49 / 72
第49編「時々、心配になりますよ」
しおりを挟む
(歯止め、って)
彼からの口づけを大人しく受け入れながら、恋幸はどこか冷静さの残る脳みその隅で言葉の意味を考える。
いったん顔を離した裕一郎は、そんな彼女の様子を見てわずかに眉根を寄せると、人差し指の先で恋幸の前髪をかき分けて「ふ」と息を吐いた。
「……抵抗、しなくていいんですか?」
そしてひどく穏やかな音で言葉を紡ぎ落とすと、眼鏡の奥にある空色の瞳を困ったように細めて恋幸の頬に手のひらを添える。
彼に触れられているだけで肌の温度は増し、心臓が落ち着きなく跳ねて彼への好意を叫び続け、すぐ側で同じ時間を共有している間、恋幸の中に『余裕』の三文字など髪の先ほども残っていない。
けれど、
「倉本さんになら、何をされても良いですから……抵抗なんて、する必要を感じません」
どうしても伝えたいと強く願った言葉だけは、驚くほど簡単に口をついて出た。
「……!!」
彼女の理性を介さず投げられたそのセリフに対し、裕一郎はぴたりと動きを止めて目を丸くする。
少しの間を置いてから、彼は何か言いたげに持ち上げた唇をすぐに引き結ぶと、喉仏を大きく上下させて「はあ」と何度目かになるため息を溢した。
(へ、変なこと言っちゃった……呆れさせちゃったかな……? はしたない女だって、思われて)
「小日向さん」
空気を支配する静寂のせいで暗い方へ落ちかけていた思考を、裕一郎の低い声が引き止める。
彼女自身は気付いていないが、良くない事を考え始めていると他でもなくその表情があけすけに物語っていたのだ。
そしてそれをすぐに察知した裕一郎は、大きな手で彼女の頭を撫でながら口の端を少しだけ引いて見せる。
「貴女の気持ちも、全てを私に委ねてくれていることも、とても嬉しいです。ですが……ちゃんと私を警戒して、抵抗してください。貴女に“何をしても良い”だなんて、私には思えませんので。……この状況では、説得力の欠片も無いと思いますけど」
「そ、そんなことないです……!」
恋幸が両手を握りしめたままムキになって否定すると、ほんのわずかに裕一郎の表情が和らいだ。
彼女にとって、前世で愛した和臣とその生まれ変わりである『倉本裕一郎』という人間はこの世で最も尊い存在であり、もはや宗教にも等しい彼らが「カラスは白い」と言うならば、創造神が何と反論しようとも「生きとし生ける全てのカラスの色は“白”である」と拡声器で主張するだろう。
……近所迷惑になるのでやめていただきたいが。
故に、裕一郎が主張する考えであれば恋幸にとってはいつでも正しいものでしかないのだが、同時に、彼の言う事を「説得力の欠片も無い」と思う日など天地がひっくり返ってもやって来ないことも確かだった。
「……当然、私にも人並みに欲はありますが……小日向さんは、私の大切な人ですから。だからこそ、何をしても良いわけがないんですよ」
「たい……っ!?」
「うん? 大切な人でしょう? 何か間違っていますか?」
わざとらしく首を傾げる彼の瞳にはどこか楽しそうな色が滲んでおり、さすがの恋幸も反応を面白がられているのだと察したが、頭で理解できているのと心が追いつくことはまた別の話である。
否定の意を込めて首を何度も左右に振ると、彼の指先が子猫を愛でる時のように恋幸の顎を甘くくすぐった。
「……っ、」
「……可愛い」
(ひえ~!! 裕一郎様、甘やかしモードだ!!)
「小日向さん、もう一度キスさせてください」
反射的に「もちろん喜んで!!」と言いかけて、我に返った恋幸はぎくしゃくとした動きで自身の上着のポケットに片手を入れる。
真っ赤な顔で黙り込んでごそごそと何か漁り始めた姿に、裕一郎は文句を言うでも返事を催促するでもなく、ただ静かに彼女の長い髪を指先で梳いて次の言葉を待っていた。
そして十数秒後、恋幸がそろそろと差し出したのは手ぬぐいに包まれた『何か』で、今度は本当の意味で首を傾げてしまう。
「す、すまほ……あの、携帯、お家に忘れてました、ので……お届けにあがりました……」
「ああ、なるほど。ありがとうございます」
「どういたしましてです……っ!」
裕一郎は彼女から手ぬぐい――に、丁寧に包まれているスマートフォンを受け取り、センターテーブルの上に置いてから「手ぬぐいは洗って返します」と言って頭を撫でた。
「ここへ来た目的を聞くつもりでいたのですが、本来会えない時間に貴女に会えた嬉しさで忘れていました」
(ん゛っ!!)
事も無げに甘い言葉を投下され、恋幸はときめきのあまり心臓が一瞬止まってしまったかのような錯覚をおぼえる。
しかし裕一郎はそんな彼女をよそに、思い出したような声を出して人差し指の背で恋幸の紅色に染まった頬を柔くつついた。
「八重子さんに電話をかけた時に使っていたのは社用の通話専用携帯ですよ?」
「えっ? えっと、そうなんですね?」
「……なぜ2台持っているのか? と気にしていないならそれで構いませんが……念のための説明です。恋人を不安にさせたくなかったので、ね」
(また! またこの人は!!)
心の中で身悶える恋幸に顔を寄せ、手のひらを頬に添える裕一郎。
彼は捲れかかっていた恋幸のスカートの裾を空いている方の手で直してやりながら、額同士をくっつけて低く囁く。
「もう、キスしても良いですか?」
「……だめです、って……言いそうな顔に、見えますか?」
「……いいえ、見えません」
彼からの口づけを大人しく受け入れながら、恋幸はどこか冷静さの残る脳みその隅で言葉の意味を考える。
いったん顔を離した裕一郎は、そんな彼女の様子を見てわずかに眉根を寄せると、人差し指の先で恋幸の前髪をかき分けて「ふ」と息を吐いた。
「……抵抗、しなくていいんですか?」
そしてひどく穏やかな音で言葉を紡ぎ落とすと、眼鏡の奥にある空色の瞳を困ったように細めて恋幸の頬に手のひらを添える。
彼に触れられているだけで肌の温度は増し、心臓が落ち着きなく跳ねて彼への好意を叫び続け、すぐ側で同じ時間を共有している間、恋幸の中に『余裕』の三文字など髪の先ほども残っていない。
けれど、
「倉本さんになら、何をされても良いですから……抵抗なんて、する必要を感じません」
どうしても伝えたいと強く願った言葉だけは、驚くほど簡単に口をついて出た。
「……!!」
彼女の理性を介さず投げられたそのセリフに対し、裕一郎はぴたりと動きを止めて目を丸くする。
少しの間を置いてから、彼は何か言いたげに持ち上げた唇をすぐに引き結ぶと、喉仏を大きく上下させて「はあ」と何度目かになるため息を溢した。
(へ、変なこと言っちゃった……呆れさせちゃったかな……? はしたない女だって、思われて)
「小日向さん」
空気を支配する静寂のせいで暗い方へ落ちかけていた思考を、裕一郎の低い声が引き止める。
彼女自身は気付いていないが、良くない事を考え始めていると他でもなくその表情があけすけに物語っていたのだ。
そしてそれをすぐに察知した裕一郎は、大きな手で彼女の頭を撫でながら口の端を少しだけ引いて見せる。
「貴女の気持ちも、全てを私に委ねてくれていることも、とても嬉しいです。ですが……ちゃんと私を警戒して、抵抗してください。貴女に“何をしても良い”だなんて、私には思えませんので。……この状況では、説得力の欠片も無いと思いますけど」
「そ、そんなことないです……!」
恋幸が両手を握りしめたままムキになって否定すると、ほんのわずかに裕一郎の表情が和らいだ。
彼女にとって、前世で愛した和臣とその生まれ変わりである『倉本裕一郎』という人間はこの世で最も尊い存在であり、もはや宗教にも等しい彼らが「カラスは白い」と言うならば、創造神が何と反論しようとも「生きとし生ける全てのカラスの色は“白”である」と拡声器で主張するだろう。
……近所迷惑になるのでやめていただきたいが。
故に、裕一郎が主張する考えであれば恋幸にとってはいつでも正しいものでしかないのだが、同時に、彼の言う事を「説得力の欠片も無い」と思う日など天地がひっくり返ってもやって来ないことも確かだった。
「……当然、私にも人並みに欲はありますが……小日向さんは、私の大切な人ですから。だからこそ、何をしても良いわけがないんですよ」
「たい……っ!?」
「うん? 大切な人でしょう? 何か間違っていますか?」
わざとらしく首を傾げる彼の瞳にはどこか楽しそうな色が滲んでおり、さすがの恋幸も反応を面白がられているのだと察したが、頭で理解できているのと心が追いつくことはまた別の話である。
否定の意を込めて首を何度も左右に振ると、彼の指先が子猫を愛でる時のように恋幸の顎を甘くくすぐった。
「……っ、」
「……可愛い」
(ひえ~!! 裕一郎様、甘やかしモードだ!!)
「小日向さん、もう一度キスさせてください」
反射的に「もちろん喜んで!!」と言いかけて、我に返った恋幸はぎくしゃくとした動きで自身の上着のポケットに片手を入れる。
真っ赤な顔で黙り込んでごそごそと何か漁り始めた姿に、裕一郎は文句を言うでも返事を催促するでもなく、ただ静かに彼女の長い髪を指先で梳いて次の言葉を待っていた。
そして十数秒後、恋幸がそろそろと差し出したのは手ぬぐいに包まれた『何か』で、今度は本当の意味で首を傾げてしまう。
「す、すまほ……あの、携帯、お家に忘れてました、ので……お届けにあがりました……」
「ああ、なるほど。ありがとうございます」
「どういたしましてです……っ!」
裕一郎は彼女から手ぬぐい――に、丁寧に包まれているスマートフォンを受け取り、センターテーブルの上に置いてから「手ぬぐいは洗って返します」と言って頭を撫でた。
「ここへ来た目的を聞くつもりでいたのですが、本来会えない時間に貴女に会えた嬉しさで忘れていました」
(ん゛っ!!)
事も無げに甘い言葉を投下され、恋幸はときめきのあまり心臓が一瞬止まってしまったかのような錯覚をおぼえる。
しかし裕一郎はそんな彼女をよそに、思い出したような声を出して人差し指の背で恋幸の紅色に染まった頬を柔くつついた。
「八重子さんに電話をかけた時に使っていたのは社用の通話専用携帯ですよ?」
「えっ? えっと、そうなんですね?」
「……なぜ2台持っているのか? と気にしていないならそれで構いませんが……念のための説明です。恋人を不安にさせたくなかったので、ね」
(また! またこの人は!!)
心の中で身悶える恋幸に顔を寄せ、手のひらを頬に添える裕一郎。
彼は捲れかかっていた恋幸のスカートの裾を空いている方の手で直してやりながら、額同士をくっつけて低く囁く。
「もう、キスしても良いですか?」
「……だめです、って……言いそうな顔に、見えますか?」
「……いいえ、見えません」
0
お気に入りに追加
75
あなたにおすすめの小説

義妹が大事だと優先するので私も義兄を優先する事にしました
さこの
恋愛
婚約者のラウロ様は義妹を優先する。
私との約束なんかなかったかのように…
それをやんわり注意すると、君は家族を大事にしないのか?冷たい女だな。と言われました。
そうですか…あなたの目にはそのように映るのですね…
分かりました。それでは私も義兄を優先する事にしますね!大事な家族なので!

思い出してしまったのです
月樹《つき》
恋愛
同じ姉妹なのに、私だけ愛されない。
妹のルルだけが特別なのはどうして?
婚約者のレオナルド王子も、どうして妹ばかり可愛がるの?
でもある時、鏡を見て思い出してしまったのです。
愛されないのは当然です。
だって私は…。


「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵から溺愛されています。
木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。
因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。
そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。
彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。
晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。
それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。
幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。
二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。
カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。
こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。

騎士団寮のシングルマザー
古森きり
恋愛
夫と離婚し、実家へ帰る駅への道。
突然突っ込んできた車に死を覚悟した歩美。
しかし、目を覚ますとそこは森の中。
異世界に聖女として召喚された幼い娘、真美の為に、歩美の奮闘が今、始まる!
……と、意気込んだものの全く家事が出来ない歩美の明日はどっちだ!?
※ノベルアップ+様(読み直し改稿ナッシング先行公開)にも掲載しましたが、カクヨムさん(は改稿・完結済みです)、小説家になろうさん、アルファポリスさんは改稿したものを掲載しています。
※割と鬱展開多いのでご注意ください。作者はあんまり鬱展開だと思ってませんけども。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

貴方もヒロインのところに行くのね? [完]
風龍佳乃
恋愛
元気で活発だったマデリーンは
アカデミーに入学すると生活が一変し
てしまった
友人となったサブリナはマデリーンと
仲良くなった男性を次々と奪っていき
そしてマデリーンに愛を告白した
バーレンまでもがサブリナと一緒に居た
マデリーンは過去に決別して
隣国へと旅立ち新しい生活を送る。
そして帰国したマデリーンは
目を引く美しい蝶になっていた

初めから離婚ありきの結婚ですよ
ひとみん
恋愛
シュルファ国の王女でもあった、私ベアトリス・シュルファが、ほぼ脅迫同然でアルンゼン国王に嫁いできたのが、半年前。
嫁いできたは良いが、宰相を筆頭に嫌がらせされるものの、やられっぱなしではないのが、私。
ようやく入手した離縁届を手に、反撃を開始するわよ!
ご都合主義のザル設定ですが、どうぞ寛大なお心でお読み下さいマセ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる