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第二十五話 餌食

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「……ほ、んとう、に……?」

 ――……彼なら、私にかけられた『呪い』を解き、不死ではない少女アリスに戻すことができる。
 変わらぬ微笑みとともに告げられたその甘い言葉を素直に飲み込めずとっさに問い返すと、蜘蛛男は一秒も躊躇ためらうことなく「うん」と頷きゆっくり手を離した。

「……あ、そうだ! アリスくん、体調はどう?」
「え? ええ……もう何ともないわ」
「そっか、よかった~。それじゃあ、場所を変えて話をしようか」

 瞬間、どこからともなく彼の足元に白いスリッパが一足現れる。さも「はじめからここにありましたよ」とでも言いたげな“それ”をひょいと持ち上げた蜘蛛男は、「最近あんまり廊下を掃除できてないからね~」などと呑気なセリフを添えながら私に履くよううながした。

「……」

 ついさっき顔を合わせたばかりの得体の知れない薄気味悪い物に足を通したくなんてないわ、かぶりつかれて怪我でもしたらたまらないもの。
 本来であればそう断り堂々と裸足で廊下を歩く場面ではあるが、彼が私にとっての救世主やデウスの類である可能性が浮上した今、脳みその中に不平不満の言葉が並ぶ状況であっても大概の事は受け入れるべきなのではないかと

「……ありがとう」
「いえいえ~」

 ベッドサイドに腰掛けたまま恐る恐るスリッパに足をくぐらせ立ち上がると、蜘蛛男は紳士さながらスマートな動きで私の片手を取り、歩幅を合わせながら部屋の扉までエスコートしてくれた。
 そのまま廊下に出たところで一言感謝の意を述べてから手を離し、蜘蛛男の一歩後ろをついて歩く。

「……」

 ここがどこなのかまだ把握できていないが、一般市民の一軒家でないことだけは確かだった。
 前方に長く伸びた大理石の床、等間隔にいくつも設置された扉。見渡す限り真っ白白の壁紙と、燭台しょくだいに乗って申し訳程度に人参色の光を灯す蝋燭ろうそく。蜘蛛男が富豪でもない限り、『民家』の一言で片付けるには無理があるだろう。

(何者なの……?)

 と、その時だった。

「!?」

 ――……チリン。一つ、鈴の音。
 ひどく聞き覚えのある“それ”に思わず足を止めて振り返る。

「……? アリスくん? どうかした?」
「い、ま……今……鈴の、音が……」
「鈴? 俺には何も聞こえなかったよ~?」

 彼はそう言うが、綺麗な高音がついさっきはっきりと私の鼓膜を揺らしたはず。
 しかし、目線の先に人影どころか猫一匹見当たらないのも事実で、あれは幻聴だったのだと自分に言い聞かせる他なかった。



***



 また少しだけ廊下を歩き、シンデレラの物語に出てきたような階段を降って辿り着いた先には、美しい彫刻の施された大きな扉がどんと構えていた。

「ひらけ~ゴマ!」

 ふざけているのだろうかと思ってしまったが、蜘蛛男がそう言うと同時に扉はゆっくりと口を開く。中は立派な長テーブルと椅子が設置されたダニングルームになっており、彼は上座に腰を下ろしながら「どこでも好きな席にどうぞ」と微笑んだ。
 ……ああ、懐かしい。お嫁に行く時のためだなんだとお母様から口うるさく言われたテーブルマナーを思い出すわ。

「それじゃあ、失礼するわね」
「あははっ、失礼なんかじゃないよ~」

 蜘蛛男の向かい側へ腰掛け、いつの間にかテーブル上に人数分用意されていたナプキンへ目をやる。

(……ここには姿の見えない使用人でもいるのかしら?)
「アリスくん、お腹空いてる~? シェフに用意させようか~?」

 一応『シェフ』と呼べる人物(?)が居るらしい事実に、色々な意味で少し驚いてしまう。
 だが、今は二人で穏やかなディナータイムを過ごしている場合ではない。

「お気遣いありがとう。それよりも、私にとってのメリット……貴方なら、呪いを解けるって。あの話の詳細を聞かせてくれるかしら?」
「うん、もちろん」

 蜘蛛男はナプキンを手にとって二つ折りにすると、自身の太もも辺りにそれを置きながら言葉を続けた。

「この国の中で俺だけは、君にかけられた王様の『呪い』を解いてあげられる。ただし、ここで話が元に戻っちゃうんだけど、そのためには王様の身体が必要なんだ~」
「……」

 つまり……赤の王の死体を得られなければ私の『呪い』を解けないという意味になり、話が変わってきてしまう。

「それじゃあ私には何のメリットも無いように聞こえるのだけれど……」
「え~!? そんなことないよ~! むしろ、君の方が得をする話だよ~?」
「得……?」

 損しかないの言い間違いだろうか?

