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定石編

畠山京子のクリスマスの予定(13歳3ヶ月)

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 去年の今頃、京子は女流棋士特別採用試験の予選と、中国へ碁の武者修行に行くための準備と、中学受験の準備とで、とても忙しかった。

 そんな最中であったが、秋田から身寄りの無い東京に来た京子のためにと、純子の提案で杉山夫妻を交えて岡本門下でささやかながらクリスマスパーティーを開いた。

 中学生になった今年もクリスマスパーティーをやるのかやらないのか、最近のこの年頃の子はどうしているのか、いっそ京子本人に聞いてみようかと、岡本夫妻は相談していた最中だった。


「今年のクリスマスは千駄ヶ谷に行くので、去年のようにクリスマスパーティーはしなくて大丈夫です」

 例によって研究会の夕食後。京子は最上級の笑顔で、師匠の岡本幸浩とその妻・純子と岡本門下の兄弟子達に、五人が全く予想もしていなかった爆弾発言をし、皆を混乱の渦に落とし込めた。


 千駄ヶ谷は将棋会館のある場所だ。

 将棋棋士と囲碁棋士との懇親会で、武士沢は京子について、将棋棋士何人かから質問を受けた。

「どこの学校通ってるの?」
「学校での成績は?」
「学校生活は?」
「彼氏いるの?」

 千駄ヶ谷将棋棋士にも京子の容姿について噂が広まっているのだろう。最後のほうに至っては京子には聞かせられないような下世話な質問ばかりが飛んだ。

 女性囲碁棋士はモテる。

 囲碁棋士同士の夫婦は勿論、男性将棋棋士と女性囲碁棋士の夫婦もいる。

 こんな質問をしたということは、今のうちから京子に唾をつけておこうという魂胆なのだろう。下心が見え見えだ。

 そこで武士沢は「まだまだ子供で、この前はカラスを捕まえてきて……」と、五月上旬の出来事をありのまま言っておけばドン引きされるだろうと見越して話したのだが、思惑は見事に外れ、牽制は全く意味を成さなかった。それどころか、

「元気が一番だよね」
「いざという時、頼りになりそう」
「可愛いとこあるねー」

 と、棋士あるある『社会常識を犠牲にした者』爆弾が炸裂し、武士沢のほうがノックアウトされてしまった。ほとんど家にいない棋士にとっては、女は顔さえ良ければ性格などどうでもいいのだろう。

 京子と年の近い娘を持つ武士沢は、陰日向となり京子に変な虫……もとい、悪い虫が付かないよう、必死の防御をしていたのだがそれも虚しく、京子は自分で相手を見つけてしまったようだ。

