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もう戻れない過去と知りながら
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髪を撫でる潮風、波の音、水平線。
僕は君と約束したこの岬で一人、君が来るのを待っている。
10年前の今日、7月31日、僕らはここで約束を交わした。そしてその次の年も、また次の年も、二人でこの岬を訪れた。
ここにあるのはベンチと柵くらいのもので、他に何もない場所だけど、僕らにとっては思い出の場所なのだ。
10年目の今日、僕は一人ベンチに座って君との思い出を思い出す――。
10年前の7月31日、この岬で僕ら二人は出逢った。
あの日君は悲しいことがあって、誰も来ないこの岬で一人泣いていた。
僕はこの人の来ない岬が好きで、一人になりたいときはよく来ていた。そして偶然君と出逢った。
初めて君を見たとき僕はぎょっとした。この岬に来て先客がいたのは初めてだったし、その先客が顔をぐしゃぐしゃにして泣いていたから。
君は僕に気付くと必死に顔を拭った。けど涙は拭うそばから溢れてきて止まらなかった。僕は戸惑ったけど咄嗟に立ち去ることも出来ず、持っていたハンカチを君に手渡した。君はハンカチで涙を拭った。それでも涙は止まらなかった。
僕はバツが悪かったけど、そのまま立ち去るのも気が引けて黙って君の隣に腰掛けた。今思えば僕も混乱していたんだ。そこからしばらく、僕にとっては凄く長く感じた。
君はひとしきり泣くと、僕にお礼を言った。そして借りたハンカチは洗って返すから、またここに来て欲しい、と言った。
僕は気にせず今返して、と言ったけど君は譲らなかった。これが君とした初めての約束。
次に会った時、君は僕にハンカチを返してくれて、近くの喫茶店でご馳走までしてくれた。
「あの日私は味方なんて誰もいなくて、世界で一人ぼっちになった気分だった。けどあなたはそんな私を気に掛けてくれた。それがとても嬉しかった」
僕はハンカチを貸しただけでそこまで感謝されてしまってどうにもむず痒い気分だったけど、君が笑ってくれたのを見て何故か妙にホッとした。
それからだ、僕が君に恋に落ちたのは。
その日から僕らは二人で会うようになった。
色んな話をして気づけば互いに愛し合っていた。
出逢って1年が過ぎ、7月31日僕らはこの岬を訪れた。最初に来ようと言ったのはどちらだっただろう。一度目はお互い赤の他人だったのに、その日僕らは恋人同士だった。恋人になった君と手を繋いで、1年前泣いていた君を思い出すと、何だか不思議な気分になった。
それからだ、7月31日にここを訪れるのが、僕らの約束になったのは。
5年目の7月31日、僕ら二人は結ばれていた。僕の右手と繋いだ、君の手の薬指にはめた指輪。僕の給料3ヶ月分。
「そんなに張り切らなくていいわよ」
と君は言ったけど、僕は譲らなくて君が折れてくれた。
9年目、去年の今日も変わらずここに来た。
あの日は急に夕立がきて大変だった。思えばそれまで8年毎回晴れていたから考えもしなかったけど、ここには屋根がないからびしょ濡れになった。
「早く帰ってシャワー浴びましょ」
と君は笑った。
僕は少し名残惜しかったけど、君の後ろに付いて一緒に家まで帰ったんだ。
それもこれも全部、あの10年前の7月31日から始まったのだ。
あれから10年、今日まであっという間だった。
僕は幸せだった。
君はどうだっただろう?
♢♢
ーー太陽が水平線に沈んで、しばらくが過ぎた。
僕はまだ一人で、岬のベンチに座っている。
君はまだ来ない。
いや、僕は知っていた、君がもうやって来ないことを……。
君との思い出が、寄せては返す波のように浮かんでは消える。
穏やかな日々、愛し合った時間、瑞々しい最初の気持ち。
僕の頬にひとすじの涙が伝った。
けどその涙も、岸に打ちつけては白んで消える波みたいに、淡く消えた。
君はやって来ない。
僕は少し冷えてきた体をさすった。昼間の熱はまだ残っていたのに、潮風が容赦なく吹きすさんで、その熱までどこかへ連れて行った。
君の笑顔を思い出す。10年前の僕が恋したその笑顔を。
ーー僕はもう戻れない過去と知りながら、ずっと君のことを待っている。
「あ、やっぱりいた!」
後ろから君の声が聞こえて僕は振り向いた。
辺りはもう暗くなっていたけど、間違いなく君の姿がそこにあった。
「もう、ずっと待ってたの? 今日は急に仕事入ったから来れないって言ってあったでしょ?」
君は怒った顔でそう言った。
僕は思わず笑ってしまった。
「ハハッ、いや、ごめん。聞いてたけど、来てくれるような気がして」
「なにそれ。馬鹿じゃないの?」
そう言って君も笑った。
10年目の今日、まだ僕らの約束は続いているみたいだ。
