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第16編「誰にも渡したくない。ごめんね」

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「それでね……!」
『うんうん』


 パジャマ姿でパソコンの画面越しに相槌を打っているのは、いわゆる『ネット友達』と呼ばれる人物である。
 ハンドルネームは“千”。隣の県に住む28歳の女性で、恋幸とはもう5年の付き合いになり、3ヶ月に1回オフ会を開くほど深い仲だ。

 千とは恋幸がプロデビューをする5年前にTbutterで出会い、以来ずっと一番そばで作家の夢を応援してくれていた大親友。
 世間的には“一般人”に部類されるが、恋幸が『日向ぼっこ』名義のアカウントで唯一フォローしている商業以外のアカウントが千のものだ。

 パソコンを利用しての通話といえば音声のみで行うのが一般的だが、千と恋幸はすでにお互いの顔を知っているため、(恋幸の原稿作業がない時期は)こうして週に1回夜にカメラ機能を使ったテレビ電話を楽しんでいる。


『へぇ~……それで、は私に黙ってちゃっかりデートを楽しんでたわけか~』
「えっ!?」


 ひなこ、とは千の付けた愛称で、単に『日向ぼっこ』を略しただけのものだ。裕一郎とのあれそれも、もちろん千にはすべて相談済みである。
 ただし、さすがに前世関係のことは言えるわけもないので、裕一郎に惚れた理由は「一目惚れ」ということにしておいた。

 画面の向こう側で頬杖をつき、千がどこか恨めしげにこぼしたセリフを聞いて恋幸はハッとする。


「あっ、えっ。そ、そっか……デート、だったんだ……?」
『何で疑問形なの……男と女、しかも片方に好意がある状態で仲良くお出かけしたなら、それはまごうことなきデートでしょ』
「そ、そう、なんだ……」
『そうでしょ……!! 仮にも恋愛小説家なんだからしっかりしな!?』


 そうは言われても、デートの3文字を大好きな裕一郎と共に体験したのだと改めて実感した途端、恋幸の頬は緩みきりニヤニヤが隠せなくなってしまった。

 そんな彼女の様子を見て、千は不愉快そうに眉をひそめる。


『……あのさ、ひなこ。大親友が惚れた人のことをあんまり悪く言いたくないんだけど、』
「……? うん、なーに? 千ちゃん」
『その人、本当に大丈夫なの?』
「え……?」


 大丈夫なのか。
 その言葉の意味がわからず、恋幸はグラスを持ち上げかけていた手を止めて思わず問い返した。


「なにが……?」
『だってその人、別にひなこと付き合ってるわけじゃないよね? 告白もされてないんでしょ?』
「う、うん。そう、だけど……」
『それなのに、二人きりで出かけたりひなこに優しくしたり……怪しいと思わない?』


 千が恋幸を案じてくれているのだという事くらいは、さすがの恋幸にも理解できている。
 しかし、裕一郎を悪く言われて軽く受け流せるほど彼女は器用な女ではなかった。


「それは……っ、私が無理に誘ったからだよ……!」
『でもね、ひなこ。下心の無い男なんていないんだよ。ひなこは可愛いんだし、さらに直球で好意を向けてきたりしたら、都合の良いように利用してやろう。せっかくだし、1回くらいヤっとくか。そういう風に考えたって、』
「違うもん!!」


 恋幸が勢いよく立ち上がると同時に、キャスター付きの椅子はガタンと音を立てて彼女から少し遠ざかり、グラスに注がれていたメロンソーダの水面がわずかに揺れる。

 千に物申す前に、恋幸はいったんグラスをパソコンから遠ざけ、右隣のデスクに移動させてから画面に向き直った。


「くらっ……あの人は!  そんな悪人じゃないもん!!」
『何を根拠に言ってるの? ひなこはその人のこと、まだ何も知らないよね?』
「知ってるもんね!!」


 裕一郎は自分と会っている間、目の前で一度もスマートフォンを触らなかったこと。
 眼鏡を押し上げる時、親指と中指を使うこと。
 時計は左腕に付けていること。
 会話する時は、必ずこちらの目をまっすぐに見てくること。
 歩き始めは右足から先に出す傾向があること。

 むきになった恋幸は、千にとって何の得もない裕一郎の細かい癖などを5分かけて熱弁する。
 そして、満足げに片腕で額の汗を拭った。……が、今の恋幸は立ち上がったせいでカメラの範囲外にいるため、千には5分前から首より上が全く見えていない。


「ふう……」
『ひなこ、ただの変態じゃん……』
「へっ!? へへ変態じゃ、ない……はず!!」
『なんでちょっと自信無いの』


 声音からなんとなく恋幸の表情が想像できた千は、彼女の反応につい「ふふ」と小さな笑みをこぼしてしまったが、すぐに咳払いをして姿勢を正す。


『それに……ひなこは、その人のどこが好きなの? 見た目以外に、どうして好きになったの?』
「え……」


 恋幸はとっさに言い返す言葉が浮かばず、力なくぽすりと椅子に腰を下ろして画面向こうの千を見た。


(……あれ? 私、)


 考え込む今の彼女の耳には、


『……私は……そんな男に、ひなこを渡したくないよ。一番そばに居て、ずっと見てたのは私なのに……』


 千の落としたそんな呟きは届かない。
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