GIVEN〜与えられた者〜

菅田刈乃

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布石編

帰国報告

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 京子は部活を終えてから制服のまま日本棋院にやってきた。対局ではない。取材を受けるためだ。

 全面立て替え工事を行い竣工式から1年経った、まだ新築特有の匂いの残る日本棋院東京本院3階にある『小会議室1』と書かれた部屋のドアを京子はノックしてから開けた。

「失礼します!佐藤さん、お久しぶりです。今日はよろしくお願いします!」

 中にいた男はドアが開くと同時に勢いよく立ち上がって礼をした。

「畠山先生、お久しぶりです!こちらこそよろしくお願いします!」

 今日、京子に取材を申し込んだのは京子の地元、秋田の新聞社『あきた轟新聞』の文化部記者・佐藤渉だ。中肉中背。顔立ちは十人並。新聞記者向きだと京子は思う。

 『あきた轟新聞』は京子が秋田にいた頃、家で定期購読していた新聞紙だ(今は電子版を購読している)。馴染みのある新聞社なので断る理由は無い。しかもわざわざ秋田から取材に来てくれたのだ。

 『あきた轟新聞』が京子に取材を申し込むのはこれが初めてではない。

 昨年女流棋士採用特別試験に合格した時、

【28年振りに秋田出身囲碁棋士誕生】

と、一面にカラー写真付きで大きく取り上げてくれた。デビュー前からお世話になっている新聞社であり新聞記者だ。


「もー、佐藤さん!「先生」って呼ぶの、やめて下さいって言ってるじゃないですか!私、中学生ですよ!」

「そうもいきません!取材を受けてくださるんですから!では早速よろしくお願いします!」

 そう言うと佐藤はまた体を直角に折り曲げ頭を下げた。

 とにかく真面目。

 これが京子の佐藤への印象だ。

 佐藤は新卒で入社し、1年目でいきなり京子の番記者になるよう命じられたそうだ。

 その時の初取材は、
「カメラの扱い方がわからない」
「質問のメモを無くす」
「同じ質問を繰り返す」
「撮影した写真を消去する」
などなど。取材対象である京子の方が「この人、この仕事やっていけるんだろうか?」と心配するほど失敗続きでお粗末なものだった。

 それに佐藤はあまりにも真面目すぎるので京子は、失敗を気に病んで「ハゲるんじゃないか?」とか「胃潰瘍で倒れるかも」とか「鬱病になって最悪……」とか考えていたが、無事社会人2年目を迎えられたようだ。


「では『28年振りに誕生した秋田出身囲碁棋士畠山京子の世界戦初挑戦記』と題して取材を始めさせていただきます。まず最初に、初めての韓国はどうでしたか?」

 去年初めて取材を受けた時、京子は中国へ武者修行に行った話をしていた。そこで「いつか韓国にも行ってみたい」と話していたのだ。

「とても楽しかったですよ!……でもその前に、座りませんか?」

 挨拶するために立ったきり、立ちっぱなしで佐藤は話を進めて、京子は座るタイミングをはかっていた。

「ああっ!そうですね!失礼しました!」

 おっちょこちょいで、どこかズレてて、なんだか小動物を思わせる風貌。一流大学卒業の肩書きを持っているのに、全然鼻にかける素振りがない。

 憎めない。かわいい。

 男性は「かわいい」と言われるのを嫌がるそうなので言わないが、京子は心の中で「かわいい」を連呼している。


 韓国の印象から始まった取材は、対局の内容にまで及んだ。

 京子は瑪瑙戦一回戦の棋譜を並べながら話を進める。

 佐藤はアマチュア三段の棋力があるので、少し突っ込んだ話になってもついてきてくれるので遠慮なく囲碁用語を使う。こういう所も記者の中で一番信用している点だ。

「ホウリコミは一か八かの勝負手でした。さすが韓国のトップ棋士と思わせるAIのような読みの碁で、結果このホウリコミが敗着だったと思います」

 京子は棋士プロを相手に検討するかのように、淀みなく佐藤の質問に答えていく。

「師匠から労いの言葉は?」

「岡本先生は「初めての国際棋戦参戦にしては良くやった」と言ってくださいました」

 裏を返せば「お前ならもう少しやれただろう」という意味だ。相手は韓国……いや、世界のトップ棋士だったというのに。

「厳しいですね」

「でも励みになります。今回は一回戦敗退でしたけど、この次こそ優勝できるよう頑張ります!」

 京子は握り拳を作り力強くガッツポーズする。

 畠山先生はくよくよしたり、めそめそしたりすることが無い。いつも明るくて前向きだ。取材しているだけで元気を貰える。自分も仕事のミスぐらい、くよくよせずに頑張ろうと思える。


「では以上です。畠山先生、ありがとうございました」

「はい、ありがとうございました!ところで佐藤さん。最近の秋田、何か変わったことは?」

 京子は『あきた轟新聞』の取材が終わった後、必ずこうして秋田の近況を聞く。電子版の『あきた轟新聞』を購読していても、紙面に載らない小さな出来事は東京に住んでいると聴こえてこないからだ。

「うーん、そうですね……。あ。秋田ふるさと村に新しく子供向けのアトラクションが出来るらしいですよ」

 秋田ふるさと村は道の駅と併設されている、秋田の物産館を兼ねた商業施設だ。

「おおーっ!そうですか!行きたいっ!」

 秋田に興味がない人からしたら大した情報ではないが、京子にとっては佐藤から聞くこの些細な情報があるからこそホームシックにならずに東京でやっていけるのだ。

「畠山先生は年齢的に……」

「わかってますよ。見るだけでも見たいんです!」

 畠山先生は大人びていて気遣いもしっかり出来るのに、こういう所はまだ子供なんだなと思わせる。

 そして佐藤は同時にこう思う。

『ああ。この子は秋田に帰りたいんだな』と。




 ●○●○●○



 京子は佐藤と別れ、また棋院の階段を登っていく。今度は7階の理事長室のドアをノックした。

「失礼します、横峯九段。畠山京子です。お呼びでしょうか」

 洋峰は顔を上げ、パソコン画面からドアの前に立つ京子に視線を移した。

「貴方だけですよ。私を理事長と呼ばないのは」

 横峯弘和はソファを指し、京子に座るよう促す。京子は仏頂面でコートと通学用のバックパックと部活で使っているスポーツバッグをソファに置いてから腰掛けた。

「それは失礼しました。では垂れ目オヤジとお呼びしても構わないでしょうか」

「貴方の忌憚のない発言、嫌いではありませんよ。しかし垂れ目オヤジはいただけませんね」

 タイトル16期。かつて京子の師匠の岡本幸浩や岡本のライバル柴崎真人からタイトルを奪取し、二人を脅かした横峯弘和。そんな泣く子も黙る横峯に遠慮なく軽口をたたくのは、この岡本幸浩の愛弟子だけだ。

「では横峯理事長のいない時だけにしておきます。で、ご用件は?私、明日も学校があるので、さっさと帰りたいんですけど。お腹も空いたし。ていうか、今度からはお弁当を用意しておいて下さい。できれば3人前」

 理事長室にある壁掛け時計はあと2分で午後8時のところを指していた。

「わかりました。ではこの次に」

 イライラの原因は空腹か。横峯はクスッと笑い、デスク右脇にある引き出しからA4サイズのファイルを取り出した。

「このファイルに目を通してください。この中に見覚えのある人物は?あればいつ、どこで、何をしていたか、誰と一緒にいたか、申告して下さい」

 京子は渡されたファイルをめくる。中は全てアジア人の顔写真だった。ネットから拾ってプリントアウトしたのだろうか。画像が粗い。

 いくつか見覚えがある。その見覚えのある顔は全員先日の瑪瑙戦で韓国へ赴いた時に見た顔だ。

「この写真、ファイルから出してもいいですか?」

「ええ、構いません」

 京子は見覚えのある顔写真を何枚か取り出した。

「この方とこの方、瑪瑙戦の前夜祭にも後夜祭にもいらっしゃってました。この方はこの方とこの方と前夜祭だけいらっしゃいました」

 京子は次々と写真を取り出し、まるでトランプの神経衰弱でもしているかのようにペアを作っていく。

「あ。この方とは一日目の対局が終わって夕食後ホテルのロビーで会いました。この方とこの方と3人でした。瑪瑙戦目当てではなく、仕事だったようです」

 次々と写真を取り出していた京子が手を止め、突然吹き出した。思い出し笑いを堪えきれず、体をゆらす。

「この方!秋山さんのお父さんなんですってね!成田空港からずっとこちらを窺ってて、誰なんだろうと思ってたら、後夜祭が行われる直前にホテルのエレベーターホールで秋山さんに捕まってました!息子さんを心配して来てたみたいですよ」

 こう言った後もまだ笑いが止まらない。畠山京子といえども箸が転がるのも可笑しい年頃の女の子だ。

「この方とこの方は仁川空港で見かけました。口の動きから『台北で……』と話していたのはわかりましたけど、それ以上は分かりません。私が覚えているのは以上です」

 京子はファイルから半分ほど写真を取り出していた。テーブルが写真で埋め尽くされている。

「上々です。ありがとうございました」

 横峯は北叟笑むと、京子に渡したファイルを片付けた。

「横峯理事長にお願いがあるのですけど」

 京子は立ち上がりコートを羽織った。

「お願いの内容にもよりますが、なんでしょう」

 横峯は京子がファイルから取り出した写真を束ねてトントンと揃える。

「韓国語、話せないフリをするのはもう無理です。色んな人から「韓国語早く覚えろ」って言われたし」

「そうですね。一回限り使える裏ワザみたいなものですし。次回は使えないでしょうね」

 横峯は束ねた写真13枚をそのまま部屋の隅にあるシュレッダーにかけた。

「それから立花富岳。あの人、邪魔なんですけど」

「はっはっは!小関君から聞いてますよ。推理小説の犯人からあらすじまで、全部喋られたと。その辺は上手くあしらって下さい」

「あしらい方を教えて下さい。教育せずに仕事しろなんて、ブラック企業の無能な上司の台詞ですよ」

 横峯はまた先程A4サイズのファイルを取り出したのと同じ引き出しから、今度は分厚い青いファイルを取り出した。

「今ここで頭に入れて下さい。貴方なら5分も必要ないでしょう」

 辞書ほどの厚みのあるファイルが京子の目の前のテーブルにドサッと置かれた。

 コートを着て帰る準備をした京子は、またソファに座り、置かれたファイルを一枚一枚めくった。視線をページの左上から右下へと流し、まためくるを高速で繰り返す。

 ページを次々めくりながら京子は口を開いた。

「石を動かしたの、横峯理事長ですよね。9月の私の復帰戦」

 京子が暴力騒動を起こした後の復帰戦、深沢紳助二段戦だ。

「おや。今頃そんな質問ですか?てっきり「本当の依頼人は?」と聞かれるのかと思いましたよ」

「答えてくださるんですか?その質問」

 京子は「バン」と派手な音を立ててファイルを閉じた。

「残念ながら」

「ですよね。じゃあついでにもう一つ質問です。この前の原石戦、何しにいらしたんですか?」

「原石達の成長ぶりを見に行っただけですよ。こう見えても理事長なので」

 横峯が質問に正直に答える気がないのは京子は知っていた。ただの間を持たせるための話のネタだ。

「そうですか。では、失礼します」

 京子はまずバックパックを背負いスポーツバッグを襷掛けに担ぐとドアノブに手をかけた。

「畠山初段。先程の石を動かした件の質問にまだ答えてませんが、よろしいんですか?」

「ええ。もうわかりましたから」

 京子は、風圧で部屋の中の綿埃が全部出て行くのではないかという勢いでドアを押し開け、壁掛け時計が揺れるほどの怪力でドアを閉めた。


 横峯はクックッと声を殺して笑う。
 初段と呼ばれたのが相当癇に触ったようだ。

(あれだけの頭脳を持っていても、まだまだ子供か……)

 自分の不愉快な感情を隠さず、物に当たる。子供の証拠だ。石を動かされた時は冷静に対処したのに。気分屋のようだ。これは直していかないと。

(それにしても……)

 事前に情報を渡しておくと、その人物を気にし過ぎて相手に気取られる可能性があるので、何も知らせずに韓国へ行かせた。にも関わらずこれだけの人数の顔を記憶している。桁違いの記憶力だ。


 思わぬところからとんでもない手駒が手に入ったものだ。



 ◇◇◇◇◇



 去年6月、京子が暴力騒動を起こしてすぐ、横峯は京子を呼び出した。

「どうしますか?ネットで叩かれるのは必然ですよ」

「構いません。それだけの事をした自覚がありますし。目障りならクビにするなり何なりして下さい。囲碁棋士という職業に憧れてなった訳ではないので、何の未練もありません」

「……あなたの師匠や兄弟子、棋士を夢見て切磋琢磨している原石達があなたの今の台詞を聞いたら、どう思うでしょうね」

「別にどう思われてもいいです」

 横峯が京子をじっと見つめる。

 京子は横峯を睨み返す。

(ほう。この俺を睨み返す胆力がある子か。それにこれは本当に他人の評価など、どうとも思っていない顔だ。人目を気にする年頃なのに)

 横峯は京子が女流棋士採用試験を申し込んだ時から、どんな娘であるか、依頼主から情報を得ていた。そして「もし可能なら手駒にしたい」と。

 頭脳は申し分ない。性格も俺を睨み返す胆力がある。資質は充分だ。

(またとないチャンスだな)


「あなたはどこでもドアを作りたいそうですね。お金は必要でしょう。発明に必要な施設も技術者も」

 京子のがらんどうな瞳に光が差したのを横峯は見逃さなかった。

「囲碁棋士を続ければ、囲碁を通じて色んな部門の権力者と知り合えるチャンスが生まれますよ。殆どの大企業に囲碁部がありますし、警視庁や弁護士会にもあります。女性で七大棋戦優勝者となれば内閣総理大臣とも対面できる可能性もあります。
 そういう方達とお知り合いになりたければ、指導碁の依頼が来た時に、あなたに優先して仕事を回しましょう」

「……それ、タダではないですよね?」

 先に言われてしまった。大人が創り出した汚い裏の世界があると知っている。この娘、ただ記憶力がいいだけではないようだ。やはり適任だ。ますます欲くなった。

「ええ。そうですね。畠山さん、私の手駒として働きませんか?さすれば私も今回の暴力騒動……いえ、おそらくあなたのことですから、これからもヤンチャなさるでしょう。あなたの不利にならないように融通すると約束しましょう」

 彼女なりに熟考した末、返事したのだろう。しかし実際の時間はほんの数秒で畠山京子はこう返事をした。

「……何をすれば?」



 ◇◇◇◇◇



 あれだけ派手な容姿で、肩書きも派手で、暴力騒動を起こすほど行動も派手。

 そんな派手に振る舞う人間が諜報活動をしているとは誰も露にも思わないだろう。畠山が派手に動いて注目されれば他の者は動きやすくなる。いい目眩し役になる。

 ただし今回はと呼べるほどのものではなかった。畠山京子が使えそうか使えなさそうか。使えるとしたら何に使えるか。見極めるだけだったが、なかなか興味深い情報を持って帰ってきた。


 横峯はスマホを取り出した。小学校時代の同級生に、

『明日飲みに行かないか』

とLINEした。すぐに返事が返ってきた。

『店を予約しておくよ』

と。
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