【完結】アリスゲーム

百崎千鶴

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第30話 悪魔の囁き

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「役立たずが!!」

 私は、お母さんを怒らせてしまう『私』が嫌いだった。

「醜い顔で泣くんじゃないわよ!!」

 私は、お母さんが『醜い』と嫌悪する自分の顔が嫌で仕方なかった。

「お前なんて産むんじゃなかった!! 産まれて来なければ良かったのに!!」

 私は、お母さんに愛してもらえない自分自身のことが――大嫌いだった。 



 ***


「わたし、は……」
「思い出した?」

 そうだ、ようやく思い出した。
 私は『私』のことが大嫌いで……それでも、心のどこかでこんな私を愛してくれる、特別だと言ってくれる人を探していたのだと。

「わたし……わたし、は……」

 ずっとずっと――誰かに愛されたいと、強く願っていた。

「……この世界は、アリスにとっての楽園だ」
「私、の……?」
「そうだよ」

 黒ウサギは小さく頷き、優しく微笑みながら私の頭を撫でてくる。

「女王陛下、白ウサギ、花屋、エース、ジャック、帽子屋、イカレウサギ、時計屋……みんな、アリスを大切にしてくれたでしょ?」

 彼の囁きは催眠にかかっているような気分になり、意識がぼんやりとして思考をうまく働かせなくなった。
 心の底でわずかに残っていた疑心すらかすみ、「そうだったかもしれない」と

(みんな、わたしを……)

 ああ、そうだ……みんな、私なんかを大切にしてくれた。
 偽物ジョーカーの時は、武器を向けてきたり殺そうとしてきた事がある。けれど、それでも……私に笑顔を向けて「おかえり」と出迎えて、こんな私を必要だと言ってくれた。

「ね? 僕だって、アリスを愛してあげた……可哀想なアリスが可愛いから、昔も今も大事にしてきたよ。そうでしょ?」

 そう言って、黒ウサギは私の耳に甘く噛みつく。
 そうだ、黒ウサギも私に良くしてくれた。いいや、彼だけじゃない……みんな、みんな。
 誰も私を怒鳴りつけない。殴ったりしないし、泣いても抱きしめてくれる。可愛がってくれて、頭を撫でてくれるのだ。

(ほんとだ……くろうさぎの、いうとおり)

 ここが――この不思議の国が、私にとっての楽園。

「ねえ? 時計屋は、他の誰より優しいよね。『アリス』を嫌いになれないくらい、大好きになってくれたんだから」
「とけいや、さん……?」
「そう、時計屋は優しいね。アリスのことが大好きで仕方ないんだよ。アリスは自分のことが大嫌いなのにさ?」

 私が嫌いな――醜くて生意気で、何の役にも立たない。誰からも愛されない、産まれて来ない方が良かった『私』を……時計屋さんは、守ってくれた。たくさん助けてくれた。
 私が泣いていたら、抱きしめてくれた。

「ねえ、アリス? こんなに大切にしてもらえて、特別扱いしてもらえている『アリス』の事が、まだ嫌? 受け入れられない?」
「アリスの、ことが……」

 あの人以外で私なんかのことを特別だと思ってくれる人が、この世界にはたくさんいる。それはまるで「ありのままのアリスでいいんだよ」と言ってくれているように思えた。
 ああ、この楽園は……なんて、幸せなんだろうか。

「醜くても、役立たずでも、泣き虫でも……アリスは、そのままでいいんだよ」

 黒ウサギの甘い言葉は、悪魔の囁きみたいだ。
 穴の底へ落とされて、暗闇で惑わされる。抜け出せないほど、深くまで。もう戻って来られないほど、奥へ。

(そういえば……いつか、いってたっけ……)

 ワンダーランドは、地獄行き。

「……醜い、私でいいの……? こんなアリスで、いいの……?」
「そんなの当たり前だよ。皆が愛しているのは、そのままの『アリス』なんだから」

 私の手首を拘束していた彼の片手が離れ、宝物に触れるかのようにそっと抱きしめてくる。
 黒ウサギは少ししてから体を離すと、額に触れるだけの口づけを落としてきた。
 麻薬のように、どこまでも甘い。

「……ねえ、黒ウサギ」
「ん? なに?」
「あなたが……本物のジョーカー?」

 真っ直ぐに目を見て問えば、彼は間抜けに口を開けたままあからさまに驚いて見せる。
 しかし、すぐに小さく笑って「違うよ」とわざとらしく肩をすくめた。

「そ、そう、なのね……」

 根拠は無かったけれど不思議と自信があったので、外れてしまったことに少し戸惑ってしまう。(またふりだしね……)と溜め息を吐けば、黒ウサギはぽんと私の頭に片手をのせた。

「ははっ。まあ……頑張ってね、アリス」

 何事もなかったかのように微笑んでくるりと背を向け、無言で手を振りながらハートの城へ戻って行く黒ウサギ。
 彼に見えていないとわかりつつも大きく手を振り返し、来た道を引き返した。



 ***



「……おかしいわ」

 帽子屋さん達のいる公園からハートの城までは一本道だったはず。つまり、極度の方向音痴でない限り迷うことなどありえないのだ。
 そう、ありえない。それなのに、私は今……迷っている。

