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布石編

弁護士 新井雅美の憂鬱

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「……はい、承知しました。では早速書類を作成しまして、出来次第ご連絡致します。では失礼します」

 新井雅美はスマホの受話器マークをタップし通話を終了させ机の上にスマホを放り投げ、自分以外誰もいない部屋で大声を張り上げ机に突っ伏した。

「なんなのよ、あの子~~~!」

 とんでもない子と関わってしまった。


 事の発端は、大学時代の先輩から「ちょっと面白い子がいるから面倒みてやってくれない?」という電話だった。

 後から聞いた話だが、先輩が先見性を養うために始めた囲碁で、プロから指導を受けている時に知り合った子だそうだ。

 先輩にはこの事務所を立ち上げるのに色々アドバイスを貰った。お世話になった先輩からの頼みは断れない。それに私には断れない理由がもうひとつあった。

 事務所を立ち上げて半年経ったのに依頼が一件も来ない。

 ネットに広告を載せたり、SNSで呼びかけたり、仕事系マッチングアプリなどを駆使しても、それでも依頼が来ない。

 おそらく私が女で、まだ若くて、実績が無いという点が敬遠されているのだと自己分析している。

(このままだと預金が底をつく!)

 こんな理由から私にはこの依頼を断るという選択肢は無かった。

 ただ先輩から電話をもらった時、「雅美、空手やってたよね?」とか「寒い所だから暖かくして行ってね」とか、仕事の内容とは関係ない情報ばかり渡された。どんな依頼内容なのかと聞いても、「当日本人から直接聞いて」としか返ってこない。依頼人の事を詳しく聞こうとしても「あなたの事務所のホームページ教えたから、彼女の指示に従って」と言われる始末(この時点でやっと依頼人は女性だと知る)。

 その時になぜ「これはおかしい」と気づかなかったんだろう。

 詐欺の手口によく似ている、と。


 成人の日、待ち合わせの上野駅『パンダの像』前には、アイドルかと思わせる美少女がいた。そのアイドルのような美少女は初対面の私を一目見るなり駆け寄って、

「新井先生、おはようございます!今日はよろしくお願いします!」

 と、まるで面識があるかのように挨拶してきた(ここで初めて私の依頼人は中学生だと知る)。それから続けて、

「ところで腕っ節に自信ありますか?」

 だった。そんな事を尋ねられた時点で、すぐ断って帰ればよかった。

 その後「詳細は新幹線の車内で話しますから」と訳もわからぬまま真っ赤な車体の新幹線に乗せられ『畠山京子50年計画』と書かれたノートを見せられ「おそらくこの方ご両親と同居されていると思うので家人との挨拶はお願いします」と丸投げされて「でもお目当ての人物に会ったら一切喋らず黙って見てて下さいね」と念を押され肩まで雪の積もる秋田に連れて行かれタクシーに乗せられ依頼人さえも見ず知らずの男の家に上がり込んで大声張り上げて有無を言わさず部屋に入り込んでしかもその男がハッカー『アラクネ』で!

 誰かに話したい!

 思いっきり「ハッカー『アラクネ』に会った」と言いたい!

 童話みたいに地面に穴を掘って叫んじゃおうかな。誰にも掘り起こされないように山奥にでも行って。

 でも世間は空前のキャンプブーム。どこで誰が聞いているかわからない。

「守秘義務が~~~!私の信用が~!」

 机に突っ伏したままドンドンと机を叩く。

「随分元気ね。面白い依頼でもあった?」

 玄関のインターホンを鳴らさずドアすらノックせず、先輩こと村上陽菜ひなが部屋に入り込んでいた。

「ひいっ⁉︎」

 思わずオバケにでも出会したような、素っ頓狂な悲鳴をあげてしまった。

「ちょっと何よ?人を妖怪か何かみたいに」

 もうこの人は妖怪でいいと思う。

 何かあった時のためにこの事務所の合鍵を渡しているのだが、いつも足音さえ立てずにこの事務所に入り込んでくる。

 雅美は胸を押さえて呼吸を整えた。

「先輩、いつもノックぐらいしてと言ってるじゃないですか」

 去年、男の子を出産してまだ体型が元に戻らず、ふくよかになった身体を村上は揺らす。

「してるわよ。でもいつもタイミングが悪いのよねぇ。今だって「守秘義務がー」とか喚いて机を叩いていたじゃない」

 雅美は思わず口を押さえた。

(あっぶな!『アラクネ』って言わなくて良かったー!)

