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布石編

瑪瑙戦

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 瑪瑙めのう戦(中国ルール)

 日本、中国、韓国、台湾の18歳までの若手精鋭棋士、各国4人計16人出場。個人戦。

 トーナメント戦。持ち時間なし。一手30秒。ただし一回につき1分、10回の考慮時間あり。

 今日は一回戦と準々決勝が行われ、明日に準決勝と決勝が行われる。


 場所は韓国の首都ソウル市内にあるミシュランで星を獲得した一流ホテル。そのホテルの3階にある、芸能人の記者会見などにも使用される大広間で対局は行われる。



 立花富岳は対局開始時刻ギリギリに3階に着いた。大広間入り口手前のソファ横で、靴を脱ぎ貸衣装の白いワンピースを着て柔軟体操をする畠山京子がいた。

 畠山京子が貸衣装を着ている理由は、昨日の前夜祭に古着屋で買ったという時代遅れの赤いスエードのワンピースを着てきて、日本チームのみんなをドン引きさせたからだ。

 しかも本人は「なんでこれじゃダメなんですか?ドレスコードって言ったじゃないですか」と頓珍漢で、ファッションには全く興味が無いようだ。慌てて棋院職員の小関がホテル側に貸衣装の手配を頼んだのだった。


 その畠山京子が新体操選手かバレリーナのように両足を広げ床にペッタリとくっつけた。そして股割りしたまま今度は上半身を前に倒し床にペッタリと伏せた。

(畠山。身体、柔らかいな。猫みたいだ)

 じゃねぇ。何やってんだ、アイツ。あんなに大股広げて、中が見えるぞ。恥じらいってもんが無いのか?

「おい。スカートの中、見えるぞ。やめろよ」

 富岳は京子の背中に向かって声をかける。京子は股割りしたまま上半身を後ろに逸らした。逆さまの京子の顔を見て、富岳は京子の予想外の身体の動きにビクッと飛び退いた。

(体を捻じるとかじゃないのかよ。そんなに自分の体の柔らかさをアピールしたいのか?コイツ)

「ああ。立花さんでしたか。おはようございます」

 なんだよ、その残念そうな顔と声は。

「安心して下さい。履いてますよ」

 と言って京子は逆立ちを始めた。ワンピースの裾がはらりと落ち、京子の顔を隠す変わりに白い脚が丸出しになる。中にスポーツ用の短パンを履いていた。

(色気が無ぇ)

 そもそもコイツに色気なんて求めて無いけど。

「見せるんじゃねぇよ。この痴女が」

 すると今度は逆立ちから前後に180度開脚し綺麗なブリッジをして体操選手が床の競技で披露するように両手を広げて真っ直ぐ立った。

「立花さんのスーツ姿、似合ってますね。七五三みたいで」

 『痴女』に腹を立てたのか、京子は嫌味を言ってやり返す。

 一度持ち上げてから突き落とす。どこ府民だよ。この野郎!……おっと、また畠山相手に騒ぎを起こす所だった。コイツと一緒にいると、どうも血の気が多くなるな。


 昨日の前夜祭。畠山は貸衣装に着替えさせられた後、スポットライトを浴びながらスーパーモデルばりに登場して観客から爆笑され、インタビューで「優勝する」と大口を叩き、一回戦の対戦相手を決めるくじ引きで韓国トップ棋士・李夏準を引き当てさらに失笑されていた。

 しかし本人は客にウケているとでも勘違いしたのか、ずっとヘラヘラと笑っていた。

(目立ちたがり屋なんだろうな。ウゼェ)

「つーか、対局前に何やってんだよ」

 富岳が聞いた。すると京子から想定内の答えと予想外の答えが返ってきた。

「早碁の対局じゃないですか。最長2時間もじっとしてないといけないから今のうちから体をほぐしておこうと思って。早碁、苦手なので」

 コイツがじっとしてられないのは理解できる。根っからの体育会系だ。でも早碁が苦手?翠玉エメラルド戦一次予選で唯一全勝したのに?

