45 / 72
第45編「良い意味で、気がおかしくなりそうですね」※
しおりを挟む
「っふ……っ、」
「ん……」
静まり返った室内で、互いから発せられる水音だけがやけに大きく響く。
舌を伝って混ざり合う熱に思考が犯され、恋幸は脳が痺れるような感覚に襲われていた。
「は、っふ……んんっ、」
意識していなくても、少しだけ開いた唇の隙間から勝手に可笑しな声が漏れてしまう。
だというのに……瞼を薄く持ち上げれば、目の前にある裕一郎の整った顔は“こんな時”にも凪いだ水面のように落ち着いた表情を浮かべており、急激に沸騰した羞恥心から恋幸は再びかたく目を閉じて彼に体を委ねた。
「……ん、っん……ふっ、」
今――彼女は裕一郎の手で後頭部を固定されているわけでもなく、無理矢理に口内の愛撫を受け入れなければならない理由は一つもない。
それでも無意識下で「もっと」と求めて自ら顔を寄せてしまうのは、前世云々を後付けの言い訳にしてしまえるほどに『裕一郎』との深い繋がりを望む恋幸の心の現れだった。
そして勿論それは彼女の態度から裕一郎へ伝わっており、彼は深く口付けたまま目元に緩やかな弧を描く。
(なんだろ……なんか、変な感じがする)
裕一郎が舌を絡めてくるだけでぞわぞわとしたものが肌を駆け抜け、下腹がずくりと疼いた。
それはまるで、身体中の細胞から生毛の先に至るまでの全てが『彼』を求めているかのように感じてしまう。
いや、
(裕一郎様……裕一郎様、大好き)
その感覚は勘違いや錯覚などではなく、恋幸にとっては紛れもない真実であり、彼を想うだけで体が勝手に動いてしまった。
はしたないかもしれないと憂う余裕すら無い彼女は、本能のままに両腕を伸ばして裕一郎の首に抱き着き、自らも恐る恐る舌先を動かしてみる。
「は……っ、ゆーいちろ、さま」
「……ふ、」
彼はしばらくの間なすがままに恋幸の拙い愛撫を受け入れてから、片手で頭を優しく撫でると惜しむようにゆっくりと顔を離した。
互いの唇の間には銀の橋がかかり、裕一郎は彼女の唇についた雫を親指の先で拭う。
「はぁっ、は……っ」
「大丈夫ですか?」
「ん、」
必死に息継ぎをする恋幸が何度も頷けば、長い指が前髪をかき分けて彼女の額に口付けが一つ落とされた。
「……調子に乗りました、すみません」
「……? どうして謝るんですか? 私、」
珍しく困ったような顔をする裕一郎を仰ぎ見ながら、彼女は首をわずかに傾けて彼の服を指先で軽く摘む。
「私……もっと、触ってほしいって思っちゃいました」
「……」
その言葉を聞いて、裕一郎の喉仏が大きく上下する。
生唾を飲むとはまさにこの事である、と他人事のように考えながらなんとか理性を保っている彼を知ってか知らずか……恐らくは後者だが、色素の薄いブラウンの瞳に涙の膜を貼り、恋幸は再び口を開いた。
「倉本さん……私の罪悪感につけ込んでくれないんですか?」
「……はぁ……」
裕一郎が顔をしかめて大きなため息をこぼすと、途端に恋幸の体は強ばり「すみません」と意味のない謝罪が口をついて出る。
そんな彼女の様子を見て、裕一郎は大きな手で優しく頭を撫でたあと口の端をわずかに引いた。
「こちらこそ、勘違いさせてしまいすみません。貴女の言動で不快になったわけではありませんよ」
「ほ、本当ですか……?」
「本当です。愛らしいことを言われて、こんなに可愛らしい顔を見せられて……不快になる方が難しいくらいですよ」
「!?」
つい先ほどまで不安げな表情を浮かべていた恋幸だが、今度は額から顎の先まで熟れた林檎のように赤く染め、唇をきゅっと閉じたまま瞼を伏せて返す言葉を探す。
裕一郎は彼女に気づかれないように小さく笑うと、自身の服を摘んだままの彼女の手にそっと触れた。
「罪悪感にはもうつけ込みましたよ」
「え……? どういう事ですか?」
「さあ? どういう事でしょう?」
恋幸は閉じたばかりの瞼を慌てて持ち上げて問いを投げたが、質問を質問で返されてしまい、彼の空色の瞳はただ優しい色を滲ませて意味ありげに細められる。
「……?」
「分からないままでいいですよ、可愛らしいので」
「かわ……っ!?」
息をするかの如く自然に甘い言葉を落とされると、恋幸は今だにどう反応するのが正解か分からずにいた。
ただ一つ確かなことは、狼狽える自身を観察する裕一郎がひどく愛おしそうな顔をしているということ。
はっきりと表情を変化させて見せるわけではないが、彼の些細な感情の変化を恋幸は少しずつ感じ取ることができるようになっていた。
「……正直に言うと、貴女だけでも良くしてあげたいと思っているのですが、」
「良く……?」
「残念ながら明日も仕事があるので、叶いそうにありません」
「?」
――……良くしてあげたい。
その言葉の意味を恋幸のアホ毛では探知できず首を傾げるばかりだが、裕一郎は相変わらず口元に緩やかな三日月を浮かべたまま彼女の頬を指の背でついと撫でる。
「……可愛い」
「あ、ありがとうございます……!」
「……どういたしまして?」
その後、「今夜は一緒に寝てくれませんか?」という裕一郎の問いに、
「毎晩でも喜んで!!」
と答えた恋幸を彼はその腕に抱き、高鳴る鼓動を聞きながら一つの布団で眠りについた。