「それより優斗くんは?」

 村上の子供の名前だ。

「今日は旦那が見てくれてるわ」

 村上は夫婦で弁護士をしている。


「で、どうだった?秋田は」

 村上は勝手にキッチンに入り、冷蔵庫から水のペットボトルを取り出し電気ケトルに水を入れスイッチをつけた。いつものように、雅美に許可を取らず勝手に紅茶を淹れる。

「寒いの一言です。それより先輩、とんでもない子を紹介してくれたなって」

「ふふ。やりがいがあるでしょ?雅美、顧問弁護士になりたいって言ってたじゃい。いい予行練習になるんじゃない?」

 ええ、言いましたよ。だってカッコいいじゃない。顧問弁護士。

 それが!なんで?この私があんな小娘にコキ使われてるの?

 大学を主席合格、大学在学中に司法試験に合格、主席で卒業。わずか25歳で事務所を構える。絵に描いたようなエリートコースを突っ走っていた、私が!

 私は大企業の顧問をやりたいのであって、小娘の小間使いにされるために弁護士になったんじゃないのに!

 ……と、言ってやりたい!けど、恩のある先輩には口が裂けても言えない。

「まさか中学生から依頼されるとは夢にも思いませんでしたけど」

「あら、何か不満なの?秋田から帰ってきた後、あの子について何も調べてないの?」

 そんな訳はない。ちゃんと調べた。

 あの子の情報は日本棋院のホームページ以外からも出てきた。

 あの子の地元、秋田の地方紙『あきた轟新聞』。小学2年生の時、夏休みの自由研究で『県知事賞』を取った記事。それからバスケで小学4年生ながらポイントガード司令塔としてチームを全国優勝に導いた記事。

 それとアプリだ。『学習』の項目から出るわ出るわ、『kyoko_hatakeyama』の作成したアプリが!

『秋田犬にもわかるシリーズ』と称した学習アプリ。

『漢字の書き順を覚える』
『しゃべって覚える九九』
『クイズで覚える理科実験』
『マンガの吹き出しを埋める歴史』
『小学生の英会話』

 などなど。どれもダウンロード数は万を超えている。しかも古いものだと6年ほど前。つまり小学生になった頃から小遣い稼ぎしていたわけだ(たぶん稼いだ金額は小学生の小遣いレベルじゃないだろうけど)。

 囲碁棋士になったばかりなのに、万単位で金を使うから、囲碁棋士ってそんなに儲かるのかと思っていたら、副業(どっちが副業?)でも稼いでいたとは!

 あの年齢にしてもう実業家なのだ。畠山京子は。


 キッチンで2人分の紅茶を淹れていた村上は、ソーサーに乗せたティーカップを運んできて1つを雅美の前に置いた。村上は早速自分の紅茶に口をつけ来客用のソファに腰掛けた。

「先行投資だと思えば、こんなにいい物件、なかなか見つからないわよぉ~!」

 物件とは畠山京子の事だろう。まだ中学生の将来性豊かな子供を育ててみろと言いたいらしい。でも。

「どっちが投資してる側なんですかね。私?彼女?」

 先日の秋田行き。同行しただけなのに気前よく30万円ポンと現金で渡された。しかも渡されたのは30万円だけじゃない。「前金です。また何かあったらよろしくお願いします」と70万円、計100万円、この事務所に置いていった。

