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第一章:異世界漂流

其の十二話:最悪と安息 その12 和穂の一番長い夜 #8 〈芭蕉扇〉

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「和穂、待って」
 光の魔石の効果範囲を越えると同時に和穂の身体が暗闇に消えた。
 その姿を追ってリタも走り出した。小柄な身体があっという間に光を抜け、闇の中に消えていった。
『リタ様、ご入浴後というのに夜風の中、あのような薄着で、困ったものです』
 屋敷の夜は寒い。外套は羽織っていたが、その下は寝着のようだった気がした。
 この屋敷には侵入者撃退用の結界魔法陣が、主人アン・モルガン・ルフェによって施されていた。屋敷内はもとより最近では魔巧士と共謀して「司令室」なるものをこの屋敷内に作っているらしい。
 御自分の屋敷とはいえ、あまり変なものを作らないでほしいとローザは切に思う。
「ディスプレイ」
 手元に小さな魔法陣が立ち上がり、そこに屋敷の間取りが展開する。現在の様子をこれで確認できる。探索魔法のひとつだ。
 赤い光点が二つ、リタの部屋と正面玄関のある一階フロアの壊れ方が酷かった。
 リタを守るためとはいえ、外に通ずる扉全てをロックしたのは失敗だったかもしれなかったとローザは後悔した。
 リタもB級冒険者であることを考えれば、守られるだけの立場には我慢ならないと思うくらいは配慮するべきだった。
 私もまだまだですね、ローザは自分をたしなめた。
「やれやれ酷いものです。とはいえ、どちらも私が原因、いえ、もう一人おられましたね、そこの方」
 魔法陣を閉じながらローザが声を掛ける。
『さすが、なのです。やっぱり誤魔化せなかったですか』
 ローザの前に小さな光の人型が浮かび上がった。
『初めまして、鬼人殿。フェリアと申します、なのです』
「あなたが和穂様を《憑依》マリオネットで動かしていたのですか」
 さして驚いた様子もなくローザはフェリアと対峙する。《風切り》の刃が足元で光った。
『はい、なのです』
 フェリアが小首を傾げをつくる。
 みえみえの挑発を仕掛けてくるフェリアから視線をはずし、ローザの目はリタの姿を追うように光の結界の境界を見ていた。
 そこを人影が走っている。
「リタ様が風邪など引かれましたらあなたに責任を取ってもらいますから、そのおつもりで」
『そんなことまでアフターケア出来ないのですよ』
「先に残像を放ち、リタ様をここから遠ざける。距離を取って本人を逃す。あまり意味が無いと思いますが」
『さぁ、どうでしょう。出来ることは全てしないと、なのです』
「では」とローザが《風切り》を構える。「その出来ることを見せてもらうとしましょう」
『マスター、全速力ですよ』
 フェリアがこちらの様子をうかがいながら走る和穂を叱責する。これでは囮の意味が無い。気持ちは嬉しいが、アホですねー、マスター。
『まったく、そんな甘々ではこの先守ることができませんよ、なのです』
「守るって誰を」
『本当に朴念仁なのですよ、マスター。さて、まずはこちらを片付けませんと、ですね』
 フェリアはローザを見据える。
 綺麗ですね、まるで黒豹なのです。隙のない佇まいにこの気迫、メイドというよりは戦乙女ヴァルキリーの方が似合っているのですよ、とフェリアは思う。
 ローザは動かない。フェリアは彼女の槍の間合いの中にいる。いつでも斬れるはず、なのに「なぜ」と思う。
 境界を越え、暗闇に消えていく走る和穂の姿をローザは無言で見つめていた。
 斬撃を放てば確実に当てられる距離だが、それは目の前のおチビさんがさせてはくれないだろう。
 そしてそれをこのおチビさんは待っている。
 フェリアもそれを待っていた。
《飛燕》の使い手、だとしたら、まだどんな隠し玉を持っているかもしれなかった。
 だが、やりようはいくらでもある。しかし、ローザは浮かぶリタの顔に二の足を踏む。
 いまのリタがなにを優先的に考えるかと思うと、どうしたものかと嘆息する。
 ローザは目を閉じ大きく深呼吸すると、自分を落ち着かせるように、長くゆっくり息を吐いた。
 手の中の《風切り》が消えた。 
 呆気に取らるフェリアを無視して、和穂の吸い込まれた夜の闇に背を向けると屋敷の方に歩き出した。
 凛とした横顔を隠すように黒髪が揺れる。その顔がフェリアには笑っているように見えた。
『どうしたですか』
 気を取り直したフェリアの言葉に、ローザのメイド姿が立ち止まった。
『なんですかぁ』フェリアが眉をひそめる。
 ローザは前を見ていた。
 そして、誰に話しかける風でもなく、独り言のように喋り始めた。
「明日は御主人アン・モルガン・ルフェ様に会いに、リタ様と〈モルスラ〉に行かれるのでしょう。ならば、いろいろと準備しなければなりません。その前に些かの片付けと修理も御座います。それに朝食の下ごしらえもまだしておりませんので」
『結構な量、なのですね』
「お手伝い頂けたら幸いで御座います」
 茶化したつもりがローザの返答は意外なものだった。なので、つい素直にフェリアは答えてしまった。
『そうなのですねー、わかりました、なのですよ』
「ありがとうございます」
「では」そう言って歩き出そうとしたローザがなにかを考えるように動きをまた止めた。
『どうしたですか』
「いえ、そうですね」
 なにか考え事をするように、口元に指を当てる。
 そして思いついたように、
「これくらいの八つ当たりはお許しください」
『八つ……なんなのですか?』
「《風切り》」
 意表を突かれ、フェリアがあわてた。
 やられた。フェリアがほぞを噛む。しかし警戒状態はまだ解いていない。対応できる。フェリアがローザから距離を取る。
 姿勢を低く腰の位置で長く《風切り》をローザは構えた。
 そして、
「変われ!《風切り》ーー《芭蕉扇》」の声と共に大きく横に振り抜いた。
「吹き飛ばせ! 〈烈風モンスーン〉」
 巨大な扇《芭蕉扇》に変わった《風切り》から繰り出される大波のような連続する強風にフェリアは呆気なく彼方に飛ばされみえなくなった。
 絶対、仕返ししてやるでーすぅぅぅーー
 フェリアの恨み節が闇夜に消える。
「お待ちしております」
 その行方を見送ることなくローザは踵を返す。
 手を上げ、頭上で光る魔石を回収すると、その姿も夜に吸い込まれていった。
 