「ん……」
静まり返った室内で、互いから発せられる水音だけがやけに大きく響く。
舌を伝って混ざり合う熱に思考が犯され、恋幸は脳が痺れるような感覚に襲われていた。
「は、っふ……んんっ、」
意識していなくても、少しだけ開いた唇の隙間から勝手に可笑しな声が漏れてしまう。
だというのに……瞼を薄く持ち上げれば、目の前にある裕一郎の整った顔は“こんな時”にも凪いだ水面のように落ち着いた表情を浮かべており、急激に沸騰した羞恥心から恋幸は再びかたく目を閉じて彼に体を委ねた。
「……ん、っん……ふっ、」
今――彼女は裕一郎の手で後頭部を固定されているわけでもなく、無理矢理に口内の愛撫を受け入れなければならない理由は一つもない。
それでも無意識下で「もっと」と求めて自ら顔を寄せてしまうのは、前世云々を後付けの言い訳にしてしまえるほどに『裕一郎』との深い繋がりを望む恋幸の心の現れだった。
そして勿論それは彼女の態度から裕一郎へ伝わっており、彼は深く口付けたまま目元に緩やかな弧を描く。
(なんだろ……なんか、変な感じがする)
裕一郎が舌を絡めてくるだけでぞわぞわとしたものが肌を駆け抜け、下腹がずくりと疼いた。
それはまるで、身体中の細胞から生毛の先に至るまでの全てが『彼』を求めているかのように感じてしまう。
いや、
(裕一郎様……裕一郎様、大好き)
その感覚は勘違いや錯覚などではなく、恋幸にとっては紛れもない真実であり、彼を想うだけで体が勝手に動いてしまった。
はしたないかもしれないと憂う余裕すら無い彼女は、本能のままに両腕を伸ばして裕一郎の首に抱き着き、自らも恐る恐る舌先を動かしてみる。
「は……っ、ゆーいちろ、さま」
「……ふ、」
彼はしばらくの間なすがままに恋幸の拙い愛撫を受け入れてから、片手で頭を優しく撫でると惜しむようにゆっくりと顔を離した。
互いの唇の間には銀の橋がかかり、裕一郎は彼女の唇についた雫を親指の先で拭う。
「はぁっ、は……っ」
「大丈夫ですか?」
「ん、」
必死に息継ぎをする恋幸が何度も頷けば、長い指が前髪をかき分けて彼女の額に口付けが一つ落とされた。
「……調子に乗りました、すみません」
「……? どうして謝るんですか? 私、」
珍しく困ったような顔をする裕一郎を仰ぎ見ながら、彼女は首をわずかに傾けて彼の服を指先で軽く摘む。
「私……もっと、触ってほしいって思っちゃいました」
「……」
その言葉を聞いて、裕一郎の喉仏が大きく上下する。
生唾を飲むとはまさにこの事である、と他人事のように考えながらなんとか理性を保っている彼を知ってか知らずか……恐らくは後者だが、色素の薄いブラウンの瞳に涙の膜を貼り、恋幸は再び口を開いた。
「倉本さん……私の罪悪感につけ込んでくれないんですか?」
「……はぁ……」
裕一郎が顔をしかめて大きなため息をこぼすと、途端に恋幸の体は強ばり「すみません」と意味のない謝罪が口をついて出る。
そんな彼女の様子を見て、裕一郎は大きな手で優しく頭を撫でたあと口の端をわずかに引いた。
「こちらこそ、勘違いさせてしまいすみません。貴女の言動で不快になったわけではありませんよ」
「ほ、本当ですか……?」
「本当です。愛らしいことを言われて、こんなに可愛らしい顔を見せられて……不快になる方が難しいくらいですよ」
「!?」
つい先ほどまで不安げな表情を浮かべていた恋幸だが、今度は額から顎の先まで熟れた林檎のように赤く染め、唇をきゅっと閉じたまま瞼を伏せて返す言葉を探す。
裕一郎は彼女に気づかれないように小さく笑うと、自身の服を摘んだままの彼女の手にそっと触れた。
「罪悪感にはもうつけ込みましたよ」
「え……? どういう事ですか?」
「さあ? どういう事でしょう?」
恋幸は閉じたばかりの瞼を慌てて持ち上げて問いを投げたが、質問を質問で返されてしまい、彼の空色の瞳はただ優しい色を滲ませて意味ありげに細められる。
「……?」
「分からないままでいいですよ、可愛らしいので」
「かわ……っ!?」
息をするかの如く自然に甘い言葉を落とされると、恋幸は今だにどう反応するのが正解か分からずにいた。
ただ一つ確かなことは、狼狽える自身を観察する裕一郎がひどく愛おしそうな顔をしているということ。
はっきりと表情を変化させて見せるわけではないが、彼の些細な感情の変化を恋幸は少しずつ感じ取ることができるようになっていた。
「……正直に言うと、貴女だけでも良くしてあげたいと思っているのですが、」
「良く……?」
「残念ながら明日も仕事があるので、叶いそうにありません」
「?」
――……良くしてあげたい。
その言葉の意味を恋幸のアホ毛では探知できず首を傾げるばかりだが、裕一郎は相変わらず口元に緩やかな三日月を浮かべたまま彼女の頬を指の背でついと撫でる。
「……可愛い」
「あ、ありがとうございます……!」
「……どういたしまして?」
その後、「今夜は一緒に寝てくれませんか?」という裕一郎の問いに、
「毎晩でも喜んで!!」
と答えた恋幸を彼はその腕に抱き、高鳴る鼓動を聞きながら一つの布団で眠りについた。
0
お気に入りに追加
75
あなたにおすすめの小説