「君は王様の『呪い』によって死ぬことがない……つまり君は、王様に復讐するチャンスが無限にあるということでしょ? 俺はたった一度でも失敗すればそこでチェック……終わりだっていうのにさ~……さらに、成功すれば『呪い』を解けるボーナス付き! それってすごく『得』だよ~!」

 たしかに私は“死ぬ”ことがない……らしい。しかし、絶命に至る傷の苦痛は避けられない上、制限なく何度でも蘇るという保証はどこにもない。もしかしたら、次に致命傷を受ければ今度こそ死んでしまうかもしれない危険性をはらんでいるのだ。
 そこに『得』なんてものは存在しない。

「……やっぱり、メリットとしてはとても納得できないわ……ごめんなさい」

 瞬間――蜘蛛男の顔から、初めて笑みが消える。

「へえ、そう。そんなこと言うんだ? 俺はあの絶望的状況から君を助けて、ここに運んで、事情を説明して、『呪い』についても教えてあげて……今だって、王様が手を出せないよう保護してあげてるのに。恩を仇で返されたのは生まれて初めてだよ」
「……っ!?」

 ……私だって、生まれて初めてだ。他人からこんな風に言われて、漠然とした巨大な恐怖を覚えるだなんて。
 不思議だわ。指がかすかに震えるのは、空調が効きすぎているせいかしら?

「ちが……違うの、そんな、つもりは……」

 それじゃあ今、無様に言い訳しようとしているのは誰のせい?

「何も違わないよ。あーあ、ショックだなぁ……やっぱり君は『アリス』じゃないね。だって本物のアリスなら、困ってる俺を絶対に見捨てたりしないもん。それに、恩には恩で返してくれる。絶対にね」

 本物の、アリスじゃない。
 違う違う、そんなことない。私は“アリス”、主人公よ。脇役なんかじゃない。

「はぁっ……はっ……っ」

 ぐるぐる、ぐらぐら。視界が揺れて、息が上手くできなくなる。

「本物の『アリス』を探して協力してもらうしかないなぁ……はあ、偽物のために無駄な時間を使っちゃった……」
「……た、し……」
「なに? ほら、立って。出口まで案内するよ」
「……って、待って……っ!!」

 すぐそばまで歩み寄って来た彼の腕を掴んで見上げると、冷たいアクアマリン色の隻眼せきがんが私を映した。

「ご、めんな、さい……私、」
「謝らなくてもいいよ。君の言葉には何の意味もないから」
「ごめんなさい、許して……! ごめんなさい! さっきのは、ほんの冗談のつもりで……私、貴方に協力するわ……!! 最初から、そのつもりだったの! だから、」

 私を、本物の『アリス』だと認めてほしい。
 そう言い終わるより先に抱きしめられ、困惑する私をよそに蜘蛛男は優しい声音で囁く。

「ありがとう、嬉しいよ。ありがとう~……俺の方こそ、カッとなってひどいこと言っちゃってごめんね~……アリスくん」

 少ししてから体を離した彼の顔には、いつもの微笑みが戻っていた。

(……どうして、)

 私はどうして、ひどく安堵あんどしているの?彼の機嫌が直ったから?アリスと呼んでくれたから?
 それとも、

「君はどこからどう見ても『アリス』なのにね~……ごめんね? 作戦会議をする前に……可愛い顔をよく見せて、アリスくん」

 ふと思い浮かんだのは、幼少期に見た光景。蜘蛛の巣にかかったキアゲハはあの後どうなるのか、ロリーナ姉さんに聞いたことがある。

『……蝶々はね、』

 ……ああ、そうだ。

『食べられてしまうのよ』
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