7 / 72
第7編「……ともらく、と読みます」
しおりを挟む
「書き直して」
「うぐ……っ」
原稿に目を通し終えるなり怪訝な表情を浮かべている男性は、恋幸をここまで支え・育て上げてきた担当編集の清水さんだ。
正面から火の玉ストレートの言葉を受けた恋幸は、固く目を瞑ったまま歯を噛み締め小刻みに震えている。
その姿を見て脳裏にマナーモード中の携帯がよぎってしまった清水さんだが、なんとか笑いを噛み殺して言葉を続けた。
「そんな顔しても駄目。これでゴーサインは出せないよ。……あのね、小日向さん。わかってると思うけど、あなたが書いてるのは全年齢対象の小説なんだよね」
「ハイ……」
「読んだけど、この……204ページ目。『彼の艷やかな唇が雪音の手首に何度も口づけを繰り返し、雪音はただ甘い声を漏らすことしかできなかった。そんな姿に和臣は昂りを覚え彼女の名を呼ぶが、それはまるで心の奥まで欲するかのような熱を孕んでおり』……この辺り。なんで急にティーンズラブ調になってるの?」
「気分がノっちゃって、つい……」
「あー、うん……166ページ目から突然作風変わってるから『あー、良い事あったんだろうなぁ』って、それくらいはわかるよ。けど、読者は今までのお話の続きを読みたいんだから、一つの長編の中で気分で作風を変えられたら読者は混乱するでしょ?」
清水さんのダメ出しは的確で、恋幸はただ赤べこのように頷くことしかできない。
「あと、特に気になってるんだけど……小日向さん、最近急に恋愛シーンが薄っぺらくなってるんだよね……」
「!!」
この時ビクリと肩の跳ねた彼女に、漫画風の効果音を付けるのであれば『ドキィッ!!』である。
人間関係の動きや話の運び、心理描写など……実を言えば、薄っぺらくなっている自覚はあったのだ。しかし同時に、その理由や原因も理解できていた。
そう――……ついに、前世で和臣と愛を育んだ記憶の実体験ストックが底を尽きたのだ。
「何ていうか、こう……あ、気分を悪くしないでほしいんだけど」
「大丈夫です! むしろ、どんどん悪い部分を指摘して頂ける方が助かります!!」
「そう? じゃあ、はっきり言わせてもらうけど……ここ最近、小日向さんが書いてる恋愛シーン。人間関係の動きとか諸々含めて『将来はお姫様になりたいですって夢見てファンタジーチックでご都合主義な恋愛に憧れてる小学校中学年感』があるんだよね……」
「アー、ナルホドー……スミマセン、スミマセン……」
全く「大丈夫」ではなかった。
あまりにもはっきり言われすぎて、恋幸のライフは0である。
◇
ホテルでの打ち合わせが終わり、清水さんの用意してくれたタクシーに乗った彼女は、大手SNSアプリの“Tbutter”に呟きを投稿していた。
『締切に間に合うか不安……ううん、絶対に間に合わせる! 修正の嵐じゃー!!』
ふう、と息を吐き恋幸がスマートフォンの電源ボタンに指を置いた瞬間――小さな振動が伝い、彼女に通知をしらせる。
画面には「つぶやきへの返信1件」と表示されており、恋幸は首を傾げながらもう一度Tbutterのアプリを開いた。
『日向ぼっ子先生なら、今回もきっと大丈夫ですよ。体調優先で頑張ってください、応援しています。』
(あっ……!!)
