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第32話 君を信じてる
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ぜーはーと息を切らしながら、クローバーの街中を駆け抜ける。
(花屋さん、花屋さん……っ! 大丈夫、まだ居る。あの人は、消えたりしない……! だって、私が悲しむことはしない……そうでしょう? 花屋さん)
あたりに目を配らせつつ花屋さんの姿を探していると、以前と同じように一つだけきらびやかなお店を見つけて足を止めた。
外に置かれたひな壇のディスプレイに並べられている色とりどりの花と、男性の後ろ姿。
その人物に向かって駆け寄り、周囲に人がいることなど気にもとめず大きな声で名前を叫んだ。
「は、なや、さ……花屋、さん……っ!!」
「……! アリス?」
片手に青いじょうろを持ったまま驚いた様子で振り返る彼の胸に飛び込むと、花屋さんは一瞬ふらついてから私の背中に片手を置き抱きとめる。
「うお、っと……アリス、どうした?」
「……ずみ、が……ね、ネムリ、ネズミが……きえっ、うっ……き、消えちゃっ、た……っ」
涙の溢れる自身の顔を花屋さんのエプロンに埋めて隠したままそう伝えると、彼は「そうか……教えてくれてありがとう、アリス」とチェロの音のような声で呟き私の頭を優しく撫でた。
「……よし、アリス」
「……!?」
突然ふわりと体が浮かび上がったかと思えば、花屋さんの整った顔が間近に迫り心臓が高鳴る。いわゆる、お姫様抱っこをされているのだということはすぐに理解した。
彼は、私の目尻と涙で濡れた頬へ順番に口付けを落としてから、小さく笑ってこう言った。
「アリス……楽しいことをしようか?」
***
楽しいこと、と花屋さんが真面目な顔でわざとらしいポーズも無しに言うものだから、ついやましい事を連想してしまったのだが、抱きかかえられたまま連れて来られたのはなんとただの裏庭。
「……?」
彼はそっと私を降ろしてから、何かの花の種と思わしき袋と鉢植えを用意し、その場に屈み込んで軍手をつけ始める。
立ち尽くしたまま呆気に取られている私を見て、準備が整ったらしい花屋さんはお日様のようにあたたかな微笑みを浮かべて「おいで」と手招きをした。
(何をするのかしら?)
すぐそばへ行き彼と同じように屈めば「はい、こっちがアリスの」と、小さなスコップを手渡される。
「よし、それじゃあ……花の種を蒔くとするか」
「……え?」
花の種を蒔く。
彼の事を何も知らない普通の女性なら一目で恋に落ちてしまいそうな、あたたかくやわらかい微笑みを浮かべてそう言う花屋さん。
いつもの演技臭くて大げさな仕草が無い分、その破壊力は凄まじい。
(ど、どうして……!? なんで、いつもみたいに前髪をかき上げないの……!? キメポーズをしないの……!?)
バクバクと、心臓が早鐘のように打つ。
「ちょうど水やりも終わったところだし、アリスも来てくれたことだし……それに、随分と落ち込んでいるみたいだし?」
「~~っ!!」
横から顔を覗き込んでくる、彼の整いすぎている顔。私はと言えば、それを直視する余裕も勇気もない。
(いつも、みたいに……)
そう。いつものように、大袈裟に前髪をかき上げて見せるなり薄ら寒い決め台詞の一つや二つ付け加えるなりしてくれていれば、私の顔だってこんなに熱を持たずに済むのだ。
日頃は“それら”に破壊されているが、花屋さんは今みたいに普通にしていれば……、
(そうしたら、この人は……)
誰もが振り返るであろう芸術品のように整った顔立ちで常に微笑みを浮かべており、地雷さえ避けていれば寛大で紳士的でとても優しくて……彼と関わった女性は、恋に落ちても仕方がない事だとさえ思う。
しかしそこに、先ほど述べた言動に加え急に差し出してくる薔薇やポジティブモンスターという要素が混ざれば全て台無しになる……の、だが、今日はマイナス要素が一つも現れていないため『完璧』なイケメンだ。
長々と語ってしまったけれど、つまり何を言いたいのかと聞かれたら、
「……アリス?」
「な、なあに……?」
「大丈夫か?」
「……ええ、大丈夫……」
顔が、熱い。異常に体温が上がっているような気がする。
ああ……この感情は、何と言ったっけ?この『想い』の名前は、何だった?
