【完結】アリスゲーム

百崎千鶴

文字の大きさ
上 下
62 / 66

第61話 あの日の悪夢

しおりを挟む
「えっ……?」

 ――……サタンが、ジョーカーお兄様だった?

(どういう、こと……?)

 ジョーカーお兄様は私が五歳の時すでに亡くなっていて、不思議の国から帰った後――今まで一緒に過ごしていた『ジョーカーお兄様』は、

「そんな……そんな、の……嘘よ……」
「……」

 ああ……まただわ。
 エースは今にも泣きだしそうな顔をしていて、まるで自分を責め続けているかのような目の色をする。

(……どうして、)

 そんな顔をしないでほしい。
 どうか、泣かないで。

「……たし、が……私が、あの日……アリスがこの国から帰った日。アリスは勿論、母をはじめとした周囲の記憶を消し、都合の良いように繋ぎ合わせたんだ……アリスの兄――『ジョーカー』が生きていても、その場にいてもおかしくないように、そうしたんだ……」

 ふわふわと浮いたまま絞り出すような声でそう言って、彼は顔を片手で覆い隠すとゆっくり地に足を着いた。
 こういう時、私にも心を読んだり思考を覗く能力があればよかったのにと強く思う。

(エース……)

 そうすれば、彼がどうしてそんな顔をするのかわかるのに。

「良かれと思ってやった事だった……当時の私はアリスに大した思い入れもなく、暇潰しのゲーム感覚で手を貸したんだ。自分が干渉する意味を、理解できていないまま……」
「意味……?」
「……アリスが経験した通り、どれだけ『現実』を封じ込めようと、ほんの少しの歪みをきっかけに記憶は簡単に蘇る。芽の生えた違和感を消す事は誰にもできない」
「それがどうしたの……? エースはなにも関係、」
「関係あるんだ!! 私が余計な事をしなければ、アリスにはもっと違う未来があったはずなのに……!! こんなゲームを始めようなどと、考えもしなかったはずだ……!! それなのに……私が、アリスから全てを奪ってしまった……」

 エースの頬を、綺麗な涙が伝い落ちる。

「私のせいだ……」

 濡れた瞳が再び私を映した瞬間、頭の中に直接映像が流れ込んできた。 



 ***



(あれは……)

 綺麗に整備された広い庭の中央に、小さな私が座り込んでいる。いつもと変わらない光景だ。
 周囲は不気味なほどに静かで、頬を撫でて通り過ぎた風が静かに芝生を揺らしている。

「――……!!」
「!?」

 不意に叫び声にも似た何かの音が耳に届き、幼い私は不思議そうな表情で顔を上げるが、いまいち何が起きたのかわかっていない様子だった。

「……?」

 手に持っていた花をその場に置いて立ち上がり、どこかに向かって足を進めようとした瞬間――背後から腕を掴まれる。
 振り返れば、そこには切羽詰まった表情で荒く息継ぎをするジョーカーお兄様が立っていた。

「はっ、はぁっ……アリ、ス……良かった、ここにいた……っ」
「……ねえ、お兄さま。さっき、へんな声が……」
「アリス! すぐに逃げよう!!」

 ――……お兄様はなぜ、そんなに慌てているの?

「え……?」

 小さな私も同じ考えを抱いているのか、不思議そうに首を傾げてお兄様を仰ぎ見る。
 ジョーカーお兄様は必死な形相で私の腕を引っ張り、ただ「逃げるんだ」と繰り返した。

「お兄さま、どうして……?」
「いいから、早く行こう……! 急がないと、」
「アリス、ジョーカー……二人でどこへ行くつもり?」

 生気の感じられない声が、幼い私のすぐそばで言葉を落とす。
 体がこわばる感覚を覚えつつそちらに目をやれば、朗らかな笑みを浮かべて私達を見るお母さんがいた。

「お、かあ、さ……」

 そう――……包丁を片手に持ち、衣服や顔を真っ赤に染めたお母さんが。

「――!?」
「また勝手に出歩いて……」

 鉄臭くて赤黒いそれは、切っ先からぽたりぽたりと滴り落ちる。

(血……?)

 これは、血だ。誰かの血。

(だれの……?)