 来月からこの事務所の家賃、どうやって捻出しようと追い詰められていた私には渡りに舟の金だった。

 「100万はもらい過ぎです」と突き返せず素直に受け取り、全額事務所の当面の家賃や生活費に消えていった。

 誰の目から見ても投資されているのは私の方だろう。でもエリートコースを突っ走っていた私のプライドが許さない。

 でも金がない。仕事がない。背に腹はかえられない。小娘からの依頼を受けるしかない。ジレンマで机を叩いてストレス発散すれば先輩に見つかる始末。


「雅美。何が不満なのよ。こんなに金払いのいい依頼人、そうそう見つからないわよ」

「なんで金払いがいいって知ってるんですか⁉︎」

 小娘が100万円置いていったのは、先輩にも話していないのに。

「だって、紅茶の茶葉のランクが戻ってたから」

 と言って村上はティーカップを持ち上げ紅茶の香りを楽しんでから一口飲み込んだ。

 目敏い。そんな所まで見てるんだ、先輩。ついこの前まで金が無く100円ショップでも手に入るティーバッグの紅茶を紙パックから出して使っていたのがバレている。

「雅美だって知ってるでしょ?一代で財を成したあの松下幸之助だって本田宗一郎だって、出発点は小さな個人商店よ」

 まるであの小娘が将来大企業の取締役にでもなるかのような言い方だ。

「でも……」

「じゃあ、畠山先生からの依頼を蹴る?」

「先輩、あの子のこと「先生」なんて呼んでるんですか?」

「そりゃそうよ。囲碁の先生だもの」

 中学生にして弁護士から先生と呼ばれる世界。囲碁界、どうなってるの?常識が通用しない。


 ああ!もう、考えるのを放棄したい!

 どこか温泉にでも行って何も考えずに湯船に浮いていたい!


「何の役にも立たないプライドなんて、さっさと捨てなさいよ。仕事にしても、恋愛にしても。たまには勘に任せて、なりふり構わず突っ走ってみたらどう?」

 それが出来たらどんなに気が楽か!

 言い換えればそれが出来ない性格だから、こうなっている。

 慎重派で、神経質で、プライドが高くて。妥協できない、他人任せにしたくない、完璧主義。

 石橋を叩いて渡る、なんてもんじゃない。他人が作った石橋なんか渡れない。自分で作った石橋じゃないと安心して渡れない性格だ。

 こんな性格の自分が大好きならいいんだけど、私はこんな自分が嫌いだ。自分で自分を面倒臭い奴だと思ってる。


 村上は紅茶を飲み干し、音を立てないようそっとティーカップをテーブルに置いた。

「とにかくさ、雅美にはまだ弁護士としての実績と呼べるようなものが無いんだから、小さな依頼からコツコツとこなしていきなさいよ。いきなり大企業の顧問なんかやってミスでもしたら大変よ。取り返しがつかなくなる」

 結局「実績」に辿り着くのか。

 大学主席卒業なんて肩書き、社会に出るとなんの役にも立たないんだな。

「そうですね。早速仕事に取り掛かります」

「あら、依頼が来たの?」

「ええ。畠山さんからですよ」

「おめでとう!雅美の初依頼ね!お祝いしなくちゃ!」

 村上はポンと手を叩いて大袈裟に喜ぶ。なんだか白々しい。

「先輩。畠山さんから依頼が来たのを知ってて今日ここに来たんじゃないんですか?」

「あら、どうしてそう思うの?」

「なんとなく」

「いいわね!その「なんとなく」!雅美にとっては大切よ!」

 しまった。うっかり根拠のないことを口にしてしまった。

 知性を全く感じられない、この「なんとなく」が、私は大嫌いだ。

 後先考えず感情で行動すると、どんなしっぺ返しをくらうか。私の両親がいい反面教師だ。

「あ」

「何?どうかした?」

「あ、いいえ」

 先輩、そういえばさっき、まだ畠山さんから依頼があったと言ってないのに、「顧問弁護士が」どうのとか「畠山先生からの依頼を蹴る?」とか言ってたな。やっぱり先輩、知ってて今日ここに来たんだ。

 まぁ、いっか。先輩は私を心配して、子供を置いてわざわざ様子を見に来てくれたんだし。


 村上は「また来るわね」と言って帰っていった。雅美は「今度は優斗くんと来て下さい」と言って見送った。


 雅美はパソコンに向かい、京子から送られてきたメールを開く。

「PDFファイル……。そのままメールで送ってもいいのに……」

 暫くボーっとしてから、一枚一枚文章をチェックしていく。

「……これ、直す所、無いじゃん。私、何のために必要なの?」


 やっぱり投資している側は依頼人の方だと、改めて思った雅美だった。
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