異世界でエルフの少女と夫婦になりました。

ナツノチヘイセン

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第三章: リタ、奪還

其の四十六話 エルフの里の囚われ人:その3(エルフの森)

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「あの、アンさん」
「なんだね、婿殿」

 今更だなぁと思いながら、横で和穂の用意したキャンプチェアに包まれくつろぐアンに尋ねた。

 アンには何故、義母ははと呼べないのかと迫られたが、今後いずれ呼びますとなんとか言い逃れて、これまでの「アン」呼びで許してもらった。

「しかし、これは良いものだね。この座り心地、気に入ったよ。身体が包みこまれるような感じ、それに材質も手触りがいい」

 感触を確かめるように両脇の肘掛け部分を何度かアンが撫でた。

「気に入って貰えて何よりです。それで改めて聞きますが、ここは何処なんでしょうか」

 今更、である。

 あのあと〈黒の森〉のリタとの家から何の説明も前振りも魔法陣の展開もなく、いきなりここに転移され、しばらく周囲の景色、その絶景に圧倒された。

「ここか、ここはエルフ共が〈妖精郷アヴァロン〉と呼んでいる国、エルフ共の言い方をすれば『森』または『里』の一つだ。そしてリタの母、リリクスの故郷でもある」

 銀のステンレス製のマグカップから漂う香ばしさを楽しみながら、アンが和穂の淹れたコーヒーを一口啜った。

「ここがリタのお母さんの生まれ故郷……」

 コーヒーポットを片手に浅葱色のエプロン姿の和穂が呟く。

 胸でワンポイントの黄色いヒヨコが二羽、笑顔で〝PIYO、PIYO〟とアルファベットで鳴いている。

 和穂とアンは周囲を高い岩壁に囲まれた広大な森を見下ろしていた。

 この岩壁、高さはどれだけあるんだろう。
 最初に知らずにその端に立った和穂の足が竦んで、アンに助けられた。

 切り立ち、滝のように垂直に落ちた岩の壁は、遥か下の緑の海に吸い込まれていた。
〈モルスラ〉を守る二枚岩も元は山だった言われるだけあって見上げる高さだったが、ここは更に高い。

 あの白く浮かんでいるのは雲だろうか。だとしたら、かなり標高が高い場所なのか、ここは。

 その雲を挟んで更に下、深く濃い緑の海のような森がどこまで広がっていた。

 ここの何処かにリタがいるんだ。
 何処だ、リタ。
 何処だっていい、必ず見つけ出す。
 そして一緒に帰るんだ。
 待ってて。今、行くよ。

 決意を胸に、改めて周囲を見渡すと言葉を失ってしまう。

 とにかく圧倒された。

 広い。
 広く過ぎる。
 ここってどれだけ広いの?

 後ろを振り返ると一片の雲も無い青い空と、その表面には草木はおろか小石の類も無く磨かれたように平らな白い大地が、遥か向こうで一線になって交わっている。

「今は我の結界の中だから感じないが、ここは年中、立つことさえままならないほどの強風が森側から吹いている。その風に削られて、こんな平らな岩の平原が出来たのさ。
 本来ならこうして見下ろすなど出来ない場所なのだがな」

 言いながらも、アンのその語彙には蔑みの感情が見て取れた。

「どうしてですか」

「認知出来ないように幾重にも結界が張ってある。『聖域』なのだそうだ。本当なら今頃はエルフ共の戦士とやらに囲まれている」

〈黒の竜〉にいとも簡単に蹂躙を許しておきながら、何が『聖域』だ、ばかばかしい。エルフ共もいい加減に目を覚ますことだ。

 それにとアンが続ける。

「この地は他の種族には完全に解放していない。ごくまれに迷い込んだ冒険者、魔法使いといった者たち以外にはね。〝まぼろし〟と呼ばれている場所なんだ。そしてーー」

 アンが指差す方向に一本だけ突出した塔のようなものが見えた。

「あれ〝樹〟ですか」

 この距離からあの大きさに見えるなら、間近であればどのくらい巨大だろう。

 緑の地平を二つに分ける矢尻のように、その真ん中を突き抜けて空を指していた。
 左右に広げた枝葉の三角形は不恰好なとんがり帽子に見え、立っていること自体が奇跡のように和穂には思えた。

「面白いかね」

 和穂を見て悪戯っぽく笑うアンに、

「不思議です。植物、なんですよね」
「婿殿はどう思う?」

 でもあれって、どこかで見覚えがあるような……それも、ものすごく身近な……
 そう考えて、和穂ははたと気付いた。
 もしかして、あれも〈マザーツリー〉なのか……?

〈黒の森〉のリタの家の後ろに立っている、あの巨木に似ている。でも大きさは比較にならないほどこっちの方が大きい。

「エルフ共は『宝樹』と呼んでいる」

「『世界樹』ですか、あれ」

「妙な言葉を知っているな、婿殿。だが違うよ。『世界樹』と呼べるものはこの世界に一つしかない。あの『宝樹』は似て非なるものだ」

「僕たちの家の後ろに生えている〈マザーツリー〉と似ているような気がしますが、同じ種類のものなんですか」

「残念ながら違う。〈マザーツリー〉と『宝樹』はまったくの別種だよ。それにあの『宝樹』は作り物だ」

宝樹あんなもの』と〈マザーツリー私が植えたもの〉を一緒にしてもらいたくないものだな。
 しかし婿殿、君は〈マザーツリー〉が『世界樹』の〝リーフ〟の一部だと聞いたら信じるかね?

「作り物……あれが」

「言い方が悪かったかな。確かに植物ではある。あれはエルフ共の『世界樹』への畏敬と信仰、そして狂おしいほどまでの切望の形さ」

 アンが続ける。

「〈妖精郷アヴァロン〉のハイエルフの長のみがその象徴として持っている〝沙羅双樹セフィロス〟と呼ばれる二股の槍がある。それはかつてハイエルフの初代の長だった者が苦難の末に辿り着いた『世界樹』から受けた枝から作られた。その一部を奴らが神聖としている樹、『宝樹』に移植したものだ」

 だから〈マザーツリー〉に似るところもあるのさ。

「そんな場所で、こんなことしていて良いんでしょうか」

「こんなこととは」

 和穂の淹れたコーヒーを飲みながら、アンの単眼モノアイがその顔を見上げた。

「いや、くつろぎ過ぎではないかと」
 言って、和穂が後ろを振り返る。

「我のせいかね」

「あ……うん……まあ、確かに僕も調子に乗ったところはありますけど」

「だからといってこんな開けた目立つ場所に小屋までだすとはな」

 アンがチラリと後ろを一瞥する。
 誤魔化すように和穂が笑い、明後日の方を向く。

「あ……ははは……え、えーと、すいません。やり過ぎました……」

 ここに着くなりアンは感知魔法遮断の結界を張ると、和穂に野営の準備をするように指示してその場に横になるとすぐに寝息をたて始めた。

「え、えーー野営って、僕、何も持ってきてませんよ!」

 起きてください! 和穂が身体を揺すっても凶悪な二つの胸が大きく波打つだけで、その単眼は開かない。

 逆に、
「はうっ」
 最早こっちの世界に来てからは慣れっこになった身体が『く』の字になるほどの衝撃を鳩尾みぞおちに受けて一瞬、意識が遠くなる。

 砦の重装備並みの強化魔法を施されたこの服を着ていてこの衝撃、アンにしてみれば軽く払った程度なのだろうが、和穂はそこから二十メートルばかりを『く』で宙を飛ぶ。
 それでも虚ながら気を失うことだけはしない。

 落ちる寸前に散々痣と怪我だらけにながら叩き込まれ、無意識でも取れるようになった受身で何度か回転し四つん這いで止まった。

 白い地面は硬く、氷の上のように滑った。
 同時に《風切り》を構えるローザの姿と声が脳裏にに甦ってくる。

 ーー和穂様、必ず追撃してくる相手に対して反撃できる体制をつくりながら受身を取ってください。
 あなたの命を奪おうとする者から目を意識を注意を逸らしてはいけません。
 その一瞬の判断であなたが生き延びるか刈り取られるのかが決まります。
 そしてそれは自ずとリタ様への危機にも繋がっていきますーーーー

「あーもう、しょうがないなー」

 和穂は立ち上がりながら服に付いた埃を叩いて払うと、大きく深呼吸する。
 リラックス、リラックスっと。
 目を瞑り、胸の前に両手で円を作る。
 そう、ボールを持った感じに。
 そして〝念〟じる。
 イメージを集中、鮮明に思い描き、引き出すような感覚で手を前に出した。
 和穂の前に陽炎のようなものが立つ。
 ゆらゆらと頼りなく動きながらも、ゆっくりとその形を取っていく。
 まだまだ……耐えろ自分……
 ここで気を抜くと四散してしまう。この長い一瞬が確定するまで気が抜けない。

「婿殿、これが神祖カミューラとの訓練の成果か」
「は、はい」

 いつの間にか起き上がっていたアンに声をかけられると同時に、和穂が落ちるようにその場に腰を下ろした。

 やっぱりこの規模のものを出すと疲れる……。
 うーん、まだまだだなー。

「で、この丸太小屋はなんだね」

「コテージ……僕の世界では野営を娯楽として楽しむキャンプっていうものがあって、これはその時に使う小屋です。で、隣がテント。そしてキャンプチェアーー椅子です」

「ほう、これが椅子……。薄い布地に細い骨組みのみとは、まるでスケルトンだな。まぁいい、どれ」

 アンが椅子に腰を下ろし、預けるように背もたれに寄り掛かる。布地が包み込むようにその身体を受け止めた。

「なかなか、これは座り心地の良いものだね。骨組みだけの作りとは思えない。それに」

 肘掛けを手で撫でながら「ふむ」と納得したように呟く。

「この布地の手触り感も悪くない」
「一応、再現度には自信があります」

 カミューラからレクチャーを受け、フェリアを通してスゥーマのデーター映像の力を借りて、頭の中をぐちゃぐちゃにされながらしながらの〝思念武装サイキック・ギア〟の特訓は、何度頭が精神が爆発、崩壊するかもしれないと思った。

 おかげで最近になって納得の出来るものが生み出せるようになった。
 そんな和穂を見るアンの単眼が優しく笑う。

「『こんな場所』と婿殿は言うが、所詮は一種族の都合だよ。『聖域』だ、〈妖精郷アヴァロン〉だ、などと御大層な呼び方をしたところで、それを知らぬ者にどんな制約が掛けられるというのだね。意味の無い言葉に君は尊厳を抱けるかね」

 アンの言葉に、
「わかりません、僕は」
 和穂はそう答えるしかなかった。

「正直だな、婿殿は。誤解しないでほしいが、悪い意味ではないよ。誠実だと言いたいのさ。
 話は変わるが、便利な物が沢山あるのだな、婿殿の世界は」

「そうですか? 魔法の方が凄いと思いますが」

「魔法は万人が使えるものじゃない。『魔石』を使えば魔力の無い者でも、確かにその恩恵に与かることは出来る。だが『魔石』は高価だ。おいそれと購入出来るもんじゃない。それに比べ、これはーー楽しいものだね!」

 椅子から立ち上がったアンが、料理準備用に出したテーブルの上の調理器具に興味を示している。

「ところで今夜の献立は何だね」

「すいません、まだ考えてませんでした」

「我は食わずとも何ともないが婿殿はそうはいくまい」

「どういう意味ですか」

「今夜辺り、夜襲がある」

「えっ?」

「しっかりと食べておかねば戦えまい」

「夜襲……」

「怖くなったかね。だか、戦わねばリタを救うことは出来ないぞ」

「わかってます。覚悟は決めています。どんな事をしても〝リタ〟は取り戻します」

「ならば全て婿殿に任そう」

「えっ」

「という訳で、我は疲れたので休むとしよう」
「ま、待ってください」

「ではな婿殿」
 コテージの中に入っていくアンを慌てて和穂が追った。

 しかし、閉じたドアはビクとも動かない。
「ちょっと待って下さい、アンさん! 待って、お義母かあさん!」

 外で和穂の声が空しく響いた。









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