 京子も美少女だ。いつかはこんな日が来るのではないかと思っていたが、まさかこんなに早く、しかも将棋棋士の彼氏と二人でクリスマスを過ごす日が来るとは……。


「だっ、誰だ!そいつは!」
「いつの間に?」
「京子。先方の師匠に挨拶しない訳にはいかないから、相手は誰なのか、きちんと報告しなさい」

 武士沢、三嶋、岡本が三人同時に喋り出した。京子は聖徳太子ではないので、三人が何と言ったか全部は聞き取れない。とりあえず一番大事な人の質問に答えることにした。

「師匠に挨拶?……ですか??」

 今まで見たこともない笑顔だった京子の表情が、一瞬で眉間に皺を寄せた表情に変わる。

「えーと、相手は岐阜の県立下呂高校だそうです」

「岐阜⁉︎岐阜出身の将棋棋士って誰だ⁉︎」
「奨励会員か?」
「京子、相手の名前は?」

「???……えーっと、すみません。メンバーの名前までは知りません」

「名前を知らない⁉︎お前、名前も知らない奴と付き合ってるのか⁉︎それはさすがにマズイぞ。せめて名前だけは聞いておけ」

 三嶋がなにやら自分の現在の恋愛事情についてプチ暴露している。どうやら文化祭でモメた彼女とは別れたようだ。

「は?付き合うって、何ですか?」

「だから将棋棋士と!」

「なんで私が将棋棋士と付き合うんですか?バスケに対局に、そんな暇、無いですよ」

「………だよな」

 ここでやっと話が噛み合っていないとお互い気づいた。

 しかし何から話を突き詰めていけばいいのか分からず探しあぐねていると、いつものように仏の笑みを浮かべていた江田がここでやっと口を開いた。

「京子がクリスマスに行く所は、将棋会館じゃなくて、東京体育館なんだね?バスケの試合かな?」

「そうです!高校生の冬の全国大会、ウインターカップです!ウチの学校の男子は三年連続十七回目の出場だそうです。女子は残念だったけど……。で、中等部女子バスケ部も千駄ヶ谷に応援に行くんです!二十三日から一週間、バスケ漬けになります!うふふふっ」

「東京体育館⁉︎」
「バスケの試合⁉︎」

 やっと話が噛み合って会話の歯車が回りだした。どうやら京子が言った岐阜の高校は初戦の相手のようだ。

「武士沢さん、三嶋さん。私、何しに千駄ヶ谷に行くと思われたんですか?」

「京子。覚えておきなさい。棋士にとって、千駄ヶ谷と言ったら「将棋会館」のことだと」

 岡本が湯呑みを持ち上げながら言った。手が震えているのがわかる。

「え?将棋会館て千駄ヶ谷にあるんですか?」

 京子のリアクションを見る限り、どうやら本当に知らなかったようだ。夏休みにあれだけ指導碁の仕事をしていたが、将棋棋士相手の仕事は無かったらしい。

「ああ、それで私が将棋棋士と付き合ってると誤解されて「先方の師匠に……」なんですね」

 京子もやっと理解したようだ。

「でも私にとって千駄ヶ谷と言ったら、東京体育館なんですけど」

 体育会系の京子らしい答えだ。

「棋士なら千駄ヶ谷と言ったら将棋会館だ。それ以外は建物名で呼ぶ。お前は棋士では無いな」

「なんか三嶋さん相手に否定するの、面倒臭いんで、それでいいです」

「俺相手にって、どういう意味だ?」

 また面白くない漫才が始まりそうだったので、江田が間に入って止めた。

「んー、ちょっと待って。二十三日から一週間って言ったよね。ちょうど原石戦のある日とぶつかるんじゃない?京子、どうするつもりなの?」

原石げんせき戦て何ですか?」

 京子は院生ではなかったので、知らなくてもなくても無理はない。


 原石戦は毎年年末十二月二十六~二十七日の二日間かけて行われる、『上位成績の院生』対『五段以下二十歳以下の棋士』とのいわば交流戦だ。

 非公式戦であるため対局料は出ない・勝ち星も増えないので、プロとしては「非公式戦の棋戦優勝者」以外に旨みが無い。

 一方、院生には大きな特典がある。この原石戦に優勝すると、プロ入り出来るのだ。ただし相手にはプロがいるので、かなり高い壁になる。

 しかし一昨年、その壁を初めて超えた院生がいた。立花富岳はこの原石戦で院生として初めて優勝しプロ入りを決めた、唯一の棋士だ。


「えっ⁉︎ちょっと待って下さい!二十五日は仕事納めで対局がありますよね?それで二十六・七日も対局があって?ってことは三日間もウィンターカップの応援に行けないんですか?……そんなの嫌です!非公式戦なんですよね?なら私、原石戦には出場しません!」

