上 下
35 / 72

第35編「どうか夢ではありませんように」

しおりを挟む
 恋幸の心臓は爆発寸前であった。
 あれから屋敷内を5分ほど迷った後なんとか裕一郎の部屋に辿り着くことができたものの、彼に言われた通り「それじゃあ、お先に! おやすみなさい!」とすんなりとこにつくことなどできるはずもなく。

 暗所恐怖症の彼女を想ってなのか彼の部屋はあらかじめ電気が点いており、足元には昨夜と同じように敷布団が2組セッティングされていた。
 どのような態度で裕一郎を待つべきか? 恋幸が室内をうろちょろしながら考えている間にずいぶん時間が経ってしまっていたらしく、かすかな足音がこちらへ近づいてくるのを察知した彼女はなかばスライディングするような動きで自分用の布団の上に澄まし顔で正座する。


「お待たせしました」
「おっ、おかえりなさい!」
「はい、ただいま。……何かありましたか?」
(着流し姿の裕一郎様、いつ見ても人間国宝だなぁ……)


 ……しかし、感情が表情に出てしまう恋幸にしっかりと『澄まし顔』が維持できるはずもなく。
 ふすまをスライドさせて姿を表した裕一郎は、後ろ手に戸を閉めつつ彼女の顔を見て首を傾げた。


「なな、なんでもないです!」
「……そうですか」
(あれ……?)


 床の間で投げられた意味深な言葉により様々な妄想が脳みそを侵食していた恋幸に反して、拍子抜けするほど態度が変わらない彼。
 混乱する彼女をよそに、裕一郎は優雅な動きで下半身を布団に潜り込ませると眼鏡を外して枕元に置き、一言断りを入れてから電気のリモコンを操作して常夜灯じょうやとうに切り替えてしまう。


「では、おやすみなさい」
「は、はい。おや……」


 現在の時刻は午後11時13分。
 挨拶につられかけたが、このままでは全くおやすめない状況だった。


「あの! 待ってください!」
「……? どうかしましたか?」
「そ、その……しりとり! しませんか!?」
「今からですか? しませんよ」
「えへ、ですよね! すみません……」


 恋幸が咄嗟とっさに口から落としてしまった意味不明な提案は、当たり前ではあるがあっさり断られてしまう。
 はじめは羞恥心を笑って誤魔化した彼女だったが、すぐに「いえ、そうではなくて」と頭を左右に振ってから上半身をひねって裕一郎の方を向いた。


「き、聞きたいことが、あるんです。だから……まだ、寝ないでほしくて……その、10分間だけ、倉本様の時間をください」
「……たった10分で良いんですか? 私という一個人の持つ『時間』は、いつでも小日向さんだけのものでしかないつもりなのですが」
(ほ~っ!?)


 少女漫画さながらのセリフを浴びせられ、恋幸はときめく一方である。

 良い意味で苦しくなる胸を両手で抑えれば、常夜灯にぼんやりと照らされた室内で裕一郎が不思議そうに首を傾げる姿が見えた。
 更には彼が少し身動きしただけで石鹸せっけんの香りが鼻腔びくうをくすぐり、恋幸の理性ゲージは一瞬で0になる。結果、


「結婚してください……」


 ――……同じ過ちを繰り返してしまうのであった。

 しかし『あの時』と決定的に違うのは“裕一郎が恋幸に好意を抱いていることが明らかだ”という状況で、彼女の目線の先にいる裕一郎が「ふ」と小さく息を吐き拒否も受諾じゅだくもせずにいる様子を直視しても、恋幸は発言を取り消したりせずにただ静かに次の言葉を待つ。


「……そうですね、そのうち」
「えっ」


 ぼそりと独り言のように落とされたセリフ。
 驚きから反射的に問い返した彼女に対し、裕一郎は片手を伸ばして一度頭を撫でてから「それで、聞きたい事とは?」と話題を逸らしてしまった。


「あっ、えっと……あの時の、『彼女になってもらえるように』って。その、」
「ああ、そうですね。貴女を未成年だと思っていたので、まずは親御さんへ挨拶を済ませて許可を得た上でなければ交際できない……と、思っていたこと以外は言葉通りの意味です。それでも、貴女に直接言うべきでしたね。卑怯な真似をしてすみま」
「謝らないでください……! そうじゃなくて、責めたいわけじゃなくて、」
「……はい」


 廊下側の障子を通して差し込んだ月の光が裕一郎を背後から照らし、あまりの美しさに恋幸はが一枚の絵であるかのような錯覚をおぼえる。
 言いどもっても続きをかさない彼の優しさが、彼女にとってはまた一つの愛おしさを感じる部分だった。


「……あの言葉が、倉本様の本心だったら嬉しいなって思ったんです」


 裕一郎の前世が和臣かずあきでなかったとしても、きっと恋幸の心は彼を欲していただろう。今なら彼女は、自信を持ってそう言える。


「私が聞きたかったのは……私も倉本様に、かっ、かれ……恋仲に! なってほしいですって言ったら、どうしますか?」


 いったいどこが好きなのか? 以前、千から投げられた問いが恋幸の頭の中で反響した。
 あの時は「和臣の生まれ変わりだから」という思考に囚われてしまい正解を見失っていたが、冷静になって彼と過ごした数日間を思い返せば悩むまでもない。

 確かに、恋幸は今でも和臣をしたっている。はじまりこそ『前世』の記憶が大きく関わっていたのはまぎれもない事実だ。
 だが、彼女がその心に住まわせているのは他でもない。


「どうもこうも……ぜひ、よろしくお願いします。それ以外の返事なんて、私には用意できませんよ」


 夜の優しい色を混ぜ、目の前で口元に緩やかな弧を描く『倉本裕一郎』ただ一人だ。


(好き、大好きです。私は、)


 この人が好き。
 そう想う事に、後付けの理由など必要ないだろう。


「うっ……倉本様、好きです。好き」
「ええ、知っています。私も、小日向さんが好きです」
「わがまま言ってもいいですか? ぎゅーってしてほしいです」
「はい、喜んで」


 両腕を広げて待つ裕一郎の胸に飛び込んだ恋幸を、彼は苦しくなるほどに力いっぱい抱きしめる。
 互いの体を包む同じ石鹸の香りが、時が経つのを忘れさせる媚薬びやくのように思えた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

不能と噂される皇帝の後宮に放り込まれた姫は恩返しをする

矢野りと
恋愛
不能と噂される隣国の皇帝の後宮に、牛100頭と交換で送り込まれた貧乏小国の姫。 『なんでですか!せめて牛150頭と交換してほしかったですー』と叫んでいる。 『フンガァッ』と鼻息荒く女達の戦いの場に勢い込んで来てみれば、そこはまったりパラダイスだった…。 『なんか悪いですわね~♪』と三食昼寝付き生活を満喫する姫は自分の特技を活かして皇帝に恩返しすることに。 不能?な皇帝と勘違い姫の恋の行方はどうなるのか。 ※設定はゆるいです。 ※たくさん笑ってください♪ ※お気に入り登録、感想有り難うございます♪執筆の励みにしております!

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

極上の一夜で懐妊したらエリートパイロットの溺愛新婚生活がはじまりました

白妙スイ@書籍&電子書籍発刊!
恋愛
早瀬 果歩はごく普通のOL。 あるとき、元カレに酷く振られて、1人でハワイへ傷心旅行をすることに。 そこで逢見 翔というパイロットと知り合った。 翔は果歩に素敵な時間をくれて、やがて2人は一夜を過ごす。 しかし翌朝、翔は果歩の前から消えてしまって……。 ********** ●早瀬 果歩(はやせ かほ) 25歳、OL 元カレに酷く振られた傷心旅行先のハワイで、翔と運命的に出会う。 ●逢見 翔(おうみ しょう) 28歳、パイロット 世界を飛び回るエリートパイロット。 ハワイへのフライト後、果歩と出会い、一夜を過ごすがその後、消えてしまう。 翌朝いなくなってしまったことには、なにか理由があるようで……? ●航(わたる) 1歳半 果歩と翔の息子。飛行機が好き。 ※表記年齢は初登場です ********** webコンテンツ大賞【恋愛小説大賞】にエントリー中です! 完結しました!

【本編完結】若き公爵の子を授かった夫人は、愛する夫のために逃げ出した。 一方公爵様は、妻死亡説が流れようとも諦めません!

はづも
恋愛
本編完結済み。番外編がたまに投稿されたりされなかったりします。 伯爵家に生まれたカレン・アーネストは、20歳のとき、幼馴染でもある若き公爵、ジョンズワート・デュライトの妻となった。 しかし、ジョンズワートはカレンを愛しているわけではない。 当時12歳だったカレンの額に傷を負わせた彼は、その責任を取るためにカレンと結婚したのである。 ……本当に好きな人を、諦めてまで。 幼い頃からずっと好きだった彼のために、早く身を引かなければ。 そう思っていたのに、初夜の一度でカレンは懐妊。 このままでは、ジョンズワートが一生自分に縛られてしまう。 夫を想うが故に、カレンは妊娠したことを隠して姿を消した。 愛する人を縛りたくないヒロインと、死亡説が流れても好きな人を諦めることができないヒーローの、両片想い・幼馴染・すれ違い・ハッピーエンドなお話です。

幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。

秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚 13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。 歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。 そしてエリーゼは大人へと成長していく。 ※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。 小説家になろう様にも掲載しています。

俺の妖精すぎるおっとり妻から離縁を求められ、戦場でも止まらなかった心臓が止まるかと思った。何を言われても別れたくはないんだが?

イセヤ レキ
恋愛
「離縁致しましょう」 私の幸せな世界は、妻の言い放ったたった一言で、凍りついたのを感じた──。 最愛の妻から離縁を突きつけられ、最終的に無事に回避することが出来た、英雄の独白。 全6話、完結済。 リクエストにお応えした作品です。 単体でも読めると思いますが、 ①【私の愛しい娘が、自分は悪役令嬢だと言っております。私の呪詛を恋敵に使って断罪されるらしいのですが、同じ失敗を犯すつもりはございませんよ?】 母主人公 ※ノベルアンソロジー掲載の為、アルファポリス様からは引き下げております。 ②【私は、お母様の能力を使って人の恋路を邪魔する悪役令嬢のようです。けれども断罪回避を目指すので、ヒーローに近付くつもりは微塵もございませんよ?】 娘主人公 を先にお読み頂くと世界観に理解が深まるかと思います。

愛すべきマリア

志波 連
恋愛
幼い頃に婚約し、定期的な交流は続けていたものの、互いにこの結婚の意味をよく理解していたため、つかず離れずの穏やかな関係を築いていた。 学園を卒業し、第一王子妃教育も終えたマリアが留学から戻った兄と一緒に参加した夜会で、令嬢たちに囲まれた。 家柄も美貌も優秀さも全て揃っているマリアに嫉妬したレイラに指示された女たちは、彼女に嫌味の礫を投げつける。 早めに帰ろうという兄が呼んでいると知らせを受けたマリアが発見されたのは、王族の居住区に近い階段の下だった。 頭から血を流し、意識を失っている状態のマリアはすぐさま医務室に運ばれるが、意識が戻ることは無かった。 その日から十日、やっと目を覚ましたマリアは精神年齢が大幅に退行し、言葉遣いも仕草も全て三歳児と同レベルになっていたのだ。 体は16歳で心は3歳となってしまったマリアのためにと、兄が婚約の辞退を申し出た。 しかし、初めから結婚に重きを置いていなかった皇太子が「面倒だからこのまま結婚する」と言いだし、予定通りマリアは婚姻式に臨むことになった。 他サイトでも掲載しています。 表紙は写真ACより転載しました。

処理中です...