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第一章:異世界漂流
其の十三話:恋人たち その1 長い夜の終わり
しおりを挟むリタが和穂を追う。
複雑と思えた気流操作も風に乗ってしまえば比較的楽だった。水の流れに乗る小舟のようにリタは風の中を進んだ。
こんなことになるなら最初から一緒につれてくるんだった。
今更ながらにリタは後悔していた。
結界があるから大丈夫だとか、食べ物や水も用意してあるからとか、そんなこと、どうでも良かった事なんだ。なぜ、その側にいようとは思わなかったのか。ほんの少し、リタは自分を責めてみる。
「だって、私は冒険者なんだよ」
言い訳っぽくリタは呟く。吐き出したい言葉は山ほどあったが、今、それを言っても呪詛にもならない。
要は、仲間だ、信頼だなどと口ではいいながら、騙し合い、駆け引きが日常の世界にリタもどっぷりハマっているということだ。
「嫌になる」
そう思わない日はない。
そんな自分が心から安心出来る聖域が「あの」母さんとの思い出の詰まった家であり、ローザのいる屋敷の自分の部屋だった。
「どだい、出会ったばかりのやつを信じろっていう方が無理なのよ」
じゃあ、私がいま取っているこの行動は何だっていうの。どんな意味があるの。
弱者だから? 同情から?
和穂がこんなことになっているのは、単に彼の軽率な行動の末じゃないの。
あー、ホント、イライラするのよ。
リタはディスプレイに目を落とす。和穂を示す光点が近い。顔を上げると小さく姿が見えた。
ぐったりとして動く様子がない。気絶でもしているか、まさか、死んでる、とか。
そんなこと、捕まえてみればわかるじゃない。
ディスプレイを消し、速度を上げようとした時、和穂が徐々に落ち始めていることに気が付いた。
風が弱まっていた。リタも思うように速度が上がらず、和穂との距離が詰まらない。
和穂が落ちる。何度かバウンドして背の低い草地の緩い傾斜を転がった。
「和穂」リタが叫ぶ。「だめ、その先は」
着地し走る。一気に距離が縮まり飛び付いた。
夜の闇が薄れてきている。
朝が近い。
もう直、地平の彼方が明るくなり始めるだろう。
長かった和穂の夜がようやく明けようとしていた。
◯
「和穂」
呼びかけるが返事はない。
受け身も取らず、落ちた勢いと傾斜に身体を任せたままに転がっている。抵抗するような動きもない。
案の定、気を失っているようだった。
追いついたリタの手が和穂の腕を掴み、引こうするが、やわらかな草地に足が滑る。
弾みのついた和穂の身体を押さえ込むことが出来ず、逆に巻き込まれた。
「キャッ」
短い悲鳴と共にリタの身体が草地に叩き付けられた。身体強化が衝撃と激痛を相殺する。咄嗟にしがみついた和穂と転がり、三転四転後、大きくバウンドし宙に投げ出された。
落ちる、と和穂を掴む手に力を込めた瞬間、二人の身体はようやくその動きを止めた。
止まった。
リタは大きく息をついた。
あちこち打ちつけたが、身体強化としがみついていた和穂がクッションになってほぼ無傷だった。
「ありがとう、和穂。ごめんね」
身体から力が抜け、頬が緩む。顔をぎゅっと押しつけた。
ディスプレイで確認すると、屋敷の敷地の最外縁部、わずかに敷地内からはみだしていた。
二人はいま屋敷を守っている結界の先に引っ掛かっていた。
身体をずらして下を覗いた。
一面が白で覆われていた。それは綿花のようにも見えたが、表面に流れがあり、波にも似た寄せ返しやところどころで上に薄く吹き上げられる様子が見られた。
一瞬、リタの視界が白く閉ざされ、晴れた。
下の白に切れ間ができ、広がっていく。
まるで飛んでいるようだ。
その間から濃い緑がみえた。その中に塔のように天に伸びる〈マザーツリー〉をみつけた。
その樹齢はこの世界と同等、もしくはもっと古いとも囁かれる。宇宙樹、世界樹にも喩えらる〈黒の森〉の守護樹。リタの家もあそこにある。
その巨木さえも見下ろせる高さにここはあった。
やれやれ、ローザを呼んで助けてもらわなくちゃ。当たり前だわ、彼女のせいなんだから。
リタがローザに連絡を取ろうとしたとき、和穂の呻き声が聞こえた。
顔を上げ、リタが声をかける。
「和穂、大丈夫?」
「リ……タ」
和穂が目を開けリタの方を見た。その顔が少し歪む。本人は笑ったつもりのようだったが、リタにはそれがつらかった。
「どこか痛いところはある? いま、治癒魔法を掛けてあげる」
「痛いところ……むしろ、気持ちいいかな」
「気持ちいいって、頭とか打ったのかな。大丈夫? 吐き気とかはない」
「そうじゃなくて、リタが温かいなって」
そう言われてリタはいまの状態を思い浮かべ、耳の先まで真っ赤になった。
「ば、ばか。誰のせいだと思ってるのよ」
和穂が力無くまた笑った。その顔が苦痛の嗚咽に歪んだ。リタがあわてて治癒魔法を掛けると、冷たかった身体に温もりが少しずつ通い始めた。
「温かい……」
無意識にリタの背中に和穂の手が乗せられる。
むぅ、と唸ってリタが眉間に皺を寄せて和穂をにらんだ。
「ご、ごめん」
「ま、まぁいいわ。ただいきなりだったから」
きまりの悪さにリタが顔を背けた。
(いきなりじゃなきゃいいのかな)
和穂はぼんやりとそんなことを思った。
「それと和穂、下をみちゃダメよ」
「下….って」
和穂にはようやく明るくなりはじめた朱色の空が見えていた。
「今日〈モルスラ〉ってところにいくんだっけ。天気が良いといいな」
「そうね、大丈夫、晴れるわよ」
リタの心にそっと冷たい風が入り込んだ。
そうなのよね、リタを虚脱感が包む。和穂の住む世界はここじゃない。〈モルスラ〉に、師匠のところにいったら、和穂はいなくなるかもしれない。それも仕方ないのかな。それが和穂にとって一番だものね。戻るだけのことよ、元の生活に。独りに。リタの手が和穂の服を強くつかんだ。
「ところでリタ、僕たち、どこにいるの」
和穂は首を動かして辺りを見回してみた。
空はさっきよりも明るくなり、青空が広がり始めている。でも、それ以外は何も見えないし何もない。
「ここも空は青いんだ。だけど、リタ」
「なに、和穂」
「地面が見えない」
「地面なら向こうよ」
「向こうって」
リタの向く顔の方に和穂も頭を回らしてみた。
緑の絨毯のような草原が広がる。その奥の開けた小高い丘の上に小さく建物が見えた。
手を伸ばせば届きそうなのに、そのわずかな隙間を青い空が埋めている。
「まさか天国」
「いいカンしてるわね」
和穂の言葉にため息まじりにリタがこたえた。
「浮いてるの、僕たち」
気にするようすもなく和穂がリタに聞いた。
天然ね、和穂。なんか、説明がつらい、というか痛い。もしかして、私たち、ものすごく間抜けに見えてるんじゃない。リタの心がうなだれた。
「正確には結界に引っ掛かってる状態よ」
天国よって答えた方がまだ救いがあったかもと、答えてから思った。は、それこそばかみたいじゃない。
「結界? じゃあ、あの陸地は」
「あれは浮遊島よ」
「浮遊島って」
「この世界ではさして珍しくないものよ、と言っても、そう数があるわけでもないんだけど」
「浮いてるの、どうやって」
本当、ファンタジーの世界だとか言いながら目を輝かせる和穂を、リタが冷めた目で見る。無邪気なものね、ほんと。
「魔石の塊だそうよ。どうして浮いてるのかは判らない。この世界ができた頃から空にあったっていうわ。ちなみにあれは師匠の所有物よ」
「え、あれが。リタの師匠って、王族か貴族なの」
「浮遊島は国家の所有管理物なの。領主、貴族といえど自分の領地等にはできないの。けど師匠は宮廷を暇する時にこれまでの功績の褒美にと特別に頂いたって聞いたわ。それと師匠は爵位を持ってないわ」
『あんな面倒臭いものもってられるかー! いつまでも私は飼い犬じゃない』と叫ぶ師匠を思い出しリタは苦笑した。
「あれがリタの師匠、アン・モルガン・ルフェさんの屋敷」
「そうよ、建てた割にはほとんど利用してないけど」
普段のアンは〈モルスラ〉の郊外の森近くに小さな家を建て住んでいる。しょっちゅう魔獣魔物が出没闊歩する場所に、なにを好き好んでいるのか、リタには理解できなかった。たまにローザが不憫になる。
「あんなところから飛ばされたんだ」
和穂がぼんやりと屋敷を見ていた。
さっきまでのことを思い出していたのかもしれない。その和穂の言葉にリタが顔を曇らせた。
「ごめんね、和穂」
和穂の胸に顔を押し付けたリタのくぐもった声がした。
和穂は目だけを動かしてリタをみた。銀の髪と尖った耳だけが見える。
「どうして、あやまるの」
「だって、あなたをこんな目に合わせるきっかけは私だもの。あの時、一緒に連れてくるんだったって、後悔してた」
「忠告を守らなかった僕のせいだよ。気にしないで。ところでリタ、そろそろ戻らない、島の方に」
「戻れないの」
「どうして」
「ここ、かなりの高高度にあるの。それと島の周囲には師匠の手で不可視と侵入防止の結界が展開してあるのよ、魔法無効効果も付与されているわ。私たちはいま、その結界に引っかかってる訳。クモの巣に引っかかった獲物のように。だから、それを一時的に解除しなくちゃならないの。心配しないで、いま、ローザを呼ぶわ」
ローザの名を聞いた和穂の身体がビクッと震える。その様子にリタが悪戯っぽく笑った。
「安心して。もう、あんなことにはならないわ」
「リタは解除できないの」
「できるわよ。侵入防止と魔法無効は侵入者だけに適応されるの。だから」
「僕はどうなるのかな」
まさかと思いながら訊いてくる和穂にリタがあっさりと言った。
「落ちるわ」
「やっぱり」
「それに私も魔力があまりないの。だから待って、和穂。いま、ローザを」
そう言ってリタがローザを呼ぼうとした時、「マスター、ご無事ですかぁ」の声と共に人型の光が現れた。
「なに、光の精霊」
唐突に現れた光の人型にリタが驚く。
「フェリア、無事だったの」
和穂に笑顔が浮かんだ。
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