「はい。これはアリスの分だ」
どこか嬉しそうな声と共に差し出されたのは、何かの種らしき物。花屋さんは土の入った鉢植えを指差し「そこに埋めて」と微笑みを向けてくる。
「……こう?」
「そう。アリスは上手だな」
言われた通り、もらった分だけ種を土の中に埋めて花屋さんの方をちらりと見れば、彼のエメラルドグリーンの瞳に捕まった。
ドクリと大きく跳ねる心臓。左胸に片手を当てたまま慌てて目線を逸らして口を開く。
「あのっ……こ、これは何の花が咲くの?」
「うん? ああ、これは……向日葵だ」
花の名前に詳しくない私でも、向日葵くらいは知っている。
これがあの、大きくて太陽のように眩しい花へ成長するのねと、鉢植えを覗き込んで思い浮かべる間につい口元が緩んでしまった。
「アリスは、花言葉って知ってるか?」
「花、言葉……?」
ぽかんとする私を見て、花屋さんはただ目を細めて小さく笑う。
「生きとし生きるものには全て、必ず意味があるんだよ。つまり……花言葉は、『花たち』の持つ意味だ」
ふっと彼の影が重なって顔を近づけられ、反射的に目を瞑るとこめかみの辺りにふわりと何かが触れた。
ゆっくりと瞼を持ち上げれば、目の前にあるのはやはり花屋さんの整いすぎている顔。
先ほど違和感のあった場所へ恐る恐る片方を伸ばすと、何か花らしきものが飾られているのがわかった。
(なにかしら……?)
「向日葵の花言葉は『あなただけを見つめている』『あなたは素晴らしい』……そんな意味がある」
「へえ……そうなのね」
「これもアリスにあげよう」
そう言って彼が差し出したのは――見覚えはあるものの、名前を思い出せない一輪の赤い花。
「……素敵なお花ね。ありがとう」
「ははっ、どういたしまして……なあ、アリス」
「なあに?」
「どうか……人を真っ直ぐに信じる事ができる、素敵な女性に育ってくれ。それから……やっぱりアリスには、どんな時でも笑っていてほしい。笑顔が一番よく似合う」
「……? 改まってどうしたの? 変な花屋さん」
「ははっ……アリス。これから先、何があっても……俺は、俺だけはいつでもアリスのことを信じてる。ずっと、アリスの味方だ。他の何を忘れたとしても、それだけは覚えておいてくれ」
***
いつの間にか景色は夕焼けに染まっていて、そろそろ帰らなければと花屋さんに別れを告げ手を振ってから歩き出す。
(このお花……)
しかし、どうしても思い出せない赤い花の名前が気になって、それだけ聞いて帰ろうと足を止めて引き返した。
「花屋さーん」
お店の中は不気味なほどに静まり返っていて、人のいる気配がない。
「……? 花屋さん?」
どこを探しても花屋さんの姿は見当たらず、先ほどまで一緒にいた裏庭へ戻ると――土の上に一輪、赤い薔薇が落ちていた。
(花屋さん、花屋さん……っ! 大丈夫、まだ居る。あの人は、消えたりしない……! だって、私が悲しむことはしない……そうでしょう? 花屋さん)
あたりに目を配らせつつ花屋さんの姿を探していると、以前と同じように一つだけきらびやかなお店を見つけて足を止めた。
外に置かれたひな壇のディスプレイに並べられている色とりどりの花と、男性の後ろ姿。
その人物に向かって駆け寄り、周囲に人がいることなど気にもとめず大きな声で名前を叫んだ。
「は、なや、さ……花屋、さん……っ!!」
「……! アリス?」
片手に青いじょうろを持ったまま驚いた様子で振り返る彼の胸に飛び込むと、花屋さんは一瞬ふらついてから私の背中に片手を置き抱きとめる。
「うお、っと……アリス、どうした?」
「……ずみ、が……ね、ネムリ、ネズミが……きえっ、うっ……き、消えちゃっ、た……っ」
涙の溢れる自身の顔を花屋さんのエプロンに埋めて隠したままそう伝えると、彼は「そうか……教えてくれてありがとう、アリス」とチェロの音のような声で呟き私の頭を優しく撫でた。
「……よし、アリス」
「……!?」
突然ふわりと体が浮かび上がったかと思えば、花屋さんの整った顔が間近に迫り心臓が高鳴る。いわゆる、お姫様抱っこをされているのだということはすぐに理解した。
彼は、私の目尻と涙で濡れた頬へ順番に口付けを落としてから、小さく笑ってこう言った。
「アリス……楽しいことをしようか?」
***
楽しいこと、と花屋さんが真面目な顔でわざとらしいポーズも無しに言うものだから、ついやましい事を連想してしまったのだが、抱きかかえられたまま連れて来られたのはなんとただの裏庭。
「……?」
彼はそっと私を降ろしてから、何かの花の種と思わしき袋と鉢植えを用意し、その場に屈み込んで軍手をつけ始める。
立ち尽くしたまま呆気に取られている私を見て、準備が整ったらしい花屋さんはお日様のようにあたたかな微笑みを浮かべて「おいで」と手招きをした。
(何をするのかしら?)
すぐそばへ行き彼と同じように屈めば「はい、こっちがアリスの」と、小さなスコップを手渡される。
「よし、それじゃあ……花の種を蒔くとするか」
「……え?」
花の種を蒔く。
彼の事を何も知らない普通の女性なら一目で恋に落ちてしまいそうな、あたたかくやわらかい微笑みを浮かべてそう言う花屋さん。
いつもの演技臭くて大げさな仕草が無い分、その破壊力は凄まじい。
(ど、どうして……!? なんで、いつもみたいに前髪をかき上げないの……!? キメポーズをしないの……!?)
バクバクと、心臓が早鐘のように打つ。
「ちょうど水やりも終わったところだし、アリスも来てくれたことだし……それに、随分と落ち込んでいるみたいだし?」
「~~っ!!」
横から顔を覗き込んでくる、彼の整いすぎている顔。私はと言えば、それを直視する余裕も勇気もない。
(いつも、みたいに……)
そう。いつものように、大袈裟に前髪をかき上げて見せるなり薄ら寒い決め台詞の一つや二つ付け加えるなりしてくれていれば、私の顔だってこんなに熱を持たずに済むのだ。
日頃は“それら”に破壊されているが、花屋さんは今みたいに普通にしていれば……、
(そうしたら、この人は……)
誰もが振り返るであろう芸術品のように整った顔立ちで常に微笑みを浮かべており、地雷さえ避けていれば寛大で紳士的でとても優しくて……彼と関わった女性は、恋に落ちても仕方がない事だとさえ思う。
しかしそこに、先ほど述べた言動に加え急に差し出してくる薔薇やポジティブモンスターという要素が混ざれば全て台無しになる……の、だが、今日はマイナス要素が一つも現れていないため『完璧』なイケメンだ。
長々と語ってしまったけれど、つまり何を言いたいのかと聞かれたら、
「……アリス?」
「な、なあに……?」
「大丈夫か?」
「……ええ、大丈夫……」
顔が、熱い。異常に体温が上がっているような気がする。
ああ……この感情は、何と言ったっけ?この『想い』の名前は、何だった?
「はい。これはアリスの分だ」
どこか嬉しそうな声と共に差し出されたのは、何かの種らしき物。花屋さんは土の入った鉢植えを指差し「そこに埋めて」と微笑みを向けてくる。
「……こう?」
「そう。アリスは上手だな」
言われた通り、もらった分だけ種を土の中に埋めて花屋さんの方をちらりと見れば、彼のエメラルドグリーンの瞳に捕まった。
ドクリと大きく跳ねる心臓。左胸に片手を当てたまま慌てて目線を逸らして口を開く。
「あのっ……こ、これは何の花が咲くの?」
「うん? ああ、これは……向日葵だ」
花の名前に詳しくない私でも、向日葵くらいは知っている。
これがあの、大きくて太陽のように眩しい花へ成長するのねと、鉢植えを覗き込んで思い浮かべる間につい口元が緩んでしまった。
「アリスは、花言葉って知ってるか?」
「花、言葉……?」
ぽかんとする私を見て、花屋さんはただ目を細めて小さく笑う。
「生きとし生きるものには全て、必ず意味があるんだよ。つまり……花言葉は、『花たち』の持つ意味だ」
ふっと彼の影が重なって顔を近づけられ、反射的に目を瞑るとこめかみの辺りにふわりと何かが触れた。
ゆっくりと瞼を持ち上げれば、目の前にあるのはやはり花屋さんの整いすぎている顔。
先ほど違和感のあった場所へ恐る恐る片方を伸ばすと、何か花らしきものが飾られているのがわかった。
(なにかしら……?)
「向日葵の花言葉は『あなただけを見つめている』『あなたは素晴らしい』……そんな意味がある」
「へえ……そうなのね」
「これもアリスにあげよう」
そう言って彼が差し出したのは――見覚えはあるものの、名前を思い出せない一輪の赤い花。
「……素敵なお花ね。ありがとう」
「ははっ、どういたしまして……なあ、アリス」
「なあに?」
「どうか……人を真っ直ぐに信じる事ができる、素敵な女性に育ってくれ。それから……やっぱりアリスには、どんな時でも笑っていてほしい。笑顔が一番よく似合う」
「……? 改まってどうしたの? 変な花屋さん」
「ははっ……アリス。これから先、何があっても……俺は、俺だけはいつでもアリスのことを信じてる。ずっと、アリスの味方だ。他の何を忘れたとしても、それだけは覚えておいてくれ」
***
いつの間にか景色は夕焼けに染まっていて、そろそろ帰らなければと花屋さんに別れを告げ手を振ってから歩き出す。
(このお花……)
しかし、どうしても思い出せない赤い花の名前が気になって、それだけ聞いて帰ろうと足を止めて引き返した。
「花屋さーん」
お店の中は不気味なほどに静まり返っていて、人のいる気配がない。
「……? 花屋さん?」
どこを探しても花屋さんの姿は見当たらず、先ほどまで一緒にいた裏庭へ戻ると――土の上に一輪、赤い薔薇が落ちていた。
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