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第三章: リタ、奪還

其の四十九話 エルフの里の囚われ人:その6(リタ)

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 リタ 幽閉の塔にて

 目が覚めて最初にリタが思ったのは、いつもと感じる空気が違うことだった。
 そしてこの寝かされているベットも、いつものものとは違う。それに隣りに旦那様もいない。
 昨日は〈モルスラ〉の邸に泊まったはずだ。
 ここは何処だろう。
 私の身に何が起きたんだろう。
 旦那様ーー和穂は、義母さまや邸の皆んなは大丈夫だろうか。
 義母さまやダークレイ、メリューサたちは心配するだけ無駄なような気がした。
 娘のカレンにですらリタは敵わないのだから。
 なら、目的は私だろうか。
 何も分からず一人、見知らぬ場所に寝かされているのならば、もしかして。
 拉致されたのか?
 信じ難いが義母さまアンの邸にいながら拉致されたことにショックを受けた。
 あの竜のブレスさえ撥ね退ける結界を破るものがいると。
 開いた目に暗い闇が映った。
 いつもなら自動で発動する〈暗視〉系のスキルが仕事をしていない。
 自然に目が慣れてくるのを待ってから辺りを観察した。
 暗いのは天井近くだけで、部屋は周りに何があるか確認出来る程度に光魔法で淡く照らされている。
 リタは掛けられた布団の中、自分が寝かされているベットのシーツに手を滑らせてみる。いつものベットじゃないことは感覚でわかる。
 シーツの手触り、掛けられた毛布と布団の柔らかさが、ここが自分の住み慣れた家や部屋ではないことを現実として教えてくれる。
 そして伸ばした手の先に触れる者もない。
 使われていた寝具はリタが普段使いしているものよりも上質だったが、苔むした深い森の匂いがして、冒険中の森の中での野宿キャンプを思い出す。
 冒険者として依頼クエストをこなす時も前はソロで受けることが多かった。
 時に一人では手に余る依頼を受ける際にはパーティを組むこともあるが、ランクの高い冒険者であればあるほど〝即席〟のパーティを嫌う傾向にある。
 高ランクの依頼は死と隣り合わせの場合も少なくない。
 自分の背中を預けるには、互いの信頼なくしては成り立たない事も多い。
 大抵は過去に多少なりと共に依頼をこなした冒険者、パーティに声を掛ける。または冒険者ギルドからの身元の明らかな紹介、手配が常套手段だった。
 しかしながら現実は矛盾している。そうした状況にも素早い対応と順応力が求められるのも高ランク冒険者としての資質と条件なのだから。
 最近のリタは和穂と行動を共にすることが多かった。
〈モルスラ〉の旧砦跡の展望塔でアリアに(リタ曰く)詐欺まがいな冒険者登録をされた和穂だったが、その後、解約することなく最下位ランクの『F級』冒険者として活動を始めた。
「絶対に後悔するわよ!」と激怒したリタだったが、意外とすんなり受け入れ、
「リタさん、最近、上機嫌ですね。なんか良いこと、あったんですかね」と受付嬢達の間でも度々話題に上がるようになっていた。
「彼氏が出来たからじゃなーい」とうそぶくアリアが、ノーラの〈真実と鑑定〉の魔眼に「嘘ね」と看破され、貴婦人ウンディーネとギルド職員に囲まれた中で、最近密かに調べたリタと和穂の結婚の事実を喋らされるというおまけまで付いて。
 受ける依頼は和穂に合わせるため、難易度はかなり落ちることになり、リタとしては手持ち無沙汰ではあったが、今は二人で共通の事が出来る楽しさの方が優っていた。
 それにリタは気付いたのだ。
 和穂と行動を共にする中で、彼の実力を。
 今の和穂の実力が『D』もしかしたら『C』級レベルに達しているかも知れないことに。
 思えば〈モルスラ〉での騒ぎ以来、ローザやダークレイ、メリューサに毎日レッスンと称してしごかれているのだから、当たり前か。
 時には義母さまアン叔母さまカミューラ、カレンまでもが面白がって参加してくるのだから、和穂もかわいそうを通り越して哀れと思うほかない。
 そのおかげか、実力はめきめきと上がって、出会ったばかりの頃とは桁違いに強くなっていた。
 懸念がない訳じゃない。
 旦那さまはーー和穂はのだ。
 冒険者は殺し屋ではない。
 無力化出来ればことは足りるのだ。
 魔物は、殺せると思う。
 けれど、それが人の形をしていたら果たして、きっと和穂は躊躇するだろう。
 たとえ自分が傷付くとしても。
 あのリュークとのいざこざがいい例だ。
 なら私はどう思われるだろうか。
 もし、私が依頼クエストのため、自分を守るため、和穂を守るために命を刈り取る姿を目の当たりにしたら、和穂はどう思うだろう。
 それでも私を好きでいてくれる、それとも嫌われるかな……
 リタはそれが怖かった。

 身体を起こすと自分が何も身に着けていないことに気が付いた。
 確か夜着に着替えてベットに入ったはずだが、リタは毛布で身体を隠し上体を起こした。
「気が付いたか」
 男の声にリタが身を固くする。
 同時に冒険者としてのスイッチも入った。
 しかし魔力を練り上げようと魔法陣を展開する度に、それはほどかれ拡散した。
 この部屋、魔力の集約制御の結界が施されているんだわ。
 リタは一時魔法陣展開を諦め、声のする方に顔を向けた。
 薄明かりだか、それでも性別、顔形も見て取れる五人の姿があった。
 暗い光の中であっても分かる金髪の間からリタと同じに先の尖っている長い耳が覗いている。
 特徴的にエルフだと思われた。
「誰?」と問うリタの声に、四人に前後を守られた男の声が答えた。
 持っていた二又の杖が床に当たり鈍い音を立てる。
「私の名はアルベロン、この〈妖精郷アヴァロン〉の里長をしている。そして……」
 そこで一旦言葉が途切れ、リタから視線を外す。
 僅かな間を置いて、再びリタを見る。
「そしてお前の母リリクスの兄、つまりはお前の伯父だ」
 伯父……?
 意外な言葉にリタが怪訝な表情となる。
 しかしアルベロンもまたその後のリタの言葉に唖然とされた。
「私の母の兄? 伯父って? それよりリリクス……って、誰のことなの?」
「自分の母の名を知らないのか」
「私の母さまはアン・モルガン・ルフェよ。リリクスなんて名前は知らないわ」
 リリクス…… 何処かで聞いたことがあるような、けど……わからない。
 その名前のところだけが、まるで霞がかかったみたいに思い出すことが出来ない。
 でもすごく大事なことのようには感じるのはどうしてだろう。
リリクス実母の名前が分からないとは……」

 そこでアルベロンは一つの見当に思い当たった。

「まさか、精神操作を受けているのか。掛けたのはアン・モルガン・ルフェか。幼な子になんという酷いことをする」
 実際、幼いリタに精神魔法を掛け、記憶を消したのはリリクス本人だが、その事実を知らないアルベロンは自らの単なる思いつきを確信へと格上げする。
 憐れみと怒りの入り混じるアルベロンの声に、リタもまたアルベロンに対し不快と憤りを露わにする。
 思いつきだけのくだらない事をさも正解のように言わないで。
「力ずくで連れ去って来たあなたに義母さまをとやかく言われる筋合いはないわ。それ以上、私の義母さまを悪く言うなら許さない」
「私がいまあの一つ目モノアイの呪縛を解いてやる。思い出すのだ、自分の本当の母親が誰であるかを」
 アルベロンがリタに〝沙羅双樹セフィロス〟向け、魔法陣を展開する。
 魔力を集積出来ないリタには、それがどんな魔法であれ防ぐ手立てが無かった。
 逃げるにしても、いま身体を覆っている物は毛布一枚。それに変な動きを見せれば、目の前のエルフ達が即座に動き、押さえ込みに来るのが容易に想像出来た。
 魔法陣をリタに向け展開しているのがこの里の長であるなら、あとの四人はそれを守る護衛。実力は分からないがこの里でも上位に位置する者たちだろう。
 どうであれ、いまのリタにはどうしょうもなかった。
「私の母はアン・モルガン・ルフェ、その人だけよ!」
 アルベロンの身勝手な思い込みにリタが叫ぶ。
 そのリタがいきなり頭を押さえて叫んだ。
「な、何これ。私に何をしたの」
 頭の中に手を差し込まれ、弄り回されるような感覚。そのあまりの不快感にリタが苦悶を洩らしながら身体を捩る。
「やめて! 私の中に触らないで、嫌!」
「あと少しの辛抱だ。そうするれば、全てが明らかにーー」
 アルベロンの言葉がそこで止まった。
「何だ、あれは?」
 頭を押さえ悲鳴を上げ、振り払うように激しく動かすリタの変化にアルベロンが気付いた。
 裸の肩に光が灯っていた。
 最初は小さな点のような光は、それでもこの薄暗い部屋の闇を切り裂くように強くリタの身体を覆うように拡がっていく。
 リタはまだ自分が発する光に気付いてはいないようだったが、光が広がるにつれ、悲鳴が止み、頭から離れた両手を身体を不思議そうに見回している。
「光……私が光ってるの。今度は私に何をしたの!」
 眉間に皺を刻み目を吊り上げた敵意を剥き出しにした表情は、今にも襲い掛かろうとする魔物のようにアルベロンに牙を剥く。
 その反面、リタは自分の中の混乱と憤りといった負の感情が不思議と癒されていくのを感じていた。
 この光の所為だろうか? 
 もしかして義母さまアンが来てくれたのだろうか。なら和穂も一緒なの。
 和穂、会いたい。
 リタが裸の胸を自分で抱いた。こんな時なのに泣きたい気分になった。
 寂しいなんて、思ったことなかったのに。
 今すぐにでもその顔が見たい。
 あなたの笑顔はいつだって私が欲しいものをくれる。こんなどうしょうもない状況の中でも。
 だったら立つんだ、リタ・アーヴル・スカンディナ・三坂。
 いつまでもこんなところに居てはいけない。
 帰らなきゃ、和穂のところに。
 ベットから出ようとするリタにうわ言のようなアルベロンの声が聞こえた。
「これは、この光、この気配には覚えがあるぞ……これは」
 その声にリタの動きが止まる。
 この男ーーアルベロンはこの光の正体を知っているの。
 その隙を逃さず、アルベロンの護衛が動いた。
 それを牽制するかのように光もまた天井を貫き、左右に大きく開いた。
 更に細い糸のような光りの線が縦横無尽に辺りを切り裂きながら走り回る。
 天井を失った塔が斬り刻まれながら崩れる山のように破壊されていく。
 樹齢数万年の分厚い樹幹と防護、障壁魔法の張られた『幽閉の塔』が一条の光に崩壊した。
 我に返ったアルベロンが傾く床に〝沙羅双樹〟で身体を支えながら塔の崩壊を魔法で止めた。
 四人の護衛もその場で動けないでいる。
「魔力が、集まる」
 塔の崩壊と共にその魔法効果も解除されたのか、リタの手に魔法陣が展開を始める。
 その隙を逃さず、身体に毛布を巻きつけると風魔法と止まった塔の瓦礫を利用してこの場からの脱出を試みる。
「逃すな、取り押さえよ」
 気付いたアルベロンが額に油汗を滲ませながら叫ぶ。
 これ以上、塔の崩壊を抑え込むことは無理だ。しかしこの下には居住区がある。今魔法を解除する訳にはいかなかった。
「このままでは持たない。樹木精霊ドライアド古樹精霊トリエントにも助けを求めよ」
 後方の二人がアルベロンの声に応じて魔法の補佐に入る。前方の二人が風魔法を駆使して一足飛びにリタに迫り、一人がその足を掴んだ。
「あっ」
 気を取られた瞬間、上から回り込んだもう一人がリタを押さえこもうとする。
「離して」
 声と共に叩きつけられるような音がした。
 アルベロンの背後から。
 何だ、と振り返ろうとして、自分の後ろで補佐をしていた二人がいないことに気付いた。
 四人は折り重なるように壁にめり込んでいた。そのままゆっくりと落下して行く。
 はっとして見上げたリタにアルベロンは黄金に輝く竜の姿が重なった。
「またお前なのか、〈黄金色〉 この厄災が」
「〈黄金色〉?」
「自分の父親も知らぬか、何処までも哀れなーー」
 リタの背中から光が上がり、一対の翼のように広がる。それが大きく鎌の形でアルベロンに伸び、薙いだ。
 選りすぐりの護衛四人を一閃した攻撃を〝沙羅双樹〟で受け流す。それだけで魔力が半減した。
「ば、バカな。うう……む、リリクスの娘であれば傷つけたくは無かったが、仕方がない。すまぬが大人しくさせてもらうぞ」
〝沙羅双樹〟に魔法陣が展開し、アルベロンが詠唱に入る。
 しかしその詠唱は更に巨大な魔法陣に消し飛ばされた。
 リタの周囲の瓦礫が蒸発するように光りの粒子に変えられ昇華していく。
 その様子をアルベロンは若きあの日に一度経験していた。その手の中で〝沙羅双樹〟が音を立てて砕けた。
 傷付いた手に回復魔法を掛けながらアルベロンは距離を取った。
「〝沙羅双樹〟が砕けただと。お前は……そうか」
 リリクスを連れ去られた日を思い出す。
 そして、その後の厄災の日をーー
「貴様はまたか、また貴様はこの里を、この〈妖精郷〉をーー!
 貴様のせいだ! みんな貴様が来てからおかしなった。
 貴様が来なければ、貴様が〈妖精郷ここ〉を変えたのだ!」

 厄災め!

「厄災はあなたよ」
「なに、私を厄災と呼ぶか」
「理由も無く私を勝手にこんなところに連れて来て、訳の分からないことばかり言って、私があなたに何をしたって言うの。あなたの望みは、私に何をさせたいの」
「私はただここを、〈妖精郷〉を守りたいだけだ」 
「ならば勝手に守りなさいよ。私を巻き込まないで」
「それにはお前の存在が必要なのだ、リタよ。お前の中に眠っている〝沙羅双樹セフィロス〟が」
「そんなもの、知らないわ。とにかく私を解放して。あなた達の都合のいい道具にしないで」
「都合のいいことは分かっている。だが、分かって欲しい、全てはここ〈妖精郷〉のため、民のためなのだ」
「そんな詭弁、聞く耳もないわ。要は自分が可愛いだけなんでしょう。ならーー」
「何をするつもりだ」
「なら原因を、〈妖精郷ここ〉を消滅けしてあげるわ」
「馬鹿な真似は止せ、リタよ。ここは母親リリクスの故郷だぞ」
「その母親すら利用したんでしょう、あなた達は」
「私ではない。それはオベロン、先代の里長が」
 アルベロンの見ている前でリタが光の魔法陣を多層術式レイヤーへと組み替え始める。
「あの娘、術式変換が出来るのか」 
 展開中の魔法はその発動後でなければ次の魔法に移ることが出来ない。そして、その性質も。
 二つ以上の魔法を一度に扱える魔法使いも珍しくはないが、一つ一つの魔法は大抵が単一発動が普通だ。
 その解決方法の一つに考えだされたものが魔法を重ねる、束ねる、多層術式マギカレイヤーだ。
 点から線へ、線から平面、そして多層へ。
 リタの放つ〈黄金色〉の光が〈妖精郷〉を飲み込もうとしていた。

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