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第三章: リタ、奪還
其の五十一話 エルフ里の囚われ人:その8(夜襲4)
しおりを挟む「止まった?」
床に這いつくばる和穂が僅かに顔を上げる。
その髪を掠めて矢が暗闇に飛び去っていく。
ひっ! 頭を両手でこれ以上無いくらいに押さえ、息を殺す。
アンさんは見ているだけでいいって言ってたけど、このままじゃ僕ーーーー
し、死ぬ。僕、ここで死んじゃうよ、リタ!
弓矢の無差別攻撃に晒され、ボロボロになったコテージが東風に煽られ、大きく軋む。
更にあちこちから、バキッ! ボキッ! ボコッ! とこのタイミングでは絶対に聞きたくない異音が響くと、コテージはむしり取られる雑草のようにバラバラにながら、吹き飛ばされていく。
和穂が伏せていた床もコテージ本体に引きずられるように傾きひっくり返った。
このままじゃ、下敷きになるーーーー
そう思った瞬間、硬直し張り付いているだけの身体がようやく動いた。
腕に力を込め、床を蹴る。
和穂が離れてすぐに床の天地が引っくり返って砕け、風に消えていく。
間一髪、飛び出した和穂を東風が絡め取った。
リタのような風魔法の使い手や風の加護を持つエルフであるなら容易に打開可能な状況も、今の和穂には退っ引きならない。
風の中、ジタバタと動かす手足が虚しく宙を掴む。
「なんとかしなきゃ」と思う和穂にリタの声が思い出される。
「和穂、そんなにバタバタしてもだめよ。水の中じゃないんだから」
「じゃあ、どうすればいいの」
横で気持ち良さそうに風に身を任すリタを恨めしそうに見ながら和穂が聞く。
アンの結界に守られ、リタの気流操作の範囲内にいるとはいえ、安心できる大地は遥か眼下にある。
浮遊島の邸があんなに小さいよ。
訓練でここまでの高さに上がる必要あるの!
別に自分の力で浮いている訳でもないのに、気を抜くと落っこちていきそうで怖かった。
やっぱりパラシュートとかハンググライダー、パラグライダーが必要かも。
でも知ってることは動画やテレビで見たぐらいしかないから、あとでスゥーマに検索してもらって『思念武装』で再現してみよう。
そんなことを和穂が考えている間もリタのレクチャーは途切れなく続いている。
「風に身を任せるの。木の葉を思い出して。木の葉のように風に乗るの。ほら、こんな風にーー」
「それは前にもーーーー」
ローザの〈芭蕉扇〉に吹き飛ばされた時に経験済みです。
翻弄されるだけで生きた心地がしなかった。
それ以来、どうしても「飛ぶって、何が楽しいの?」と思う和穂だった。
「ほら、和穂」
リタがそんな和穂の手を取ると一気に上昇を始めた。
「わ、わー、ちょ、リ、リタぁああ」
かと思えば、いきなり急下降する。
真っ直ぐに飛んでは急反転。
まるでジェットコースターだ。
リタの笑い声。それにつられるように和穂も笑顔になる。
なんだか、楽しい。
これってやっぱりリタが一緒だからかな。
ーーって、思い出に浸っている場合じゃないよ僕。なんとかしなきゃ。
そういえばアンさんが消える前に何かわたされたっけ。でも……
使うのが躊躇われた。『思念武装』同様、これまでを踏襲するように悪い予感しかしない。
アンさん、絶対におもしろがってるよね。
しかし、使わないという選択肢は現状皆無に等しい。
このままだとリタを助けるどころか、どこまで飛ばされるのかわかったもんじゃない。
だが、いざ使おうと思った時、それを持っていないことに気が付いた。どこで手放したのかもわからない。
おそらくあのコテージが引っくり返った時だ。あれに巻き込まれたに違いない。
だとしたら、もう探す手立ても無い。諦めるしか無いのかと思った時、もしかしたら呼び出せるのではと思いついた。
「呼び出すったって名前が……」
ーー名前は君が付けてあげるといい
アンさんはそう言った。ならーー
「君の名前は〝黒曜〟ーー『〝黒曜〟』だ」
本当はその後に〝次元〟と付けたかった。
アンさんが最初にあれを具現化した時の様子がまるでその場の空間をそのまま引きちぎったように僕には見えたから。でも長いので〝次元〟は省略。
〝黒曜〟も本来は鉱物のことだし、あの揺らめき加減は表現出来てないかも。
アンさんの話だと僕の思う通りに形を変えるらしいので、いいかな。
呼んですぐに仄かな温かみを和穂は手に感じた。
見ると手の中で揺らぐ黒い焔のようなものがあった。
びっくりして腕を振って払おうとして、それがたったいま、和穂が名付けして呼び出した〝黒曜〟だということに気付いた。
名前を呼んだら直ぐに来てくれるなんて、なんだか犬っぽくて可愛いと思った。
周りが皆んな気ままで我儘な猫タイプばかりだからか、至極新鮮だった。
「よろしくね〝黒曜〟 じゃあ、お願い」
和穂は〝黒曜〟を大きく振った。
イメージは『釣り』
伸ばした〝黒曜〟の先をあのつるつるの大地に刺し、リールを巻くように縮めて降りる寸法だ。
その一端が強風の中を煽られもせず、放った矢のように突き抜けて、風に磨き上げられた鏡面状の地面に突き刺さる。
「やった」
思わず声が出た。後は〝黒曜〟をゆっくり縮めて引っ張ってもらえば、無事に下に降りられる。
〝黒曜〟を縮めようとした和穂の表情が固まった。
「えっ?」
地面に刺さったその先端が、そのまま硬い地面を切り裂いていた。
冗談だろう!
その間も和穂は風に流され〝黒曜〟の付ける鏡面への傷が広がっていく。
と、とにかく早く止めないと。
慌てて〝黒曜〟を縮めるといきなり腹這いに激突していた。
ぶはぁ、と口から音がして、身体中の空気が飛び出していく感覚。受け身を取る暇さえ無かった。
痛みを感じるより先に〝黒曜〟を引き抜き、仰向けになって胸に抱く。時間差で頭から爪先まで走った痛みに身体を捩り、苦悶の声も風に虚しく吹き消された。
とんでもないな、これ。
激痛の中、そんなことを思った
〝思念武装〟より危ないかもしれない。でもーー和穂は自分の手を見た。
僕は傷つけないんだね。
でもこれは、うーん、きっとあれだね。最初にコマンドーー命令が必要なのかも、だね。
ゆっくりとか急いでとか。いや、急いではよそう。今の痛みをまた体験はしたくはなかった。
それがわかっただけでも、良しとするか。
さて、起きなきゃ。
痛みの引いていない身体をゆっくり起こす。動く度に心が挫けそうなバキバキという音が痛みと共に身体中を駆け回る。
バラバラになりそうだな、僕の身体。
その度に「覚える最初の魔法は絶対に〝治癒魔法〟しよう」と思う和穂だった。
しかし、その様子を驚愕の表情で見ていた者たちの接近に和穂はまだ気付いていなかった。
「見たでしょう、エルシカ」
そう問うラランの声にも驚愕が隠せない。
「なんなの、今の。ここを、この大地を切り裂いた。あんなに簡単に……」
この大地は硬い。魔法の力を借りなければ、簡単に人を巻き上げてしまう風に始終晒されながら、殆ど劣化することもない。
それをあんな簡単に裂いたのか、あの人族は。
「驚いている場合ではありませんよ。速度を上げます」
「待ってララン。接近は危険だわ。ここから弓で仕留めましょう」
「ならばエルシカ、ここはあなたにお任せします」
「任せるって、何をする気なの、ララン」
言うが早いかラランの姿が闇に紛れた。
「まったく勝手なんだから。モニカ、私はラランの後を追うわ。あとの指揮をお願い」
ラランを追ってエルシカもモニカの暗視から消えた。
「え、えー、いきなり、そんなぁーエルシカぁー、ラランー」
モニカ以下七人もその様子に呆気取られる。
「もう、勝手なんだから。二人のバカぁぁーーーー」
二人に非難の悲鳴を上げるモニカに、その横を併走する一人が声を掛けた。
「ど、どうする」
その声にモニカの中でスイッチが入る。
鋭く怒声が飛んだ。
「バッキャロー! 二人が身体を張ろうって時に何を悠長なことを言ってやがる。お前等が肩から下げてるものはなんだ、ただの木の枝か。援護するに決まってるだろうが!」
その豹変ぶりに残り全員が顔をしかめた。
ララン、エルシカ、モニカの三人の中で誰がリーダーに最適なのか、全員の意見は一致している。
但しモニカには一つだけ難があるのだ。
でもそれは何故なのか全員理解している。
誰だって先頭に立つのは怖いのだ。
だから彼女はもう一つの顔に一変する。
仲間を守る信頼できるリーダーに。
そして〈妖精郷〉最強の〝狂戦士〟に。
応援ありがとうございます!
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