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布石編

韓国へ

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 瑪瑙めのう戦の行われる韓国へ向かう飛行機の中。畠山京子は立花富岳と並んで座っていた。

(不愉快極まりない!なんでコイツが私の隣に座ってんの⁉︎)

 誰かが仲直りさせようと画策したのか、それともチケットを手配した職員がうっかりしたのか、そもそも私とコイツとを隣同士に座らせてはいけないと知らなかったのか。

(誰かと席を変わって欲しい!)

 そんな空気を察してか、みんな私と目が合うとサッと顔を背ける。

 秋山さんも槇原さんも先輩棋士の皆さんも棋院職員の皆さんも。

 これが「人徳がない」ってやつかぁ。私、そんなにみんなに嫌われてるのかぁ。

 まぁしょうがないか。立花富岳コイツをぶん投げて病院送りにしたし。たびたび声が大きくてうるさいって注意されるし。ご飯いっぱい食べるし。若様こと力自慢の若松涼太初段に腕相撲で勝っちゃうし。怖がられて当たり前か。

 武士沢さんからも「これ以上、師匠の顔に泥を塗るような真似をするな」って注意……と言うより警告されたし。ここは我慢しよう。うん。

 それに今日は我慢できる自信がある!一週間前に発売された推理小説、『紅の薔薇』の最新巻!機内で読むためにずっと我慢していた。読み返そうとシリーズ全5冊も持ってきた。大好きな小説を熟読する!これなら誰にも迷惑かけないし!

 京子はシートベルト着用サインが消えても外さずそのままにして、前座席のポケットからブックカバーのついた本を取り出した。



 立花富岳はアイマスクを取り出し、仮眠を取るため毛布を掛けようとした。

 隣の畠山京子がやけに機嫌がいい。成田空港の第一ターミナル4階の集合場所で、俺が隣の席だと知った時には「コイツ機内で隙あらば殺してやる!」みたいな顔してたのに。

(畠山は読書するのか……。鼻歌まじりで、そんなに面白い本なのか?)

 富岳は椅子をリクライニングさせるついでに京子が広げた本を覗き込んだ。

(こ、これは……!)

 『紅の薔薇』シリーズの最新作‼︎

 舞台は明治後期。『紅のスカーレット一族』と『薔薇ローズ一族』との貴族の抗争や愛憎を描いた推理小説だ。

(畠山もこの小説の読者だったのか!)

 この『紅の薔薇』シリーズの一番の見所は、毎回必ずどこかに囲碁を打つシーンが出てくる所だ。

 富岳の一番のお気に入りはシリーズ1作目。
 対立する両者が互いの威信を掛けて囲碁で勝負する。
 対局は山奥の洋館を貸し切り、両者親族が勝負する二人を取り囲み行われる。
 しかし対局直前、娘が毒殺されると察知した主人公。すぐさま妻にこの事を知らせようとするが無常にも対局は始まる。 
 なんとか危険を知らせようと、主人公は石の並びをモールス信号になるよう打つ。気づいてくれと祈りつつ。
 夫のいつもとは違う打ちまわしに疑問を抱いた妻は見事モールス信号の暗号に気づき娘を守る、というストーリーだ。

 今、畠山が読んでいるのは先日発売されたばかりの最新6作目だ。

(俺、もう読んだし!やばい!語りたい!だめだ!黙ってられない‼︎)

「6作目の犯人は叔父だぜ」

「……え?」

 立花富岳、アイマスクを出して椅子を倒したからてっきり眠ったと思ったのに、私に何か言ってるんだけど?何て?

 え?犯人は叔父?なんで犯人、言うたん?

 京子の眉間に一瞬皺がよる。

 ちょっと待って、私。落ち着け。武士沢さんの「師匠の顔に泥を塗るな」を思い出せ。冷静になれ。騒ぎを起こしちゃダメ!ここは飛行機の中だし!一般客もいるし!


 しかし富岳は京子のこんな胸の内を知ってか知らずか、お構いなしに『紅の薔薇』最新作のストーリーを語り続けた。

「今回の碁のシーンは、出張先のホテルのロビーで碁を打つんだ。それで不倫に発展するんだけど……」

 私の眉間に皺がよったのが見えなかったの?この人。

 え?なんか語り出した?なんでこれから推理小説読もうっていう人に対して、犯人だけじゃなくストーリーまで全部言ってまうの?

 え?本棚の裏に隠し通路?なんで密室のトリックの謎解きまで言っちゃうの?

 え?この人、こんなことされたら人がどう思うか、わからんの?

 ……あかん。なんでか心の声が関西弁になってる。

 っていうか、やっぱり無理!コイツの隣!

 推理小説のストーリー、全部言っちゃうなんてありえない‼︎

 でもキレてはダメ、京子。師匠の顔にまた泥を塗るような真似は!落ち着いて。一回深呼吸しよう。

 京子は深呼吸してから富岳に向かって無理矢理笑顔を作ってみせた。

「……そうですか」

 あああ!拒否って顔が引き攣る!これ以上は無理だ!

