 沙羅さん!グッジョブ‼︎よくぞ言ってくれました!

「わかる~!沙羅さん!それ、私も乗っかっていい?私も畠山さんに、あんな服とかこんな服とか着せてみたいと思ってたの!私もこんな可愛い妹がいたら、あんなのとか、こんなのとか着せるのにーって、ずっと思ってて!」

「楓ちゃんも⁉︎畠山さん、スタイルいいから、どんな服でも似合うと思うんだよね~」

「そう!」

 二人は当の本人、畠山京子をほったらかしにして、あの店がいいとかこの店もいいとか言い始めた。


(あ。これ、話が長くなるやつで、あんまり関わらない方がいいやつだ)

 こうなった時の女の会話ほど、京子は無駄だと思うものはない。ダラダラ話した挙句、結局結論に至らないから、なんの解決にもならない女同士の会話が、京子はこの世で一番苦手だ。

(そろそろイベント始まるって、係の人呼びに来ないかな)

 京子はドアの方をチラチラと見る。

 しかし来て欲しい時には来ないのが、人の世の常である。

 こっそりと控え室を出ようと、そーっと立ち上がった京子は、楓に腕を掴まれた。

「ね。京子ちゃん、いつ行く?」

 許可してないのに名前呼びで「ちゃん」付けになってるし。おまけに日取りの話になってるし。

 とにかく断ろう。角を立たないように。

「土日も部活があるんで……」

「じゃあ部活終わってからは?」

 沙羅は京子からOKの返事をもらえるていで話を進める。

「「ね。遠慮しなくていいから!」」

 グイグイくるな。この二人。

 遠慮なんてしてないんですけどねー。

 のんびり服を選んでる暇があったら、『どこでもドア』を作るための勉強したいだけなんだけど、こういうタイプの人達には通じないんだよなぁ……。

 うん。なんとしてでも断ろう。

「遠慮とかじゃなくて、私まだ身長伸びてるから、折角買って頂いても、すぐに着れなくなると思……」

「着れなくなったら、売ればいいのよ!そしたらまた買ってあげるから!」

 そうきたか!しかも一回買い物に付き合えば満足、とはならないらしい。沙羅の女の子服を買ってやりたいストレスはマックスのようだ。

 これは頑張って断らないと!気が済むまで延々と何度も付き合わされる!

「でも、せっかく買って頂いた物を売るのは……」

「私達がいいって言ってるんだから、気にしないで売って!じゃないと私、立花くんに女の子の服を着せてしまいそう……。プロになりたての頃の立花くん、女の子みたいに超可愛くて、ドレス着せてみたいって思っちゃった……」

「あー!わかるぅー!立花くん、カワイイ系男子だから、フリルのワンピースとか似合いそう~」

 だったらあのチビメガネに着せればいいのに。あいつのせいで私に飛び火したじゃんか!(その頃、立花富岳はイベントで岩手にいて、派手にくしゃみをした)

 おっと。あくまで波風立てないように。穏便に断る、だ。

「あーいいですねー。私も立花さんの女装、見てみたいかもー」

「京子ちゃん、なに言い出すの!それはセクハラよ!」

「そうだよ!モラハラだよ!」

 え?無理矢理買い物に付き合わされる私にはモラハラは適用されないの?

「じゃあ、次の日曜日。渋谷に集合ね」

 沙羅が勝手に一方的に日取りを決めた。楓はパチパチと手を叩いている。

(もう、こうなったしょうがない。職場の付き合いだと思って、一回だけは付き合うとするかぁ……)

 京子は青春時代という短く貴重な時間のうちの丸一日を無駄に過ごす覚悟を決めた。



 ●○●○●○



「沙羅さん、見てこれ!可愛い~!」

「いい!絶対似合う~!」

「「京子ちゃん、これ試着してみて」」

 五月晴れの日曜日の午後、京子は着せ替え人形のように色んな服を試着させられていた。しかも京子の趣味とはかけ離れたものばかりを。

 京子は動き易さ重視。ブラウスよりTシャツ、スカートよりパンツの方がいい。通学用の靴も、みんなローファーを履いているが、京子はスニーカーだ。

 だから今試着させられそうになっているピンク色でリボンとフリルのたくさん付いた踝まで隠れるような丈の長いヒラヒラでフワフワな動きにくいスカートなんて、もってのほかだ。

「あのー、東原さん。私、スカートよりズボンの方が好きなんですけど……」

「大丈夫よ京子ちゃん!これ、絶対似合うから!」

 (似合う似合わないじゃなくてね)

「それにズボンじゃなくてパンツね」

 (その辺、どうでもいい)

 京子は意を決して二人に自分の好みを伝えたのだが、予想通り却下されてしまった。

(もうこれ絶対、私の話聞いてもらえないやつだ)

 もう嫌だ。服着て脱いでまた着て脱いで。違う店に行ってまた服を着せられ脱いで。何回繰り返しただろう。

(なんで服を着替えるだけでこんなに疲れるんだろう?)

