【完結】アリスゲーム

百崎千鶴

文字の大きさ
上 下
30 / 66

第29話 黒ウサギ

しおりを挟む
(なんでだろう……)

 私は、黒ウサギのことが少し苦手だ。
 彼は別に威圧感を放っているわけではない。むしろ、基本的には人の良さそうな笑みを浮かべており、話しかけやすい雰囲気をまとっている方だ。
 そう、不気味なほどに。

(黒ウサギの、この感じ……)

 そうだ、このぼんやりとした既視感……彼は一応『ウサギ』のはずなのに、食虫植物に似ている。
 自身のふところへわざと標的を惹き寄せて、油断した時に背後から食い殺そうとしているような……そういう意味で、彼は『話しかけやすい』のだと気がついた。

「急がなくても、遅刻なんてしないから大丈夫だよ。アリス」

 辺りには木が生い茂っておりハートの城へ続く道は一本のため、真ん中で立ち塞がられるとそこを通るためには少しよけてもらう必要がある。
 だが、黒ウサギはそんな素振りなど一切みせず、自分の腰に付けたチェーンから繋がる懐中時計を見て「まだ二時四十八分だ」と呑気なことを言っていた。

「あの、黒ウサギ……その、そこを通りたいんだけど……」
「ねえ、アリス。どこに行くの?」

 まるで私の言葉など聞こえていなかったかのように、微笑みを浮かべる黒ウサギ。けれど、その目は全く笑っていないように見えた。
 綺麗に貼り付けられた偽物の笑顔に、背筋が少しだけ寒くなる。

「ああ、もしかして……女王陛下に会いに行こうとか思ってるの?」
「……え、ええ。そうよ……だから、そこを通してくれる……?」

 なぜ、彼の話に合わせてしまったのか自分でもわからない。
 しかし、ここで「白ウサギに会いに行こうとしていた」「サタンを探している」なんて言えるわけがないのも確かだった。

(だって、)

 彼があの二人を良く思っていないという事は、以前お城で目にしたやりとりから学習済みである。さすがの私でも、黒ウサギと一対一の状況で彼らの名前を出すほど馬鹿ではない。

「……」
「……っ、」

 通してほしいと言っておきながら、無言で私を映す彼のルビー色の瞳にわずかな危機感を覚えて後ずさる。
 少ししてから、黒ウサギは笑みを消し「ふーん……」と呟いて目線を逸らした。
 なぜだろう。どうして、先ほどから脳は「逃げて」と警告し続け、もう一人の私は「彼の言葉に耳を傾けちゃいけないわ」と囁いてくるのだろうか。

「あ……あの、私……やっぱり、」
「……ははっ」

 背を向けた瞬間――黒ウサギの小さな笑い声が耳に届き、直後に片腕を掴まれる。
 彼の手を振り払う暇もなく、くるりと強引に体の向きを変えられ、そのままそばにあった木の幹へ背中を叩きつけられた。 

「痛……っ!」
「ねえ、アリス?」

 両手首を黒ウサギに片手で掴まれたまま頭の上に縫い付けられる。
 私の名前を呼ぶ低い声にびくりと肩が跳ねれば、それを見た黒ウサギはたいそう楽しそうに喉の奥を鳴らして笑った。

(こ、こんなに歪んだ性格をしていたの……!? これが本性なのね!? この腹黒ウサギ……!!)

 心の中で悪態をつくが、この状況を打破する効果なんて微塵も無い。
 彼もエースのように心が読めるのなら、多少は効いていたかもしれ……いや、逆効果だっただろうか。

「離して……っ」
「いいことを教えてあげようか?」

 耳元で囁かれると同時に、反対側のこめかみへ『何か』があてがわれる。
 ゆっくりと目線をそちらにやれば、黒い手袋に覆われた彼の手には拳銃が握られており、その銃口は私の頭にぴたりとくっつけられていた。

「……え?」
「今、僕はジョーカーだ」

 ああ、いけない。すっかり平和ボケをしていたわ。
 いや……言うほど『平和』だったわけではないが、ここしばらくはランク持ちの人から銃口を向けられる事も、ナイフを突きつけられた事もなかったため、ジョーカー探しすら忘れかけていた。 

(黒ウサギが、今、ジョーカー……?)

