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第7編「……ともらく、と読みます」

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「書き直して」
「うぐ……っ」


 原稿に目を通し終えるなり怪訝けげんな表情を浮かべている男性は、恋幸をここまで支え・育て上げてきた担当編集の清水しみずさんだ。
 正面から火の玉ストレートの言葉を受けた恋幸は、固く目を瞑ったまま歯を噛み締め小刻みに震えている。

 その姿を見て脳裏にマナーモード中の携帯がよぎってしまった清水さんだが、なんとか笑いを噛み殺して言葉を続けた。


「そんな顔しても駄目。これでゴーサインは出せないよ。……あのね、小日向さん。わかってると思うけど、あなたが書いてるのは全年齢対象の小説なんだよね」
「ハイ……」
「読んだけど、この……204ページ目。『彼のつややかな唇が雪音の手首に何度も口づけを繰り返し、雪音はただ甘い声を漏らすことしかできなかった。そんな姿に和臣はたかぶりを覚え彼女の名を呼ぶが、それはまるで心の奥まで欲するかのような熱をはらんでおり』……この辺り。なんで急にティーンズラブ調になってるの?」
「気分がノっちゃって、つい……」
「あー、うん……166ページ目から突然作風変わってるから『あー、良い事あったんだろうなぁ』って、それくらいはわかるよ。けど、読者は今までのお話の続きを読みたいんだから、一つの長編の中で気分で作風を変えられたら読者は混乱するでしょ?」


 清水さんのダメ出しは的確で、恋幸はただ赤べこのように頷くことしかできない。


「あと、特に気になってるんだけど……小日向さん、最近急に恋愛シーンが薄っぺらくなってるんだよね……」
「!!」


 この時ビクリと肩の跳ねた彼女に、漫画風の効果音を付けるのであれば『ドキィッ!!』である。
 人間関係の動きや話の運び、心理描写など……実を言えば、薄っぺらくなっている自覚はあったのだ。しかし同時に、その理由や原因も理解できていた。

 そう――……ついに、前世で和臣と愛を育んだ記憶の実体験ストックが底を尽きたのだ。


「何ていうか、こう……あ、気分を悪くしないでほしいんだけど」
「大丈夫です! むしろ、どんどん悪い部分を指摘して頂ける方が助かります!!」
「そう? じゃあ、はっきり言わせてもらうけど……ここ最近、小日向さんが書いてる恋愛シーン。人間関係の動きとか諸々含めて『将来はお姫様になりたいですって夢見てファンタジーチックでご都合主義な恋愛に憧れてる小学校中学年感』があるんだよね……」
「アー、ナルホドー……スミマセン、スミマセン……」


 全く「大丈夫」ではなかった。
 あまりにもはっきり言われすぎて、恋幸のライフは0である。





 ホテルでの打ち合わせが終わり、清水さんの用意してくれたタクシーに乗った彼女は、大手SNSアプリの“Tbutterつぶったー”に呟きを投稿していた。


『締切に間に合うか不安……ううん、絶対に間に合わせる! 修正の嵐じゃー!!』


 ふう、と息を吐き恋幸がスマートフォンの電源ボタンに指を置いた瞬間――小さな振動が伝い、彼女に通知をしらせる。
 画面には「つぶやきへの返信1件」と表示されており、恋幸は首を傾げながらもう一度Tbutterのアプリを開いた。


『日向ぼっ子先生なら、今回もきっと大丈夫ですよ。体調優先で頑張ってください、応援しています。』
(あっ……!!)


 実は彼女が作家デビューして以来、こうして頻繁に返信をくれるTbutterユーザーが1人いる。
 恋幸の何気ない呟きに対して必ず反応をくれるのは勿論、新刊を出した日には『140字に収まりませんでした。乱文失礼します。』という言葉と共に、スマホのメモ帳に書き連ねた感想をスクリーンショットで送ってくれるほどの熱心なファンだ。

 そのユーザーのハンドルネームは「友楽」。恋幸が今だに読み方を知らないというのはここだけの秘密である。
 ちなみに「日向ぼっ子」とは彼女のペンネームで、本名の「小日向」をもじっただけの安直ネームだ。


『友楽さん、いつも応援ありがとうございます! 友楽さんのためにも頑張りますね!』


 恋幸が返信した数分後。アプリ内の通知欄に「友楽さんがあなたの返信に“ステキ!”しました」と表示され、それを見た彼女は思わず口元が緩んでしまう。

 友楽とはネット上での繋がりのみで、当然会ったことは一度もない。
 アカウントを(こっそり)覗いたところフォロー12人・フォロワー5人で恋幸への返信以外、日常の呟きもほとんどしていないうえに、ステキ! 登録も恋幸とうさぎを飼っている一般ユーザーのみ。
 アイコンはうさぎの写真を使用しているため性別すらわからず、少ない呟きの中から唯一わかったことは「うさぎを飼っていて甘い物が好きな日向ぼっ子の大ファン」という情報のみであった。

 一応プロという括りになるため一般人のフォローは歯を食いしばって我慢……控えているのだが、そんな友楽の存在が恋幸の心の支えになっているのは確かな事実である。


「よーし、元気出た!! 帰ったら執筆頑張るぞー!!」
「お客様、ここは真っ直ぐ行っていいですか?」
「あっ……! 右に曲がってください!!」





 恋幸のテンションが上がる一方で、


「社長、なんか機嫌良さそうっすね。彼女から連絡でも来たんすか?」
「……いいえ」
「ですよねー、まず彼女いませんもんね! 知ってました!」


 口の端をわずかに持ち上げながらアプリを閉じる裕一郎がいたことなど、彼女はまだ知るよしもない。
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