 バスケで体を鍛えているから筋肉疲労とは考えにくい。精神的なものか。

 それにしても時間の進み方がおかしい。店から店への移動で、カフェを見つけるたびに寄って30分は駄弁ってるのに、まだ1時間半しか経っていない。

(どうなってるの?女が買い物してる時の時間の進み方、おかしくない?なんか時空のねじれでも……)

「……あ!」

 アリだな、この考え!

 京子はバッグパックからノートとシャーペンを取り出し、速記で書き込んでいった。

「……京子ちゃん、こんな時ぐらい勉強やめない?」

「やめないです。ちょっと待ってて下さい。すぐに終わるので」

(こんな発見もあるなら、たまには無駄に時間を過ごすのも悪くないかも)



 ●○●○●○



「どう?京子ちゃん。美味しい?」

ふぁいはいふぉってふぉほいひいふぇふとってもおいしいです

 (これだけお腹空けばなんでも美味しいわい)

「落ち着いて。口の中のもの、飲み込んでから喋って」

 ちょっと早めの夕食。肉が食べたいという京子の提案で、焼肉屋に来た。二人の奢りだ。服の好みの提案は通らなかったけど、食べ物は好みの物を食べられて、京子の中ではプラマイゼロになった。

「いい食べっぷりねぇ。私もこれくらい食べれるんじゃないかって勘違いしちゃいそう」

 京子はすでに3皿を空にしていた。

「すっごい美味しそうに食べてくれるから、奢りがいがあるわぁ」

 楓の独り言に沙羅がうんうんと頷く。

「うふふ。嬉しいなぁ。京子ちゃんと食事できて」

 沙羅は時々肉を焼く手を止めながら、京子が肉を貪り食う姿を目を細めて眺めていた。その様子が京子は少し気にかかった。

「私がどうかしましたか?」

「あー、うん……。どうしようかな……。ええい!もう言っちゃえ!あのね、私、京子ちゃんのお父さん、畠山亮司さんに憧れてたの」

「ああ……。そうでしたか」

 京子は全く興味のない返事をして、肉を網の上に乗せた。

「そういえば東原さんは私が出場した『こども囲碁大会』の決勝で、司会と大盤解説の聞き手をやってらっしゃいましたよね」

「嬉しい!覚えててくれたの?」

「どういう経緯で父と知り合ったんですか?」

「知り合いって訳じゃないの。京子ちゃんのお父さんは若い頃、アマチュア棋戦を全制覇するほど強かったのよぉ~!」

「たしか伝説の『最強アマチュア』でしたっけ?私、人伝に聞いたことがある程度ですけど」

 その頃、楓はまだ囲碁すら始めていない年齢だ。

「そう。めちゃくちゃカッコ良かったんだから!三々からの大ゲイマガカリで横峯さんを下した時の碁!今思い出してもドキドキするわ」

 亮司の容姿ではなく、碁をカッコいいというあたり、実に囲碁棋士らしい。

「え⁉︎なにその碁。棋譜残ってますか?」

 楓はスマホを取り出して、二人して検索にヒットした棋譜を眺めながら生娘のようにキャッキャとはしゃぎ始めた。

「ねぇ、京子ちゃん。お父さんはお元気?」

 京子はひっくり返そうとした肉を網の上に落とした。

「……そうですね。お二人には話しておいたほうがいいかもしれません」



 ●○●○●○



 翌週の対局日。京子は楓から買ってもらったヒラヒラの服を着て日本棋院にやってきた。今日は楓も対局でいる。

(とにかく本人がいる前で、一回でも着てるところを見せれば満足してもらえるだろ)

 という魂胆だ。

 普段の京子の服装を知ってる棋士らがざわめいてる。

「京子ちゃん。今日は可愛い格好してるね」

 京子に話しかけてきたのは、槇原美樹だった。

「これ、長沢さんに買っていただいたんです」

「えー?なにそれ。京子ちゃんに服選ぶなんて、楽しそう!」

「じゃあ美樹も今度行く?」

 楓が「おはよう」も言わずにひょっこりと顔を出しだ。

「楓ちゃん!なんで私も誘ってくれなかったのー?」

「ごめん。今度は一緒に行こうね」

(え?人数増えた?)

 これで2人が満足すれば、もう買い物に誘わないだろうと思ったのに。思惑が外れた。最悪だ。



 しかし京子はこの後、考えを改めることになる。

 季節外れの真夏日となったこの日。暑がりの棋士がクーラーの設定を最低にまで下げ冷房をガンガンに効かせ、対局場は真冬の寒さとなった。だが楓の買ってくれたスカートは、ふんわりとさせるための生地が何重も重ねられており膝掛けのような役割を果たし、快適に過ごせたのだった。

(違う世界の扉を開くって、こういうことかな?)

 付き合いは大事だと、身をもって学習した京子だった。
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