9 / 66
第8話 夢ではない
しおりを挟む
朝――この世界にそういった概念があるのかまだわからないが、朝日が登っていたので『そう』なのだと思う。
目が覚めてから早々に驚いた。
「……え、」
私が昨晩ねむりについた場所は、時計屋さん宅の客室に設置されたベッド。そのはずなのに、
(なに? ここ……)
私は今、全く別の――とても見覚えのある場所に居た。
綺麗に整備された芝生、花壇で咲き誇る花たち、そんな庭を囲うように生えた木。どれも見飽きた風景で、私が元いた世界の眺めだ。
けれど、一つだけ決定的に違う箇所がある。
色が、無いのだ。
(変な感じ……)
景色は確かに、実家の裏にあった庭と同じで、一瞬だけ「帰って来たのかしら?」と胸が躍りかけたのだが……違う。
あそこは今いる場所のようにモノクロではなく、きちんと色が付いていたのだから。
「記憶とは、とても曖昧なものだからね。鮮明に隅々まで色彩を覚えている事は、きっと少ないんじゃないか?」
私一人だと思っていた異様な世界に、とんと誰かの声が響いた。どこか、とても懐かしい……心が落ち着くような、低く優しい声。
(誰の、声だった……?)
記憶を辿りながら振り返れば、口元に三日月型を描いたままふわりと宙に浮く男性が一人、そこにいた。
胸元のボタンをいくつか外した、とてもだらしない服装。ロングコートの腰回りに長いベルトを通し、針のない懐中時計をネックレスのように首からぶら下げている。
「……?」
その男性は、格好こそ大きく違っているが……なぜか、顔に見覚えがあった。既視感、デジャヴ。どう言い表すべきだろうか?
たしかに……もっと以前に、この世界ではないどこかで会っている……と、思う。そのはずだと、心の奥でもう一人の自分が叫んでいるような気がした。
「アリス、無理に思い出さなくていい。まあ……どちらにしても、今はまだ、思い出せはしないだろうが……」
男性はふわりと空中を歩いて私の前へやって来ると、慈しむように目を細めて優しく頭を撫でてくる。
(……やっぱり、)
とても、懐かしい感覚……同時に、とてつもない違和感が襲いかかった。
違う、と脳が強く否定する。以前、出会ったのはこの男ではない……という意味ではなくて、もっと別の、
「……これは、夢?」
「ん? ははっ、おかしな事を言う。アリス……これは夢ではない、現実だよ」
現実。
「……いいえ、夢よ。夢でなければ、私は一度双子に刺されたのだから死んでいるはずだし、ナイフはトランプにはならない。人が浮いたりもしないわ」
「ふむ、現実主義者なのは良い事だ。だが……この世界も、今ここにいるアリスも、全て夢ではない。現実だ」
小さな子供に言い聞かせるかのような、とても優しい口調と声音。その言葉に、「これは現実なんだよ、夢ではないよ」と、脳みそまで錯覚しそうになる。
違う、これは夢だ。この世界も、ここにいる私も、目の前の彼も……何もかも全て、
「全て、夢ではないさ」
「……!? あなた……こ、心が読めるの?」
「いいや? そうではないが、『それ』に近いことはできる。なんせ私は、アリスや他の住民の――だからね」
(……?)
他の住民たちの、から先の言葉が一瞬聞き取れなかった。
彼が口を動かしていたのは確かなのに、何と言っていたのかだけがわからない。まるで少しの間だけ、音を消したテレビを眺めていたかのよう。
「それは、今は知る必要がないと言う意味だろう」
目の前の男性は、空中でふわりと体勢を変えて足を組みながら、小さく喉を鳴らして笑う。
ああ、全てがもどかしい。知っているはずなのに、思い出せない。喋っているのに、聞き取れない。
なぜ、どうして、と自問ばかりが続く。
「アリス、自分を責める必要はないよ。今は知る必要がない……たったそれだけのことで、それが目の前に在る現実だ」
「……ねえ……あなたは、私の過去を知っているの?」
「……私は、アリスや他の住民の――だから、もちろん知っているが、知らないとも言える。ただ……私が三つ、君に伝えたい事は……」
どこか悲しげな笑顔と、男性の首筋に刻まれた『A』という文字が目に入った瞬間、モノクロの世界はガラスのように弾け飛んで、彼の姿は破片と共に消え去り、元いた時計屋さん宅の客室へ戻ってしまった。
(……)
夢のような世界で寸前に落とされた言葉を、頭の中で繰り返す。
「私が三つ、君に伝えたい事は……力になれなくて、すまなかった。私は……アリスにはもう二度と、この世界へ来てほしくなった。この世界に来る必要がない、そんな風に……なって、ほしかった」
(ねえ、名前も知らないあなた……あれは、どういう意味なの? あなたは、何を知っているの?)