 京子はキッパリと言い切った。

「アホー‼︎それは「碁の勉強したくない」と言ってるようなものだぞ!出ろ‼︎」

「プロなのに気の入っていない碁を打つ三嶋さんに言われる筋合いはありません。なんですか、翠玉エメラルド戦第一次予選二勝八敗って。四段なのに」

 十戦全勝の初段の京子に言われ、三嶋は何も言い返せなくなってしまった。ちなみにこの二人、翠玉エメラルド戦では対局していない。

「棋戦の出場不出場は自分で決めていいんですよね?だったら学校行事を優先させます!」

「アホ!お前、瑪瑙めのう戦に出るんだろ!プロになってからなんの実績も無い奴が休めるか!」

「これで二度目の『アホ』ですけど、まぁアホは許せます。でも『お前』って言うのはやめて下さいと前にも言いました!」

 京子と三嶋はお互い睨み合い、どちらも一歩も譲らない構えだ。

 そんな膠着状態を打ち破ったのは、またしても江田だった。

「ん~。多分、横峯理事長から直に京子にお話があるかもね~。「どうして出られないのか?」って、尋問が始まるよね~」

 あの垂れ目オヤジである。



 ●○●○●○



「……という訳で、仕事を優先させなければならなくなりました……」

 洋峰学園女子バスケ部の部室にて。
 蚊の鳴くような声で遠い目をした畠山京子が、高等部女子バスケ部部長の飯田沙緒里に、前日の夕食での出来事を話していた。

「そう。残念だね……」

「はい、すみません……」

 ガックリと項垂れて、今にも首がもげそうだ。

「謝る必要ないよ。一番楽しみにしてたのはケイじゃん。つらいよね」

 飯田部長は自分とさほど身長の変わらない京子の頭を撫でて慰めた。

「ううっ……、見たかった……。もたい先輩とあぶみ先輩のダンクシュートに富樫とかし先輩のパス回し……」

 スポーツ特待生として入学・活躍し、インターハイ後にプロ契約を結び来春からプロプレイヤーとして人生を歩むことが決まった、洋峰学園高等部男子バスケ部の攻撃の要の三選手だ。
 
 京子は男子生徒の名前を列挙しているが、これは恋心ではない。バスケプレイヤーとしての敬意だ。

「でもさ、一回戦は二十三日だから絶対見られるし、準決勝まで勝ち上がればケイも応援出来るじゃん!」

 ウィンターカップは二十三日から二十九日までの一週間行われる。二十八日は男子準決勝と女子決勝、最終二十九日は男子決勝のみだ。

「それはそうなんですけどぉ~。なんていうか、歴史の目撃者になりたいって言うんですか?全試合現場でリアルタイムで見てみんなでワーッと騒ぎたいんですよ!」

「あーわかるー!感動を共有したいっていうか……」

 中等部部長の山内真梨が言った。

「そうそれ!」

「それにCSだけどテレビに映るかもしれないしねー」

 高等部の矢島玲衣鈴が言った。

「えー!レイ先輩からそんな言葉が出てくるとは思わなかったー!」

 部室の外にまで笑い声が響いた。

「でもさ。ケイ、年末年始大変じゃない?三十日に秋田に帰って、一月二日にはもう東京に戻ってくるんでしょ?全然ゆっくりできないじゃん」

 ウインターカップの決勝が行われるのは二十九日。そして、年が明けて一月三日に岡本邸で新年会が行われるので二日には東京に戻ってくる。

「帰省って、そんな感じじゃないですか?先輩達もお父さんお母さんの実家に帰ったりしないんですか?」

「私、両親とも東京だから」
「私も」
「ウチも」

 都心から離れた場所にある学校だからか、両親とも東京出身が多い。


「みんな。年末の予定より先に、やらなきゃいけない事があるのを忘れてるんじゃない?」

 高等部部長の飯田が腕組みしながら言った。

 京子と同学年、文化祭で大活躍した稲川梨花が何のことか分からず、小首を傾げる。

「えーと、なんかあったっけ……」

「期末試験よ。赤点取ったら応援には行けないからね。特にリカ!あんた一学期の成績、全滅だったそうじゃない?」

「忘れてた!ケイ、助けて!」

「私、仕事があるから、人の勉強の面倒まで見る時間の余裕が無いんだけど」

「イヤーッ!応援に行きたいーっ!」

「じゃあ私と一緒に日本棋院に行く?」

「それもイヤーッ!」

「それもイヤって、ちょっとヒドくない?そんなに私の応援するのイヤ?」

「えっ?そういう意味?」

 また女子バスケ部部室に笑い声が響いた。
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