 何が起きたかわからないけれど、お母さんの“それ”でないことだけは確かだった。
 頭から浴びたみたいに大量の血をもし本人が流しているのだとしたら、お母さんはとっくに動けなくなり息絶えているのだから。
 つまり、

「お……お母、さん……?」

 掠れた声で呼べば、お母さんは目を大きく見開く。

「アリス……ねえ、どうしてこうなったのかお前にわかる……?」
「な、なに、が……」
「わかる? 考えたことある? 無いでしょう? お前さえいなければ……どう? 一度でもお母さんの為を考えた? 全部、全部お前のせい」

 お母さんは微笑んだままぶつぶつと呟いて、包丁を両手でしっかりと握り直した。

「……アリス、逃げるんだ」

 お兄様がそう言うけれど、膝が笑って動けない。

「あの人も死んだ、あの人も死んだ……! あははっ! 私が殺してあげたのよ、お母さんは優しいでしょう? 私を愛してくれないあの人なんていらない、私以外を見るあの人なんていらない。そうよね? そう思うでしょう?」
「……わかん、な……」
「わかるわ。私は間違っていない、お母さんは悪くないの。全部全部、ぜーんぶ、悪いのはアリス。だって、アリスは悪い子。あーあ、アリスが悪い。お前のせいよ」

 血に染まった包丁は高く振り上げられ、

「お前なんか産まれてこなければよかったんだ!!」
「アリス……!!」

 その切っ先は、まっすぐにこちらへ落ちてきた。 

(……ねえ、お母さん)

 どうして、そんな意地悪を言うの?
 お母さんに愛されたいって思うのは、そんなに悪いことなの?

「お母さん……」

 かたく目を閉じた瞬間――鈍い音が鼓膜を揺らし、頬に生暖かい液体が飛んでくる。

(……あれ? いたくない……)

 ゆっくりと瞼を持ち上げれば、目の前にはジョーカーお兄様の後ろ姿があって……彼の首を、お母さんの持つ刃が切り裂いていた。

「……ジョーカー、お兄さま……?」

 噴水のように溢れ出す血を見ても、状況の理解が追いつかない。

「どうして……そうだ、そうだ! おかしいと思ったんだ!! お前も、お前も!! どうしてどうして、何でお前が生きているのよ?! 亡霊が!!」
「ぐっ、ゔ……っ!!」
「誰も!! 誰も信じなかった!! お前が死んだ話をしたら、私の頭がおかしいと言われた!! お前のせいで、お前のせいで……!!」

 私を庇うかのように立ち塞がるジョーカーお兄様に向かって、お母さんは何度も何度も包丁を振り下ろした。
 何回目かの刃を受け止めると、お兄様の体は膝から崩れ落ちる。 

「……ジョーカーお兄さま……? おきて……?」
「……」

 倒れた体を揺さぶるけれど返事はなくて、ただ彼の体から流れ出す血がスカートを汚すだけだった。

「……何で、何で……私は、ただ……どうして私が、あ、あ、ああ……っ!!」

 今まで聞いたことが無い叫び声をあげて、お母さんは手に持っていた包丁を躊躇いなく自分の喉元へ突き立てる。
 ――……お母さんも死ぬのだということは、幼い私でもわかった。

「そん、な……そんな……お母さん……?」

 スローモーションのように倒れていく姿を見て、これは悪い夢なのだと思いたかった。

「……お兄さま、へんじをして……?」
「……」
「い、や……ああ……いや……」

 みんな、みんな死んでしまった?

「……やだ、ちがう……っ、アリスは……」

 私はただ、お母さんに愛されたかっただけなのに。
 いい子だねって頭を撫でて、大好きだよって抱きしめてほしかっただけなのに。
 それなのに、どうして。

「あ、あ……あ……」

 それじゃあもう、わがままなんて言わないから……ジョーカーお兄様、目を開けてよ。
 ねえ、ジョーカーお兄様……お母さん。

「あ゙あ゙、あ゙……あ゙あ゙あ゙あ゙!!」

 お願い、誰か……アリスの名前を呼んで。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

旧校舎のフーディーニ

澤田慎梧
ミステリー
【「死体の写った写真」から始まる、人の死なないミステリー】 時は1993年。神奈川県立「比企谷(ひきがやつ)高校」一年生の藤本は、担任教師からクラス内で起こった盗難事件の解決を命じられてしまう。 困り果てた彼が頼ったのは、知る人ぞ知る「名探偵」である、奇術部の真白部長だった。 けれども、奇術部部室を訪ねてみると、そこには美少女の死体が転がっていて――。 奇術師にして名探偵、真白部長が学校の些細な謎や心霊現象を鮮やかに解決。 「タネも仕掛けもございます」 ★毎週月水金の12時くらいに更新予定 ※本作品は連作短編です。出来るだけ話数通りにお読みいただけると幸いです。 ※本作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係ありません。 ※本作品の主な舞台は1993年(平成五年)ですが、当時の知識が無くてもお楽しみいただけます。 ※本作品はカクヨム様にて連載していたものを加筆修正したものとなります。