 それにコイツ、なんで自分の弱点を自ら喋るんだ?初対局の時もそうだった。「集中力を長時間持続できない」と。

 挑発か?「これだけ自分の弱点を曝け出しても私に勝てないの?」とでも言いたげに。



 小関が大広間から慌てて出てきた。昨夜、畠山の貸衣装を手配して仕事を増やされた棋院職員だ。語学が堪能で、英語、韓国語、中国語は北京語と広東語と、有能ゆえに何かにつけ雑務を押し付けられる気の毒な人だ。

「ああいた!よかった。立花先生、畠山先生、時間です。お席に着いて下さい」

 どうやら小関は時間になっても姿を現さない富岳と京子2人を探しに来たらしい。

「はい!」

 京子はいつものように大きな声で返事すると、靴を履かずに対局場へ入って行こうとした。

「おい!靴!」

 富岳が京子を呼び止める。

「ああっ!忘れてました!絨毯がふかふかで歩き心地が良くて。親切に教えて下さって、ありがとうございます」

 京子は富岳に礼を言うと、自前の黒い靴を履き大広間へ入っていった。

(こういう所は素直なんだよな、畠山は)

 俺もこう素直に礼を……。

「あっ‼︎」

 畠山に昨日の飛行機の中で推理小説の犯人言っちゃったやつ、今、謝れば良かった‼︎

 なんで俺、こういうの、いつもタイミングが悪いんだろうな……。

 富岳は大きく溜息をつくと気持ちを入れ替えるため両手で頬をバチンと叩いて大広間に入って行った。



 ●○●○●○



 大広間はイベントなどが行われる一流ホテルらしく、豪奢なシャンデリアが吊るされている。

 そのシャンデリアの真下にはネット生配信用のカメラがセッティングされ、さらにその下に碁盤が用意されている。

 奥行きのある大広間。左右に4つずつ計8つ並んだテーブルのうち、京子は向かって右側の列の入り口から3番目の自分の名札が置かれたテーブルに着く。

 京子の相手は現在の韓国トップ棋士、夏準ハジュン四段だ。

『ではニギって下さい』

 韓国棋院職員が韓国語で音頭をとる。

 一斉に対局が始まった。



 ●○●○●○



 用意された控え室も広い。さすが一流ホテルだ。

 控え室には全ての対局が映し出されている。2ヶ所、計16台のモニターに映る盤面にいち早く動きがあったのは『李夏準vs畠山京子』戦だった。

「うおっ!京子ちゃん、ホウリコんだ!」

李夏準、ここ荒らされたらキツイぞ!」

「下手したらここの戦いで勝負がつくんじゃないか?」

 控え室にいる日本人棋士が騒ぎ出す。

「強気だな。畠山さんの対局を見るのは初めてだけど、いつもこんな感じなの?」

 瑪瑙戦に同行した池田憲壱八段が川上に聞いた。

「いいえ。イベントの公開対局は後半のヨセ勝負って感じだったけど……」

 あの時は手加減していたんだろうか?全く印象が違う。

 でも、京子ちゃんが読んでいない手を打つのは考えられない。おそらくこのホウリコミ、読み切っている。

『李夏準、喜んでるだろうな』

 隣のテーブルの韓国人棋士が韓国語で言った。他の棋士達もニヤニヤとしている。

『なんで?』

 川上がたまらず聞いた。

『李夏準は畠山京子と打ちたがってた。魔術師・岡本幸浩の唯一の女弟子だからな』

 まだ現役とはいえトップから陥落して久しいのに、未だ岡本幸浩の人気はここ韓国でも衰えない。

 畠山京子は魔術師の弟子というだけで、ターゲットにされてしまったようだ。

 しかしそんな事は畠山京子本人が一番よくわかっているはず。棋士になってからこの一年、散々「魔術師の弟子」と言われ続けてきたから。


「お!李夏準も反撃するぞ!」

「おい!立花くんの所!」

 富岳も動いた。こちらは模様の碁になっており、力比べが続いていた。

「ここでキリか!これはでかい!」

「立花くんも、ワン沐辰ムーチェン相手によくやってるな」

「ああ」

 昨日くじ引きで対戦相手が決まった時、正直今年は誰一人勝ち上がれないかもと、瑪瑙戦に同行した棋士は全員そう思った。

 畠山京子は韓国トップの李夏準だし、立花富岳の相手は中国若手トップの王沐辰。

 美樹も宗介も院生時代に何度か日中韓交流戦をこなしたが、一歩どころか二歩も三歩も足りなかった。

 しかし今日は美樹も宗介もよく戦っている!

「これはひょっとするとひょっとするかもしれないな……」

 池田はモニターを睨みながら独りごちた。
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