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第4話
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うっかり彼……立花さんに連絡先を教えてしまい、これでもうしつこくお店にやって来ることはなくなるだろうと思われた。
のだが、私の彼に対する認識と考えはとことん甘いのだと思い知らされる。
「小鳥遊さん、下の名前を教えてください」
「お待たせいたしましたー、ブレンドコーヒーでございますー」
「ああ、ありがとうございます」
そう、連絡先の次はこの有様だ。
下の名前を教えてほしいと、立花さんは連日お店にやって来て、ブレンドコーヒーだけを頼んで帰る。
「小鳥遊さん、下の名前……」
「ご注文は以上でお揃いでしょうか?」
「ええ、大丈夫です。ところで小鳥遊さん、下の名前を……」
「ごゆっくりどうぞー」
小鳥遊さん、下の名前を教えて。
小鳥遊さん、下の名前。
ここ最近、彼が口に出す言葉はずっとこれだ。
私はSi○iではない。
「あの、小鳥遊さん」
「……立花さん、勤務中の拘束も業務妨害にあたるって知ってましたか? 仕事の邪魔しないでください」
そして、先日少し優しくされたからと、恋愛感情に心ときめかせるような純粋な少女でもない。
小さな音を立てて伝票をテーブルの隅に置き、そのまま彼に背を向けてフロアへ戻る。
「……」
立花さんはいつもならここでその背中に追加注文の声掛けをしてくるのだが、先ほどの脅しがよほど効いたのか、珍しく何も言葉を投げて来なかった。
「小鳥遊さん、今日もお仕事お疲れ様です」
「……立花さん、何でいるんですか」
バイト終了後。裏口から出るとなぜか立花さんがそこで待っていて、いつだかのデジャヴを感じる。
立花さんは片手で弄っていたスマホをズボンのポケットにしまいながらこちらへ向き直り、
「勤務中に呼び止めるのは良くないと気付かされましたので。バイトの終わった後でなら、いくら話しかけても大丈夫かと思いまして」
相変わらずの無表情で淡々と言葉を吐いた。
たしかにバイト中に邪魔されるよりは幾分かマシではあるが、
「……小鳥遊さんの下の名前、教えてください」
なぜここまで私なんかに執着するのか、それだけは全く理解ができない。
「……立花さん、」
「はい、何でしょう? 下の名前を教えてくださる気になりましたか?」
「違います」
何て都合のいい思考回路をしているのだろう、この男は。
「……からかうなら、私よりもっと可愛い子がいっぱいいるんですから……そういう子にしてくださいよ」
そうだ。
彼のような顔の整った優しい男性には、私みたいに根暗で不細工の女じゃなくて、もっと可愛くて素直な子がよく似合う。
それなのに、
「……? なぜです? 僕が興味のあるのは小鳥遊さんだけですから、他の女性はどうでもいいです」
「だから……! からかわないでくださいって言って……!」
「からかってなどいませんよ。前にも言った通り、僕は貴女……小鳥遊さんに恋をしたんです。ですから、相手は小鳥遊さんでなければ意味がありません」
なのにどうして、立花さんはこんなにも真っ直ぐな言葉を向けて来るのだろうか。
なんで、私なんかに。
私には、恋してもらったり興味を持ってもらえたり……そんな価値など、一円もないというのに。
「……名前、」
「ん?」
「……下の名前、教えても笑わないって約束してください」
「わかりました、約束します」
私は、自分の名前が嫌いだ。
母の付けてくれた、
「美春」
美しくて、春のように暖かい女の子に育つように。
そう願いの込められたこの似合わない名前が、私は嫌いで仕方がない。
名前負けもいいところだと、今まで何度も他人に笑われた。
「……名前、美春です」
「美春……」
一言呟いたきり言葉を飲んだ立花さんを、恐る恐る伺うように見上げてみる。
どうせ彼も声を押し殺して笑っているのだろう、そう思っていたのに、
「……美春」
目線の先にあったのは、ただ嬉しそうに柔らかく微笑む顔で。
立花さんは、その三文字を確かめるように、何度も私の名前を呟く。
「……名前、似合わないでしょ。美春なんて……私は美しくも春みたいに暖かくもないし、」
「……小鳥遊さんは、自分の名前が嫌いなんですか?」
真っ直ぐに私を見つめる目には汚れがなくて、その眼差しから逃げるように目線を逸らし小さく頷いた。
「僕は、小鳥遊さんによく似合っていて、小鳥遊さんらしい名前で……素敵だと思いますよ」
同情のためのお世辞なんていらない。
そう言葉を投げつけてやりたいのに私の頭を撫でる彼の手がとても優しくて、その手の持ち主を傷つけてしまうことを、頭ではなくただ心が躊躇した。
「嫌いなら、僕がたくさん呼んで好きにならせてあげますよ。美春さん」
「……やっぱり、立花さんは変人ですね」
「構いませんよ。僕が変人でいることで、美春さんとこうしてお話ができるのなら……変人のままで結構です」
彼が何度も低い声でなぞる私の嫌いな“三文字”は、なぜなのか、今までで一番心地よい言葉に感じた。
――……変人の立花さんとは、まだまだ縁を切れそうにありません。
のだが、私の彼に対する認識と考えはとことん甘いのだと思い知らされる。
「小鳥遊さん、下の名前を教えてください」
「お待たせいたしましたー、ブレンドコーヒーでございますー」
「ああ、ありがとうございます」
そう、連絡先の次はこの有様だ。
下の名前を教えてほしいと、立花さんは連日お店にやって来て、ブレンドコーヒーだけを頼んで帰る。
「小鳥遊さん、下の名前……」
「ご注文は以上でお揃いでしょうか?」
「ええ、大丈夫です。ところで小鳥遊さん、下の名前を……」
「ごゆっくりどうぞー」
小鳥遊さん、下の名前を教えて。
小鳥遊さん、下の名前。
ここ最近、彼が口に出す言葉はずっとこれだ。
私はSi○iではない。
「あの、小鳥遊さん」
「……立花さん、勤務中の拘束も業務妨害にあたるって知ってましたか? 仕事の邪魔しないでください」
そして、先日少し優しくされたからと、恋愛感情に心ときめかせるような純粋な少女でもない。
小さな音を立てて伝票をテーブルの隅に置き、そのまま彼に背を向けてフロアへ戻る。
「……」
立花さんはいつもならここでその背中に追加注文の声掛けをしてくるのだが、先ほどの脅しがよほど効いたのか、珍しく何も言葉を投げて来なかった。
「小鳥遊さん、今日もお仕事お疲れ様です」
「……立花さん、何でいるんですか」
バイト終了後。裏口から出るとなぜか立花さんがそこで待っていて、いつだかのデジャヴを感じる。
立花さんは片手で弄っていたスマホをズボンのポケットにしまいながらこちらへ向き直り、
「勤務中に呼び止めるのは良くないと気付かされましたので。バイトの終わった後でなら、いくら話しかけても大丈夫かと思いまして」
相変わらずの無表情で淡々と言葉を吐いた。
たしかにバイト中に邪魔されるよりは幾分かマシではあるが、
「……小鳥遊さんの下の名前、教えてください」
なぜここまで私なんかに執着するのか、それだけは全く理解ができない。
「……立花さん、」
「はい、何でしょう? 下の名前を教えてくださる気になりましたか?」
「違います」
何て都合のいい思考回路をしているのだろう、この男は。
「……からかうなら、私よりもっと可愛い子がいっぱいいるんですから……そういう子にしてくださいよ」
そうだ。
彼のような顔の整った優しい男性には、私みたいに根暗で不細工の女じゃなくて、もっと可愛くて素直な子がよく似合う。
それなのに、
「……? なぜです? 僕が興味のあるのは小鳥遊さんだけですから、他の女性はどうでもいいです」
「だから……! からかわないでくださいって言って……!」
「からかってなどいませんよ。前にも言った通り、僕は貴女……小鳥遊さんに恋をしたんです。ですから、相手は小鳥遊さんでなければ意味がありません」
なのにどうして、立花さんはこんなにも真っ直ぐな言葉を向けて来るのだろうか。
なんで、私なんかに。
私には、恋してもらったり興味を持ってもらえたり……そんな価値など、一円もないというのに。
「……名前、」
「ん?」
「……下の名前、教えても笑わないって約束してください」
「わかりました、約束します」
私は、自分の名前が嫌いだ。
母の付けてくれた、
「美春」
美しくて、春のように暖かい女の子に育つように。
そう願いの込められたこの似合わない名前が、私は嫌いで仕方がない。
名前負けもいいところだと、今まで何度も他人に笑われた。
「……名前、美春です」
「美春……」
一言呟いたきり言葉を飲んだ立花さんを、恐る恐る伺うように見上げてみる。
どうせ彼も声を押し殺して笑っているのだろう、そう思っていたのに、
「……美春」
目線の先にあったのは、ただ嬉しそうに柔らかく微笑む顔で。
立花さんは、その三文字を確かめるように、何度も私の名前を呟く。
「……名前、似合わないでしょ。美春なんて……私は美しくも春みたいに暖かくもないし、」
「……小鳥遊さんは、自分の名前が嫌いなんですか?」
真っ直ぐに私を見つめる目には汚れがなくて、その眼差しから逃げるように目線を逸らし小さく頷いた。
「僕は、小鳥遊さんによく似合っていて、小鳥遊さんらしい名前で……素敵だと思いますよ」
同情のためのお世辞なんていらない。
そう言葉を投げつけてやりたいのに私の頭を撫でる彼の手がとても優しくて、その手の持ち主を傷つけてしまうことを、頭ではなくただ心が躊躇した。
「嫌いなら、僕がたくさん呼んで好きにならせてあげますよ。美春さん」
「……やっぱり、立花さんは変人ですね」
「構いませんよ。僕が変人でいることで、美春さんとこうしてお話ができるのなら……変人のままで結構です」
彼が何度も低い声でなぞる私の嫌いな“三文字”は、なぜなのか、今までで一番心地よい言葉に感じた。
――……変人の立花さんとは、まだまだ縁を切れそうにありません。
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