義妹が大事だと優先するので私も義兄を優先する事にしました
さこの
恋愛
婚約者のラウロ様は義妹を優先する。
私との約束なんかなかったかのように…
それをやんわり注意すると、君は家族を大事にしないのか?冷たい女だな。と言われました。
そうですか…あなたの目にはそのように映るのですね…
分かりました。それでは私も義兄を優先する事にしますね!大事な家族なので!

「君を愛するつもりはない」と言ったら、泣いて喜ばれた
菱田もな
恋愛
完璧令嬢と名高い公爵家の一人娘シャーロットとの婚約が決まった第二皇子オズワルド。しかし、これは政略結婚で、婚約にもシャーロット自身にも全く興味がない。初めての顔合わせの場で「悪いが、君を愛するつもりはない」とはっきり告げたオズワルドに、シャーロットはなぜか歓喜の涙を浮かべて…?
※他サイトでも掲載中しております。

思い出してしまったのです
月樹《つき》
恋愛
同じ姉妹なのに、私だけ愛されない。
妹のルルだけが特別なのはどうして?
婚約者のレオナルド王子も、どうして妹ばかり可愛がるの?
でもある時、鏡を見て思い出してしまったのです。
愛されないのは当然です。
だって私は…。


騎士団寮のシングルマザー
古森きり
恋愛
夫と離婚し、実家へ帰る駅への道。
突然突っ込んできた車に死を覚悟した歩美。
しかし、目を覚ますとそこは森の中。
異世界に聖女として召喚された幼い娘、真美の為に、歩美の奮闘が今、始まる!
……と、意気込んだものの全く家事が出来ない歩美の明日はどっちだ!?
※ノベルアップ+様(読み直し改稿ナッシング先行公開)にも掲載しましたが、カクヨムさん(は改稿・完結済みです)、小説家になろうさん、アルファポリスさんは改稿したものを掲載しています。
※割と鬱展開多いのでご注意ください。作者はあんまり鬱展開だと思ってませんけども。

「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵から溺愛されています。
木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。
因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。
そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。
彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。
晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。
それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。
幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。
二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。
カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。
こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。

白い結婚は無理でした(涙)
詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたくし、フィリシアは没落しかけの伯爵家の娘でございます。
明らかに邪な結婚話しかない中で、公爵令息の愛人から契約結婚の話を持ち掛けられました。
白い結婚が認められるまでの3年間、お世話になるのでよい妻であろうと頑張ります。
小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。
現在、筆者は時間的かつ体力的にコメントなどの返信ができないため受け付けない設定にしています。
どうぞよろしくお願いいたします。
私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。
石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。
自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。
そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。
好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。
この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる