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第三章: リタ、奪還

其の五十話 エルフの里の囚われ人:その7(夜襲3)

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 相変わらず、ここのは厳しい。
『風の加護』を持つエルフであってもここ〈妖精郷〉の西壁の風は辛い。
 風の加護、更には二重の結界を張った中でも無効化は出来ず、むしろ更に強く感じてくる。
 西壁の風は「恨みの風だ」だと〈妖精郷〉に住む者たちはよく口にする。
 大地をエルフに都合の良いように変えられた、この地の過去の精霊たちの恨みの声だと。
〈妖精郷〉の〈黒の竜〉襲来は瞬く間に人から人へと伝わって行った。
 スサヤがその事の次第を知ったのは、その僅か一月ひとつき後のことだった。
 更にその一月後、〈妖精郷〉に戻ったスサヤと、その手助けになればと共に付いて来てくれた里の仲間たちが最初に見たものは、夥しい数の『死霊』と化した植物精霊と古樹精霊たちの変わり果てた姿だった。
「何なのだ、これは」
 未だに立ちこめる瘴気とその中を蠢く死霊に行手を阻まれた。
 スサヤたちが辛うじて救われたのは、それを閉じ込めるように張られた強固な結界のおかげだった。
「これは防壁となり、身を挺してこの里を守った精霊たちだ」
 出迎えたアルベロンが答える。
〈黒の竜〉の強い瘴気を浴び、その性質、属性を強制的に根こそぎ逆転させられた精霊ものたちだと項垂れた。
 瘴気を纏い、近付くもの、生命あるもの全てを、魔物魔獣をも見境無く襲い始め、その勢いが〈妖精郷〉にまで迫って来たため、結界を張りそこを境界として隔絶したーーと苦渋の末に下した決断を「都合の良い言い訳だ」と悲壮に自笑した。
 強力な呪詛と瘴気に冒された『死霊』は救いが無いとされる。
 呪縛による抑えようのない心の飢えはいつまでも満たされることを知らない。
 凍えた心と埋まらぬを充たそうとして常に生者を求めて彷徨い襲い続ける。
 もし救いがあるならば、それはその呪詛をかけた術者の解呪、その呪詛をかけた者を上回る力のある存在からの解除しかない。
 しかしその二つーー〈黒の竜〉と〈黄金色〉ーーはすでにこの世にはない。
『死霊』を閉じ込めた外側の森はいつしか死霊悪霊の蠢く場所〈死霊域アンバランス〉と呼ばれるようになり、何人も立ち入ってはならない禁忌区域、場所となった。
 以後〈妖精郷〉は永続的な結界により二つに分断されている。

「まったくは自重と言うものを知らんのか」
 網の目のように伸ばされた木の枝の間をスサヤとフォルカが西壁に向かって飛ぶ。
 スキルは暗闇移動と気流操作に絞り、高速で突っ切って行く。
 森を上に抜け、東風に乗れば早いのだろうが、夜更けとはいえ、まだ里にはポツリポツリと明かりが見える。警備の見張りもいる。それでは誰かに気付かれる畏れがあった。
 こんな時刻に戦士長自らが動くことにただならぬものを感じる者がいるかもしれない。
 これは隠密行動だ。騒ぎになるのは避けたかった。
 そのためスサヤは森の中を移動することを選んだ。
 その後を必死で追いながら、それでも離されていくフォルカには、小さくなるスサヤが本当に飛んでいるように見えた。
 真っ直ぐに伸ばされた手足を動かす様子はなく、通り抜ける枝はその先も揺れることはない。
 まるで樹々の方がスサヤに道を開いているようだ。
 戦士長と行動するとまだまだ教えられることが多いと気付く。
「フォルカ、済まぬが先に行くぞ」
 その声と共にスサヤの姿がフォルカの前から消える。
「戦士長ーー」
 掛けようとしたフォルカの声も置き去りにして。



「ララン、〈妖精郷アヴァロン〉側の配置も済んだようです」
 ディスプレイで確認したエルシカがラランに伝えた。
「そうですか。では始めましょうか。モニカ、合図を送って」
「わかった」
 モニカが展開待機していた精霊魔法を発動させる。
 掌に展開したそれから小さな緑色の光球が打ち上がるように上昇する。
 夜空にそれとは分からない程に細い光が流れ消えた。
「転移確認、かんりょーっと」
「モニカ、もう少し緊張感を持って」
「あっははー、怒んないでよエルシカ。ごめんごめん」
 はぁー、相変わらず軽いヤツ。いつまでも末妹っ子気質なんだから。
 ため息を吐いてエルシカが前を向き直す。
 しかし、これも彼女モニカのポーズだ。長い付き合いの中、誰よりも怖がりで慎重なことをエルシカは知っている。
 幼馴染とはそんなものだ。知らなくていい内緒事まで、身内より詳しいのだから。
 そして時にどんな友よりも頼りになる。
「ララン、本当に良いの?」
 モニカの横、片膝を地面に着けた低い姿勢で前方を見るラランがいた。
 二人共モニカと同じ〈妖精郷〉を守る戦士、と言うより大切な友人だ。
 エルシカは幼い頃から共に過ごしてきた幼馴染み、そしてラランは二十年程前に〈妖精郷ここ〉に来た、スサヤ戦士長の姪御さんだ。
 ここに来る前は冒険者としてさまざまな場所を旅してきたという。
 生まれてからこのかた〈妖精郷〉を出た事のないモニカにとってラランの語る『外の世界』はとても刺激的であり楽しいものだった。
 歳の近いこともあり、三人はすぐに打ち解け、昔からの友人のように親しくなった。
 ここに来てから見ていたラランのその行動力や決断力は戦士長の姪、元冒険者であることを差し引いても、妹気質で本来引っ込み思案なところのあるモニカにはそれがとても眩しく映った。
 そして何よりもラランには人を惹きつける魅力カリスマのようなものがある。
 ここに来て僅か数年でラランは小隊を率いるまでになっている。
 その大切な二人に何かかけ違いが生じたのか、ここに来て行動の敏速さが鈍くなっている。
「エルシカ、ここまで来てあなた今更なにを言っているのですか」
「ララン、状況をよく見て。これは明らかに独断専行よ。本来ならばーー」
「本来ならば、とは?」
 ラランの恫喝するような物言いに、エルシカはラランの焦りを感じ取った。疑問が更に膨らんだ。
 エルシカは時に暴走するラランのブレーキ役になっていた。
 モニカでは押し切られ、他の者達は二分化している。
 現在の〈妖精郷〉が続くことを望む者達と新しい風を入れて行こうとする者達、「保守」と「革新」に。
 いま彼女等と共に行動しているのは、そんな「革新」を謳うまだ三百歳前の年若い者達だった。
 だがララン自身にとってそれは、あまりにどうでもいいことだった。
「本来ならスサヤ戦士長から許可を取らねばならないところでしょう」
「それで〈妖精郷アヴァロン〉に取り返しのつかないことになったら、どうするつもりです」
「どうするも何も、まだどんな相手かもわからないのに。大体、これは偵察が目的ではなかったの。それを突然『こちらから仕掛ける』とはどういう事? 理由が聞きたいわ」
 エルシカの問い詰めに、ラランが平静に答えた。
「あそこに現れたこと自体、脅威であると思わないのですか? 先手を許してからでは遅いのですよ」
 しかしエルシカは引かなかった。
「今回は〈黒の竜〉の時とは違う。どこかの冒険者とか考えないの」
 ラランに可能性を問う。
「何用で、冒険者があんなところにいるのです」
と、私は言ったのよ。冒険者と決まった訳じゃない。大体、私がわかる訳ないじゃない。だからまずちゃんと偵察をーー」
「だからそれでは遅いんですよ」
「ララン、どうしたの? 何をそんなに焦っているの」
 苛立ちから乱暴になりそうな声を必死でラランは抑える。エルシカのなだめるような声がそれを一層逆撫でした。
「焦る? 私が? 何を根拠にです」
「私が訊いてるのよ。ララン、あなた最近、少し様子が変じゃない」
「言いがかりはよしてくれませんか、エルシカ」
「ララン、私は心配してるの。これでも私もモニカもあなたの友人だと思っている。何か心配事があるなら話して、力になるわ」
 エルシカ! あなたは、あなたと言う人はーー!
 ラランは腕が震えるほどに弓を持つ手を握り締める。奥歯が苛立ちに軋む。
 エルシカ! あなたのその余裕、全てを見透かしたかのような物言いが気に入らないんですよ!
 貴女なんか隊長の柄じゃないわ。
 ラランにはエルシカのそんな声が聞こえてくるのだ。
 勿論、エルシカが間違ってもそんな言葉を友人に発するような人物ではないと分かっている。
 それでも、それでもです!
 ラランの中で言えない鬱屈が叫び声を上げる。
 何故です、何故なんだ!
 イルテア従姉様といい、エルシカあなたといい、何故、私の前にはこれまでの研鑽を嘲笑うような存在ばかりが現れるんですか! 
 エルシカの声を振り払うようにラランが後方で準備している仲間に叫んだ。
「先制を掛け、揺動とします。矢の用意を。三連射後に強襲、〈妖精郷〉側と共に挟撃します」
「ララン!」
「放て!」
 エルシカの声を振り払い、ラランの声が放たれる矢の如く夜の闇に響く。
 その声も切り裂きながら、無数の矢が見えない敵を倒すため飛んで行く。
 そしてラランが行動を開始した。



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