 和穂を追って闇の中に侵入したものの、その姿はリタの前からかき消すように見えなくなった。
「和穂」
 呼び掛けるも返事はない。こんなことならちゃんとした装備でくればよかったと後悔した。
 ベルトのポケットの中に光の魔石は入って無かった。
 家と屋敷の中ならどこになにがあるかぐらいは把握しているし、夜目も鍛えてある。感覚強化を使えば光の魔石の必要はなかった。
 光はその性格上、魔物を集め、敵に対して自分の位置を知らせてしまう、いい目印になってしまうため、クエストでもあまり使う事がない。そのため、油断して補充していなかった。
 感覚強化を行うがなにも聞こえない。
「しょうがないな、ディスプレイ」
 ローザが使っていた魔法陣と同じものがリタの手元に立ち上がった。
 元々は探索系スキルのひとつだったが、応用が効くためいろいろなところで使われ始めている。限定的であれば魔力もあまり必要としないため、冒険者、騎士、兵士はもとより平民の間にも広がっている。
 ディスプレイの光点は三つあった。ひとつはローザ、それに重なるようにもう一つ、そしてリタの後ろから近付いてくるものが一つある。リタの前に光点は無かった。
「やってしまったかな」
 おそらくさっきの和穂は〝影〟か〝残像〟だったんだろう。リタは自分がまんまと相手の策に引っ掛かったことに気が付いた。
 なら、私に近付いているこれは誰だろうか。
 確かめようとして振り返った時、顔に風を感じた。洗い晒しだった髪がそれに乗るように後ろになびいた。
 同時に切り裂くような風音と強風がリタを襲った。
 身体強化を行うが、足が離れ、呆気なく身体が宙に浮いた。風に逆らわず流されるままに回転しながら体勢の安定に全力する。
 この時間、この時期に吹くような風じゃない。それに魔力も感じる。
 開いたままのディスプレイを見ると、ローザのそばにあった光点が急速に遠去かっていた。風の発信源はローザだった。
「《芭蕉扇》を使ったわね」
 気流を操作し回転を止め、ゆっくりと降下した。
 ローザの持つ槍《風切り》は、状況に応じて幾つかの形態変化を取ることができた。そのうちのひとつが気流操作と防御に特化した扇、ローザが《芭蕉扇》と呼んでいるものだ。
 足が地面に着地する。そのリタの頭上をなにかが通り過ぎていく。
「和穂!」
 リタは気流操作でしのいでいるが、その範囲外はまだ《芭蕉扇》の起こした強風の影響が続いている。
「リ……タぁぁ!」
 和穂の姿が小さくなる。
 リタが走る。まずい、この先は。
 身体強化、気流操作を忙しく行い、地面を蹴る。風に乗ったリタが和穂を追った。
 
 

 
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