エプロンドレスの端に付いたモノクロの花びらまで、「これは夢ではないよ」と私に言っているようだった。
目が覚めてから早々に驚いた。
「……え、」
私が昨晩ねむりについた場所は、時計屋さん宅の客室に設置されたベッド。そのはずなのに、
(なに? ここ……)
私は今、全く別の――とても見覚えのある場所に居た。
綺麗に整備された芝生、花壇で咲き誇る花たち、そんな庭を囲うように生えた木。どれも見飽きた風景で、私が元いた世界の眺めだ。
けれど、一つだけ決定的に違う箇所がある。
色が、無いのだ。
(変な感じ……)
景色は確かに、実家の裏にあった庭と同じで、一瞬だけ「帰って来たのかしら?」と胸が躍りかけたのだが……違う。
あそこは今いる場所のようにモノクロではなく、きちんと色が付いていたのだから。
「記憶とは、とても曖昧なものだからね。鮮明に隅々まで色彩を覚えている事は、きっと少ないんじゃないか?」
私一人だと思っていた異様な世界に、とんと誰かの声が響いた。どこか、とても懐かしい……心が落ち着くような、低く優しい声。
(誰の、声だった……?)
記憶を辿りながら振り返れば、口元に三日月型を描いたままふわりと宙に浮く男性が一人、そこにいた。
胸元のボタンをいくつか外した、とてもだらしない服装。ロングコートの腰回りに長いベルトを通し、針のない懐中時計をネックレスのように首からぶら下げている。
「……?」
その男性は、格好こそ大きく違っているが……なぜか、顔に見覚えがあった。既視感、デジャヴ。どう言い表すべきだろうか?
たしかに……もっと以前に、この世界ではないどこかで会っている……と、思う。そのはずだと、心の奥でもう一人の自分が叫んでいるような気がした。
「アリス、無理に思い出さなくていい。まあ……どちらにしても、今はまだ、思い出せはしないだろうが……」
男性はふわりと空中を歩いて私の前へやって来ると、慈しむように目を細めて優しく頭を撫でてくる。
(……やっぱり、)
とても、懐かしい感覚……同時に、とてつもない違和感が襲いかかった。
違う、と脳が強く否定する。以前、出会ったのはこの男ではない……という意味ではなくて、もっと別の、
「……これは、夢?」
「ん? ははっ、おかしな事を言う。アリス……これは夢ではない、現実だよ」
現実。
「……いいえ、夢よ。夢でなければ、私は一度双子に刺されたのだから死んでいるはずだし、ナイフはトランプにはならない。人が浮いたりもしないわ」
「ふむ、現実主義者なのは良い事だ。だが……この世界も、今ここにいるアリスも、全て夢ではない。現実だ」
小さな子供に言い聞かせるかのような、とても優しい口調と声音。その言葉に、「これは現実なんだよ、夢ではないよ」と、脳みそまで錯覚しそうになる。
違う、これは夢だ。この世界も、ここにいる私も、目の前の彼も……何もかも全て、
「全て、夢ではないさ」
「……!? あなた……こ、心が読めるの?」
「いいや? そうではないが、『それ』に近いことはできる。なんせ私は、アリスや他の住民の――だからね」
(……?)
他の住民たちの、から先の言葉が一瞬聞き取れなかった。
彼が口を動かしていたのは確かなのに、何と言っていたのかだけがわからない。まるで少しの間だけ、音を消したテレビを眺めていたかのよう。
「それは、今は知る必要がないと言う意味だろう」
目の前の男性は、空中でふわりと体勢を変えて足を組みながら、小さく喉を鳴らして笑う。
ああ、全てがもどかしい。知っているはずなのに、思い出せない。喋っているのに、聞き取れない。
なぜ、どうして、と自問ばかりが続く。
「アリス、自分を責める必要はないよ。今は知る必要がない……たったそれだけのことで、それが目の前に在る現実だ」
「……ねえ……あなたは、私の過去を知っているの?」
「……私は、アリスや他の住民の――だから、もちろん知っているが、知らないとも言える。ただ……私が三つ、君に伝えたい事は……」
どこか悲しげな笑顔と、男性の首筋に刻まれた『A』という文字が目に入った瞬間、モノクロの世界はガラスのように弾け飛んで、彼の姿は破片と共に消え去り、元いた時計屋さん宅の客室へ戻ってしまった。
(……)
夢のような世界で寸前に落とされた言葉を、頭の中で繰り返す。
「私が三つ、君に伝えたい事は……力になれなくて、すまなかった。私は……アリスにはもう二度と、この世界へ来てほしくなった。この世界に来る必要がない、そんな風に……なって、ほしかった」
(ねえ、名前も知らないあなた……あれは、どういう意味なの? あなたは、何を知っているの?)