「……そんなはずは、」

 方向感覚はそこそこある方だと自負していたし、一本道で迷う事になるだなんて夢にも思わなかった。

「おかしいわね……」

 きょろきょろと辺りを見渡しながら足を進めていると、何かにつまずいてバランスを崩してしまう。 

「……っ!?」
「あー! アリス!」
「アリス、久しぶり!」

 なんとか踏ん張って体勢を立て直し両脇を見ると、そこには久しぶりに見た瓜二つの顔。
 次に足元へ目線を落とせば、私の分を除いて合計四本ある内の二本の足が道のど真ん中に突き出されていた。

「……久しぶりね。ハンプティ、ダンプティ」

 呆れ気味に挨拶を返せば、そばに来た双子は私の顔を覗き込んでくる。
 遠慮なくじーっと私を見つめる四つのビー玉。目線のやり場に困っていると、二人は全く同じタイミングで満面の笑みを浮かべた。

「ふふっ! こんな所で何をしていたの?」
「うふふっ! 私達に会いに来てくれたの?」

 ああ……無垢な瞳が眩しい。 

「えっと、その……ちょっと、道に迷っていたの」
「ああ、そっか! それは仕方がないね」
「そうだね、仕方がないよ! 私達がちょっといじって遊んでたから」
(……ちょっといじって遊んでた……?)

 聞き間違えかしら?と二人の顔を交互に見やれば、にこりと笑顔を返される。
 道をいじっただなんて……この世界は本当に何でもありなのかしら。それとも、それがこの二人の能力?

「大丈夫。私達が道案内してあげるから、もう迷わないよアリス!」
「道案内……! アリスと一緒に遊べるし、とっても素敵な案だね兄弟!」

 私の意見など、はなから求めていないらしい。
 そうと決まれば思い立ったが吉日とばかりに、双子は両隣に来て私の手を掴みぐいぐい引っ張りながらどこかに向かって歩き始めた。



 ***



 先ほどから歩き続けているが、一向に先が見えない。帰るどころか、更に迷っているような気がする。

「やっぱり、いっぱい遊べるのは楽しいね兄弟!」
「私達二人で遊ぶのもいいけど、アリスとずっと遊んでいたいね兄弟!」
「……」

 しかし、その間もずっと双子はスキップをしながら楽しげに声を弾ませて会話しているため、文句を言う気力が削がれてしまう。
 ショタコンだとか決してそういう趣味があるわけではないけれど、「可愛い」としか言いようがない状況だ。
 それが例え……頬にスペードのマークがあり、私を殺そうとしてきた事があったとしてもだ。

「アリスと一緒だと楽しいね!」
「アリスも楽しいといいね!」
「そうだね、兄弟!」
「どうかな、アリス?」
「……そうね、楽しいわよ」
「「よかったー! 私達も楽しいよ!」」
「そう……それは何よりだわ……」

 体感的には十数分が経った頃。突然、森に甲高い叫び声が響き渡った。

(なに……!?)

 私の他に、このゲームに逃げる側として参加した人がいるのだろうか?それとも、ランクのない街の住人だろうか?

「あ、チェシャ猫の声だ」
「ほんとだ、チェシャ猫の声だ」

 混乱しかけの頭であれこれ考えを巡らせる私をよそに、双子は気の抜けた声を出した。

「行ってみようか、兄弟」
「うん。そうしよう、兄弟」

 彼らは顔を見合わせてにやりと笑い、私の手を強く握り直して走り出そうとした――すると、反対方向から何かが駆けて来る。

「……何?」 

 ものすごい速さでやって来た『それ』は、飛びかかるような勢いでハンプティに抱きついた。
 三人仲良く手を繋いでいたため、私も双子も『それ』と一緒に後ろへひっくり返ってしまう。

「痛っ……!」
「ちょっとちょっと! 何するのさ! アリスがこけちゃったでしょバカ!」
「そうだよバカ! アリスが痛かったって言ってるよ!」
「ね、ねねね、ネズミー! ネズミがいたよぉ!」
「……えっ、チェシャ猫?!」

 走ってきた『それ』の正体はチェシャ猫だった。
 彼女はハンプティにしがみついたままがたがたと震え、私の声に気づくと涙目でこちらを見上げる。

「あっ、ああぁ、アリ……っ、アリスー!」

 ハンプティは「ネズミがぁ! ネズミがぁ!」とむせび泣くチェシャ猫の背中を撫でながら「よしよし、邪魔だよどいて?」と優しく宥め、ダンプティは「アリスに『ごめんなさい』が先だよ!」と尻尾を引っ張っていた。
 立ち上がってスカートについた砂埃を払った後(ネズミに怖がるチェシャ猫……彼らにとっては日常茶飯事なのかしら?)とその光景を眺めていると、背後でガサリと草の動く音がする。

「……アリ、ス……」
「うわぁあああ!! ネズミだぁあああ!!」
「「落ち着きなよ、チェシャ猫」」

 双子の重なる声を聞きながら振り返ると、そこには――荒い息を吐いて苦しそうに表情を歪める、ネムリネズミが立っていた。
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