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第5話 ほんの少しの世界を映し出す。
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彼女に連れられてやってきたのは近所にある湖だった。
僕は昔からこの場所が好きだった。今でもここに居ると心が凪ぐような気がするのだ。まるで遠くまで広がる水と同化するように。
「千咲、僕が昔からここを好きなの知ってるよな」
「うん。だからここにしたんだよ。じゃないと意味が生まれないでしょ?」
やはり彼女には敵わないなと思う。
湖のほとりでカルガモが泳いでいる、そんな当たり前の風景。
そこに彼女はカメラを向ける。
適切な光度、構図、陽光の入れ方のバランス。それらを考慮しながら一枚、また一枚と撮り続ける。
ひとしきり撮り終えた彼女はその写真を僕に見せてくる。
カルガモが湖を中睦まじげに泳いでいるだけのシンプルな写真だ。なのに、それだけじゃない気がする。
写真の中での彼らは水紋に陽光と木々が反射して形作られた美しい幻想の中を泳いでいる。
そこに映し出されたのものが、確かに現実であったとしてもそこにあるのは紛れもなく彼女だけの世界に思えた。
これは彼女が残された時間で培った技術なのだろう。
「これはあとで君にあげるね」
「ありがとうな」
「ねぇ、写真を撮るってことは現実のほんの少しの綺麗な部分を映し出す事なんだよ」
「大部分は全然綺麗じゃないけどな」
「それでも、だよ。私もこの世界を全然手放しで綺麗だなんて言えないけど、二度とない唯一の一瞬を切り取ったこれには誰かにとっての希望や救いになって欲しいと思う」
そう言いながら彼女は僕におもむろに手を差し出した。
「君にも、私やこの写真をふと思い出して欲しいな」
そう言って彼女は微笑んだ。夕方近くの淡い光が彼女の背後を照らし出すものだから余計に目を奪われてしまう。心から、綺麗だと思った。
「あぁ思い出すよ、必ず。死ぬまで忘れない」
「でも君は幸せになってね。この世界の景色だけでも綺麗だって思えるくらいはにさ。それで自分の人生を生きろ!」
僕は、幸せになれるだろうか。今は無理だと思うけど、きっと人は変わるのだろう。
この感情すらもいつかは忘れてしまう。今の僕はそれでいいとも思わない。分からないことはやはり怖い。
「突然命令口調かよ。まぁでも、僕はこの苦しさも抱えたまま幸せになるよ」
それが今の僕が導き出せる理想論で結論だった。
「何それ。でも、君らしいや。蒼って奴は滅茶苦茶めんどくさいもんね」
「千咲にだけは言われたくないな」
「えー」
僕は未来の世界で彼女のように在れるだろうか。
何かを遺そうと未来の僕は思うのか、それとも何も残せぬまま死ぬか。分からない。
だけど、少しでも前を向いて生きていこうと思った。今すぐには当然無理だし、今は彼女の隣が全てだ。だけど、彼女が居なくなった後も僕の人生は続いていくから。
「僕はちょっと用事があるから先に帰っていいよ」
「あ、うん。じゃあまたね。明日写真渡すから」
そうは言ったものの、別に用事は無い。でも何だか濃密な数時間だったと思う。
彼女に遺された時間は長くないし当然今だって悲しくて、悔しくて無力で、どうしようもない。だけど、今日が無駄だとは絶対に思わない。
たとえこの世界が夢だとしてもだ。
彼女はこれからも写真を限界まで撮るのだろう。そこに僕が居ないとしてもそれでいい。
その写真に心を動かされる一人の観客になればいい。僕はそうやって生きて、見届けるのだ。
そうこうしているうちに公園に着く。
ここに来て、時間が戻って、まぁ人生どうなるか分からないものである。
僕は精一杯にやり直そうと思う。彼女が隣にいなくとも。
ふと、ベンチに壊れたカメラがあることに気づく。
「!?」
過去に来た時と同じような光に包まれる。つまりは――この夢の終わりだろう。
生き直すって決めたのにな。
いや、これから頑張ればいいだけだ。頑張るなんて言葉を僕が積極的に使うなんて昔は考えもしなかった。
どう考えてもこの夢は夢にしては僕らに都合が悪いけど、この世界で少しでも強く在ろうとする彼女の生き方は美しいものだった。
僕の大切なものは何だろう。いつか、彼女のようにそれを見つけられるのだろうか。
分からない。けど、僕も美しく在りたいと思った。
この世界の延長線上の未来の彼女は、誰かの心に残るようなものを残せるだろうか。そうだといいな。
===
自室のベッドで目が覚める。まぁやはり夢か。
そう思ったけど何か諦めきれなくてカメラが置いてある場所に目をやる。
――壊れていない。
つまり夢じゃないってことだ。
スマホを直ちに起動し彼女の名前を検索してみる。遺せたのだろうか? それとも今も生きてる?
