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第27編「髪がまだ濡れていますよ」
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恋幸は今世紀最大と言っても過言ではない程のピンチに陥っていた。その理由は2つある。
1つ目は、つい数分前に星川から告げられたエアコン事情。
はじめは「暖房が無くたって布団を重ねればヘーキヘーキ!」と余裕ぶっていたのだが、今夜はどれほど冷えるのかチェックするため、暖房の効いた床の間を出て自分用の部屋に向かう段階で心が折れた。
もうすぐ春になるとはいえ、夜9時を過ぎると厚手の上着を着ていても廊下を歩くだけで寒い。暖房が無くても平気だと一瞬でも考えた愚か者は誰? と腹が立つレベルに寒い。
そして2つ目は、
「小日向さんは、もうお風呂は済ませましたか?」
床の間に現れた『湯上がりの裕一郎』という兵器の存在だった。
(え……? 美術品……?)
普段は横分けになっている前髪が下ろされ、いつも3割程度見えていた額が完全に隠されたことにより幼さを感じる容貌。
汗なのか湯水なのか判断に困るが、白い首筋を一筋伝い落ちていく滴。決め手は彼の身につけている紺色の着流しだ。
一発KO、悩殺不可避である。
「……? 小日向さん?」
「……人間国宝……?」
「はい?」
恋幸がせっかく事前に(妄想して)用意していた「わー! 倉本様のパジャマ、すごく可愛いですね!」というセリフも一瞬で消し飛んでしまった。
星川は日帰りで働きに来ているため数分前に帰ってしまい、今この屋敷に二人きりであるという事実だけでも恋幸はいっぱいいっぱいだったのだから、思わぬ方向から畳み掛けられては脳みそが多少バグを起こしても致し方ない。
「ほ……」
「ほ?」
「保護するべきでは……?」
「すみません、私にも意味が分かる話をして頂いても?」
あまりにもキャパオーバーすぎる彼の姿に、もはや少し曇った眼鏡のレンズまで愛おしく思うレベルであった。
「私が帰る前に、風呂は済ませたんですか?」
「ま、まだです……」
「そうですか。では風呂場まで案内しますので、準備ができたら声をかけてください」
◇
そして、恋幸に3つ目のピンチが訪れる。
自室までの道も「実はまだ覚えていなくて……」と正直に打ち明けて裕一郎に付き添ってもらったため、迷うことなく辿り着き無事に着替え等も手に入れることができたのだが、本題は『そこ』ではなかった。
脱衣所に足を踏み入れた時も「わー! 広くて綺麗! 旅館みたいですね!」などと感嘆の声を漏らし、彼から恋幸専用のバスタオルを受け取った際も「ふかふか! ありがとうございます!」と喜んだが、風呂場の床を踏むその瞬間まで彼女は“重大な事実”に気が付けなかったのである。
「はっ!?」
そう。
(え? も、もしかして……裕一郎様の使用済みお風呂……!?)
仮にもプロの作家ならばもっと他に言い方があるだろうという部分はさておき。
恋幸が今いるのは『つい数分前まで裕一郎がいた空間』だ。
彼女がその事実に気づいたのと同時に、「しまった、風呂掃除をして湯を新しいものに入れ替えるべきだった」と裕一郎が後悔していたのはまた別のお話。
「すーっ……はーっ……!」
変態……裕一郎ラブな恋幸はまず大きく深呼吸をする。
そんなことをしたところで鼻の奥に入るのはただの湯気でしかないのだが、彼が関わった途端にサボテンレベルまでIQが下がる彼女の脳みそは、
「……裕一郎様の匂いがする……」
とても都合の良い錯覚を起こしていた。
その後も恋幸は裕一郎についての妄想を続け、甘く鼓動を高鳴らしながら何となく、
(い、一応ね! 念の為ね!!)
……深い意味は無く、ただ何となく髪の毛と体をいつもより時間をかけて念入りに洗い終える。
しかし、本当の『ピンチ』はここからだった。
「……え? 待って……裕一郎様の入った、お湯……?」
男女逆であればとっくに職務質問を受けていることだろう。
それほど挙動のおかしい真っ裸の恋幸は、何を思ったのか立てた人差し指を湯船にちょんと漬けてすぐに引き抜くと一言。
「あったかい……」
当たり前だ。
(裕一郎様が入った後……うっ! なんだかお湯が輝いて見える……っ!!)
ただの光の反射である。
考えれば考えるほど緊張してしまい湯船に浸かれなくなってしまった恋幸は、もう一度シャワーで体を洗い流してからお風呂場を出た。
(なんか……旅館に泊まりに来てる気分になっちゃうな……)
バスタオルで全身を拭き終えると、薄紅色の生地にウサギ柄がプリントされたパジャマへ着替え、持参したフェイスタオルを肩にかけて脱衣所を後にする。
入浴前に裕一郎が即席で書いてくれた地図を見ながらなんとか床の間へ戻り襖を開ければ、エアコンの暖かな空気が恋幸を迎え入れ、座卓に片肘をつきつまらなそうな顔でテレビを見ていた裕一郎の姿が目に入った。
「ああ、おかえりなさい」
「あっ、お、お風呂! ありがとうございました!」
彼は恋幸に気づくとテレビの電源を切り、姿勢を正して彼女に向き直る。
「いいお湯でした……!」
「そんなに改まらなくても……家の風呂なんて、どうせこれから何回も入るものなんですから」
「!?」
爆弾発言をしているという自覚があるのかないのか。
定かではないが、茹でダコのように赤くなる恋幸の顔を見て裕一郎は「のぼせましたか?」と首を傾げた。
「い、いえ……違います……」
「大丈夫ですか?」
「だいじょぶです……」
時刻は10時4分。ここからが、恋幸にとって最大の戦いである。
1つ目は、つい数分前に星川から告げられたエアコン事情。
はじめは「暖房が無くたって布団を重ねればヘーキヘーキ!」と余裕ぶっていたのだが、今夜はどれほど冷えるのかチェックするため、暖房の効いた床の間を出て自分用の部屋に向かう段階で心が折れた。
もうすぐ春になるとはいえ、夜9時を過ぎると厚手の上着を着ていても廊下を歩くだけで寒い。暖房が無くても平気だと一瞬でも考えた愚か者は誰? と腹が立つレベルに寒い。
そして2つ目は、
「小日向さんは、もうお風呂は済ませましたか?」
床の間に現れた『湯上がりの裕一郎』という兵器の存在だった。
(え……? 美術品……?)
普段は横分けになっている前髪が下ろされ、いつも3割程度見えていた額が完全に隠されたことにより幼さを感じる容貌。
汗なのか湯水なのか判断に困るが、白い首筋を一筋伝い落ちていく滴。決め手は彼の身につけている紺色の着流しだ。
一発KO、悩殺不可避である。
「……? 小日向さん?」
「……人間国宝……?」
「はい?」
恋幸がせっかく事前に(妄想して)用意していた「わー! 倉本様のパジャマ、すごく可愛いですね!」というセリフも一瞬で消し飛んでしまった。
星川は日帰りで働きに来ているため数分前に帰ってしまい、今この屋敷に二人きりであるという事実だけでも恋幸はいっぱいいっぱいだったのだから、思わぬ方向から畳み掛けられては脳みそが多少バグを起こしても致し方ない。
「ほ……」
「ほ?」
「保護するべきでは……?」
「すみません、私にも意味が分かる話をして頂いても?」
あまりにもキャパオーバーすぎる彼の姿に、もはや少し曇った眼鏡のレンズまで愛おしく思うレベルであった。
「私が帰る前に、風呂は済ませたんですか?」
「ま、まだです……」
「そうですか。では風呂場まで案内しますので、準備ができたら声をかけてください」
◇
そして、恋幸に3つ目のピンチが訪れる。
自室までの道も「実はまだ覚えていなくて……」と正直に打ち明けて裕一郎に付き添ってもらったため、迷うことなく辿り着き無事に着替え等も手に入れることができたのだが、本題は『そこ』ではなかった。
脱衣所に足を踏み入れた時も「わー! 広くて綺麗! 旅館みたいですね!」などと感嘆の声を漏らし、彼から恋幸専用のバスタオルを受け取った際も「ふかふか! ありがとうございます!」と喜んだが、風呂場の床を踏むその瞬間まで彼女は“重大な事実”に気が付けなかったのである。
「はっ!?」
そう。
(え? も、もしかして……裕一郎様の使用済みお風呂……!?)
仮にもプロの作家ならばもっと他に言い方があるだろうという部分はさておき。
恋幸が今いるのは『つい数分前まで裕一郎がいた空間』だ。
彼女がその事実に気づいたのと同時に、「しまった、風呂掃除をして湯を新しいものに入れ替えるべきだった」と裕一郎が後悔していたのはまた別のお話。
「すーっ……はーっ……!」
変態……裕一郎ラブな恋幸はまず大きく深呼吸をする。
そんなことをしたところで鼻の奥に入るのはただの湯気でしかないのだが、彼が関わった途端にサボテンレベルまでIQが下がる彼女の脳みそは、
「……裕一郎様の匂いがする……」
とても都合の良い錯覚を起こしていた。
その後も恋幸は裕一郎についての妄想を続け、甘く鼓動を高鳴らしながら何となく、
(い、一応ね! 念の為ね!!)
……深い意味は無く、ただ何となく髪の毛と体をいつもより時間をかけて念入りに洗い終える。
しかし、本当の『ピンチ』はここからだった。
「……え? 待って……裕一郎様の入った、お湯……?」
男女逆であればとっくに職務質問を受けていることだろう。
それほど挙動のおかしい真っ裸の恋幸は、何を思ったのか立てた人差し指を湯船にちょんと漬けてすぐに引き抜くと一言。
「あったかい……」
当たり前だ。
(裕一郎様が入った後……うっ! なんだかお湯が輝いて見える……っ!!)
ただの光の反射である。
考えれば考えるほど緊張してしまい湯船に浸かれなくなってしまった恋幸は、もう一度シャワーで体を洗い流してからお風呂場を出た。
(なんか……旅館に泊まりに来てる気分になっちゃうな……)
バスタオルで全身を拭き終えると、薄紅色の生地にウサギ柄がプリントされたパジャマへ着替え、持参したフェイスタオルを肩にかけて脱衣所を後にする。
入浴前に裕一郎が即席で書いてくれた地図を見ながらなんとか床の間へ戻り襖を開ければ、エアコンの暖かな空気が恋幸を迎え入れ、座卓に片肘をつきつまらなそうな顔でテレビを見ていた裕一郎の姿が目に入った。
「ああ、おかえりなさい」
「あっ、お、お風呂! ありがとうございました!」
彼は恋幸に気づくとテレビの電源を切り、姿勢を正して彼女に向き直る。
「いいお湯でした……!」
「そんなに改まらなくても……家の風呂なんて、どうせこれから何回も入るものなんですから」
「!?」
爆弾発言をしているという自覚があるのかないのか。
定かではないが、茹でダコのように赤くなる恋幸の顔を見て裕一郎は「のぼせましたか?」と首を傾げた。
「い、いえ……違います……」
「大丈夫ですか?」
「だいじょぶです……」
時刻は10時4分。ここからが、恋幸にとって最大の戦いである。
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