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第40編「臆病者なんでしょうね、私は」
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『もしもーし。社長~聞いてましたか~?』
裕一郎の自室に、縁人の声が小さく響いた。
何もない空間へ向けて悪戯に漂わせていた目線を移動させた裕一郎は、パソコン画面のむこう側で頬杖をつく縁人に「すみません」と呟き長いまつ毛をわずかに伏せる。
「少し……考え事をしていました」
『考え事? 社長が仕事中にぼーっとするなんて珍しいっすね。俺でよければお悩み相談くらい聞きますよ』
縁人の返答を聞いて、裕一郎は顎に片手を置き何か考えるような素振りを見せたが、少しの間を置いてゆっくりと唇を持ち上げた。
「……縁人は、喧嘩以外の理由で恋人に避けられた経験はありますか?」
『えっ!?』
驚いたような声色を出しながらも、途端に表情を輝かせる縁人。
裕一郎はその様子を見て訝しげに目を細めた。
「嬉しそうですね」
『え~!? いやいやぁ~!!』
顔の前で片手をひらひらと振って一応は否定してみせた縁人だが、直後に声を出して笑い「だって」と言葉を続ける。
『社長とちゃんとした恋バナができるのなんて初めてなんすもん! 嬉しくもなりますって!』
「恋バナ……」
彼のセリフを反芻しつつ、なおも冷たい目線を向ける裕一郎。
しかし縁人は、そんな事は意に介さない様子で2回大きく頷き、口元に三日月型を描いて整った歯列から犬歯を覗かせた。
『そもそも、社長から俺に色恋沙汰の話題を振ってくるレベルで女性に心奪われてるのなんて今回が初めてじゃないっすか!』
「……まあ、そうですが……」
『ほら、交際がどうのこうのって話を俺が社長から最後に聞いたのって、例の』
「縁人」
強い口調で彼の話を遮った裕一郎は、先ほどまでとは一転して見慣れた無表情を浮かべている。
だが“それ”はいつも以上に温度を感じさせず、真っ直ぐに縁人を射抜く冷たい空色の瞳は絶対零度の氷を連想させた。
『……“アレ”は禁止ワードでしたね。すみません、はしゃぎすぎました!』
「いえ、はしゃぐのは構いませんよ」
『ひゅ~! 優しい~!! さすが!!』
「切りますよ」
『すんませーん!! 恋バナしたいので切らないでくださーい!!』
一向に反省の色が伺えない縁人の笑顔に、裕一郎は「はあ」と一つ大きな息を吐く。
『で! 話を元に戻しますけど、そっすねー……一方的に誤解されて避けられた事ならありますよ』
「誤解……」
『あとは……まあ、超理不尽なケースですけど、夢の中で見たあんたがすごく嫌な奴だった! って、一日ずっと口聞いてもらえなかった事ならありますよ! 笑えるでしょ!』
「……」
明るくからからと笑い飛ばす縁人からやや目線を逸らし、黙り込んで何か考えるような雰囲気を漂わせる裕一郎。
そんな彼の顔を見て、縁人が「えっ」と表情を固くした。
『まさかと思いますけど、心当たりあるんすか?』
問いに対して裕一郎は即座に否定の言葉を返したものの、その表情は尚もどこか浮かばない。
『じゃあなんでそんなに反応薄いんっすかー』
「私の反応が濃かった事なんてないでしょう」
『いつも以上に、って意味ですよ!』
縁人の話がピンときていないのか、裕一郎は無表情のまま顎に片手を置きわずかに首を傾げた。
どうやらそれは彼の癖らしく、長い付き合いの秘書は心情を察して肩をすくめる。
『なんというか、社長って……完璧で他人の感情になんか左右されない冷徹魔王っぽく見えて、実は人並みに感受性豊かな平凡人間ですよね』
「何を言うかと思えば……当たり前でしょう?」
裕一郎はため息混じりにそう言って座椅子の背もたれに少し体を預けると、眼鏡を外して長いまつ毛を伏せ、片手で眉間を揉みながら口を開いた。
「感受性云々に関しては自覚が無いので何とも言えませんが……私だって、心当たりもなく好きな女性に避けられれば、人並みに悩んだりしますよ」
今日の通話中、縁人にとっては驚くことばかりである。
今まで通りの裕一郎であれば、リモートワーク……と呼べるほどの長さではないが、必要最低限の会議を終えれば早々に「では、また会社で」と短く告げ、通話を切っていた。
それは決して彼にとっての縁人が煩わしい存在であるという意味ではなく、裕一郎の『他人に執着しない性質』がそうさせていたのだ。
しかし、恋幸と出会ってからの裕一郎は傍目に見ても少しずつ変化してきている。
彼の『無表情』には最近、ごく僅かではあるものの感情の色が滲むようになり、こうしてプライベートな事柄や素直な気持ちを打ち明けてくれるようにもなった。
きっと本人は気づいていないであろうそんな部分を、縁人は驚愕すると同時に嬉しく思っている。
――……なぜなら、
『なんか、昔の社長に戻ってくれてるみたいで嬉しいっす。小日向さんに感謝しなきゃなぁ』
「……」
ぽつりと落とされた縁人の呟きを拾い、裕一郎はゆっくりと瞼を持ち上げて自嘲するような笑みを漏らした。
「……私が『昔』のように戻ってしまったら、小日向さんに避けられるどころか、」
裕一郎はそこで言葉を切り、唇を引き結ぶ。
『……倉本さん?』
「時間を取らせてすみません、相談に乗ってくださりありがとうございました。そろそろ切りますね」
――……彼が通話終了ボタンを押す寸前、
『あの子なら、倉本さんから離れたりしませんよ』
真剣な声音で紡がれた縁人のセリフは、裕一郎の耳をすり抜けていった。
裕一郎の自室に、縁人の声が小さく響いた。
何もない空間へ向けて悪戯に漂わせていた目線を移動させた裕一郎は、パソコン画面のむこう側で頬杖をつく縁人に「すみません」と呟き長いまつ毛をわずかに伏せる。
「少し……考え事をしていました」
『考え事? 社長が仕事中にぼーっとするなんて珍しいっすね。俺でよければお悩み相談くらい聞きますよ』
縁人の返答を聞いて、裕一郎は顎に片手を置き何か考えるような素振りを見せたが、少しの間を置いてゆっくりと唇を持ち上げた。
「……縁人は、喧嘩以外の理由で恋人に避けられた経験はありますか?」
『えっ!?』
驚いたような声色を出しながらも、途端に表情を輝かせる縁人。
裕一郎はその様子を見て訝しげに目を細めた。
「嬉しそうですね」
『え~!? いやいやぁ~!!』
顔の前で片手をひらひらと振って一応は否定してみせた縁人だが、直後に声を出して笑い「だって」と言葉を続ける。
『社長とちゃんとした恋バナができるのなんて初めてなんすもん! 嬉しくもなりますって!』
「恋バナ……」
彼のセリフを反芻しつつ、なおも冷たい目線を向ける裕一郎。
しかし縁人は、そんな事は意に介さない様子で2回大きく頷き、口元に三日月型を描いて整った歯列から犬歯を覗かせた。
『そもそも、社長から俺に色恋沙汰の話題を振ってくるレベルで女性に心奪われてるのなんて今回が初めてじゃないっすか!』
「……まあ、そうですが……」
『ほら、交際がどうのこうのって話を俺が社長から最後に聞いたのって、例の』
「縁人」
強い口調で彼の話を遮った裕一郎は、先ほどまでとは一転して見慣れた無表情を浮かべている。
だが“それ”はいつも以上に温度を感じさせず、真っ直ぐに縁人を射抜く冷たい空色の瞳は絶対零度の氷を連想させた。
『……“アレ”は禁止ワードでしたね。すみません、はしゃぎすぎました!』
「いえ、はしゃぐのは構いませんよ」
『ひゅ~! 優しい~!! さすが!!』
「切りますよ」
『すんませーん!! 恋バナしたいので切らないでくださーい!!』
一向に反省の色が伺えない縁人の笑顔に、裕一郎は「はあ」と一つ大きな息を吐く。
『で! 話を元に戻しますけど、そっすねー……一方的に誤解されて避けられた事ならありますよ』
「誤解……」
『あとは……まあ、超理不尽なケースですけど、夢の中で見たあんたがすごく嫌な奴だった! って、一日ずっと口聞いてもらえなかった事ならありますよ! 笑えるでしょ!』
「……」
明るくからからと笑い飛ばす縁人からやや目線を逸らし、黙り込んで何か考えるような雰囲気を漂わせる裕一郎。
そんな彼の顔を見て、縁人が「えっ」と表情を固くした。
『まさかと思いますけど、心当たりあるんすか?』
問いに対して裕一郎は即座に否定の言葉を返したものの、その表情は尚もどこか浮かばない。
『じゃあなんでそんなに反応薄いんっすかー』
「私の反応が濃かった事なんてないでしょう」
『いつも以上に、って意味ですよ!』
縁人の話がピンときていないのか、裕一郎は無表情のまま顎に片手を置きわずかに首を傾げた。
どうやらそれは彼の癖らしく、長い付き合いの秘書は心情を察して肩をすくめる。
『なんというか、社長って……完璧で他人の感情になんか左右されない冷徹魔王っぽく見えて、実は人並みに感受性豊かな平凡人間ですよね』
「何を言うかと思えば……当たり前でしょう?」
裕一郎はため息混じりにそう言って座椅子の背もたれに少し体を預けると、眼鏡を外して長いまつ毛を伏せ、片手で眉間を揉みながら口を開いた。
「感受性云々に関しては自覚が無いので何とも言えませんが……私だって、心当たりもなく好きな女性に避けられれば、人並みに悩んだりしますよ」
今日の通話中、縁人にとっては驚くことばかりである。
今まで通りの裕一郎であれば、リモートワーク……と呼べるほどの長さではないが、必要最低限の会議を終えれば早々に「では、また会社で」と短く告げ、通話を切っていた。
それは決して彼にとっての縁人が煩わしい存在であるという意味ではなく、裕一郎の『他人に執着しない性質』がそうさせていたのだ。
しかし、恋幸と出会ってからの裕一郎は傍目に見ても少しずつ変化してきている。
彼の『無表情』には最近、ごく僅かではあるものの感情の色が滲むようになり、こうしてプライベートな事柄や素直な気持ちを打ち明けてくれるようにもなった。
きっと本人は気づいていないであろうそんな部分を、縁人は驚愕すると同時に嬉しく思っている。
――……なぜなら、
『なんか、昔の社長に戻ってくれてるみたいで嬉しいっす。小日向さんに感謝しなきゃなぁ』
「……」
ぽつりと落とされた縁人の呟きを拾い、裕一郎はゆっくりと瞼を持ち上げて自嘲するような笑みを漏らした。
「……私が『昔』のように戻ってしまったら、小日向さんに避けられるどころか、」
裕一郎はそこで言葉を切り、唇を引き結ぶ。
『……倉本さん?』
「時間を取らせてすみません、相談に乗ってくださりありがとうございました。そろそろ切りますね」
――……彼が通話終了ボタンを押す寸前、
『あの子なら、倉本さんから離れたりしませんよ』
真剣な声音で紡がれた縁人のセリフは、裕一郎の耳をすり抜けていった。
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