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第二章:〈モルスラ〉でリタの師匠に会う

其の三十七話:〈モルスラ〉にて その22 箱庭の攻防6 〈北風の歌〉2

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「なーんだ、タウアか」
 聞き覚えのある声に、アネッサとスピカが剣から手を外した。しかしまだ警戒は解いていない。解くかどうかは呼び止めた理由を聞いてからだ。
「タウア……タウア・ロイマンか」
 イルテアがかつての教え子の名前を口にする。
「先生、詠唱は継続で。出来れば暗唱に切り替えて、魔法陣も不可視で。タウアも先生の生徒だっけ?」
〝暗唱〟は無音詠唱と呼ばれるスキルで、魔法陣の不可視もその一つだ。
 近付いてくる三人から目を離さずにアネッサが言った。
「わかりました」
 やれやれ簡単に言ってくれますね。どれも中級以上のスキルだと分かってますか、アネッサ。
 愚痴はこぼしても、A級冒険者のイルテアにはさしてそれは難しいことではない。アネッサの無理難題もいつものことだと割り切れた。
 詠唱方法を変えると、足元から魔法陣の光が消えた。
 魔法の複数詠唱は、イルテアの得意とするところだ。誰に気付かれることなく魔法を発動できた。このスキルが彼女の強みの一つであり、さまざまな局面で威力を発揮、幾度となく危機を切り抜けてきた。
〝暗唱〟に切り替えたイルテアがタウアのことを話し始めた。
「五年ほど前になるかな、優秀な子でね、水魔法に適正があって、本人もがんばっていたのだけどね」
「がんばっていた……か。言い方が微妙だね」
「魔力疎通に問題があってね。それでも初級レベルの魔法を幾つか習得していた筈だよ」
「初級……ふーん。でも複数習得ってことは、結構がんばったんだ」
〝初級魔法〟または〝下位魔法〟は基礎的、基盤となる魔法のことを言う。
 集約、収束、発動、拡散といったもので、そこから魔力具現化する基本現象、効果のことを言った。
〝初級〟〝下位〟と聞いてそれを笑う輩を、魔法を生業として使う者たちは逆に魔法の使い方を知らない者たちだと嘲ける。
 魔法はそれを使う者次第、手練れの使う基本魔法は〝中級〟それ以上にも化けると言われる。
「その甲斐あって、今は小隊長らしいね」
 それはアネッサも知っていた。
「しかも二児の父親だよ」
 余計な事は言わなくていいのですよ、アネッサ。
 イルテアが口を尖らせた。
「あなたの〝弟分〟ではなったのですか」
「別に、そんなんじゃないよ」
 今度入隊した新兵の門番に面白いのがいてさー。
 お気に入りのオモチャを見つけた子供のような笑顔で、タウアのことを語るアネッサを思い出す。
 彼の結婚にだって少なからず貴方がかかわっているのでしょう、アネッサ。
 イルテアの展開した魔法陣の中、陣形もそのままでアネッサは駆け寄ってきた三人の警邏に向き合った。
「タウアじゃん、隊長が息切らして、どうしたのさ」
 展開している不可視の魔法陣、その数歩手前で止まった三人の中、小隊長のタウアにアネッサが声を掛けた。
 どれも見知った顔だけど……んー、あれ? 一人足りねーぞ。
「アネッサ殿」
〝殿〟付けで呼ばれて、アネッサが顔をしかめた。
 今更、敬称つけられたってさー、この前まで自分より年下に見てたくせにさ。
 最初は〝ちゃん〟付けで、自分よか年上とわかると〝姉ちゃん〟とか呼ばれて、タウア、あんたも大変だね。頭をナデナデしてやりたい気分だよ、ホント。
「アネッサ殿ってさぁ、今更なんだよ。アネッサ姉ちゃん、いやアネッサでいいって」
「あ……いや、そういう訳には」
「タウア君も任務中なんだ、察してあげなさい」
「イルテア先生、そのタウア君というのは、あの……」 
 タウアにとってイルテアは、学舎時代、魔法使いに憧れ、魔法学を学び、その中で水魔法の適性を見出してくれた恩師だった。
 結局、大成とはならず、魔法使いにはなれなかったが……
 それでも今の地位があるのはイルテアのお陰であると思っている。
 その繋がりから〈北風の歌〉の他の二人も目の前の三人とは顔見知りだった。
「あー、すまない。いまは小隊長だったね、タウア・ロイマン君。それにしても立派になったものだね」
「あの先生、その話はまたあとで。それで」
「あのね、アネッサねえ
 タウアとティガルの後ろにいたレネもアネッサに声を掛ける。
「レネは砕けすぎ。だいたいリタは〝姉様〟で、なんであたしは〝ねえ〟なのさ」
 苦笑いするリタを横目で見ながら、仏頂面でレネを睨む。
 なんか気に食わないんだよね、それ。別に姉様って、呼ばれたいわけじゃないけどさぁー。
「だって……」
 むぅ。レネが唇をつぼめ上目遣いにアネッサを見る。
〝姉様〟リタは憧れで〝お姉〟アネッサは親しみなんだもん。
 察してよ、アネッサ姉。
 レネの中で二人に対する親愛度には殆ど大差はない。
 アネッサもリタと同じB級冒険者であり〈北風の歌〉の活躍は話に聞いている。
 もともと冒険者になりたかったレネにとって、女性冒険者のみのパーティーで活躍する〈北風の歌〉は憧れであり、最も入りたいギルドでもあった。
 なにもなければ、たとえ拒まれても疎まれてもくっついて回っただろう。
 自分を縛る〝クロック〟の銘が疎ましかった。それ以上に疎ましいのが右目の〝魔眼スカーレット〟だった。それは足枷のように自由を制限し、彼女を一層その銘に縛りつけていた。
「ティ、ル」
「リリー、あの、えーと」
 三十センチ以上の身長差、ティガルが見上げ、リリアが見下ろしていた。
「リリー」と呼ばれるのはまだ恥ずかしい。
 ティルを見ると自然に反応する耳と尻尾が恨めしい。
 落ち着け、俺の手。でも、あー撫でたい。今すぐ、リリーの頭を犬耳を撫で回したい。
 打ち合わせたように目が合い、頰に赤みがさす。すっと顔をそらすようにうつむくが、目は決してお互いを離そうとしない。その様子は背丈は違えど、まるで鏡を見ているようだった。いつものことだが、すでに周りは引いている。
 相変わらず、このバカップルは。
 これでもまだ二人の仲がバレてないと思っているんだから、呆れたもんだ。
 あーあ、と冷めた表情のアネッサがタウアに訊いた。
「リア充はほっといてーと、で、何の用さ」
 だいたいの察しはついてるよと、その顔は言っていた。
 この人はわかっていながら訊いてくる。
 アネッサの予知能力のような感の良さはタウアも嫌と言うほど知っている。
「その結界石は、その、警邏隊の所有物で」
 タウアらしくない奥歯にものが挟まったような物言いがアネッサを逆撫でする。
 チッ、内心で小さく舌打ちした。
「だから、なに」
 はっきり言えよ、アネッサが促す。
「ですからその、こちらで処理させていただけないかと」
 リュークのことを口に出す事が出来ないタウアが更に口籠もる。
「出来んの?」
 レネがいることを分かった上でアネッサがタウアを挑発する。
 心は〝任せる〟で決まっている。
 レネの実力も知っている。
 それに演習でも何度かやっている事だろうから朝飯前って感じだろう。ただ、街中で市も立っている、聖堂神殿もある。安全を考えるなら、周りは固める必要がある。向こうの魔法使いはレネだけだし、手伝い程度は必要かな。
 レネ・クロック……
 家督の事情がなければ、今すぐにでもスカウトしたいくらいだよ。
「大丈夫です。ただ少し手伝っていただきたいのですが」
 思った通り。やっぱり、だね。
 はあーあ。それにアネッサがワザと大袈裟に反応してみせた。
「随分、都合のいい話じゃん。横からかっさらおうとしといて、手伝えってのはさ」
「それは」
 言い淀むタウアのしょぼくれた姿に、アネッサがため息をつく。
 別に弟分タウアをいじめたいわけじゃない。
 面倒くさくなったアネッサは、クレスに丸投げすることにした。
「だってさ、クレス、どうする?」
 聖女様を、しかも名前で呼び捨てにされたレデットの眉間に皺が寄った。
 冒険者風情が! と叫びたいところだが、学舎時代から尊敬するイルテアがいるため、それをグッと飲み込んだ。
 先生はこんな粗暴な輩と一緒にいるべき人ではないのに……
 レデット、彼もまたイルテアの元生徒だった。
 自分の役職である神官に誇りを持ち、なにより聖女を敬愛していた。
 そしてあることからイルテアがA級冒険者と知っていた。
「なぜ聖女様に?」
 タウアの疑問に、レデットを制しながらクレスが答えた。
「それは先程、この結界石の処理を私が、彼女達〈北風の歌〉に直接、依頼したからです」
「い、依頼ですか」
「ま、そういうことだから」
 アネッサがタウアに背を向けた。
 それをタウアがすがるような目で見た。
「そこを曲げてお願い致します、聖女様。違約金なら砦の方から」
「違約金?」と聞いてアネッサの語気が変わった。肩越しにタウアを睨む。
「あのさ、タウア、あたし達にケンカ売ってんの」
「ま、まさか。ものの弾み、お許しください〈北風の歌〉の皆様」
 アネッサの声に怒気を感じて、タウアは自分が逆鱗に触れたことを悟り、すぐに訂正する。
 騎士と冒険者はプライドで出来ているとはよく言ったものだ。そこはいかに顔馴染みであっても容赦はない。
「なら、いいけどさ。そっちにはそっちの都合があるのはわかる。だけど、あたしらもさ、プロなんだ。「はい、そうですか」って訳にはいかないんだよね。それでさ、ちょっと気になったけど、レネ、あんたら三人一組だよね。もうひとりのレスタールの悪ガキは、リュークはどうしたのさ。あのイダスラ坊主はさ」
「それは」
 レネが言い淀み、その目が結界石を見る。
「やっぱりか、そういうことなんだ」
 合点がいったアネッサがイライラをぶつけるように自分の髪を乱暴にかき上げ、アホらしいと吐き捨てる。一気にやる気が失せた。
 タウアもレネも面倒見のいいことで。
 ホント、リュークは幸せもんだね。
「世話のやける弟分だね、ホント。……って訳だけど、クレス、どうする」
「お願いします、聖女様」
 タウアがクレスに懇願する。
〝砦の失態は砦でなんとかする〟
 そんなものクソくらえだと思いながらも、タウアは聖女の前で片膝を付き頭を垂れた。
「どうでしょうか、〈北風の歌〉の皆様」
 クレスがメンバーを見回した。
「いいんじゃないの」
 アネッサが、片手を上げて同意する。
 始めから任せるつもりだったし。
「アネッサに同意します」
「アネッサが、いいなら、構わない、よ」
「私も。リーダーに従うよ」
 三人も片手を上げ、頷き、同意した。
「ありがとうございます、聖女様。アネッサ姉ちゃん」
 しまった! 思わず…… 
 タウアが慌てて口元を手で隠した。
 うかがうように見たアネッサ達の顔が笑っていた。
 筋は通されたかなと思う。〈北風の歌〉一同がその緊張を解いた。
「先生」
「わかってます、もしもの場合はすぐに介入します」
「頼んだよ」
 さて、レネのお手並み拝見といきますか。
 詠唱準備に入ったレネを、「先生」の顔になったイルテアが見つめていた。
 アネッサがレネの後方でサポートに入ろうとして、おりょ! おかしな声をあげて横を見た。
「リタ」
「だって、私だけ何もしないって訳にもいかないでしょ」
 だからって……
「レネが緊張するから、やめとけって」
「イヤ、よ」
 お前はレネの特別なんだからさ。
 だからといって、言って聞くようなリタではないことぐらい、アネッサもわかっている。
 自覚無いしな。可哀想なレネ。
 しかし……
 リタを横目で見ながらアネッサは思う。
 リタこいつが惚れたヤローとか、どんなやつさ。
 こんなお姫様、ぜってー、苦労すんぞー。
「まったく、どいつもこいつも。おーい、レネ、始めていーぞ」
「は、はーい」
 アネッサに声をかけられて、レネが上擦った声で返事する。
(ね、姉様が見てる。良いとこ見せなくちゃ。そして、あの男と絶対に別れさせてやる!)
 ガッツポーズをとるレネの足元に魔法陣が展開し回転を始める。
 まさかこの時、結界内ではフェリアが魔石から魔力吸収しようとしていたとは、さすがのイルテアもレネも知る由がない。
 レネが魔石解除の術式を発動しようとした時、それは起こった。
 昏かった魔石の光が一気に明るい朱色となって輝きだした。
「な、なに?」
「レネ、発動をやめなさい」
「先生? え、え、一体、なにが起こって」
 レネの魔法陣が魔石に引っ張られようとしていた。
 抗おうとするレネだが、身体に力が入らない。
 急速に力が抜けていくような感覚。まさか、私の魔力を吸収しているの?
 その現実にレネは恐怖を感じ、パニック状態になった。
「姉様! アネッサ姉!」
 助けを求めて、後ろの二人の名を呼びながら手を伸ばす。
 その意識が不意に途切れ、身体が後方に倒れていく。
「レネ!」
 名前を呼ばれ、同時に飛び出そうとするリタとアネッサをイルテアが制した。
「アネッサ、リタはそのままサポートを。スピカ!」
「任せて」
 スピカの姿が返事と共にイルテアの隣から消えた。
 刹那ーー
 次にその姿が現れたのは、まさにいま倒れていくレネの背後であり、力のないぐったりとした身体はすでにスピカの両腕の中にあった。
 スピカの瞬足移動、これが魔法スキルではないというから畏れいる。
 おそらく魔法より早いだろう。
 これに身体強化を付与した彼女に、何人の騎士が追いつけるだろうか。
 彼女はその素早さと剣技だけで、王都最強の騎士団〈ナンバーレス〉と互角以上に戦えるとイルテアは確信している。
 まぁ、その前に対戦相手は男女関係なくデレッデレになって、戦意喪失だろうがね。
 スピカがレネを後ろから抱え、そこから離れようとする。しかし、身体が動かない。
 レネの足元には魔法陣がまだ展開したままだった。
 おかしい、レネの魔法の発動は不完全だった筈だ。なら、術者である彼女の意識が途絶えたのに、なぜ消えない。それとも不完全なまま発動したの。
 魔法陣からレネを引き剥がそうともがくスピカだが、逆に魔石へと徐々に引き摺られていた。
「アネッサ!」
「わかってる」
 リタの声が合図となって、二人が同時に腕を伸ばす。
 魔石の周囲を障壁が包み込んだ。
「リリー」
 アネッサが叫ぶ前にリリアの巨体が音も無く魔法陣に飛び込んでいた。その逞しい腕が巻き付くように二人を抱えると、イルテアのそばまで跳んだ。
 その跳躍は羽のごとく、その着地もまた然り。
 リリアの動きをイルテアはそう表現する。
「ありがとう、リリー。先生、レネを」
「お疲れさまでした、スピカ」
 スピカに抱えられたまま、レネがイルテアから手当てを受ける。
「なにがおこったんだ」
「わかりません」
 完全に蚊帳の外のタウアとティガルには、全てが一瞬のうちに始まり、そして終わったように見えた。
「暴走、とか」
 ティガルの言葉にタウアが反論する。
「まさか、あり得ない」
 二人はただ状況を見守るしかなかった。

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