スマホの小さい液晶に映ったのは彼女の顔写真と何枚もの美しい写真だった。
検索候補に表示されたサイトには若くして亡くなった天才写真家とある。
僕は深夜にもなって自室でただ泣いた。悲しいだけじゃない。彼女は遺していたのだ。沢山のこの世界に何枚もの世界の美しさを、唯一を、その生き様を。
彼女の人生は確かに短いものだったけど、何人もの記憶にその名前を刻んだ。その事実に胸が熱くなる。嬉しいやら悲しいやら色々な感情が入り乱れて整理しきれないくらいだ。
僕はそんな風に刹那的に美しく生きられやしないけど、過去の世界でした決意も約束も確かに僕のものだ。
特集が組まれたサイトを見ていると見覚えのある写真が目に入る。
タイトルは『この「唯一」を君に捧ぐ』
カルガモが泳いでいるだけのシンプルな写真。彼女が僕に渡そうとしていた写真だった。
この君が誰なのかは大体理解出来る。彼女の最期に、ちゃんと僕は居たってことなのだろうか。
分からないけど、それもじきに思い出す気がする。
僕の記憶が過去に戻ったことを忘れたとしても、上書きされたとしても、この世界では彼女の生き様は僕にも刻まれているはずだ。根拠もなくそう思う。
その日は寝られなかった。忘れたくないと思ったから。
だけど昼を回った辺りだろうか。僕の意識は段々と朦朧としてくる。
「まずい」
僕が見てきた大切な過去の記憶が消える、消えてしまう......
視界が暗転した。
僕は昔からこの場所が好きだった。今でもここに居ると心が凪ぐような気がするのだ。まるで遠くまで広がる水と同化するように。
「千咲、僕が昔からここを好きなの知ってるよな」
「うん。だからここにしたんだよ。じゃないと意味が生まれないでしょ?」
やはり彼女には敵わないなと思う。
湖のほとりでカルガモが泳いでいる、そんな当たり前の風景。
そこに彼女はカメラを向ける。
適切な光度、構図、陽光の入れ方のバランス。それらを考慮しながら一枚、また一枚と撮り続ける。
ひとしきり撮り終えた彼女はその写真を僕に見せてくる。
カルガモが湖を中睦まじげに泳いでいるだけのシンプルな写真だ。なのに、それだけじゃない気がする。
写真の中での彼らは水紋に陽光と木々が反射して形作られた美しい幻想の中を泳いでいる。
そこに映し出されたのものが、確かに現実であったとしてもそこにあるのは紛れもなく彼女だけの世界に思えた。
これは彼女が残された時間で培った技術なのだろう。
「これはあとで君にあげるね」
「ありがとうな」
「ねぇ、写真を撮るってことは現実のほんの少しの綺麗な部分を映し出す事なんだよ」
「大部分は全然綺麗じゃないけどな」
「それでも、だよ。私もこの世界を全然手放しで綺麗だなんて言えないけど、二度とない唯一の一瞬を切り取ったこれには誰かにとっての希望や救いになって欲しいと思う」
そう言いながら彼女は僕におもむろに手を差し出した。
「君にも、私やこの写真をふと思い出して欲しいな」
そう言って彼女は微笑んだ。夕方近くの淡い光が彼女の背後を照らし出すものだから余計に目を奪われてしまう。心から、綺麗だと思った。
「あぁ思い出すよ、必ず。死ぬまで忘れない」
「でも君は幸せになってね。この世界の景色だけでも綺麗だって思えるくらいはにさ。それで自分の人生を生きろ!」
僕は、幸せになれるだろうか。今は無理だと思うけど、きっと人は変わるのだろう。
この感情すらもいつかは忘れてしまう。今の僕はそれでいいとも思わない。分からないことはやはり怖い。
「突然命令口調かよ。まぁでも、僕はこの苦しさも抱えたまま幸せになるよ」
それが今の僕が導き出せる理想論で結論だった。
「何それ。でも、君らしいや。蒼って奴は滅茶苦茶めんどくさいもんね」
「千咲にだけは言われたくないな」
「えー」
僕は未来の世界で彼女のように在れるだろうか。
何かを遺そうと未来の僕は思うのか、それとも何も残せぬまま死ぬか。分からない。
だけど、少しでも前を向いて生きていこうと思った。今すぐには当然無理だし、今は彼女の隣が全てだ。だけど、彼女が居なくなった後も僕の人生は続いていくから。
「僕はちょっと用事があるから先に帰っていいよ」
「あ、うん。じゃあまたね。明日写真渡すから」
そうは言ったものの、別に用事は無い。でも何だか濃密な数時間だったと思う。
彼女に遺された時間は長くないし当然今だって悲しくて、悔しくて無力で、どうしようもない。だけど、今日が無駄だとは絶対に思わない。
たとえこの世界が夢だとしてもだ。
彼女はこれからも写真を限界まで撮るのだろう。そこに僕が居ないとしてもそれでいい。
その写真に心を動かされる一人の観客になればいい。僕はそうやって生きて、見届けるのだ。
そうこうしているうちに公園に着く。
ここに来て、時間が戻って、まぁ人生どうなるか分からないものである。
僕は精一杯にやり直そうと思う。彼女が隣にいなくとも。
ふと、ベンチに壊れたカメラがあることに気づく。
「!?」
過去に来た時と同じような光に包まれる。つまりは――この夢の終わりだろう。
生き直すって決めたのにな。
いや、これから頑張ればいいだけだ。頑張るなんて言葉を僕が積極的に使うなんて昔は考えもしなかった。
どう考えてもこの夢は夢にしては僕らに都合が悪いけど、この世界で少しでも強く在ろうとする彼女の生き方は美しいものだった。
僕の大切なものは何だろう。いつか、彼女のようにそれを見つけられるのだろうか。
分からない。けど、僕も美しく在りたいと思った。
この世界の延長線上の未来の彼女は、誰かの心に残るようなものを残せるだろうか。そうだといいな。
===
自室のベッドで目が覚める。まぁやはり夢か。
そう思ったけど何か諦めきれなくてカメラが置いてある場所に目をやる。
――壊れていない。
つまり夢じゃないってことだ。
スマホを直ちに起動し彼女の名前を検索してみる。遺せたのだろうか? それとも今も生きてる?
スマホの小さい液晶に映ったのは彼女の顔写真と何枚もの美しい写真だった。
検索候補に表示されたサイトには若くして亡くなった天才写真家とある。
僕は深夜にもなって自室でただ泣いた。悲しいだけじゃない。彼女は遺していたのだ。沢山のこの世界に何枚もの世界の美しさを、唯一を、その生き様を。
彼女の人生は確かに短いものだったけど、何人もの記憶にその名前を刻んだ。その事実に胸が熱くなる。嬉しいやら悲しいやら色々な感情が入り乱れて整理しきれないくらいだ。
僕はそんな風に刹那的に美しく生きられやしないけど、過去の世界でした決意も約束も確かに僕のものだ。
特集が組まれたサイトを見ていると見覚えのある写真が目に入る。
タイトルは『この「唯一」を君に捧ぐ』
カルガモが泳いでいるだけのシンプルな写真。彼女が僕に渡そうとしていた写真だった。
この君が誰なのかは大体理解出来る。彼女の最期に、ちゃんと僕は居たってことなのだろうか。
分からないけど、それもじきに思い出す気がする。
僕の記憶が過去に戻ったことを忘れたとしても、上書きされたとしても、この世界では彼女の生き様は僕にも刻まれているはずだ。根拠もなくそう思う。
その日は寝られなかった。忘れたくないと思ったから。
だけど昼を回った辺りだろうか。僕の意識は段々と朦朧としてくる。
「まずい」
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視界が暗転した。
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