 小関さん!棋院職員の小関さんなら話をちゃんと聞いてくれるだろうから生贄……じゃなかった、説得して席を変わってもらおう。

 ゆっくり動こう。急ぐと勢いあまって座席テーブルに八つ当たりして殴って壊すかもしれない。通路に放り出した誰かの足を八つ当たりで蹴飛ばすかもしれない。最悪誰かと目が合っただけで八つ当たりしてぶん殴るかもしれない。これじゃただのチンピラだ。

 京子はゆっくり本を閉じて、ゆっくり本をテーブルの上に置き、ゆっくり立ち上がり、ゆっくりと小関の元へ歩いた。

「小関さん、お願いがあります。私と席を変わって下さい」

 タブレットで韓国に着いてからの最終確認をしていた小関が顔をあげる。

「畠山先生、どうされました?」

 年齢は京子より二回りも年上だが、立場は京子の方が上なので、小関は棋士に対して敬語を使う。

「立花さんが、私がこれから読もうとした推理小説の犯人やトリック、全部喋ったんです。あんな人の隣、我慢できません。お願いします」

 そう訴えた京子の表情を読む限り、これは要求を飲まないと何をしでかすかわからないと小関は悟った。



(畠山、トイレにでも行ったのか?)

 富岳は突然席を立った京子を訝しんでいると、しばらくしてやってきたのは京子ではなく、小関でもなく、川上光太郎金緑石アレキサンドライト王だった。

 小関は仕事中のため、隣で話を聞いていた川上が代わりにやってきた。

「立花くん。隣、失礼」

 そう言って川上は京子が座っていた席に座った。富岳は後ろを振り返る。川上が座っていた席には京子が座っている。

「川上さん、どうしたんですか?畠山は?」

 富岳のこの一言に川上が頭を抱える。

(この子、畠山さんに自分が何をやったのか、気づいていないのか……)

 川上は京子がテーブルの上に置いていった、事の発端となった本を手に取りストレートに言った。

「推理小説の犯人を言っちゃうなんて、絶対やっちゃいけない禁じ手だろ?なんで言っちゃったの?」

 富岳の口が「あ」の形になる。

「つい……。こんなマニアックな作家の推理小説、読んでるんだと思ったら、我慢できなくなって……。すみません……」

「僕にじゃなくて、畠山さんにちゃんと謝るんだよ」

「はい」

 富岳は『また畠山に謝罪しなくちゃならなくなったのか……』と溜息をつく。

 なんか畠山に謝ってばっかだな……。

 あ。そうだ。川上さんに聞きたいことがあったんだっけ。

「ところで川上さん。プロポーズは上手くいったんですか?」

 京子が置いていった本をペラペラをめくっていた川上は、思わず本を落としそうになった。

 話題をフリカワリされたんだが。しかも俺の結婚話。立花、なんか全然反省してる素振りがないな。大丈夫か?これ。

「おかげさまで。正月にお互いの両親に挨拶を済ませたよ」

 「そうですか。それはおめでとうございます」

 こういう所はちゃんとしてるんだな。

「結婚式とか、やるんですか?」

 立花くん。こういう話に興味があるのか。ちょっと以外だ。結婚なんて、って言うタイプだと思った。

「ああ。彼女がどうしても6月に式を挙げたいって」

「あと半年もないですよね。間に合うんですか?」

 お。グイグイくるな。

「俺は対局日以外は自由が効くし、彼女ももうすぐ大学卒業だから、大丈夫だと思うんだ」

「へー。婚約者、大学生なんですか」

「うん。心理学を学んでたんだ」

「そうですか」

 そう言うと富岳はアイマスクをして毛布をかけて眠ってしまった。川上に一言、断りも言わずに。

 突然会話を打ち切られた川上は、アイマスクをして眠りについた富岳を横目で眺める。

(なんだこの子、マイペースが過ぎる!)

 こんな事されれば、畠山さんじゃなくても誰でも腹が立つわ。



 立花富岳と畠山京子が隣の席になったのは偶然ではない。

 横峯理事長から「立花富岳と畠山京子を仲直りさせよ」というミッションが、瑪瑙戦に同行する棋士・職員全員に課せられていた。だから空港で畠山が席を変わって欲しそうな顔をしていた時、意地悪で変わってやらなかった訳ではない。仲直りするきっかけを与えるためだった。

 この2人の仲違い、川上はこう分析する。

 まだ子供だ。周りがとやかく言っても、反発して時間の無駄になるだけだ。

 2人とも学業は優秀らしい。でもIQは高くても、心のIQが低い。いかにも青春時代の、第二次反抗期真っ只中によくある仲違いだ。それゆえに仲直りはちょっとやそっとの作戦では達成されそうにない。

(もう少し大人になってからじゃないと無理かもな……。これは長期戦になりそうだ)

 とにかくこの韓国遠征では無理そうだと、川上は後ろに座る同士に首を振ってサインを送った。
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