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第二章:〈モルスラ〉でリタの師匠に会う

其の三十四話:〈モルスラ〉にて その19 箱庭の攻防3 追う者と追われる者

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「追ってきてるね」
『追ってきてるですね』
 路地の一角の狭い袋小路に身を潜めた和穂の耳にカツンカツンと微かな音が届いた。
 その時計の秒針が打つような平坦な音は、それでも時に早く、時に切れ間なく長く、更に立ち止まり、また規則正しく、結界内を循環する空気の流れのように響いてくる。
 リュークは正確に和穂に近づいていた。
 まるで見えているようだ。
『ーーというより、のですよ』
「そのココロは」
『あのリュークという男、索敵魔法を使えると思うのですよ』
「索敵魔法って」
『探索魔法のひとつで敵の有無、数、所在を探し当てるものなのです。リタ殿やローザ殿も使ってたですよ』
「あー、あの手元に浮かばせていた魔法陣か」
『なのですよ』
「だとすれば、確実にここに来る?」
『魔法レベルと精度の問題になるのですが、おそらくは……マスター、そろそろ移動するですよ』
「索敵されていたら、こんな限定空間の中で移動したところで同じじゃないの」
 もう疲れたよ。弱音ばかりが言葉に出る。
 疲労で重い身体を起こして立ち上がると、壁沿いに和穂は歩き始めた。
 袋小路の入り口で立ち止まり、通りの様子を窺った。
 相変わらず誰もいない。なんだか気味が悪い。
 ただここにいるのが和穂だけではないことを証明する音が離れず付いてくる。
『マスター、行くです』
 フェリアに促され、和穂が通りに駆け出していった。
『たしかにマスターの言う通りなのです。ただあの男はそうはさせてくれないだろうなのです。
 音で不安を煽り、精神的に追い詰めていく。同時に体力も削り、弱ったところに一撃食らわす。向こうはスッキリ解消! ってとこなのですよ』
「スッキリ解消! じゃないよ。どうしょうか、なんとかならないの、フェリア」
『いっそ、一発殴られてみては』
「その程度じゃ気が収まらないから、こんな目に遭ってると思うんだけど」
『……なのですねー。罪なマスターなのです』
 そこの角で様子を見ましょう。
 フェリアに言われて和穂が足を止める。
 広い道幅の交差点、周りには塔のような高い建物が多い。なにを想定しての場所だろう。まぁいいか。和穂は壁を背にして座りこんだ。
 どれだけ歩き回っただろう。リュークとはあれから一度も会ってない。会わないように動いているのだから、当たり前か。ただ音だけが追ってくる。
 石畳の道はほとんど凹凸もなく平坦で歩きやすかったが、硬い路面はしばらく歩くと足が痺れるように痛んだ。
 灰色の変化の乏しい街並みは、同じところを回らされているような気がする。そうでなければここはどれだけ広いんだろう。見当もつかなかった。もしかしたら果てがないのかもと本気で思わされた。
「痛!」
 腰を下ろした和穂が突然、飛び上がった。
 なにか硬いものが尻に当たった。
『マスター、どうしたですか』
 まさかトラップ
 驚いたフェリアが瞬時に戦闘態勢に入った。
「これをポケットに入れてたことを忘れてたよ」
 ポケットに手を入れ、黒く変色した魔石を取り出した。
『結界石、なのですか』
「うん。なんとなく拾って持ってきちゃったんだ」
『驚かせないでほしいのですよ、マスター』
 戦闘態勢を緩めながら、フェリアがため息をついた。
 ごめんごめん、手の平で魔石を転がしながら、和穂は笑った。笑うことで少し気持ちがほぐれた気がした。
『少し貸して頂いてよろしいですか』
「あ、うん。いいよ」
 和穂の肩からの辺りからフェリアの小さな身体が現れ、和穂から結界石を受け取った。
 石は黒いサイコロのように見える。大きさはフェリアの頭ぐらいだろうか。調べるように何度か手の中で転がした。幼い子供がボール遊びをしているようで微笑ましかった。
『マスター、なにか失礼なことを考えたではないのですか』
「べ、別に」
 思わずどもり、あさっての方を向く和穂に、ふーん、フェリアが怪訝な目を向けた。
「その魔石、何かに使えるの」
『何かと言われましても、この魔石はすでに役目を終えているのですよ。ですが』
 そこでフェリアの言葉が途切れ、考え込むように結界石を見つめる。
『この結界はかなり特殊な魔法を使用しているのですよ。複数の魔石を使い、内部もある程度自由に設定出来るようです。その分、消費する魔力量も半端なものではありませんが……おそらくこれは移送用の魔石でしょう、魔力切れで使えませんが。外ではこの結界を維持している本体がある筈なのです』
 ふむ。
 フェリアが和穂を見て笑った。
『マスター、上手くいけば時間稼ぎができるですよ』
「本当!」
 その言葉に和穂の顔も明るくなった。
 はい、と答えたフェリアの手の中で、結界石が赤い光の粒となって消えた。
「石が消えた」
『分解して吸収しただけなのです』
 そのしょうもないリアクション、そろそろやめにしませんか、マスター。
『そんなに驚かなくても、この程度のこと、もう慣れてもいいのではないのですか』
「はいわかったって、すぐ言えるほど簡単じゃないよ」
 僕の世界では魔法は神秘なんだよ。
「で、どうするの」
『今、私の中で再構成してるのですよ。そしてーー』
 考え過ぎなのですよ、マスターは。
 再び和穂の身体に消えたフェリアがコントロールを行う。和穂の両手が地面に付き、魔法陣を展開させた。
『まずは魔力を戴くですよ』 
 え! フェリアの言葉に和穂が地面から手を離しそうになった。しかしそれはフェリアが許さない。
「ちょっと待って。また九十秒とかいわないよね」
『そんなことはしないですし、必要もないのです。もらうのは、この「結界」からなのです』
 この結界から? 訊こうとした和穂の手から勢いよく光が流れ込んできた。
 暖かな眩しいエネルギーの奔流、全ての活力の源のようなものが和穂の身体の隅々に、その末端に、細胞の一つ一つに流れ込み、満たされていく。
 まるで生まれ変わっていくような思いがした。
「すごいね、これ……」
『なのです』
「でも、どうやって?」
『さっきの魔石を私の中で分解、再構成して活性化させ、この結界に繋げて魔力を吸収……早い話が本体の魔石から強制的に魔力を引っ張ったのですよ。魔石の互換、同一性を利用して』
「フェリア、説明はありがたいけど、僕にはなにがなんだか、だよ」
 魔石の利便はわかっているが、その性質まではまだ理解出来ていない和穂だった。
 電気は便利だが、改めて「じゃあ、電気ってなに?」と咄嗟に訊かれて答えられないのと同じだ。
 ぐふっ……フェリアの心の断末魔が聞こえた。
『マスター、それはあまりにも酷いのですよ』
 よよよ……っと泣き崩れる。
 そんなフェリアをよそに和穂の嬉しそうな声がする。
「でも、これでようやく僕も魔法が」
『使えないのですよ』
 さっきの仕返しとばかりに和穂の希望をバッサリとフェリアが両断した。
 フェリアは和穂の両手を広げると、その間に複数の光球を作り出し、断続的に通りに打ち出した。
 それはフワフワと戸惑うように漂いながらも路地へ、あるいは構築物の中へと消えていった。 
『これでよし、と……ってマスター、なんて顔しているですか』
 光球の消えた路地の虚空を膝を抱えた涙目の顔が睨んでいた。
「だって」
『この程度で「魔力ゼロ」体質が変わるとでも思ったのですか。残念ながら、今の魔力はみんな私の中にプールされたですよ。ようやく、これでリタ殿抜きでも魔法が使えるのですよ』
「よかったね」
 ブスッとして、そっぽを向く。
『なに不貞腐れてるですか、マスター。私が魔法を使えるということは、私が一緒であればマスターも使えるということなのですよ』
「僕はフェリア抜きで、僕自身だけの力で魔法を使ってみたいんだよ」
『そんな我儘を』
「ふん、フェリアに僕の気持ちはわからないよ。どうせ僕はガチョウなんだ、アヒルにもなれない」
『聞き分けがないとリタ殿にも嫌われるですよ』
「リタは関係ないよ。それでさっきの光る玉って、なんだったの」
デコイなのですよ』
デコイ?」
『今頃、あの男の索敵にはマスターが複数現れてるですよ。これで少しは休めるですよ』
 本当かな?
 フェリアの言葉に一抹の不安を感じながらも、和穂はとりあえずの安堵に大きく息をついた。

 ◯

 リュークは混乱していた。
 しかしフェリアの囮にではない。
 たしかに複数の個体がディスプレイに現れた当初は何事かとも思ったが、こういった撹乱は戦法の一つであり分身、分体を使う魔物もいる。リュークにしてみれば訓練の範疇だった。
「そんな急ごしらえのデコイなんぞに誰が引っかかるかよ」
 そう言って笑うリュークの顔が曇った。
「なんだ……これは」
 ディスプレイに薄いもやのようなものがかかり始めた。それは徐々に濃くなり、全体を白く埋め尽くしていく。
「結界石の魔力が減っている? まだそんな時間じゃない筈だ」
 ディスプレイに表示される結界石の魔力量が半減していた。
 ディスプレイから顔を上げ、辺りを見回した。
 結界内の街並みが眩暈を起こしたように揺れ、霧がかかったようにぼやけ始めていた。
 魔力不足で、街並みを造る構造物維持が危うくなっている。
 霧の正体は魔法の解けた街並みであり、それがリュークのディスプレイを白く染める原因だった。
 結界石を使った演習には何度か参加していたが、こんなことは初めてだった。
 レネとリュークが居ればな……
 弱気になりそうな自分に舌打ちして、そばの構造物の壁に寄り掛かった。
 その途端ーーそのまま身体がめりこんだ。
 バタン。
 脆くなっていた構造物を突き抜け、リュークの身体がその内側に倒れた。
「なんだーー」
 一瞬なにが起きたか分からず、身体を起こそうとしたリュークの上に、崩壊した構造物が音をたて落下してくるのが見えた。
 斬撃を放とうとして、剣を持ってないことに気が付いた。
 素早く目を配らせるが近くには見つからない。
「くそっ」
 仕方なく和穂にぶつけるために練り上げていた闘気を解放する。
 魔力で物質化されていた構造物がリュークの闘気に音も無く霧散した。
 それでも全てを消すことは出来ず、消し損ねた構造物がリュークの上に降ってくる。
 落下の衝撃だけを残して、構造物の瓦礫がリュークの身体を打ち、また魔力に戻って消えていった。
 それを身体強化の魔法でしのぐが、それでも木剣で斬られるような衝撃が背中を打ち続けた。
 前衛なのに強化魔法のレベルが低いと言われた。どうせ、レネがいるから大丈夫だろ。後で頑張るさと言っていつも逃げていた。
 魔力の安定しないリュークに魔法訓練は苦痛でしかない。
 もう、前衛なんだから少しは強化魔法、がんばりなよ。
 そうよ、いつも私がいるとは限らないんだから。
 そうだな、レネ、ティガル、戻ったら少し努力してみるか。うるさい二人のいう通りに、さ。
 瓦礫の落下が落ち着くと、倒れた状態でリュークは大きく息を吐いた。動悸が激しい。うつ伏せから仰向けになり、激しく呼吸を繰り返す。
 構造物の落下は収まっていたが、油断は出来ない。
 全身が痛むが回復薬ポーションは持っていない。
 いつもならレネかティガルがいて、全部任せっぱなしだった。
 急速に冷静になっていく自分がいた。
 構造物の消えた空間に忘れ去られたように、リュークの剣が落ちていた。
 のろのろと立ち上がり、拾いに向かった。
「馬鹿なことしてるな、俺」
 鞘に剣を収めながら思った。
 結界内の模造の街が急速に消えていく。
 まあいいか。後の事はこれが終わったら考えよう。
 歩みを早め、走り出す。
 今は先ずーー
「あいつを一度、ぶっとばしてからだ」
 そこはブレないリュークだった。



「堕落の門……」
『藪から棒に、何なのですか』
 不意打ちのような和穂の独り言にフェリアがムッとした声を上げる。
 アンに付けられたこの「堕落の門」なる二つ名を本当に嫌っているようだった。
「アンさんの言う通りだなって」
『先代の? それはどういう意味なのですか』
「どうもこうも、そのまんまの意味」
 戦闘に素人な僕が〝憑依コントロール〟で超人的な動き、更に今なら魔法も使える。全てお任せ全自動、これってりっぱな堕落だよね。
『すごっく嫌味なことを考えてるですね、マスター』
 フェリアは〝宿主マスター〟の生命を守っているだけなのですよ。
「もう少し距離を置きたいなぁって思っただけだよ。このままじゃ、僕、本当にダメになる」
『それは無理なのですよ。なぜなら私とマスターは……ポッ』
「なにが〝ポッ〟だよ。あれ完全に騙し打ちだよね」
 フェリアとの〝契約エンゲージ〟のことを思い出し、和穂の表情が憮然とする。
『騙し打ちは酷いのですよ』
 フェリアの言葉が終わると同時に、和穂の身体が大きく後方に跳ねた。
「えっ」と見上げた視線の先に、尖塔のような構造物の先端部分が迫っていた。
 避けられないと思った瞬間、
 身体の奥から流れてきた熱い塊が和穂の手に移動し、それと同時に腕が大きくしなった。
 フェリアが無詠唱で風の刃を放つ。
 優に和穂の倍以上はある、落下してくる構造物に当たり粉々にした。
『マスター、ぼおっとしててはダメなのですよ』
 まだ戦闘中なのですよ。
 フェリアの声にハッとする。
 そうだ、まだ追ってきてるんだ。あの男が僕を。
 破片が辺りに雨のように散乱し、黒く細かな粒子となって消えていった。
「消えた……」
『構成していた魔法が解けたのですよ。そのような仕様なのでしょう。マスター、走るですよ』
 塔の先端が刈られるように落ちてくる。
 脱兎のごとく和穂が走り出した。
「リュークさん、どこから。フェリア、分からなかったの」
『おそらくあの男は関係ないのですよ』
 気まずそうにフェリアがつぶやいた。
『魔力を取り過ぎたですかねえー。魔力不足で内部崩壊し始めたようなのです……てへ』
 そう言って自分の頭を小突いた。
「てへ、じゃないよ。これからどうなるの……って、わぁ」
 和穂の行く手を塞ぐように構造物が倒れ、崩れた瓦礫が降ってくる。
 それを避けるように跳躍を続け、走る。
 更に上に跳ぼうとして、落ちてくる構造物に手を掛ける。
 瞬間、それは粒子となって四散した。
 落下する和穂の身体をフェリアの気流操作が受け止めた。
『跳ぶですよ』
 フェリアの声に和穂が反応しない。
『マスター』
 だめだ、意識が途切れている。
 そのまま下まで降り、和穂の身体から出る。
 上からはなおも構造物が崩壊しながら消えずに落ちてくる。
 フェリアは〝障壁魔法〟シールドを展開、同時に和穂に回復魔法ヒールを施す。
 しかしーーーー
『今の状態レベルで二つ同時というのは、なかなか厳しいのですよ』
 愚痴をこぼしながらもフェリアのその顔は、どこか楽しそうに笑っていた。
 

 
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