実は彼女が作家デビューして以来、こうして頻繁に返信をくれるTbutterユーザーが1人いる。
恋幸の何気ない呟きに対して必ず反応をくれるのは勿論、新刊を出した日には『140字に収まりませんでした。乱文失礼します。』という言葉と共に、スマホのメモ帳に書き連ねた感想をスクリーンショットで送ってくれるほどの熱心なファンだ。
そのユーザーのハンドルネームは「友楽」。恋幸が今だに読み方を知らないというのはここだけの秘密である。
ちなみに「日向ぼっ子」とは彼女のペンネームで、本名の「小日向」をもじっただけの安直ネームだ。
『友楽さん、いつも応援ありがとうございます! 友楽さんのためにも頑張りますね!』
恋幸が返信した数分後。アプリ内の通知欄に「友楽さんがあなたの返信に“ステキ!”しました」と表示され、それを見た彼女は思わず口元が緩んでしまう。
友楽とはネット上での繋がりのみで、当然会ったことは一度もない。
アカウントを(こっそり)覗いたところフォロー12人・フォロワー5人で恋幸への返信以外、日常の呟きもほとんどしていないうえに、ステキ! 登録も恋幸とうさぎを飼っている一般ユーザーのみ。
アイコンはうさぎの写真を使用しているため性別すらわからず、少ない呟きの中から唯一わかったことは「うさぎを飼っていて甘い物が好きな日向ぼっ子の大ファン」という情報のみであった。
一応プロという括りになるため一般人のフォローは歯を食いしばって我慢……控えているのだが、そんな友楽の存在が恋幸の心の支えになっているのは確かな事実である。
「よーし、元気出た!! 帰ったら執筆頑張るぞー!!」
「お客様、ここは真っ直ぐ行っていいですか?」
「あっ……! 右に曲がってください!!」
◇
恋幸のテンションが上がる一方で、
「社長、なんか機嫌良さそうっすね。彼女から連絡でも来たんすか?」
「……いいえ」
「ですよねー、まず彼女いませんもんね! 知ってました!」
口の端をわずかに持ち上げながらアプリを閉じる裕一郎がいたことなど、彼女はまだ知るよしもない。
「うぐ……っ」
原稿に目を通し終えるなり怪訝な表情を浮かべている男性は、恋幸をここまで支え・育て上げてきた担当編集の清水さんだ。
正面から火の玉ストレートの言葉を受けた恋幸は、固く目を瞑ったまま歯を噛み締め小刻みに震えている。
その姿を見て脳裏にマナーモード中の携帯がよぎってしまった清水さんだが、なんとか笑いを噛み殺して言葉を続けた。
「そんな顔しても駄目。これでゴーサインは出せないよ。……あのね、小日向さん。わかってると思うけど、あなたが書いてるのは全年齢対象の小説なんだよね」
「ハイ……」
「読んだけど、この……204ページ目。『彼の艷やかな唇が雪音の手首に何度も口づけを繰り返し、雪音はただ甘い声を漏らすことしかできなかった。そんな姿に和臣は昂りを覚え彼女の名を呼ぶが、それはまるで心の奥まで欲するかのような熱を孕んでおり』……この辺り。なんで急にティーンズラブ調になってるの?」
「気分がノっちゃって、つい……」
「あー、うん……166ページ目から突然作風変わってるから『あー、良い事あったんだろうなぁ』って、それくらいはわかるよ。けど、読者は今までのお話の続きを読みたいんだから、一つの長編の中で気分で作風を変えられたら読者は混乱するでしょ?」
清水さんのダメ出しは的確で、恋幸はただ赤べこのように頷くことしかできない。
「あと、特に気になってるんだけど……小日向さん、最近急に恋愛シーンが薄っぺらくなってるんだよね……」
「!!」
この時ビクリと肩の跳ねた彼女に、漫画風の効果音を付けるのであれば『ドキィッ!!』である。
人間関係の動きや話の運び、心理描写など……実を言えば、薄っぺらくなっている自覚はあったのだ。しかし同時に、その理由や原因も理解できていた。
そう――……ついに、前世で和臣と愛を育んだ記憶の実体験ストックが底を尽きたのだ。
「何ていうか、こう……あ、気分を悪くしないでほしいんだけど」
「大丈夫です! むしろ、どんどん悪い部分を指摘して頂ける方が助かります!!」
「そう? じゃあ、はっきり言わせてもらうけど……ここ最近、小日向さんが書いてる恋愛シーン。人間関係の動きとか諸々含めて『将来はお姫様になりたいですって夢見てファンタジーチックでご都合主義な恋愛に憧れてる小学校中学年感』があるんだよね……」
「アー、ナルホドー……スミマセン、スミマセン……」
全く「大丈夫」ではなかった。
あまりにもはっきり言われすぎて、恋幸のライフは0である。
◇
ホテルでの打ち合わせが終わり、清水さんの用意してくれたタクシーに乗った彼女は、大手SNSアプリの“Tbutter”に呟きを投稿していた。
『締切に間に合うか不安……ううん、絶対に間に合わせる! 修正の嵐じゃー!!』
ふう、と息を吐き恋幸がスマートフォンの電源ボタンに指を置いた瞬間――小さな振動が伝い、彼女に通知をしらせる。
画面には「つぶやきへの返信1件」と表示されており、恋幸は首を傾げながらもう一度Tbutterのアプリを開いた。
『日向ぼっ子先生なら、今回もきっと大丈夫ですよ。体調優先で頑張ってください、応援しています。』
(あっ……!!)
