上 下
3 / 72

第3編「そのパーカー、どこに売っていたんです?」

しおりを挟む
 恋幸が衝撃的な初対面逆プロポーズをしてから、早いもので1週間が経つ。
 あの日から、彼女の執筆速度は急激に落ちる……どころか、筆が乗りに乗っていた。絶好調! というやつである。


(はぁーっ……前世の和臣様もとびきり美男子だったけど、今世でも眉目秀麗びもくしゅうれいな殿方だったなぁ……)


 24時間、寝ても覚めても恋幸の頭の中は今世の和臣……もとい、先週出会った名も知れない男性のことでいっぱい。だが、そのおかげで作業がたいへんはかどっているのだ。

 何を隠そう、恋幸の代表作『未来まで愛して、旦那様!』は、彼女が前世の記憶にもとづいて書きつづるラブストーリー。なお、和臣に許可は取っていない。
 もちろん死亡エンドは避けて、途中から「私があの後、無事に和臣様と結婚して夫婦になっていたら」のIf世界を連載しているのだが、生まれ変わった(かもしれない)本人と出会ったことにより妄想が次から次へ溢れ出して止まらないのだ。

 しかし……それはそれ、これはこれ。
 執筆が捗っているのは事実だが、『あの日』からモチダ珈琲店に行けていないこともまた事実であった。


(行きたい、けど……う、後ろめたい……っ!)


 人目もはばからず店内で堂々と求婚してしまったのだ、きっと聞こえてしまった店員が一人くらいはいるだろう。

 そして「ねー聞いてー! 知ってるー? よく来てたあのメロンソーダマン、いきなりプロポーズしててまじウケたんだけどー!」「えー!? ヤバくなーい!? ドン引きなんですけどー!!」などと噂話が広がっているかもしれない……という被害妄想が恋幸の頭によぎり、どうにも行く気になれなかったのだ。

 しかし――……恋幸の意思は、弱かった。


(でもでも!! そろそろモチダ珈琲のメロンソーダが飲みたい……っ! コンビニのフォンタ・メロンソーダ味じゃ満たされないよー!! 本家の味が恋しい……っ!!)


 メロンソーダマンは無駄にぶったこだわりを持っているが、モチダ珈琲店のメニューに載っているメロンソーダは企業で契約を結び日本ソダ・ソーダから仕入れたフォンタを提供しているだけ……という話は、従業員だけの秘密である。


「ふーっ……とりあえず、お散歩に行こう……」


 恥も外聞がいぶんもかなぐり捨てて近日中にモチダ珈琲店へ行くかどうかはもう少し悩むことにして、恋幸は気分転換のために外へ出ることにした。
 時刻は正午少し過ぎ。ここ数日ずっと缶詰め状態で作業していたので、健康にも良いだろう。


「財布と、スマホスマホ……あれ? どこにやったっ、あっ! あった!」


 恋幸は、部屋でだらだ……のんびり過ごすため身につけていたパーカーを着替えるべきだろうかと考えて足を止めクローゼットに目をやるが「知り合いに会うわけでもないし、そんなに長時間出歩かないし大丈夫だよね! 誰も私の服なんかじっくり見ないし!」という結論に至り、そのままの格好でピンクのスニーカーを履き玄関を出るのだった。





 そして今、彼女は何かの奇跡で時間が戻ることを祈っていた。


「……ああ、やっぱり。先週、モチダ珈琲店でお会いした方ですよね? こんにちは」
(あっ、なっ……なんで、和臣様がここに……!?)


 彼の名前は『和臣』ではないのだが、まずは恋幸が祈りを捧げるまでの経緯を説明しよう。
 ……と言っても、特に大きなイベントが起きたわけではなく、単に「小腹を空かせた恋幸が立ち寄ったコンビニの外で偶然あの時の『彼』に鉢合わせした」という流れである。


(あわわ……えっ? もしかして、私に声をかけてくださった……?)


 もしかしなくても“そう”なのだが、目の前に再び現れた男性の存在は幻覚ではないだろうか? 本物ならなぜこんな時間にいるのか? そしてよりにもよってなぜ私は胸元に『寿司万歳』と書かれたクソダサパーカーを着てきてしまったのか? など、様々な感情が渦巻く恋幸の脳内は軽いパニックに陥っていた。

 そして、少しの思考フリーズ時間を置き彼女の口から出た言葉は、


「……なぜ、ここに現れた……?」


 確かに倒したはずの勇者がヒロインを助けに来た際、敵側の中堅幹部が唖然とした表情で呟くようなセリフで、場の空気は一瞬で凍りつく。
 しかし……二人の間に流れた静寂を先に切り裂いたのは、意外にも彼の方だった。


「……昼休憩ですので。少し、買い物に」
(あっ!)


 そっかなるほどお昼休み! と、恋幸の心は冷静にその言葉を飲み込んだが、なおも軽いパニック状態の続く脳が口から発するために用意したセリフは、


「であろうな……」


 江戸時代に住む武士の『それ』で、恋幸は先程からおかしな言動を繰り返してしまう自分自身が恥ずかしくてたまらない。まさに「穴があったら入りたい」という状況だ。


「……はい」
(返事をしてくださった……っ!!)


 しかし、彼が言動について深く触れないでいてくれることや、ドン引きした様子を見せないことだけは唯一の救いである。


「……ああ、そういえば……最近、どうしてモチダ喫茶に来ないんですか?」
「……えっ!?」
「週5で通っている常連だ、と耳にしました。しかし、今週は全く姿を見せていない、と。……なぜです?」


 晴れ渡った空のように透き通る彼の青い瞳が、眼鏡のレンズ越しに恋幸を映す。
 しかし表情は一切変化を見せておらず、その言葉に隠された真意を彼女がみ取ることは困難だった。

 いや……もしかすると、深い意味なんて無いのかもしれない。


「え、っと……その……い、忙しくて……」


 貴方に公開プロポーズをしてしまったからです、とは言えなかった。
 そもそも、彼がその話題に触れていないのだから、彼女がわざわざやぶをつついて蛇を出すような危険を犯す必要もないだろう。


「あっ、でも! 今週は時間ができたので、日曜日にまた行こうかなー……なんて!!」
「……そうですか」


 彼は相変わらず無表情で淡白な返事を返しつつ、手に持っていたレジ袋から缶のホットカフェオレを取り出して恋幸に手渡す。


「……? これ、」
「こんな所で呼び止めてすみません、寒かったでしょう」
「い、いえ……! 大丈夫です!」
「そうですか。では……また、日曜日に」
「はいっ!!」


 一礼して去る『彼』の後ろ姿を、恋幸は夢心地な気分で見送っていた。


(……あれ? 日曜日に、って……え? 実質、待ち合わせの約束しちゃった……? 和臣様、だいすき! すきすきっ!!)


 2月も終わりを迎え、もうすぐ春が来る。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

キャンプに行ったら異世界転移しましたが、最速で保護されました。

新条 カイ
恋愛
週末の休みを利用してキャンプ場に来た。一歩振り返ったら、周りの環境がガラッと変わって山の中に。車もキャンプ場の施設もないってなに!?クマ出現するし!?と、どうなることかと思いきや、最速でイケメンに保護されました、

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。

石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。 自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。 そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。 好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。 この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

処理中です...