僕はもう戻れない過去に思いを馳せながら、目の前にいる君の手をとった……。
♢♢
僕は君と約束したこの岬で一人、君が来るのを待っている。
10年前の今日、7月31日、僕らはここで約束を交わした。そしてその次の年も、また次の年も、二人でこの岬を訪れた。
ここにあるのはベンチと柵くらいのもので、他に何もない場所だけど、僕らにとっては思い出の場所なのだ。
10年目の今日、僕は一人ベンチに座って君との思い出を思い出す――。
10年前の7月31日、この岬で僕ら二人は出逢った。
あの日君は悲しいことがあって、誰も来ないこの岬で一人泣いていた。
僕はこの人の来ない岬が好きで、一人になりたいときはよく来ていた。そして偶然君と出逢った。
初めて君を見たとき僕はぎょっとした。この岬に来て先客がいたのは初めてだったし、その先客が顔をぐしゃぐしゃにして泣いていたから。
君は僕に気付くと必死に顔を拭った。けど涙は拭うそばから溢れてきて止まらなかった。僕は戸惑ったけど咄嗟に立ち去ることも出来ず、持っていたハンカチを君に手渡した。君はハンカチで涙を拭った。それでも涙は止まらなかった。
僕はバツが悪かったけど、そのまま立ち去るのも気が引けて黙って君の隣に腰掛けた。今思えば僕も混乱していたんだ。そこからしばらく、僕にとっては凄く長く感じた。
君はひとしきり泣くと、僕にお礼を言った。そして借りたハンカチは洗って返すから、またここに来て欲しい、と言った。
僕は気にせず今返して、と言ったけど君は譲らなかった。これが君とした初めての約束。
次に会った時、君は僕にハンカチを返してくれて、近くの喫茶店でご馳走までしてくれた。
「あの日私は味方なんて誰もいなくて、世界で一人ぼっちになった気分だった。けどあなたはそんな私を気に掛けてくれた。それがとても嬉しかった」
僕はハンカチを貸しただけでそこまで感謝されてしまってどうにもむず痒い気分だったけど、君が笑ってくれたのを見て何故か妙にホッとした。
それからだ、僕が君に恋に落ちたのは。
その日から僕らは二人で会うようになった。
色んな話をして気づけば互いに愛し合っていた。
出逢って1年が過ぎ、7月31日僕らはこの岬を訪れた。最初に来ようと言ったのはどちらだっただろう。一度目はお互い赤の他人だったのに、その日僕らは恋人同士だった。恋人になった君と手を繋いで、1年前泣いていた君を思い出すと、何だか不思議な気分になった。
それからだ、7月31日にここを訪れるのが、僕らの約束になったのは。
5年目の7月31日、僕ら二人は結ばれていた。僕の右手と繋いだ、君の手の薬指にはめた指輪。僕の給料3ヶ月分。
「そんなに張り切らなくていいわよ」
と君は言ったけど、僕は譲らなくて君が折れてくれた。
9年目、去年の今日も変わらずここに来た。
あの日は急に夕立がきて大変だった。思えばそれまで8年毎回晴れていたから考えもしなかったけど、ここには屋根がないからびしょ濡れになった。
「早く帰ってシャワー浴びましょ」
と君は笑った。
僕は少し名残惜しかったけど、君の後ろに付いて一緒に家まで帰ったんだ。
それもこれも全部、あの10年前の7月31日から始まったのだ。
あれから10年、今日まであっという間だった。
僕は幸せだった。
君はどうだっただろう?
♢♢
ーー太陽が水平線に沈んで、しばらくが過ぎた。
僕はまだ一人で、岬のベンチに座っている。
君はまだ来ない。
いや、僕は知っていた、君がもうやって来ないことを……。
君との思い出が、寄せては返す波のように浮かんでは消える。
穏やかな日々、愛し合った時間、瑞々しい最初の気持ち。
僕の頬にひとすじの涙が伝った。
けどその涙も、岸に打ちつけては白んで消える波みたいに、淡く消えた。
君はやって来ない。
僕は少し冷えてきた体をさすった。昼間の熱はまだ残っていたのに、潮風が容赦なく吹きすさんで、その熱までどこかへ連れて行った。
君の笑顔を思い出す。10年前の僕が恋したその笑顔を。
ーー僕はもう戻れない過去と知りながら、ずっと君のことを待っている。
「あ、やっぱりいた!」
後ろから君の声が聞こえて僕は振り向いた。
辺りはもう暗くなっていたけど、間違いなく君の姿がそこにあった。
「もう、ずっと待ってたの? 今日は急に仕事入ったから来れないって言ってあったでしょ?」
君は怒った顔でそう言った。
僕は思わず笑ってしまった。
「ハハッ、いや、ごめん。聞いてたけど、来てくれるような気がして」
「なにそれ。馬鹿じゃないの?」
そう言って君も笑った。
10年目の今日、まだ僕らの約束は続いているみたいだ。
僕はもう戻れない過去に思いを馳せながら、目の前にいる君の手をとった……。
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