実は彼女が作家デビューして以来、こうして頻繁に返信をくれるTbutterユーザーが1人いる。
恋幸の何気ない呟きに対して必ず反応をくれるのは勿論、新刊を出した日には『140字に収まりませんでした。乱文失礼します。』という言葉と共に、スマホのメモ帳に書き連ねた感想をスクリーンショットで送ってくれるほどの熱心なファンだ。
そのユーザーのハンドルネームは「友楽」。恋幸が今だに読み方を知らないというのはここだけの秘密である。
ちなみに「日向ぼっ子」とは彼女のペンネームで、本名の「小日向」をもじっただけの安直ネームだ。
『友楽さん、いつも応援ありがとうございます! 友楽さんのためにも頑張りますね!』
恋幸が返信した数分後。アプリ内の通知欄に「友楽さんがあなたの返信に“ステキ!”しました」と表示され、それを見た彼女は思わず口元が緩んでしまう。
友楽とはネット上での繋がりのみで、当然会ったことは一度もない。
アカウントを(こっそり)覗いたところフォロー12人・フォロワー5人で恋幸への返信以外、日常の呟きもほとんどしていないうえに、ステキ! 登録も恋幸とうさぎを飼っている一般ユーザーのみ。
アイコンはうさぎの写真を使用しているため性別すらわからず、少ない呟きの中から唯一わかったことは「うさぎを飼っていて甘い物が好きな日向ぼっ子の大ファン」という情報のみであった。
一応プロという括りになるため一般人のフォローは歯を食いしばって我慢……控えているのだが、そんな友楽の存在が恋幸の心の支えになっているのは確かな事実である。
「よーし、元気出た!! 帰ったら執筆頑張るぞー!!」
「お客様、ここは真っ直ぐ行っていいですか?」
「あっ……! 右に曲がってください!!」
◇
恋幸のテンションが上がる一方で、
「社長、なんか機嫌良さそうっすね。彼女から連絡でも来たんすか?」
「……いいえ」
「ですよねー、まず彼女いませんもんね! 知ってました!」
口の端をわずかに持ち上げながらアプリを閉じる裕一郎がいたことなど、彼女はまだ知るよしもない。
0
お気に入りに追加
74
あなたにおすすめの小説
竜人王の伴侶
朧霧
恋愛
竜の血を継ぐ国王の物語
国王アルフレッドが伴侶に出会い主人公男性目線で話が進みます
作者独自の世界観ですのでご都合主義です
過去に作成したものを誤字などをチェックして投稿いたしますので不定期更新となります(誤字、脱字はできるだけ注意いたしますがご容赦ください)
40話前後で完結予定です
拙い文章ですが、お好みでしたらよろしければご覧ください
4/4にて完結しました
ご覧いただきありがとうございました
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
【完結】殿下、自由にさせていただきます。
なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」
その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。
アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。
髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。
見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。
私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。
初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?
恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。
しかし、正騎士団は女人禁制。
故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。
晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。
身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。
そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。
これは、私の初恋が終わり。
僕として新たな人生を歩みだした話。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
騎士団寮のシングルマザー
古森きり
恋愛
夫と離婚し、実家へ帰る駅への道。
突然突っ込んできた車に死を覚悟した歩美。
しかし、目を覚ますとそこは森の中。
異世界に聖女として召喚された幼い娘、真美の為に、歩美の奮闘が今、始まる!
……と、意気込んだものの全く家事が出来ない歩美の明日はどっちだ!?
※ノベルアップ+様(読み直し改稿ナッシング先行公開)にも掲載しましたが、カクヨムさん(は改稿・完結済みです)、小説家になろうさん、アルファポリスさんは改稿したものを掲載しています。
※割と鬱展開多いのでご注意ください。作者はあんまり鬱展開だと思ってませんけども。
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる