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第三章: リタ、奪還

其の四十ニ話 リリクス

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昔話を聞いてほしい、

忘れた記憶を聞いてほしい。

それはそれは昔の話、

あるエルフの里のある森での物語。

長い長い年月を生きる精霊族エルフも、

時の海に、

忘却の彼方に置き忘れた、

長い長い約束と契約の記憶。

種族と種族が己が跨ぎあわんとして、

果される事なく終わった記憶。

我が比売をあなたに、

我が御子をそなたに、

しかしそれは果されず、

すべてが真砂より細かなものへ姿を変える、

時の石鎚のみが静かにふるわれ続けた





 その日、あるエルフの里に〈黄金しょくの竜〉が舞い降りた。
 里は光の厄災に見舞われ、永く里を守ってきた森を焼き払いながら光球が降り立った。
 エルフの姿に形を変え、竜は言った。
「花嫁を貰い受けにきた」
「花嫁、とは」
 その当時の里長オベロンが竜に尋ねた。
 竜はぐるりと辺りを見回すと、一人の年若いエルフの女に目を止めた。
其方そなただ、愛しい人よ」
「リリクスを……」
 エルフはその長寿ゆえの反動からか子をなかなか孕み辛い体質だった。
 次期里長となる長子を授かってから五十年、リリクスはようやくに生まれたオベロンの手中の珠だった。
 握りしめたの拳の爪が掌を抉る。
 意を決したようにその顔を竜に向けた時、おもむろにリリクスが口を開いた。
「わかりました、参りましょう。それでこの里が救われるのなら」
「リリクス……」
 娘を守ろうと決意した父親の顔が落胆の色に沈んでいく。
「父様、母様……わたくし、この方の元に参ります」
「(だめだ……)リリ……ク……ス……(いくな……)リリクス…… 」
 里長は娘の名を呼ぶことしかできない。
 圧倒的な力量の差を見せつけられ、里を鷲掴みにされた状態で愛娘我が子を天秤に掛けられて、どう答えればいいのか。
「では貰い受けるぞ、里長よ。我が花嫁よ、いま一度、お前自身の口から名乗ってもらって宜しいか」
「リリクスと申します」
 リリクス……竜は何度もその名を口の中で繰り返した。
 それは詠唱のようであり、愛おしむようであり、また愛撫するようであった。
「では参ろう、我が花嫁リリクスよ」
 リリクスを抱いたエルフの姿が黄金色の光を放つ。
 光の中、焦土の大地が緑深い森によみがえり、竜もまたその姿を本来の巨体へと変えた。
 花嫁リリクスを背に乗せた一条の光は高く舞い上がり、彼方へと飛び去っていったーーーー



ーーーーそののち一千年せんねん



 オベロンが死去し、その長兄アルベロンが里長となった頃ーーーーーーーー



 赤児を抱いたひとりのエルフの女が里を訪れた。



 女はいとも簡単に里の結界を破ると、里長の前に現れた。
 成長はしていたが、里長はその面影に見覚えがあった。
「リリクス……なのか」
「お久しぶりです、兄様」
 リリクスはおくるみに包まれた赤児を抱いたまま、里長となった長兄アルベロンに恭しくこうべを垂れた。
 その様子にアルベロンは不快な表情を浮かべる。
(今さら何のために里に戻って来たのだ)
 しかしその内心は、桁外れに違う自分とリリクスの霊力オーラ差に要らぬ畏れを感じているだけだった。
 これが竜と交わったことの恩恵なのか、今の自分では到底リリクスの足許にも及ばない。
同族ハイエルフ以外のものと交わるなど穢らわしい)
 アルベロンはそうすり替えることで、揺らぐ自尊心と自我をなんとか保とうとした。
 その時、愛らしい赤児の声が聞こえた。
 おくるみの中に隠れ、顔は見えないが、その無垢な声に虚をつかれ、しかしすぐにその眉間に皺が寄る。
「それは、お前と竜の……子か」
「はい、リタと申します」
 腕の中の赤児に向けるリリクスの表情は慈愛に満ちていた。
 聖女とはこのように笑うのかとさえ思わせられられる。
 ふとアルベロンはリリクスがどうやって竜の元から抜け出してきたのか気になった。
「竜はどうした」
 訊いて、そのリリクスの言葉にアルベロンは息を呑んだ。
「私が殺しました」
「殺し……た」
「はい」
「お前が、竜をか」
「はい」
 リリクスはただ淡々と言葉をつぐむ。
「夫たる竜を、お前ひとりで……」
「はい」
 その声に後悔の感情は無く、能面のような表情がアルベロンを見上げた。
 此奴、自分の夫を、竜を殺したと言うのか。
 しかも単独で……
 竜だぞ。それもただの竜ではない!
 黄金色の竜だぞ!
『光の原初』とも言うべき存在を、この女が殺した……
 七色の一柱たる黄金色を……
「兄様……」
 リリクスが何かをアルベロンに訴えようとする。
「黙れ!」
 それをアルベロンが声を荒げ遮った。
 一時の恐れが大きな間違いを言葉に変えた。
「夫殺しの女など、置くわけにはいかん。今すぐにこの里から出て行くがいい」
 その言葉にリリクスの表情が一瞬曇り、その足元に魔法陣が現れる。
 何をするつもりだーーーー
 アルベロンの背筋を戦慄が走り、無意識に防御の魔法陣を展開する。
 しかし……ふと冷静になったアルベロンはそのリリクスの様子に思い当たるものがあった。
 ーーーー幼い頃のリリクス
 ようやくに生まれた娘に、死んだ父にも大層可愛がられた。
 それは時に母から手厳しい苦言を聞く事にもなった。
 母……か。
 もうあまり思い出すこともなくなったが、あの優しい顔を忘れることはない。
 リリクスが生まれて間もなく病で亡くなり、父も里長の職務に忙しく、またその立場からあまり構ってやることも出来ず、私のところにやってきてはその寂しさをぶつけられた。
 あれは泣き出す前、一瞬リリクスが見せるものだ。
 まるで「泣いてもいい?」と訊くような心の切なさの曇りに、当時は胸に抱いてやることしか出来なかったが。
 リリクスがすっと頭を下げた。
「ひと目でも懐かしい兄上の顔を見ることが出来て、嬉しゅうごさいました。いつまでも息災で」
 上げた顔はアルベロンの知るあの頃のリリクスだった。
「待て、リリーー」
 待て、リリクス。
 私の大事な妹よ、唯一の家族よ。
 里を思い、竜の元に嫁いだ妹よ、
 この弱い兄を許せ。
 赤児を連れ、この里に私に助けを求めたその心も窺い知ることの出来ぬ私を許せ。
 行くな、我が妹リリクスよ!
 呼び止めようとしたその姿は、光の魔法陣に包まれ消えていった。

 
 移動の魔法陣が消える。
 同時にガクッと両膝が折れた。
 真っ青な顔からは冷たい汗が吹き出し、涙のように頬を伝って流れ落ちる。
 心臓が残り少ない命を燃やして、激しくを内側から鼓舞する。
 まだ倒れる訳にはいかなかった。
 この子を誰かに託すまでは……
 リリクスは死期が近かった。
 夫の黄金色の竜は死んだ。
 しかし、彼女が殺した訳ではなかった。
(幸せだった……)
 二人きりではあったが、この千年、辛いとか寂しいとは無縁だった。
 常に竜が寄り添い、愛され、時には見知らぬ土地を時間を二人で冒険のような旅をした。
 直にリリクスはリタを身籠り、出産する。
 親子三人、物語のような幸せな日々を送っていたある日ーーーー厄災は降り立った。
 黒の竜が黄金色の竜の結界を強襲し、死闘が始まった。
 狙いは生まれたばかりの赤児だった。
 依代とし、老いた身体を復活させるつもりだった。
 黄金色の竜はリリクスと赤児を庇い、猛毒の黒いブレスに命を落とした。
 リリクスは夫の死の間際の力を借り、黒竜を退けた。
 しかし彼女もまた黒いブレスの影響でその命が長いものではないと知り、リタを託すため、生まれ故郷の里を目指す旅にでた。
(あれであの黒の竜厄災が死んだとは思えない)
 リリクスの思った通り、黒の竜は死んではいなかった。
 だがすぐにリリクスを追いかけられるほどその受けた傷は浅いものではなかった。
 命からがら逃げ戻った黒の竜は結界の中で傷を癒していた。
「百年もすれば動ける程度には回復する。あとはあの金と耳長の赤児を依代にすれば完全回復だ。それどころか、金の力でもうひとつ、高みにのぼれる。待っていろ、エルフの娘。せいぜい、立派に成長しろよ」
 黒の竜の声が聞こえてくるようだった。
 しかし、ここはどこだろう。
 すでに魔力操作もままならない。
 転移はしたものの、自分の位置すら今のリリクスにはわからなかった。
 どうせ死ぬならば、あの場所に戻りたかった。
 夫とリタと共にあった幸福の時に。
 しかし、そのリリクスを魔物が襲う。
 リリクスの手から繰り出される無数の風の刃が、突進してくる短い四つ足の魔物に炸裂する。
 傷つきながらも魔物の突進は止まらない。
 鎧のような分厚い皮膚が風の刃を弾き、口元から突出した二本の長い槍のような牙がリリクスの肩を穿ち、引っ掛け、投げ飛ばす。
 木偶のように吹き飛ばされながら、離すまいとリタを抱く手に力をこめる。
 すでに痛みも感じない身体が、背後の巨木にぶつかり、弾かれ、落ちた。
 土と血にまみれたリリクスを尚も魔物が迫ってくる。
 指一本動かせず、身動きも出来ず横たわるリリクスは、それでもすでに詠唱は完了していた。
 魔物の足を大地に展開した魔法陣が縫い付ける。
 その頭上に散りばめられた星のように、無数の小さな魔法陣が現れ回転する。

 風よ
 我が守護者よ
 その小さき輝きをひとつとし
 吹き荒れよ
 渦巻け、千の風

 大地の戒めから抜け出そうと身をよじる魔物を、魔法陣から変わった槍が襲い掛かり、その硬質の皮膚に折れ、砕け、それでも降り注ぎ続ける。
 苛立つように魔物が咆哮した。
 わずかばかり貫通した槍は振り払われ、怒りに充血した赤い目が、倒れたまま動くことも出来ないリリクスを凝視する。
 魔物の足が動く。
 先程の咆哮が足元の魔法陣も破壊していた。
 再びリリクスに突進しょうとした魔物が足を止める。
 大気が振動していた。
 巨大な質量が自分の周囲をもすり、大気を摩擦で焼きながら動いている。
 魔物は足を踏ん張り、歯噛みする。
 獲物は僅かな目の前で動けずにいるのに、こいつはどういうことだ。
 頭上に魔法陣は無い。
 あの鬱陶しい風の刃も槍の攻撃も止んだ。
 あの死にかけのエルフからも魔力は感じられない。
 なのにこれはーーーー
 踏ん張った足は半ばほどまで大地にめりこんでいた。
 あれほど強固だった皮膚の鎧も、辺りを焦がす熱に焼かれ、ひび割れ、血が滲み出している。
 肉の焼かれる嫌な臭いがした。
 その魔物を眩しい一条の光が貫いた。
 それがさっきまで自分の上で槍と化していた魔法陣の凝縮と気付いたかどうか。
 
 重多層魔法術式マギカレイヤー千の風、集いし槍サウザンドランサー・トルネード

 リリクスの魔法操作で編み出される術式の魔法陣は、それ自体がすでに多層術式レイヤーとなっている。
 アン・モルガン・ルフェをしてと称賛するそれが幾重にも連なり巨大な円錐形をつくり、動く。
 地鳴りのような響きは、高密度の術式同士が歯車の噛み合う如く連動する際に起こる魔動震、吹き付ける風それ自体が無数の槍であり刃だった。
 魔物の姿はすでにない。
 さっきまでそうだった黒いぐすぐすの肉塊が横たわっていた。
 ゆっくりと落下する、渦巻く円錐の中心に開いた黒いまなこがそれを飲み込み、竜巻は四散し消えた。

 森の巨木の根本、疼くまるリリクスの姿があった。
 命が尽きていくその中で、辛うじて保っていた意識がそれを感じた。
 誰かいる。
 リリクスは自分を見下ろす霞んだ姿に話しかけた。
 虫の息の中、それは木々の葉が擦れ合うように小さかった。
 それでもそれは声となり、その何者かに届いた。
「この子を、お願いし……ます」
 ……リタ……どうか…………幸せに
 …………精霊かぜ
 …………………この子に……加護を
 その短い言葉にどれだけの思いが込められたのか。
 その言葉を最期にリリクスは息絶えた。
 見下ろす姿が力尽きたばかりのリリクスの身体に触れた。身体はまだ僅かな温かさが残っていた。
 その顔は眠っているように穏やかで、優しかったリリクスの心を映したかのようだった。
 一瞬、見下ろす姿が笑ったかのように見えた。
 触れていた手がリリクスの中に消えていく。そしてその姿もまた吸い込まれるように消えた。
 同時に骸となったはずのリリクスがゆっくりと立ち上がり、何かを確かめるように身体を動かした。
 長くは保たんな、とそれはつぶやく。
 見るものが見れば、それは先刻のリリクスとはまったくのであることに気付いただろう。
 今にも身体が破裂しそうな霊力に満ち、有り余り噴き上げるオーラは自らを燃やしているように空へと立ち上がっている。
「リ……リ……ク……スか。こっちが、リ……タ……」
 リリクスに宿ったものが笑う。
 ふふふ、あのオベロンの娘か。
 黄金色の連れとは、因果とは恐ろしくも悲しいものよ。
 しかし、良かったな黄金色よ。
 やっとあの約束が果たされたのだな。
 僅か千年、それでもお前は満ち足りていたのだな、リリクスよ。
 あとはわれに任せ、黄金色と眠るが良い。
 さてーーーー
 リリクスの記憶の追体験を終え、それはリタに微笑みかけ抱きしめた。
「リタ、リタか。リタ、愛しい我が子よ。今からわれがお前の母親かあさまぞ」
 高く掲げられてリタが笑う。
 そしてまた抱きしめられる。
 リリクスであってリリクスではない何者かに。
 それでもリタは笑う。
 無垢の笑顔がその者も虜にしていく。
 リリクスの記憶を共有するもまたリタを産んだ自覚があり、ある意味で実母リリクスだった。
「うむ、まずは住まいか。そしてーー」
 リリクスが手を振る。
 目の前の木々が消え、芝となり、家が現れる。
 小さな質素な家はかつてヒュプノスが見た、この〈黒の森〉に住む人族のものだった。
 その後ろに立つ巨木はのちにリタから〈マザーツリー〉と呼ばれることになる。
 ヒュプノスはこの〈黒の森〉の支配者であり、アン・モルガン・ルフェを〈目覚めた人ブッダ〉まで押し上げただった。
 見た者は死ぬと迷信めいた噂も冒険者の間に流布するも、これまでに出会った者は殆どいない。仮に在たとしても〈黒の森〉深淵からの生還率の極端な低さから流れ始めたことと推測される。

 のちにリリクスの身体に限界を感じたヒュプノスは、アンの元を訪れ、まだ幼かったリタを託していく。



 そして、今に至るーーーーーーーー


 










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