【完結】アリスゲーム

百崎千鶴

文字の大きさ
上 下
7 / 66

第6話 時計屋

しおりを挟む
 チェシャ猫が指差した小屋までは、実際に歩いてみると目で見た以上に結構な距離があった。

(こ、こんなに遠かった……?)

 森に囲まれこじんまりとした街中を、目的地へ向けて足を進めていると、ふと小さな疑問が浮かび違和感に気がつく。

「……?」

 街中には、チェシャ猫の指差した小屋だけではなく、他にもいくつかの家があった。誰かが住んでいる雰囲気は感じ取れるというのに、人の姿が一切見当たらない。物音もせず、野良猫の一匹もいない……まるで、
 
(ここだけ、時が止まっているみたい)
「やあ。やっぱりここに来たんだね、アリス」

 突然、耳に届いたアルトの声に驚いて勢いよく振り返ると、そこに立っていたのはこの世界へ来て最初に出会った――大きな懐中時計を斜め掛けポシェットのように所持し、チョッキを着て胡散臭い笑みを浮かべる、黒いウサギ耳の生えた男。

「あなた、は……」
「……ああ。そういえば、まだ自己紹介してなかったんだっけ。僕は……黒ウサギだよ、アリス」

 口元の三日月型を崩さず『黒ウサギ』と名乗った男は、私への殺意が無い……ように、思えた。
 それでも少し警戒しつつ二、三歩後ずさって距離を置くと、彼はクスリと笑いながら小屋の方へ歩を進める。

「ほら、おいでよ」
「……言われなくても行くわ。私はそっちに用事があるんだもの」
「ああ、うん。そうだろうね。だって、アリスは時計屋に“頼らなきゃいけない”もんね」

 時計屋……初めて耳にする名前だ……と、思う。

「……」
 
 特に言葉は返さず、二人で黙々と足を進めていると、やっと小屋までたどり着いた。遠目からは小さな建物に見えたが、こうして目の前にするとそこそこ大きな家である。 
 
「こ、この家に入ればいいのかしら……」

 チェシャ猫はただ「あそこへ行くといい」とだけ言っていた。だが、そのあと何をすればいいのか、私はどうするべきかまでは説明を受けていない。
 あの猫に限った話では無いが、あまりにも無責任だ。
 今度会った時には文句を言ってやらなければと考えていた時、今まで沈黙を貫いていた黒ウサギがゆっくりと口を開く。

「ねぇ、アリス。ここから二枚選んで」

 そう言って彼がこちらに差し出したのは、いつの間にかその手に現れていたトランプ約十枚。言われた通り、適当に二枚を選んで表を見てみると、それは両方ともジョーカーだった。

「……っ?!」

 偶然か、単なるマジックか。瞬きも忘れ硬直していると、黒ウサギは表情を崩さないまま言葉を続ける。

「アリス、気をつけてね。ジョーカーは何にでも化けて、簡単にアリスを騙し、混乱させる。この国では、誰も信じちゃいけないよ。自分自身のことも、ね」
「自分の、ことも……?」
「……可哀想で可愛いアリス。僕以外の嘘つきに、惑わされちゃダメだよ。それはだから」

 そこで言葉を切ると、黒ウサギは踵を返してもと来た道を戻り、森の奥へ消えていった。
 手元に残されたトランプを見ながら、なぞなぞのような言葉に頭を悩ませていると、真後ろから届いた声が鼓膜をノックする。

(えっ……? どうして? いつの間に? 足音が、しなかった)
「人の家の前で……ぼーっと立ってちゃ駄目だろ。空き巣だと思われる」

 ひやり、後頭部に当たる丸く冷たい物に、カチャリと鳴る音。
 この物体が何なのか、私は知っている。

「あ……」

 銃口だ。私の頭には今、銃口が密着している。背後にいる人物が引き金を引けば、私の頭はいとも簡単に吹き飛んでしまうだろう。

「……空き巣は、見つかったら始末されるものだし。ね?」

 ああ、
 
(確実に、殺される)

 こんな至近距離では、今サタンが来てくれた所で助かる可能性は無いに等しかった。
 そもそも、そんなにタイミング良く……さながら、お姫様を守るナイトのように、あの男が颯爽と現れるのかすら怪しい。
 つまりは、

(死ぬ、殺される……! 死ぬ、死ぬ。死んじゃう……!)

 涙が滲み歪み始めた視界に瞼で蓋をして、最期の瞬間を待った。だが、私の耳に届いたのは耳をつんざくような銃声ではなく、

「ばーん」

 という、気の抜けるような声。

「……え?」
「ジョーカーになっちゃったから、アリスを殺してあげなきゃいけない、っていうのはわかってるんだけど……うーん、なんか……めんどくさいよね。気分じゃないし、他のやり方があると思う……って、今回はアリスに言っても駄目なんだっけ?」

 後頭部に当てられていた物体が離され、慌てて体ごと振り向けば、くせっ毛だらけの長いクリーム色の髪を一本にゆるく束ね、首から複数の懐中時計をぶら下げた男がいた。

(誰……?)
 
 私から見て左側の目は長い前髪で隠されており、右の頬にはダイヤのマークが刻まれている。
 前髪に覆われていないエメラルドグリーンの右目は見るからに眠そうで、見るからにだるさ全開のその男は、先ほどまで私の後頭部に当てていたであろう銃を懐中時計に戻して胸ポケットへしまい、私と目線が交わった途端に慌てふためき始めた。

「あ、あー……ごめん。怖かった? いや、そうだよな。アリスを泣かせるつもりはなかったんだけど……」

 男性は「ごめんね」と言いながら、黒い革製の手袋で覆われた片手を私の頬に置き、指先で目尻の涙を拭ってくれる。

「……あなたは、私を殺さないの?」
「ん? うん。めんどくさい……それに、銃を撃つと反動で腕が痺れる……あの感じ、嫌なんだよな……」

 気だるそうに言ってのけ、ぽんぽんと私の頭を撫でてから、目の前にあった家の扉を何の躊躇いもなく開けてしまうその男性。
 勝手に入ったら家主に叱られるんじゃないかしらと焦りながら、恐る恐る玄関の敷居をまたぐ私をよそに、男性は部屋の角の書斎らしき場所に置かれた椅子に我が物顔で腰掛けてしまった。

「……アリス、何してるの? ニンジャごっこ?」
「ち、違うわよ!」
「ふーん……じゃあここ、おいで」

 彼が指差したのは、部屋の中央に置かれたソファ。

「勝手に入って、そのうえくつろぐなんて……大丈夫なのかしら……」
「……? 勝手にも何も、我が家だよ」

 背もたれに体を預け、『チョコチップ』と書かれた袋を抱えて中身をばりぼりと貪る姿からは、始終だるさしか感じられない。
 彼の中に、殺意と呼ばれる感情が存在した事はあるのかすら疑問に思えてきた。

「じゃ、じゃあ……失礼して……」
「うーん、堅苦しいな……」

 私よりは明らかに年上。それなのに、まるで小さな子供のようにチョコチップを食べ続けるその男性。
 ソファに腰掛けまじまじと観察していると、彼はチョコのついた指を舐めて思い出したような声を出した。

「あ、そうだ。時計屋、ね」
「……えっと……あなたが、時計屋……さん?」
「ん、そう。時計屋さん」

 空になった袋を丸めてゴミ箱にポイと投げ捨て、男性――時計屋さんは、のんびりとした動作でこちらへ向き直る。

「おかえり。あと……『また』よろしくね、アリス」 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

シャーロック・モリアーティ

名久井悟朗
ミステリー
大正時代日本によく似た世界。  西岩森也(にしいわ しんや)という、放蕩が過ぎ家を追い出された少年がいた。  少年は何の因果か、誰の仕業か、他自共に認める名探偵にして最悪の性格破綻者寺、城冬華(てらしろ とうか)の下で働く事となり、怪事件の渦中へと足を踏み入れいていく。

強制憑依アプリを使ってみた。

本田 壱好
ミステリー
十八年間モテた試しが無かった俺こと童定春はある日、幼馴染の藍良舞に告白される。 校内一の人気を誇る藍良が俺に告白⁈ これは何かのドッキリか?突然のことに俺は返事が出来なかった。 不幸は続くと言うが、その日は不幸の始まりとなるキッカケが多くあったのだと今となっては思う。 その日の夜、小学生の頃の友人、鴨居常叶から当然連絡が掛かってきたのも、そのキッカケの一つだ。 話の内容は、強制憑依アプリという怪しげなアプリの話であり、それをインストールして欲しいと言われる。 頼まれたら断れない性格の俺は、送られてきたサイトに飛んで、その強制憑依アプリをインストールした。 まさかそれが、運命を大きく変える出来事に発展するなんて‥。当時の俺は、まだ知る由もなかった。

九竜家の秘密

しまおか
ミステリー
【第6回ホラー・ミステリー小説大賞・奨励賞受賞作品】資産家の九竜久宗六十歳が何者かに滅多刺しで殺された。現場はある会社の旧事務所。入室する為に必要なカードキーを持つ三人が容疑者として浮上。その内アリバイが曖昧な女性も三郷を、障害者で特殊能力を持つ強面な県警刑事課の松ヶ根とチャラキャラを演じる所轄刑事の吉良が事情聴取を行う。三郷は五十一歳だがアラサーに見紛う異形の主。さらに訳ありの才女で言葉巧みに何かを隠す彼女に吉良達は翻弄される。密室とも呼ぶべき場所で殺されたこと等から捜査は難航。多額の遺産を相続する人物達やカードキーを持つ人物による共犯が疑われる。やがて次期社長に就任した五十八歳の敏子夫人が海外から戻らないまま、久宗の葬儀が行われた。そうして徐々に九竜家における秘密が明らかになり、松ヶ根達は真実に辿り着く。だがその結末は意外なものだった。

皇帝の番~2度目の人生謳歌します!~

saku
恋愛
竜人族が治める国で、生まれたルミエールは前世の記憶を持っていた。 前世では、一国の姫として生まれた。両親に愛されずに育った。 国が戦で負けた後、敵だった竜人に自分の番だと言われ。遠く離れたこの国へと連れてこられ、婚約したのだ……。 自分に優しく接してくれる婚約者を、直ぐに大好きになった。その婚約者は、竜人族が治めている帝国の皇帝だった。 幸せな日々が続くと思っていたある日、婚約者である皇帝と一人の令嬢との密会を噂で知ってしまい、裏切られた悲しさでどんどんと痩せ細り死んでしまった……。 自分が死んでしまった後、婚約者である皇帝は何十年もの間深い眠りについていると知った。 前世の記憶を持っているルミエールが、皇帝が眠っている王都に足を踏み入れた時、止まっていた歯車が動き出す……。 ※小説家になろう様でも公開しています

Amnesia(アムネシア)~カフェ「時遊館」に現れた美しい青年は記憶を失っていた~

紫紺
ミステリー
郊外の人気カフェ、『時游館』のマスター航留は、ある日美しい青年と出会う。彼は自分が誰かも全て忘れてしまう記憶喪失を患っていた。 行きがかり上、面倒を見ることになったのが……。

男装官吏と花散る後宮〜禹国謎解き物語〜

春日あざみ
キャラ文芸
<第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。応援ありがとうございました!> 宮廷で史書編纂事業が立ち上がると聞き、居ても立ってもいられなくなった歴史オタクの柳羅刹(りゅうらせつ)。男と偽り官吏登用試験、科挙を受験し、見事第一等の成績で官吏となった彼女だったが。珍妙な仮面の貴人、雲嵐に女であることがバレてしまう。皇帝の食客であるという彼は、羅刹の秘密を守る代わり、後宮の悪霊によるとされる妃嬪の連続不審死事件の調査を命じる。 しかたなく羅刹は、悪霊について調べ始めるが——? 「歴女×仮面の貴人(奇人?)」が紡ぐ、中華風世界を舞台にしたミステリ開幕!

伏線回収の夏

影山姫子
ミステリー
ある年の夏。俺は15年ぶりにT県N市にある古い屋敷を訪れた。大学時代のクラスメイトだった岡滝利奈の招きだった。屋敷で不審な事件が頻発しているのだという。かつての同級生の事故死。密室から消えた犯人。アトリエにナイフで刻まれた無数のX。利奈はそのなぞを、ミステリー作家であるこの俺に推理してほしいというのだ。俺、利奈、桐山優也、十文字省吾、新山亜沙美、須藤真利亜の6人は大学時代、この屋敷でともに芸術の創作に打ち込んだ仲間だった。6人の中に犯人はいるのか? 脳裏によみがえる青春時代の熱気、裏切り、そして別れ。懐かしくも苦い思い出をたどりながら事件の真相に近づく俺に、衝撃のラストが待ち受けていた。 《あなたはすべての伏線を回収することができますか?》

処理中です...