エプロンドレスの端に付いたモノクロの花びらまで、「これは夢ではないよ」と私に言っているようだった。
0
お気に入りに追加
14
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
強制憑依アプリを使ってみた。
本田 壱好
ミステリー
十八年間モテた試しが無かった俺こと童定春はある日、幼馴染の藍良舞に告白される。
校内一の人気を誇る藍良が俺に告白⁈
これは何かのドッキリか?突然のことに俺は返事が出来なかった。
不幸は続くと言うが、その日は不幸の始まりとなるキッカケが多くあったのだと今となっては思う。
その日の夜、小学生の頃の友人、鴨居常叶から当然連絡が掛かってきたのも、そのキッカケの一つだ。
話の内容は、強制憑依アプリという怪しげなアプリの話であり、それをインストールして欲しいと言われる。
頼まれたら断れない性格の俺は、送られてきたサイトに飛んで、その強制憑依アプリをインストールした。
まさかそれが、運命を大きく変える出来事に発展するなんて‥。当時の俺は、まだ知る由もなかった。

九竜家の秘密
しまおか
ミステリー
【第6回ホラー・ミステリー小説大賞・奨励賞受賞作品】資産家の九竜久宗六十歳が何者かに滅多刺しで殺された。現場はある会社の旧事務所。入室する為に必要なカードキーを持つ三人が容疑者として浮上。その内アリバイが曖昧な女性も三郷を、障害者で特殊能力を持つ強面な県警刑事課の松ヶ根とチャラキャラを演じる所轄刑事の吉良が事情聴取を行う。三郷は五十一歳だがアラサーに見紛う異形の主。さらに訳ありの才女で言葉巧みに何かを隠す彼女に吉良達は翻弄される。密室とも呼ぶべき場所で殺されたこと等から捜査は難航。多額の遺産を相続する人物達やカードキーを持つ人物による共犯が疑われる。やがて次期社長に就任した五十八歳の敏子夫人が海外から戻らないまま、久宗の葬儀が行われた。そうして徐々に九竜家における秘密が明らかになり、松ヶ根達は真実に辿り着く。だがその結末は意外なものだった。
皇帝の番~2度目の人生謳歌します!~
saku
恋愛
竜人族が治める国で、生まれたルミエールは前世の記憶を持っていた。
前世では、一国の姫として生まれた。両親に愛されずに育った。
国が戦で負けた後、敵だった竜人に自分の番だと言われ。遠く離れたこの国へと連れてこられ、婚約したのだ……。
自分に優しく接してくれる婚約者を、直ぐに大好きになった。その婚約者は、竜人族が治めている帝国の皇帝だった。
幸せな日々が続くと思っていたある日、婚約者である皇帝と一人の令嬢との密会を噂で知ってしまい、裏切られた悲しさでどんどんと痩せ細り死んでしまった……。
自分が死んでしまった後、婚約者である皇帝は何十年もの間深い眠りについていると知った。
前世の記憶を持っているルミエールが、皇帝が眠っている王都に足を踏み入れた時、止まっていた歯車が動き出す……。
※小説家になろう様でも公開しています
Amnesia(アムネシア)~カフェ「時遊館」に現れた美しい青年は記憶を失っていた~
紫紺
ミステリー
郊外の人気カフェ、『時游館』のマスター航留は、ある日美しい青年と出会う。彼は自分が誰かも全て忘れてしまう記憶喪失を患っていた。
行きがかり上、面倒を見ることになったのが……。
男装官吏と花散る後宮〜禹国謎解き物語〜
春日あざみ
キャラ文芸
<第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。応援ありがとうございました!>
宮廷で史書編纂事業が立ち上がると聞き、居ても立ってもいられなくなった歴史オタクの柳羅刹(りゅうらせつ)。男と偽り官吏登用試験、科挙を受験し、見事第一等の成績で官吏となった彼女だったが。珍妙な仮面の貴人、雲嵐に女であることがバレてしまう。皇帝の食客であるという彼は、羅刹の秘密を守る代わり、後宮の悪霊によるとされる妃嬪の連続不審死事件の調査を命じる。
しかたなく羅刹は、悪霊について調べ始めるが——?
「歴女×仮面の貴人(奇人?)」が紡ぐ、中華風世界を舞台にしたミステリ開幕!
伏線回収の夏
影山姫子
ミステリー
ある年の夏。俺は15年ぶりにT県N市にある古い屋敷を訪れた。大学時代のクラスメイトだった岡滝利奈の招きだった。屋敷で不審な事件が頻発しているのだという。かつての同級生の事故死。密室から消えた犯人。アトリエにナイフで刻まれた無数のX。利奈はそのなぞを、ミステリー作家であるこの俺に推理してほしいというのだ。俺、利奈、桐山優也、十文字省吾、新山亜沙美、須藤真利亜の6人は大学時代、この屋敷でともに芸術の創作に打ち込んだ仲間だった。6人の中に犯人はいるのか? 脳裏によみがえる青春時代の熱気、裏切り、そして別れ。懐かしくも苦い思い出をたどりながら事件の真相に近づく俺に、衝撃のラストが待ち受けていた。
《あなたはすべての伏線を回収することができますか?》
転生悪役令息、雌落ち回避で溺愛地獄!?義兄がラスボスです!
めがねあざらし
BL
人気BLゲーム『ノエル』の悪役令息リアムに転生した俺。
ゲームの中では「雌落ちエンド」しか用意されていない絶望的な未来が待っている。
兄の過剰な溺愛をかわしながらフラグを回避しようと奮闘する俺だが、いつしか兄の目に奇妙な影が──。
義兄の溺愛が執着へと変わり、ついには「ラスボス化」!?
このままじゃゲームオーバー確定!?俺は義兄を救い、ハッピーエンドを迎えられるのか……。
※タイトル変更(2024/11/27)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる