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第二章:〈モルスラ〉でリタの師匠に会う

其の三十九話:〈モルスラ〉にて その24 天空を射落とす者

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「じゃーなー、リタ。またなー」

 陽気な声で手を振るアネッサが〈北風の歌〉のメンバーと街中に消えて行く。
 その四人の後ろ姿を見送りながら、リタはふと足元に蹲っている和穂に目を移した。
 あれから一言も話しをしていない。
 フェリアも「疲れたですぅ」と言って和穂の中に消えしまった。
 和穂の前にはタウアから渡された回復薬のからになった瓶が転がっていた。
 本当ならリタが治癒魔法ヒールを掛ければ済んだことなのだが、をしてしまった手前、すぐに掌を返すようなことを躊躇してしまった。
 馬鹿だな……と自分でも思う。
 おかげで火傷も腫れ上がった顔も傷だらけだった手も元に戻っている。
 しかし……
 なんなのかしら、その服。
 リタは不思議そうに和穂の着る服を見る。
 魔力を抑えたとはいえ、私とレネの合気魔法を受けて無傷なんて。
 僅かな焼け焦げ、綻びもない。
 リュークとは剣でやり合ったとも聞いた。
 和穂の剣技でリュークの剣を全て捌けたとは考えずらい。出来る訳がない。
 でも、フェリアが手を貸したならそれも可能だろうか。だとしても、だ。
 はぁ。よそう。わからないことは、いくら考えても無駄だ。
 リュークもタウアとティガルに両脇を抱えられ、名残惜しそうなレネと共に砦へと戻って行った。
 これから夜遅くまでの事情聴取の後、営倉入りだろう。
 可哀想だかしばらくはそこがリュークの仮り部屋になる。自業自得だけど。
 これだけのことをしたんだ、それで終わりではないだろう。
 どんな判断が下されるやら、だ。
 それを言ったら、もっと可哀想なのはタウアの方かもしれない。
 聖堂神殿、各ギルド協会、〈モルスラ〉市議会への詫びやら報告やらの雑務で、しばらくは息つく暇もないだろう。
 がんばれ、お父さん。
 まぁ、小なりとはいえマドルも関わった訳だから、少しは手を貸してくれるだろう、と思いたい。
 でもあの子、基本シビアだからなぁ。
 クレスも、駆けつけた聖堂神殿の守護騎士と職員に守られるように神殿内に戻っていった。
 レデットが二人に一礼し、その最後尾に付いた。
 聖堂神殿前の広場の片隅に、和穂とリタだけがポツンと取りこぼされたように残されていた。
 聖堂前広場を囲むように立つ十本の白い柱の一つに身を預けて、リタはぼんやり暮れ始めた空を見上げた。
 市も大半がすでに店仕舞いし、さっきまでの喧騒と活気も落ち着き始めている。
 人通りも帰りを急ぐ人が殆どだ。

「リタ」
「なに」

 俯いていた顔をようやく上げ、和穂が呟くような声で名前を呼んだ。
 空を見上げたままでリタが答える。
 和穂も空を見上げた。
 それからまた少し間を置いて、

「心配させて、ごめん」
「いいのよ。ねぇ、和穂」
「なに」
「帰りましょうか」
「そうだね」

 差し伸べられたリタの手を、和穂が自然に取って立ち上がる。
 暮れゆく空に街が朱色に染まっていく。
 心地よい互いの温もりを感じながら、二人はゆっくりと歩き始めた。


 モルガン邸:夕食前


 帰宅した和穂とリタを邸前でローザが出迎えた。
 薄暗くなり始めた辺りを、ローザの持つランタンの光の魔石が広く照らしている。
 その肩に白いアクセサリーのようにカラーがとまっていた。

「お帰りなさい」

 二人に頭を下げるローザに合わせるようにカラーも翼を開き「クトゥー」と鳴いた。

「ただいま、ローザさん」

 和穂の「さん」付け呼びは、ローザに不要と言われたその後も続き、いまではローザも諦めたのか何も言わない。

「ただいま。あら、いつの間にか仲良しさんね」

 ローザの肩に気付いたリタが手を差し伸べると、その指先にカラーが移動した。

「気が付きましたら居りました。追い払うのも面倒なので、そのままに」

 その割にはカラーが肩から離れる瞬間、名残惜しそうな表情になったの事をリタは見逃さない。
 案外、気が合うのかもしれない。
 そのまま邸に入ろうとしてローザに止められ、和穂はリタと共にローザに全身を魔法で洗浄された。
 頭の上に小さな渦が現れ、全身を覆った。
 最初に霧状の細かな水でしっとりと洗浄され、柔らかな風に素早く乾かされた。
 時間は三分とかからない。

「おや?」

 洗浄中、ふとローザがもらした呟きに和穂が首を傾げた。

「どうかしました」

 何か変なところありました? と訊く和穂に、

「いえ、なんでもありません。失礼しました」

 さらりと流され、ドアが開けられた。

「あ、ありがとう」

 中に入った途端、なにかが和穂の前をふさいだ。
 柔らかく温かく心地よい。
 しかし、い、息ができない。

「大変だったねー、和穂ー」

 アンの声がしたと思った瞬間、両腕と豊乳の三点でがっしりとハグされ、よしよしと頭を撫でられた。

「あ、アンさん。ちょ、ちょっと」

 離れようとアンに触れた手が、むにゅ! とした絶妙に至極な柔らかさに阻まれた。

「わぁ! 和穂ったら大胆」

 アンのその言葉からどこに触れたかは明白だが、窒息死寸前の和穂はそれどころではない。

「義母さま、和穂がーー」
「リタってば、やきもち? 大丈夫、忘れてないから」
「えっ」

 止めに入ろうとしたリタが、その言葉に思わず身構える。
 そんな隙、与える訳ないでしょうとばかりに、いきなりアンが、リタを後ろからぎゅーっとハグしてくる。
 ぎゃあーーーー!
 予期せぬ抱擁攻撃にリタの悲鳴がホールに木霊こだまする。

「分身でごめんね、リタ。でも感覚は共有しているから安心して。あー、やっぱりうちの子リタが一番。優しさに包まれるーぅ」

 包まれてるのは私の方よ! 
 もう、ローザも引いてないで助けてよ。
 ダークレイとメリューサも和んでないで、なんとかしてよ。
 だいたい〝分身ブランチ〟なんて特殊な魔法、どうしてこんなに簡単に出来るのよ。義母さまはやっぱり〝凄い〟を通り越して〝異常〟よ。
 リタと和穂の心の声も虚しく、それはアンが満足するまで続くこととなった。
 アンの言う〝大変〟とは、昼間、和穂が〈モルスラ〉の街で巻き込まれた一連の出来事を指している。
 市での人出も手伝って事件の噂はすでに〈モルスラ〉中に知れ渡っていた。普段、そういうものに興味を示さないアンがそれを話題にするくらいに。
 しかしそれは和穂とリタが関係している出来事だからだと、彼女を知る者は誰もがそう推測するだろうが。

「あのアンさん」
「なぁーに」

 圧殺寸前で顔だけ抜け出した和穂に、アンが甘い声で答える。
 リタの視線が痛い。睨まれてる。

「義母さま、和穂からはなれてください、嫌がってます」
「えー、私にはそうはみえないけどなぁ」

 ねえ、と同意を求められて和穂がアンから目を逸らす。

「もう、和穂もなにか言いなさいよ」

 この状態でなにを言えばいいの! 和穂が考えることを放棄しようとした時、

「じゃあ、今日はここまで」

 アンがようやく二人を解放した。

「もう、いい加減にしてよ、義母さま」

 満足そうに笑うアンにリタが怒る。
 その声すらアンには心地よい鈴の音に聞こえる。 
 ローザがリタの乱れた髪と服を整え終えると、ダークレイが皆に声をかけた。

「御主人、食事の用意が整っております。食堂へどうぞ」
「じゃあ、ご飯にしょうか」

 自分の分身と手を取り合って、ルンルンとアンがスキップしていく。

「ダークレイ、もっと早く止めてよ」
「家族のスキンシップを邪魔しては、御主人に叱られます」

 咎めるリタをダークレイがきれいにスルーした。
 はあ、やっぱりコイツも大概だ。



「〝食事はみんなで楽しく〟が私の信条でね、だから食事は主人も従者もなく、みんなで食べる。わいわいがやがやとね」

 テーブルに両ひじを付き、重ねた両手に顎を乗せたアンがとろけるような笑みを浮かべる。
 アンがテーブル席に着くと、それぞれが自分の席に着き始めた。
 和穂がリタの隣に座り、その対面にダークレイ、メリューサ、カレン、ローザが着いた。
 和穂の肩にフェリアが現れ、カラーは和穂とリタの近くにダークレイが用意してくれた止まり木で休んでいる。
 それを睨むフェリアを和穂が、
「いい加減にしなよ」と嗜めた。
 席に着いた全員をアンが満足そうに見る。
(これが僕の新しい家族なんだ)
 和穂が隣のリタからアン、ダークレイと確認するように見回していく。
 最後にもう一度リタを見た時、自分を見ているリタと目が合った。

「どうしたの? キョロキョロして」
「ううん、なんでもない」

 笑顔で答える和穂を「変な和穂」と呟き、アンの方に顔を向ける。
 居場所があるって、幸せなことなんだな。
 改めて自分を受け入れてくれたリタとアン、そして皆んなに和穂は感謝した。
 テーブルには八人分の食器が用意されていた。

「一人分多い……義母さま、これは」

 気付いたリタがアンを見る。
 それに答えるようにアンが、見えないに声を掛けた。

「いつまで隠れているつもりだい。いい加減、出てきたらどうだ」
「その性格の悪さは相変わらずね」

 この声は。僕、聞き覚えがある。
 和穂が肩のフェリアと目を合わせ、うん、と無言で頷きあった。
 声と共に黒いドレス姿の長身の女性がアンの背後に浮き上がった。
 そして、
 マイハニー!
 嬉しそうな声と共に抱きついた。
 頭に頬ずりしながら、その手は胸を鷲掴みして揉んでいる。
 その場にいた全員の目が点になった。
 和穂は「この世界ってセクハラが挨拶」と言いそうになり止めた。
 言ったらリタに「そんな訳ないでしょう」と確実に怒られる。

「相変わらず凄いわね」
「再会の挨拶がそれ?」

 アンの黒髪に重なるように血のような紅の髪が流れ落ちた。

「こんなに立派なのに母乳ミルクが出ないのが不思議なくらい」
「私は牛か。母乳おちちがお望みなら出したげようか? なんなら世界が沈むほどに」

 和穂の目の前に白いミルクの海に沈んでいく世界が見えた。
 出来るんだろうか? いや、アンなら出来る、やりかねないと思った。
 程々にしなさい!
 アンの手が女性の額を軽く小突く。
 あんたが言うか! その場にいた全員がそう思った。
 おっとっと、怖い怖い。そう言ってようやく女性がアンから離れた。

「義母さま、誰?」

 リタの疑問に乱れた服の胸元を直しながら、疲れた声でアンが話す。

「紹介するわ。カミューラ・スペイトロン、私の腐れ縁よ」
「腐れ縁だなんて、愛し合った仲じゃない」
愛娘リタの前でそれ以上、戯言を垂れ流すんじゃない」

 アンの怒気の視線がカミューラを射る。
 わかったわかった。剣呑、剣呑。
 そして一息ついた後、カミューラが名乗りを上げた。

「私の名はカミューラ・スペイトロン、アンとは夫婦以上恋人以上の関係よーー」

 このアホ! 
 指で弾くように飛ばしたアンの光弾を手で受け止め、そのまま口に運ぶ。

「忘れかけてた味だけど、変わらず美味し」

 唇を舐め、ウフッと笑う。
 この吸血鬼バンパイアが。
 フン! 苦虫を噛み潰した顔でアンがそっぽを向いた。

「カ、カミューラ・スペイトロンって」
「フェリアが言ってた、神祖……様」
「〝天空を射落とす者ウラヌスフォール〟……」

 その名にリタと和穂が顔を見合わせる。元より、フェリアも驚きを隠せない。
 その存在は神代に遡る。
 伝説どころか、物語、神話の領分だ。

「そんな大層なものじゃないわ。今の私は残滓、残りかすのようなものだもの。本体はウルフと共に幾億幾兆の彼岸と時空の彼方よ」
「ウルフ……って、あの」

 リタがカミューラを見る。

「そう、ウルフよ」
 カミューラの真紅の目が思い出を辿るように空を見上げた。
「リタ、ウルフって」
「神話よ。〝黒き船現れ、神祖これに乗る。ひとりの戦士、ひとりの弩、ひとりの機とともに〟って」
「ラグラレクの最中、突如一隻の異形の黒い戦艦が現れるんだ......とまあ、語ってあげたいところだけど、今は食事にしよう。この話はまた今度ね」

 アンがリタのあとを引き継ぐも、話はそこで切られてしまった。
 あとはリタに聞けってことかな?

「そうだな、積もる話もあるが、まずは二人の料理を堪能してからにしょうか。久しいな、ダークレイ、メリューサ。ん、これがあの時メリューサの腹にいた子か」
「お久しぶりです、カミューラ様。はい、娘のカレンです」
「は、初めまして、カレンです」

 カレンが自分の席から立ち上がり、ローザの後ろに隠れ、そっと顔をだしカミューラを見る。
 行儀が悪いですよ、カレン。
 ローザが歳の離れた妹を叱った。しかし、その声はあくまで優しい。姉というより母親を思わせる。

「初めまして、カミューラ様。カレンの姉でローザと申します」
「ほう、お前も良いものをもっているな、どれ触らせてみーー」
「いい加減にしなよ、カミューラ。ローザは〝まだ〟なんだから」
「この器量でそれは惜しいことだな」
「いいから席に着いて。せっかくの料理が冷めちゃうよ。せっかくの家族そろっての夕食なのに」

 ダークレイに注がれた食前酒を一気にあおりながら、アンがカミューラを追い払うように「さっさと席に着け」と促した。
 メリューサに椅子を引かれ、アンの横に黒のドレスが腰を下ろす。
 あれ? ダークレイさんとメリューサさんが二人……って、ローザさんとカレンちゃんも。

「リタ様、和穂様も冷めないうちにどうぞ」
「お兄ちゃんのお世話は私がするね」

 目がおかしくなったかな。
 何度も目をこすり、混乱している和穂にリタが笑い、種明かしをする。

「これもさっき義母さまが使っていた〝分身ブランチ〟と同系統の魔法よ」
「リタも使えるの?」
「使えるわよ」
「すごいね」

 ありがとう、照れたように赤い顔をリタが和穂からそらした。

「お前の口から〝家族〟とはな」
「なんとでも言え」

 メリューサの注ぐワインをカミューラが飲み干す。
 何杯目だよ、それ。飲み過ぎんじゃないよ、まったく。
 だから好きよ、アン!
 抱きつくカミューラを邪険に避けながら、アンが笑顔で叫ぶ。

「それと結婚祝い! お義母さん、嬉しいよ、和穂婿殿愛娘リタをよろしく」

 泣かせたら沈めるよーー

「か、義母さま。私たちはまだーー」
「リタ、往生際が悪いよ。まあ、どうしても嫌だというなら私がもらっちゃおうかなぁ。和穂は私好みだし」
「気にいったら自分のものにせずにいられない。相変わらずだな、アン・モルガン・ルフェ」
「それはお互い様だろう、カミューラ・スペイトロン」

 その後も二人の言い争いは続く。
 しかめっ面のアンとは対称的に楽しそうなカミューラ。
 時に一触即発的な空気にもなるが、そこに漂うのはどこか柔らかで心地の良い空間だ。

「和穂、いただきましょう」
「そうだね」

 尋ねたいことは山ほどあった。
 リタとの事、水晶体のこと、カミューラの事……
 まぁ、いいか。考えても仕方ないし、時間はある。
 リタの声に和穂はテーブルのナイフとフォークを取った。



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