 後悔しても後の祭り。しかし、一つだけとても小さな希望の光を見つける。

(そうよ)

 黒ウサギは私を助けてくれたり、良く思ってくれているのだと受け取れるような発言をしていたこともあった。
 そして、時計屋さんの言っていた『偽物ジョーカーが私を殺せる条件』は、

「私のことが嫌いな偽物ジョーカーだけが、私を殺せる……それなら、」

 あの話が本当なら、黒ウサギは私を殺せない。

「そうだね……じゃあ、試してみようか」

 彼は、にこりと笑って私の二の腕に銃口を向ける――次の瞬間、つんざくような音が森に響いた。
 同時に二の腕はじくりと熱を帯び、少し遅れて激痛が体を駆け巡る。

「~~っ!?  あぁ……っ!?」

 不幸中の幸いなのか、黒ウサギがわざと的を外してくれたのか……弾丸は貫通したわけではなく、少し掠めて肉をえぐっただけのようだ。それでも痛いものは痛いし、もちろん血も出る。

(いたい、いたい……っ! やかれてるみたいに、)

 両手は拘束されているうえ立ちっぱなしのため、患部を押さえることも体を丸めて痛みを逃すこともできない。
 目の前の黒ウサギはただただ楽しそうに笑っていて、考えられる限りとても最悪の状況だ。

「痛い? あ、泣いても良いよ。僕はアリスが泣いても怒ったりしないから安心して」
(なに、言って……安心なんて、できるわけ……っ)

 必死に涙を堪える私の顔を覗き込みながら、黒ウサギは空いている方の手で人差し指を立て、自身の心臓辺りをとんと叩く。
 すると、一瞬ぼんやりとハートのマークが浮かび上がり、それはまばたきの間に蜃気楼のように消えてしまった。

「……いま、の」
「何をしたのか、知りたい? 僕は時計屋と違って嘘を吐くのが得意だから、ちゃんと『アリスのことが嫌いなジョーカー』になれる……自分の心を惑わせるくらい、息をするより簡単な事なんだよ。だから……アリスを殺してあげられるよ」

 今すぐ頭を撃ち抜いてあげようか?
 低く囁き、私の額に銃口を当てる黒ウサギ。

(そんな、こと)

 望むわけがないのは聞く前からわかっているだろうに、この腹黒ウサギはどこまで性格が悪いのだろうか?
 涙の滲む目できつく睨みつけてやれば、彼は「ん? ははっ、生意気だね」と相変わらず私の反応を楽しんでいて……本当に腹が立つ。

「……まあ、僕が本当に言いたかったのはこんな話じゃないんだけどね」
「なによ……!」

 いい加減に手を離してほしいという気持ちを込めて軽く暴れてやるが彼は力を緩める気配もなく、もう一度先ほどのように自身の左胸を人差し指でとんと叩いてから拳銃を懐中時計に戻した。

「今から城に行ったって、女王陛下は居ないよ」
「……もしかして……女王様まで、消えたって言うの……?」
「あれ、もう知ってたんだ? アリスは理解が早くていい子だね。賢い賢い」

 言葉を失う。
 イカレウサギに続いて、女王様までいなくなってしまっただなんて。 

「……」

 黒ウサギは黙り込む私をちらりと見てから、撃たれた方の二の腕に顔を近づける。
 兎耳の柔らかな毛が肌を掠めてくすぐったさに身をよじると、新たな痛みが全身を襲った。

「い、たっ……! い、痛いっ! 黒ウサギ、痛い……っ!」
「ん……?」

 黒ウサギが、傷口を舐めている。
 激痛は勿論だが、ぬるりとした舌の感触も気持ち悪い。

「やめ、て……っ、痛い……! お願い、やめ、」
「うるさいな……少しくらい大人しくしててよ」
「ゔっ……! 痛っ……!」

 動かせる下半身で黒ウサギをどかそうともがけば、股の間に片足をねじ込まれ押さえつけられた。
 なすがままになり、しばらくしてから患部に痛みを感じなくなってくると、黒ウサギはやっと口を離す。
 彼は荒く息を吐く私の顎を空いている方の手で持ち上げ、親指で頬をするりと撫でてから「はい、治った」と言って笑った。

「……え?」
「アリス」

 黒ウサギは口の回りに血をつけたまま、息のかかる距離まで顔を近づけてくる。

「ははっ……泣いちゃったの? アリスのその顔、すごく可愛いね」
「う、うるさい……っ!」
「ねえ……僕は簡単に、アリスのことを大嫌いになれるけど……時計屋は、自分に嘘がつけないくらいアリスのことが大好きだよね」

 口元に三日月を描きながら赤い舌で血を舐めとるその姿はひどく妖艶だ。
 ぼけっと無言で眺める私をよそに、黒ウサギは言葉を続ける。

「時計屋は……アリスが大嫌いな『アリス』のことを、大好きだ」

 私が大嫌いな、私。
 それを聞いて、ほんの一瞬だけ呼吸が詰まった。 

「……私……私、は、」
「アリスは自分の事が大嫌い……だから、みんなもアリスが大嫌い」
「私は、私が……大嫌い……」

 瞬間――フラッシュバックのように、映像と感覚が脳裏で鮮明に蘇った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

シャーロック・モリアーティ

名久井悟朗
ミステリー
大正時代日本によく似た世界。  西岩森也(にしいわ しんや)という、放蕩が過ぎ家を追い出された少年がいた。  少年は何の因果か、誰の仕業か、他自共に認める名探偵にして最悪の性格破綻者寺、城冬華(てらしろ とうか)の下で働く事となり、怪事件の渦中へと足を踏み入れいていく。

強制憑依アプリを使ってみた。

本田 壱好
ミステリー
十八年間モテた試しが無かった俺こと童定春はある日、幼馴染の藍良舞に告白される。 校内一の人気を誇る藍良が俺に告白⁈ これは何かのドッキリか?突然のことに俺は返事が出来なかった。 不幸は続くと言うが、その日は不幸の始まりとなるキッカケが多くあったのだと今となっては思う。 その日の夜、小学生の頃の友人、鴨居常叶から当然連絡が掛かってきたのも、そのキッカケの一つだ。 話の内容は、強制憑依アプリという怪しげなアプリの話であり、それをインストールして欲しいと言われる。 頼まれたら断れない性格の俺は、送られてきたサイトに飛んで、その強制憑依アプリをインストールした。 まさかそれが、運命を大きく変える出来事に発展するなんて‥。当時の俺は、まだ知る由もなかった。

九竜家の秘密

しまおか
ミステリー
【第6回ホラー・ミステリー小説大賞・奨励賞受賞作品】資産家の九竜久宗六十歳が何者かに滅多刺しで殺された。現場はある会社の旧事務所。入室する為に必要なカードキーを持つ三人が容疑者として浮上。その内アリバイが曖昧な女性も三郷を、障害者で特殊能力を持つ強面な県警刑事課の松ヶ根とチャラキャラを演じる所轄刑事の吉良が事情聴取を行う。三郷は五十一歳だがアラサーに見紛う異形の主。さらに訳ありの才女で言葉巧みに何かを隠す彼女に吉良達は翻弄される。密室とも呼ぶべき場所で殺されたこと等から捜査は難航。多額の遺産を相続する人物達やカードキーを持つ人物による共犯が疑われる。やがて次期社長に就任した五十八歳の敏子夫人が海外から戻らないまま、久宗の葬儀が行われた。そうして徐々に九竜家における秘密が明らかになり、松ヶ根達は真実に辿り着く。だがその結末は意外なものだった。

皇帝の番~2度目の人生謳歌します!~

saku
恋愛
竜人族が治める国で、生まれたルミエールは前世の記憶を持っていた。 前世では、一国の姫として生まれた。両親に愛されずに育った。 国が戦で負けた後、敵だった竜人に自分の番だと言われ。遠く離れたこの国へと連れてこられ、婚約したのだ……。 自分に優しく接してくれる婚約者を、直ぐに大好きになった。その婚約者は、竜人族が治めている帝国の皇帝だった。 幸せな日々が続くと思っていたある日、婚約者である皇帝と一人の令嬢との密会を噂で知ってしまい、裏切られた悲しさでどんどんと痩せ細り死んでしまった……。 自分が死んでしまった後、婚約者である皇帝は何十年もの間深い眠りについていると知った。 前世の記憶を持っているルミエールが、皇帝が眠っている王都に足を踏み入れた時、止まっていた歯車が動き出す……。 ※小説家になろう様でも公開しています

Amnesia(アムネシア)~カフェ「時遊館」に現れた美しい青年は記憶を失っていた~

紫紺
ミステリー
郊外の人気カフェ、『時游館』のマスター航留は、ある日美しい青年と出会う。彼は自分が誰かも全て忘れてしまう記憶喪失を患っていた。 行きがかり上、面倒を見ることになったのが……。

男装官吏と花散る後宮〜禹国謎解き物語〜

春日あざみ
キャラ文芸
<第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。応援ありがとうございました!> 宮廷で史書編纂事業が立ち上がると聞き、居ても立ってもいられなくなった歴史オタクの柳羅刹(りゅうらせつ)。男と偽り官吏登用試験、科挙を受験し、見事第一等の成績で官吏となった彼女だったが。珍妙な仮面の貴人、雲嵐に女であることがバレてしまう。皇帝の食客であるという彼は、羅刹の秘密を守る代わり、後宮の悪霊によるとされる妃嬪の連続不審死事件の調査を命じる。 しかたなく羅刹は、悪霊について調べ始めるが——? 「歴女×仮面の貴人(奇人?)」が紡ぐ、中華風世界を舞台にしたミステリ開幕!

伏線回収の夏

影山姫子
ミステリー
ある年の夏。俺は15年ぶりにT県N市にある古い屋敷を訪れた。大学時代のクラスメイトだった岡滝利奈の招きだった。屋敷で不審な事件が頻発しているのだという。かつての同級生の事故死。密室から消えた犯人。アトリエにナイフで刻まれた無数のX。利奈はそのなぞを、ミステリー作家であるこの俺に推理してほしいというのだ。俺、利奈、桐山優也、十文字省吾、新山亜沙美、須藤真利亜の6人は大学時代、この屋敷でともに芸術の創作に打ち込んだ仲間だった。6人の中に犯人はいるのか? 脳裏によみがえる青春時代の熱気、裏切り、そして別れ。懐かしくも苦い思い出をたどりながら事件の真相に近づく俺に、衝撃のラストが待ち受けていた。 《あなたはすべての伏線を回収することができますか?》

処理中です...