シャーロック・モリアーティ

名久井悟朗
ミステリー
大正時代日本によく似た世界。  西岩森也(にしいわ しんや)という、放蕩が過ぎ家を追い出された少年がいた。  少年は何の因果か、誰の仕業か、他自共に認める名探偵にして最悪の性格破綻者寺、城冬華(てらしろ とうか)の下で働く事となり、怪事件の渦中へと足を踏み入れいていく。

強制憑依アプリを使ってみた。

本田 壱好
ミステリー
十八年間モテた試しが無かった俺こと童定春はある日、幼馴染の藍良舞に告白される。 校内一の人気を誇る藍良が俺に告白⁈ これは何かのドッキリか?突然のことに俺は返事が出来なかった。 不幸は続くと言うが、その日は不幸の始まりとなるキッカケが多くあったのだと今となっては思う。 その日の夜、小学生の頃の友人、鴨居常叶から当然連絡が掛かってきたのも、そのキッカケの一つだ。 話の内容は、強制憑依アプリという怪しげなアプリの話であり、それをインストールして欲しいと言われる。 頼まれたら断れない性格の俺は、送られてきたサイトに飛んで、その強制憑依アプリをインストールした。 まさかそれが、運命を大きく変える出来事に発展するなんて‥。当時の俺は、まだ知る由もなかった。

九竜家の秘密

しまおか
ミステリー
【第6回ホラー・ミステリー小説大賞・奨励賞受賞作品】資産家の九竜久宗六十歳が何者かに滅多刺しで殺された。現場はある会社の旧事務所。入室する為に必要なカードキーを持つ三人が容疑者として浮上。その内アリバイが曖昧な女性も三郷を、障害者で特殊能力を持つ強面な県警刑事課の松ヶ根とチャラキャラを演じる所轄刑事の吉良が事情聴取を行う。三郷は五十一歳だがアラサーに見紛う異形の主。さらに訳ありの才女で言葉巧みに何かを隠す彼女に吉良達は翻弄される。密室とも呼ぶべき場所で殺されたこと等から捜査は難航。多額の遺産を相続する人物達やカードキーを持つ人物による共犯が疑われる。やがて次期社長に就任した五十八歳の敏子夫人が海外から戻らないまま、久宗の葬儀が行われた。そうして徐々に九竜家における秘密が明らかになり、松ヶ根達は真実に辿り着く。だがその結末は意外なものだった。

皇帝の番~2度目の人生謳歌します!~

saku
恋愛
竜人族が治める国で、生まれたルミエールは前世の記憶を持っていた。 前世では、一国の姫として生まれた。両親に愛されずに育った。 国が戦で負けた後、敵だった竜人に自分の番だと言われ。遠く離れたこの国へと連れてこられ、婚約したのだ……。 自分に優しく接してくれる婚約者を、直ぐに大好きになった。その婚約者は、竜人族が治めている帝国の皇帝だった。 幸せな日々が続くと思っていたある日、婚約者である皇帝と一人の令嬢との密会を噂で知ってしまい、裏切られた悲しさでどんどんと痩せ細り死んでしまった……。 自分が死んでしまった後、婚約者である皇帝は何十年もの間深い眠りについていると知った。 前世の記憶を持っているルミエールが、皇帝が眠っている王都に足を踏み入れた時、止まっていた歯車が動き出す……。 ※小説家になろう様でも公開しています

Amnesia(アムネシア)~カフェ「時遊館」に現れた美しい青年は記憶を失っていた~

紫紺
ミステリー
郊外の人気カフェ、『時游館』のマスター航留は、ある日美しい青年と出会う。彼は自分が誰かも全て忘れてしまう記憶喪失を患っていた。 行きがかり上、面倒を見ることになったのが……。

男装官吏と花散る後宮〜禹国謎解き物語〜

春日あざみ
キャラ文芸
<第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。応援ありがとうございました!> 宮廷で史書編纂事業が立ち上がると聞き、居ても立ってもいられなくなった歴史オタクの柳羅刹(りゅうらせつ)。男と偽り官吏登用試験、科挙を受験し、見事第一等の成績で官吏となった彼女だったが。珍妙な仮面の貴人、雲嵐に女であることがバレてしまう。皇帝の食客であるという彼は、羅刹の秘密を守る代わり、後宮の悪霊によるとされる妃嬪の連続不審死事件の調査を命じる。 しかたなく羅刹は、悪霊について調べ始めるが——? 「歴女×仮面の貴人(奇人?)」が紡ぐ、中華風世界を舞台にしたミステリ開幕!

処理中です...