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『永遠の踊り子』
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あるひとりの、男の話。男の旅の話。男の身に掛けられた呪いを解く話。
銀の王の治める銀歴682年、初夏の月。ホルト大陸リナッセ地方、とある小さな村。
黒い大きなローブを着込んだ男は噂を頼りにやってきた。
「おや、旅人かい。珍しい」
「ああ、暑いな。どこか休める所は無いか?」
村人に訊ね、まずは一息つく。急いではいるが、焦らなくても良い。どうせすぐに、目的に辿り着く。
「ここは何もない村だぞ。旅人よ。立ち寄っただけか?」
「いや、『爪痕』がある筈だ。そうだろ?」
その言葉を口にした途端、酒場の店主の顔色が変わった。
「……まあ、今となっては『見世物』だが……この村にとっては大切なものなんだ。ある人の『想い』がある。案内はするが、馬鹿みたいに喜ばないでくれよ」
「分かってるさ。当たり前だ。俺は物珍しさに来た訳じゃない。ほら」
「!!」
男は服を捲り、腹にある傷を見せた。店主はその見覚えのある傷に驚愕した。
「まさか……あんたそれ……!」
店主の反応で、男は確信した。
「ふっ……」
逆三角形と、その下に三角形。重なるように交差した円。周囲を矢印の線が囲む『紋様』。
それは『終わりの無い永遠』を意味していた。
*
その昔。
地上に未曾有の災害が発生した。天災である。だが地震でも雷でも津波でも嵐でも無い。遥か高き天から伸びてきた『それ』は、鞭のように、爪のように……大地と人々を引き裂いた。
透明のガラスのような、実態の無い『それ』は、通り過ぎたものにあるひとつの変化を及ぼした。
その証として、その『紋様』が浮かび上がることになる。
新しいもので100年前。伝え聞く古いものだと2000年も前に、その『災害』が起きたと言われている。
*
「ここか……」
村で一番見晴らしの良い高台に着いた。風が心地よく髪を撫でる。
高台には櫓が建てられていた。『天災』以前からあるのか、『天災』以後に建てられたのか。男には分からないが、間違いなく『この現象』に関係しているのだと断定できる。
櫓に近付くと、跪いて祈る若者が居た。
「何をしているんだ?」
男が話し掛ける。
「見りゃ分かるだろ。祈ってるんだ。『祈る』のが俺の一族の定めだ。いつの日か――来ないだろうが、『彼女』が解放されるその日まで。待ち続ける」
「『彼女』……」
若者が祈りに戻ったところで、櫓を見る。そこではひとりの若く美しい女性が、優雅に『踊っている』。
きらびやかな衣裳に身を包み、軽やかなステップやターンを見せる。感情的な足取りと、儚げな仕草。そして盛り上がりにはとびきりの笑顔。見ている者の心を奮わせる、情熱のダンス。音楽は要らない。風と、舞台と彼女が居れば、このステージは完成している。
「……『踊り子』てか」
男はじっくりとそれを見ていた。陽が暮れても、夜が更けても、明けても。陽が再び昇っても。そしてまた、沈んでも。
祈る若者は夜になると家へ帰っていった。そして朝、早くから祈りに櫓まで足を運ぶ。昼には1度帰り、食事と畑仕事を終わらせてまた祈りに来る。
男はずっと、櫓の脇でそれを見ていた。
*
7日が経った。
「……ふむ」
依然として『彼女は踊り続け』、若者は毎日祈りに来る。その様子をずっと男は同じ場所で見ていた。『男は1歩も動かず』『彼女は休まず』7日が経った。
「……あんた大丈夫か?」
若者は遂に訊ねた。7日間、この男は動いていない。食事も睡眠も排泄もしていない。『あり得ない』のだ。
「……ああ、問題は無い。なに、思った以上に美しい踊りに釘付けになっちまって。時間を忘れちまってたよ」
男は話し掛けられてようやく『彼女』から目を離した。薄く笑っていたが、若者には不気味に映った。
「……あんたも、なのか?」
「どういう意味だ?」
若者は『彼女』を差した。右の内股の辺りに、例の『紋様』が見える。
「……アレが根源らしい。アレが浮かび上がった者は『同じことをし続ける』呪いに掛かると」
飲まず、食わず、疲れず、休まず。
感情も無く、助けも求めず、考えることも無く。
腹も減らず、眠気も来ず、老いもせず――死なず。
「そうだ。『永遠の呪い』。祈るのが一族の定めと言っていたな。……この娘は『いつから』だ?」
若者は答えた。
「今年で『155年』が経った。俺で6代目だ」
この、美しい『彼女』は。『155年もの間、休まずに踊り続けている』。
「話し掛けても反応しない。男衆総出で抑えようとしても止められない。雨風や地震、雷はこの櫓だけを避ける。『呪い』だと理解するのに時間は掛からなかったらしい」
若者は説明する。淡々と、今日まで受け継がれてきた『定め』を。
「……初代は、彼女の」
「恋人だよ。婚約者。彼の為に踊ったんだ。『その途中で呪いに遭った』。それから彼女は『永遠の踊り子』だ」
「ふむ」
男は周囲を見る。いつしかその噂は広まり、観光名所になってしまっている。
「人払いはできるか?」
「……夜の内に立札を建てれば。何をするんだ?」
「決まってるだろ。呪いを解くんだ。お前も協力しろ」
「……!!」
「俺が終わらせてやる」
*
8日目の朝。
踊り続ける彼女と、目の前に男と若者。
「お前は彼女に触れたことは?」
「無いよ。呪いと分かって以後、150年間禁止されてる。……なあ、あんた呪いを解くって言ってたが……そんなことできるのか?」
「何故禁止されたんだ?」
「自分達も一緒に呪われたくないからだ」
「触って呪われた奴が居るのか?」
「……それは、知らないけど」
「お前は、『呪い』が何なのか知ってるか?」
「……?」
男の質問に、若者は頭を捻った。
「『天災』とは何か。原理、仕組み、現象」
「知ってたらとっくに解いてるぜ。分からないから『呪い』なんだ」
「……ふっ」
男は溜め息を漏らした。
「なんだよ」
「分からないなら知れば良いだろ。『呪い』を建前にお前達は150年間逃げてるんだ。『彼女』に何が起きているか調べずに、『祈る』だと?それが『定め』だ?150年間、無駄にしたな。お前の一族」
「なっ!黙って聞いてりゃ!」
「だが一生『祈り続ける』お前の『彼女への想い』は無駄じゃない」
「!」
男は服を捲り、腹にある紋様を露にした。
「……な……!」
若者の鼓動が速くなった。彼女と同じ永遠の紋様を持つ男。その男が『呪いを解く』と言ったのだ。
「……『お前も聞いていたな?覚悟を決めろ』」
男は踊り狂う彼女にも、そう呟いた。
*
「だから、具体的にどうするってんだ」
「『色々する』に決まってるだろ。『どうやったら解けるか』実験を繰り返す。それしか無い」
男は櫓に座り、荷物を広げ始める。大きな黒いローブから、ノートと羽根ペンが落ちた。
「それはなんだ?」
若者は訝しげに訊ねる。男はにやりとした。
「記録していくんだ。まずは……声掛けて反応するか試してみるか」
「……そんなもの、無駄じゃないか?」
その言葉を聞いて若者は止めようとする。
「改めてやってみるんだよ。地道にな」
「……そうか」
彼女は。150年間躍り続けている。夏も冬も変わらず同じ格好で。
よくよく考えてみれば確かに。そんなことで解けるとは思えないが。若者は『彼女』へ話し掛けた事は無かった。
*
9日目。
「今度は何をするんだ?」
とにかく色々話し掛けたが、反応は無かった。これまでのことや、初代のこと、村のことについて語ったが変わらず踊り続けていた。
この日は男に頼まれ、村医者を連れてきた。
「普通に診察だ。どうせ150年したこと無いだろ?健康状態、疲労状態、心音その他諸々。異常が無いか見て欲しい」
だが村医者は困った表情をした。
「踊り続けてるんだぞ?」
「ひとつの踊りをループしてる。見てろ、あのターンの後に一拍、隙ができる。あの間に診てくれ」
「……無茶言うなあ」
*
10日目。
「……何をしてるんだよ、おい?」
『彼女』は健康であった。心拍数こそ上がっていたが、それは運動している為特に問題は無い。155年間休まず踊っているにも関わらず、異常なほど『異常は無かった』。
男は『彼女』から離れ、櫓を観察していた。
「次はこの櫓に注目してみようぜ。これも呪いの内か?」
「そうだ。言っとくけど壊せないぞ」
「まあ、色々調べてみよう」
*
15日目。
心なしか、『彼女』も困っているように見える。
「ふむ。次行くぞ」
「次はなんだよ?」
「『彼女』の家族の子孫とかは居ないのか?」
「居るけど……」
*
30日目。
「おい…。お前『俺が終わらせてやる』とか言ってたよな」
「いやまあ……実際俺も初めて見るからな。俺以外の『呪い』は」
「……はぁ」
若者は呆れ果てる。だが男の妙な自信と、その腹にある『彼女』と同じ紋様が若者の心に『もしかして』を植え付ける。
「で?次は」
「まあまあ……そう急ぐなよ。じっくりやろう。色々やってりゃ、分かることが増える。続けていくといつか『正解』に辿り着くさ」
「……気の遠い話だ」
「だが、祈るよりマシだ」
「!」
「お前の顔に書いてるぜ」
「……ふん」
祈ることしかできなかった。先代も先々代もだ。だが今、『呪いを解く』為に『行動』している。もし解ければ一族の悲願だ。目的の為に努力しているこの感覚は、若者のこれまでの人生と違い、何か充実しているような気がした。
「じゃ今日は……」
「あんたも楽しそうだな」
*
「さて。じゃあ俺は行くぜ」
「は?」
男が村へ訪れて1ヶ月が経った日。男は急に身支度をし、村を去ろうとした。
「おい、『彼女』の呪いはどうするんだ」
若者は慌てて男を止めようとする。このままでは余りにも無責任だろう、と。
「あんたが終わらせるんじゃなかったのか。諦めるのか?」
「いや、違う。この村に閉じ籠ってちゃ新たな発見は無いと思ってな。色々旅して回って、また来年来るよ。無責任に投げ出しはしないから安心しな」
「…………」
この日より、男は1年に1回この村を訪れ、『彼女』の呪いを解く為に調査をするようになった。
*
3年後。
未だ何ひとつ、『彼女』に変化は起きていない。今日も綺麗な笑みを称えながら踊っている。
「そう言えばさ」
「あん?」
若者はふと気付いた。この男も『呪い』を持っているのだ。
「あんたが『彼女』に触れたことは無かったよな」
「……確かに」
男も手を叩き、『彼女』の肩にポンと手を置いた。この1年見てきて『踊り』は完璧に覚えたことで、激しく動き回る『彼女』に対して自然に触れる事ができた。
――シン、と。
「!?」
『彼女』の動きが止まった。ふたりは驚愕する。『彼女』自身に『変化』が起きたのは初めてだ。もしかしてこれが正解だったのか……?
「……おい、あんた……?」
男が『彼女』へ話し掛ける。『彼女』はぴたりと止まっており、笑みを絶やさなかった顔は虚ろになっている。男の声に反応はしなかった。
「おい!どうなってんだ!?」
「……?」
『彼女』に気を取られ過ぎ、周りが目に入っていなかった。男はふと辺りを見回す。空が黒い。風が吹いていない。村の喧騒が聞こえない。
「……なんだこりゃ?」
櫓の向こうに居る村人は、皆『固まっていた』。畑の者は鍬を振り上げたまま。食事中の者は果物にかぶり付いたまま。
「……時間が停まった?」
男が呟いた。『彼女』に触れる自分だけではない。若者も動いている。この櫓の外の時間だけが停まったように、絵のように静止している。
「…………おっ」
ふっ、と『彼女』から手を話した。すると、空も風も村も、元通りに動き始める。『彼女』も、踊りを再開した。
「………………」
お互い顔を見合わせる。
『正解』に近付いたらしい、と。
*
5年後。
「……駄目だ。『停めて』からどうすれば良いか分からん」
男はぺたりと座り込んだ。若者……もう立派な男性になっていたが、彼もやれやれと頭を抱える。
「つまり、『呪い』同士が接することで『呪い』の範囲内が『超高速化する』。時間が止まってるのではなく、俺たちが『物凄く速くなっている』。ここまでは分かったが……」
「今日はここまでにしよう。明日だろ?お前の結婚式」
「……!」
男の台詞に、男性は目を丸くした。
「他の女に人生懸けてんのに、よく貰ってくれたもんだ」
「『定め』だからだよ。お互い愛は無いさ」
「そうかい」
*
さらに15年後。
「……お前が『7代目』か」
1年振りに村へやってきた男の前に、少年が立っていた。6代目の息子である。
「そうだ。親父の役目は俺が継ぐ。俺が産まれると、親達は急に愛し合い始めたらしい」
「……ふっ。良いだろう。お前達も大概呪われてるよ」
*
130年後。
「なんでお前らは揃いも揃って『彼女』に執着するんだ?ひとりも『役目』を放棄しない」
「……その件か」
そこには15代目の青年が居た。
「親父にも聞いたよ。俺も『そう』だった。……『一目惚れ』したんだ。その踊りに、笑顔に、美しさに。運命の儚さに」
「ほう」
「だって、こんなに楽しそうに踊ってる。だけど想い人には決して届かない。なのに、300年踊り続けてる。可哀想で仕方ねえよ」
「そうか。じゃ……やるぞ。お前は何をするんだ?」
「そのままだ。『彼女』へ俺の、俺達の『想い』を伝える」
男が『彼女』へ触れる。何万回目だろうか。辺りは暗く静寂に包まれる。
『彼女』は立ち止まっている。踊りを止め、その場で立ち竦んでいる。呆けたようにただ佇んでいる。この状況を分かっているのか、意識があるのか。ただ、彼女の眼は青年に向けられていた。
「……リーゼ」
青年はそれを見て、覚悟を決めたように彼女の名を呼んだ。
耳が痛むほどの静寂に包まれた世界。男が見守る。確かに、この静寂の世界で本気で愛を語り掛けるのは初めてかもしれない。
「君の踊りは、とても美しい。一族の定めとか、そんなの関係無い。20年間見惚れてたんだ。全く苦じゃ無かった。ずっと、俺は君の婚約者を羨ましく思ってた。多分、俺の父も祖父もそうだったんだろう。だから、ずっと祈っていられたんだ」
「…………」
リーゼの反応は無い。じっと青年の方、虚空を見るように眺めている。
「疲れたろう。君が帰る筈だった家へ帰ろう」
「……」
ぴくりと、指先が動いた。男も目を丸くする。今のリーゼの気持ちは、青年にはしっかり伝わった。何を言えば良いか。
「【もう踊らなくて良い】」
「!!」
その言葉を『鍵』にして。リーゼの瞳に光が宿った。
*
世界を覗くガラスが割れた。破片が全て落ちて無くなると、元通りの見晴らしの良い高台に戻っていた。櫓と彼女と若者と、男。村からは喧騒が聞こえ、今日も優しい風が吹いている。
「あ……」
「リーゼ!!」
何かを言いかけたリーゼがふらりと倒れ込む。青年は慌てて彼女を抱き抱えた。
「………リーゼ。……なあ、あんた」
酷く衰弱しているリーゼ。青年は男の方を見た。
「彼女は、死ぬのか?」
「……さあな」
男は呪いを解くだけだ。その後のことは知らない。
「……う」
「リーゼ!」
意識を取り戻したリーゼが、ゆっくりと瞼を開く。朝陽が射し込み、青年の顔を隠す。
「……ビット?」
「…!! 俺の名前…!?」
リーゼはそれでも、彼の名を呼んだ。それは、彼女の婚約者の名前『ではない』。15代目の青年の名だった。
「はぁ。……は。 ビット。言って?」
「え?」
息も絶え絶えな、今にも消えてしまいそうなリーゼの声を必死に聞き取る。
「『知ってる』から。言って? ……はぁ。ずっと……待ってたんだから」
「!!」
リーゼは。彼女は全て聞いていたのだ。呪われてから、今日までの300年間。全て見ていたのだ。一族のことも、定めのことも。婚約者が他の女と家庭を持ったことも、その子孫が皆、自分の踊りの虜になったのも。彼らの名前も、思いも、祈りも。全て届いていたのだ。
黒いローブの男と共に、試行錯誤を繰り返したことも。
「……リーゼっ」
それを理解したビットの眼からは、その15代分の『想い』が溢れていた。
「……うん」
それだけではない。一族だけではなく、この村の全ての人が、待ち望んだのだ。大切にしてきたのだ。いつか来る、その時を。ようやく訪れた、この時を。
「愛してる」
「……ありがとう」
リーゼは、ずっと待っていた。『彼』からのその言葉を。もう、とうに記憶は霞み、顔も思い出せない。だが『想い』は消えない。色褪せない。逆光照り付けるその影を、去る日の婚約者と重ねない訳が無い。
彼に抱かれ、幸せな光景を刻みながら、再びリーゼは意識を手放した。
「リーゼ!」
「…………」
男は、それを満足そうに見ていた。
*
翌日。男は旅立つ前に、ビットの家を訪ねた。
「よう。調子はどうだ」
「あ、あんた!」
家は小さく、何も無い部屋だった。農具と台所と寝床のみ。彼らの人生はそれまで、それだけで足りるものだったのだ。
「……旅人さん」
簡素な部屋に、変化がひとつ。その寝床には、リーゼが座っていた。
「おうリーゼちゃん。どうだ?」
「まだ、ひとりじゃ動けなくて。食事も何もみんなビットにお世話されちゃってて」
「だろうな。300年分の疲労は一気に来る訳じゃない。数年は寝たきりだろうぜ。なにせ老人も良いとこだ。え?300歳の踊り子さんよ」
「うるさいわねっ。……でも大丈夫。私にはビットが居るから」
頼もしそうに彼を見つめる。ビットは恥ずかしくなり、話題を逸らした。
「そういえば、あんたは何者なんだ?『紋様』があるが、呪いを受けているようには見えない」
「俺も呪われてるよ。しかも、リーゼみたいな『永遠の呪い』を全て解いて回らないと解けないんだ」
「……大昔の天災の遭った所を?世界中をかい」
「そうだ。……他にも、『永遠』に囚われてるケースが世界にはある。俺はそれを巡ってるのさ」
「……どういう呪いなんだ?不自由なさそうだけど」
「長居しすぎた。もう行くぜ。じゃあなビット。リーゼの解放がお前の代で良かったな」
男は答えず、踵を返した。
「おっ。おい!せめて名前言ってけよ!俺『達』とリーゼの恩人だ!」
その声に立ち止まり、男は名乗った。
「……ヨクトだ。覚えなくても良いがな」
*
「私が、『踊り子』だったから」
「?」
ヨクトが村を去った後。リーゼはビットに、答えを教えた。彼女は感覚的に分かったのだ。同じ『紋様』を持つ、『天から試練を与えられた者』として。
「彼は『永遠の旅人』なんだと思う。踊りと比べて、旅に必要な物は沢山あるから、だから普通に話せるんじゃないかな」
「……なるほど。しかも食事も睡眠も要らないと。でもそれだけなら旅をする必要も無いじゃないか」
「月日が経って周りは老いていくのに、自分は変わらないのよ。多分1ヶ所には留まれないんだわ」
「1年に1回って、そういう訳があったのか」
そこでビットは、ある疑問が頭に浮かぶ。
「……待てよ、じゃあヨクトは、『一体いつから旅をしているんだ?』」
*
「もう踊らなくて良い……ね」
『永遠』と『永遠』は、決して交わることは無い。だがひと度触れ合えば『刹那の間』……否。もっと小さく短い、『涅槃寂浄の隙間』を作ることができる。今回ヨクトは呪いを解くヒントを得た。『永遠』でありながら自由に動けるヨクトにのみ、この『涅槃』を扱える。
「……さて」
旅とは言えども、特に荷物は要らない。最低限の鞄と路銀だけを持ち、荒野に立つ。
「これで、予め持ってた『呪い』の情報は……あとふたつか。西、パライラ島『永遠の戦い』。北、ユビュエム地方『永遠の眠り』。……どっちから行くかな」
300年で、やっとひとつ。『呪い』は全部でいくつあるか分からない。
だがヨクトは往く。
永遠に続く旅を、いつか終わらせる為に。
銀の王の治める銀歴682年、初夏の月。ホルト大陸リナッセ地方、とある小さな村。
黒い大きなローブを着込んだ男は噂を頼りにやってきた。
「おや、旅人かい。珍しい」
「ああ、暑いな。どこか休める所は無いか?」
村人に訊ね、まずは一息つく。急いではいるが、焦らなくても良い。どうせすぐに、目的に辿り着く。
「ここは何もない村だぞ。旅人よ。立ち寄っただけか?」
「いや、『爪痕』がある筈だ。そうだろ?」
その言葉を口にした途端、酒場の店主の顔色が変わった。
「……まあ、今となっては『見世物』だが……この村にとっては大切なものなんだ。ある人の『想い』がある。案内はするが、馬鹿みたいに喜ばないでくれよ」
「分かってるさ。当たり前だ。俺は物珍しさに来た訳じゃない。ほら」
「!!」
男は服を捲り、腹にある傷を見せた。店主はその見覚えのある傷に驚愕した。
「まさか……あんたそれ……!」
店主の反応で、男は確信した。
「ふっ……」
逆三角形と、その下に三角形。重なるように交差した円。周囲を矢印の線が囲む『紋様』。
それは『終わりの無い永遠』を意味していた。
*
その昔。
地上に未曾有の災害が発生した。天災である。だが地震でも雷でも津波でも嵐でも無い。遥か高き天から伸びてきた『それ』は、鞭のように、爪のように……大地と人々を引き裂いた。
透明のガラスのような、実態の無い『それ』は、通り過ぎたものにあるひとつの変化を及ぼした。
その証として、その『紋様』が浮かび上がることになる。
新しいもので100年前。伝え聞く古いものだと2000年も前に、その『災害』が起きたと言われている。
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「ここか……」
村で一番見晴らしの良い高台に着いた。風が心地よく髪を撫でる。
高台には櫓が建てられていた。『天災』以前からあるのか、『天災』以後に建てられたのか。男には分からないが、間違いなく『この現象』に関係しているのだと断定できる。
櫓に近付くと、跪いて祈る若者が居た。
「何をしているんだ?」
男が話し掛ける。
「見りゃ分かるだろ。祈ってるんだ。『祈る』のが俺の一族の定めだ。いつの日か――来ないだろうが、『彼女』が解放されるその日まで。待ち続ける」
「『彼女』……」
若者が祈りに戻ったところで、櫓を見る。そこではひとりの若く美しい女性が、優雅に『踊っている』。
きらびやかな衣裳に身を包み、軽やかなステップやターンを見せる。感情的な足取りと、儚げな仕草。そして盛り上がりにはとびきりの笑顔。見ている者の心を奮わせる、情熱のダンス。音楽は要らない。風と、舞台と彼女が居れば、このステージは完成している。
「……『踊り子』てか」
男はじっくりとそれを見ていた。陽が暮れても、夜が更けても、明けても。陽が再び昇っても。そしてまた、沈んでも。
祈る若者は夜になると家へ帰っていった。そして朝、早くから祈りに櫓まで足を運ぶ。昼には1度帰り、食事と畑仕事を終わらせてまた祈りに来る。
男はずっと、櫓の脇でそれを見ていた。
*
7日が経った。
「……ふむ」
依然として『彼女は踊り続け』、若者は毎日祈りに来る。その様子をずっと男は同じ場所で見ていた。『男は1歩も動かず』『彼女は休まず』7日が経った。
「……あんた大丈夫か?」
若者は遂に訊ねた。7日間、この男は動いていない。食事も睡眠も排泄もしていない。『あり得ない』のだ。
「……ああ、問題は無い。なに、思った以上に美しい踊りに釘付けになっちまって。時間を忘れちまってたよ」
男は話し掛けられてようやく『彼女』から目を離した。薄く笑っていたが、若者には不気味に映った。
「……あんたも、なのか?」
「どういう意味だ?」
若者は『彼女』を差した。右の内股の辺りに、例の『紋様』が見える。
「……アレが根源らしい。アレが浮かび上がった者は『同じことをし続ける』呪いに掛かると」
飲まず、食わず、疲れず、休まず。
感情も無く、助けも求めず、考えることも無く。
腹も減らず、眠気も来ず、老いもせず――死なず。
「そうだ。『永遠の呪い』。祈るのが一族の定めと言っていたな。……この娘は『いつから』だ?」
若者は答えた。
「今年で『155年』が経った。俺で6代目だ」
この、美しい『彼女』は。『155年もの間、休まずに踊り続けている』。
「話し掛けても反応しない。男衆総出で抑えようとしても止められない。雨風や地震、雷はこの櫓だけを避ける。『呪い』だと理解するのに時間は掛からなかったらしい」
若者は説明する。淡々と、今日まで受け継がれてきた『定め』を。
「……初代は、彼女の」
「恋人だよ。婚約者。彼の為に踊ったんだ。『その途中で呪いに遭った』。それから彼女は『永遠の踊り子』だ」
「ふむ」
男は周囲を見る。いつしかその噂は広まり、観光名所になってしまっている。
「人払いはできるか?」
「……夜の内に立札を建てれば。何をするんだ?」
「決まってるだろ。呪いを解くんだ。お前も協力しろ」
「……!!」
「俺が終わらせてやる」
*
8日目の朝。
踊り続ける彼女と、目の前に男と若者。
「お前は彼女に触れたことは?」
「無いよ。呪いと分かって以後、150年間禁止されてる。……なあ、あんた呪いを解くって言ってたが……そんなことできるのか?」
「何故禁止されたんだ?」
「自分達も一緒に呪われたくないからだ」
「触って呪われた奴が居るのか?」
「……それは、知らないけど」
「お前は、『呪い』が何なのか知ってるか?」
「……?」
男の質問に、若者は頭を捻った。
「『天災』とは何か。原理、仕組み、現象」
「知ってたらとっくに解いてるぜ。分からないから『呪い』なんだ」
「……ふっ」
男は溜め息を漏らした。
「なんだよ」
「分からないなら知れば良いだろ。『呪い』を建前にお前達は150年間逃げてるんだ。『彼女』に何が起きているか調べずに、『祈る』だと?それが『定め』だ?150年間、無駄にしたな。お前の一族」
「なっ!黙って聞いてりゃ!」
「だが一生『祈り続ける』お前の『彼女への想い』は無駄じゃない」
「!」
男は服を捲り、腹にある紋様を露にした。
「……な……!」
若者の鼓動が速くなった。彼女と同じ永遠の紋様を持つ男。その男が『呪いを解く』と言ったのだ。
「……『お前も聞いていたな?覚悟を決めろ』」
男は踊り狂う彼女にも、そう呟いた。
*
「だから、具体的にどうするってんだ」
「『色々する』に決まってるだろ。『どうやったら解けるか』実験を繰り返す。それしか無い」
男は櫓に座り、荷物を広げ始める。大きな黒いローブから、ノートと羽根ペンが落ちた。
「それはなんだ?」
若者は訝しげに訊ねる。男はにやりとした。
「記録していくんだ。まずは……声掛けて反応するか試してみるか」
「……そんなもの、無駄じゃないか?」
その言葉を聞いて若者は止めようとする。
「改めてやってみるんだよ。地道にな」
「……そうか」
彼女は。150年間躍り続けている。夏も冬も変わらず同じ格好で。
よくよく考えてみれば確かに。そんなことで解けるとは思えないが。若者は『彼女』へ話し掛けた事は無かった。
*
9日目。
「今度は何をするんだ?」
とにかく色々話し掛けたが、反応は無かった。これまでのことや、初代のこと、村のことについて語ったが変わらず踊り続けていた。
この日は男に頼まれ、村医者を連れてきた。
「普通に診察だ。どうせ150年したこと無いだろ?健康状態、疲労状態、心音その他諸々。異常が無いか見て欲しい」
だが村医者は困った表情をした。
「踊り続けてるんだぞ?」
「ひとつの踊りをループしてる。見てろ、あのターンの後に一拍、隙ができる。あの間に診てくれ」
「……無茶言うなあ」
*
10日目。
「……何をしてるんだよ、おい?」
『彼女』は健康であった。心拍数こそ上がっていたが、それは運動している為特に問題は無い。155年間休まず踊っているにも関わらず、異常なほど『異常は無かった』。
男は『彼女』から離れ、櫓を観察していた。
「次はこの櫓に注目してみようぜ。これも呪いの内か?」
「そうだ。言っとくけど壊せないぞ」
「まあ、色々調べてみよう」
*
15日目。
心なしか、『彼女』も困っているように見える。
「ふむ。次行くぞ」
「次はなんだよ?」
「『彼女』の家族の子孫とかは居ないのか?」
「居るけど……」
*
30日目。
「おい…。お前『俺が終わらせてやる』とか言ってたよな」
「いやまあ……実際俺も初めて見るからな。俺以外の『呪い』は」
「……はぁ」
若者は呆れ果てる。だが男の妙な自信と、その腹にある『彼女』と同じ紋様が若者の心に『もしかして』を植え付ける。
「で?次は」
「まあまあ……そう急ぐなよ。じっくりやろう。色々やってりゃ、分かることが増える。続けていくといつか『正解』に辿り着くさ」
「……気の遠い話だ」
「だが、祈るよりマシだ」
「!」
「お前の顔に書いてるぜ」
「……ふん」
祈ることしかできなかった。先代も先々代もだ。だが今、『呪いを解く』為に『行動』している。もし解ければ一族の悲願だ。目的の為に努力しているこの感覚は、若者のこれまでの人生と違い、何か充実しているような気がした。
「じゃ今日は……」
「あんたも楽しそうだな」
*
「さて。じゃあ俺は行くぜ」
「は?」
男が村へ訪れて1ヶ月が経った日。男は急に身支度をし、村を去ろうとした。
「おい、『彼女』の呪いはどうするんだ」
若者は慌てて男を止めようとする。このままでは余りにも無責任だろう、と。
「あんたが終わらせるんじゃなかったのか。諦めるのか?」
「いや、違う。この村に閉じ籠ってちゃ新たな発見は無いと思ってな。色々旅して回って、また来年来るよ。無責任に投げ出しはしないから安心しな」
「…………」
この日より、男は1年に1回この村を訪れ、『彼女』の呪いを解く為に調査をするようになった。
*
3年後。
未だ何ひとつ、『彼女』に変化は起きていない。今日も綺麗な笑みを称えながら踊っている。
「そう言えばさ」
「あん?」
若者はふと気付いた。この男も『呪い』を持っているのだ。
「あんたが『彼女』に触れたことは無かったよな」
「……確かに」
男も手を叩き、『彼女』の肩にポンと手を置いた。この1年見てきて『踊り』は完璧に覚えたことで、激しく動き回る『彼女』に対して自然に触れる事ができた。
――シン、と。
「!?」
『彼女』の動きが止まった。ふたりは驚愕する。『彼女』自身に『変化』が起きたのは初めてだ。もしかしてこれが正解だったのか……?
「……おい、あんた……?」
男が『彼女』へ話し掛ける。『彼女』はぴたりと止まっており、笑みを絶やさなかった顔は虚ろになっている。男の声に反応はしなかった。
「おい!どうなってんだ!?」
「……?」
『彼女』に気を取られ過ぎ、周りが目に入っていなかった。男はふと辺りを見回す。空が黒い。風が吹いていない。村の喧騒が聞こえない。
「……なんだこりゃ?」
櫓の向こうに居る村人は、皆『固まっていた』。畑の者は鍬を振り上げたまま。食事中の者は果物にかぶり付いたまま。
「……時間が停まった?」
男が呟いた。『彼女』に触れる自分だけではない。若者も動いている。この櫓の外の時間だけが停まったように、絵のように静止している。
「…………おっ」
ふっ、と『彼女』から手を話した。すると、空も風も村も、元通りに動き始める。『彼女』も、踊りを再開した。
「………………」
お互い顔を見合わせる。
『正解』に近付いたらしい、と。
*
5年後。
「……駄目だ。『停めて』からどうすれば良いか分からん」
男はぺたりと座り込んだ。若者……もう立派な男性になっていたが、彼もやれやれと頭を抱える。
「つまり、『呪い』同士が接することで『呪い』の範囲内が『超高速化する』。時間が止まってるのではなく、俺たちが『物凄く速くなっている』。ここまでは分かったが……」
「今日はここまでにしよう。明日だろ?お前の結婚式」
「……!」
男の台詞に、男性は目を丸くした。
「他の女に人生懸けてんのに、よく貰ってくれたもんだ」
「『定め』だからだよ。お互い愛は無いさ」
「そうかい」
*
さらに15年後。
「……お前が『7代目』か」
1年振りに村へやってきた男の前に、少年が立っていた。6代目の息子である。
「そうだ。親父の役目は俺が継ぐ。俺が産まれると、親達は急に愛し合い始めたらしい」
「……ふっ。良いだろう。お前達も大概呪われてるよ」
*
130年後。
「なんでお前らは揃いも揃って『彼女』に執着するんだ?ひとりも『役目』を放棄しない」
「……その件か」
そこには15代目の青年が居た。
「親父にも聞いたよ。俺も『そう』だった。……『一目惚れ』したんだ。その踊りに、笑顔に、美しさに。運命の儚さに」
「ほう」
「だって、こんなに楽しそうに踊ってる。だけど想い人には決して届かない。なのに、300年踊り続けてる。可哀想で仕方ねえよ」
「そうか。じゃ……やるぞ。お前は何をするんだ?」
「そのままだ。『彼女』へ俺の、俺達の『想い』を伝える」
男が『彼女』へ触れる。何万回目だろうか。辺りは暗く静寂に包まれる。
『彼女』は立ち止まっている。踊りを止め、その場で立ち竦んでいる。呆けたようにただ佇んでいる。この状況を分かっているのか、意識があるのか。ただ、彼女の眼は青年に向けられていた。
「……リーゼ」
青年はそれを見て、覚悟を決めたように彼女の名を呼んだ。
耳が痛むほどの静寂に包まれた世界。男が見守る。確かに、この静寂の世界で本気で愛を語り掛けるのは初めてかもしれない。
「君の踊りは、とても美しい。一族の定めとか、そんなの関係無い。20年間見惚れてたんだ。全く苦じゃ無かった。ずっと、俺は君の婚約者を羨ましく思ってた。多分、俺の父も祖父もそうだったんだろう。だから、ずっと祈っていられたんだ」
「…………」
リーゼの反応は無い。じっと青年の方、虚空を見るように眺めている。
「疲れたろう。君が帰る筈だった家へ帰ろう」
「……」
ぴくりと、指先が動いた。男も目を丸くする。今のリーゼの気持ちは、青年にはしっかり伝わった。何を言えば良いか。
「【もう踊らなくて良い】」
「!!」
その言葉を『鍵』にして。リーゼの瞳に光が宿った。
*
世界を覗くガラスが割れた。破片が全て落ちて無くなると、元通りの見晴らしの良い高台に戻っていた。櫓と彼女と若者と、男。村からは喧騒が聞こえ、今日も優しい風が吹いている。
「あ……」
「リーゼ!!」
何かを言いかけたリーゼがふらりと倒れ込む。青年は慌てて彼女を抱き抱えた。
「………リーゼ。……なあ、あんた」
酷く衰弱しているリーゼ。青年は男の方を見た。
「彼女は、死ぬのか?」
「……さあな」
男は呪いを解くだけだ。その後のことは知らない。
「……う」
「リーゼ!」
意識を取り戻したリーゼが、ゆっくりと瞼を開く。朝陽が射し込み、青年の顔を隠す。
「……ビット?」
「…!! 俺の名前…!?」
リーゼはそれでも、彼の名を呼んだ。それは、彼女の婚約者の名前『ではない』。15代目の青年の名だった。
「はぁ。……は。 ビット。言って?」
「え?」
息も絶え絶えな、今にも消えてしまいそうなリーゼの声を必死に聞き取る。
「『知ってる』から。言って? ……はぁ。ずっと……待ってたんだから」
「!!」
リーゼは。彼女は全て聞いていたのだ。呪われてから、今日までの300年間。全て見ていたのだ。一族のことも、定めのことも。婚約者が他の女と家庭を持ったことも、その子孫が皆、自分の踊りの虜になったのも。彼らの名前も、思いも、祈りも。全て届いていたのだ。
黒いローブの男と共に、試行錯誤を繰り返したことも。
「……リーゼっ」
それを理解したビットの眼からは、その15代分の『想い』が溢れていた。
「……うん」
それだけではない。一族だけではなく、この村の全ての人が、待ち望んだのだ。大切にしてきたのだ。いつか来る、その時を。ようやく訪れた、この時を。
「愛してる」
「……ありがとう」
リーゼは、ずっと待っていた。『彼』からのその言葉を。もう、とうに記憶は霞み、顔も思い出せない。だが『想い』は消えない。色褪せない。逆光照り付けるその影を、去る日の婚約者と重ねない訳が無い。
彼に抱かれ、幸せな光景を刻みながら、再びリーゼは意識を手放した。
「リーゼ!」
「…………」
男は、それを満足そうに見ていた。
*
翌日。男は旅立つ前に、ビットの家を訪ねた。
「よう。調子はどうだ」
「あ、あんた!」
家は小さく、何も無い部屋だった。農具と台所と寝床のみ。彼らの人生はそれまで、それだけで足りるものだったのだ。
「……旅人さん」
簡素な部屋に、変化がひとつ。その寝床には、リーゼが座っていた。
「おうリーゼちゃん。どうだ?」
「まだ、ひとりじゃ動けなくて。食事も何もみんなビットにお世話されちゃってて」
「だろうな。300年分の疲労は一気に来る訳じゃない。数年は寝たきりだろうぜ。なにせ老人も良いとこだ。え?300歳の踊り子さんよ」
「うるさいわねっ。……でも大丈夫。私にはビットが居るから」
頼もしそうに彼を見つめる。ビットは恥ずかしくなり、話題を逸らした。
「そういえば、あんたは何者なんだ?『紋様』があるが、呪いを受けているようには見えない」
「俺も呪われてるよ。しかも、リーゼみたいな『永遠の呪い』を全て解いて回らないと解けないんだ」
「……大昔の天災の遭った所を?世界中をかい」
「そうだ。……他にも、『永遠』に囚われてるケースが世界にはある。俺はそれを巡ってるのさ」
「……どういう呪いなんだ?不自由なさそうだけど」
「長居しすぎた。もう行くぜ。じゃあなビット。リーゼの解放がお前の代で良かったな」
男は答えず、踵を返した。
「おっ。おい!せめて名前言ってけよ!俺『達』とリーゼの恩人だ!」
その声に立ち止まり、男は名乗った。
「……ヨクトだ。覚えなくても良いがな」
*
「私が、『踊り子』だったから」
「?」
ヨクトが村を去った後。リーゼはビットに、答えを教えた。彼女は感覚的に分かったのだ。同じ『紋様』を持つ、『天から試練を与えられた者』として。
「彼は『永遠の旅人』なんだと思う。踊りと比べて、旅に必要な物は沢山あるから、だから普通に話せるんじゃないかな」
「……なるほど。しかも食事も睡眠も要らないと。でもそれだけなら旅をする必要も無いじゃないか」
「月日が経って周りは老いていくのに、自分は変わらないのよ。多分1ヶ所には留まれないんだわ」
「1年に1回って、そういう訳があったのか」
そこでビットは、ある疑問が頭に浮かぶ。
「……待てよ、じゃあヨクトは、『一体いつから旅をしているんだ?』」
*
「もう踊らなくて良い……ね」
『永遠』と『永遠』は、決して交わることは無い。だがひと度触れ合えば『刹那の間』……否。もっと小さく短い、『涅槃寂浄の隙間』を作ることができる。今回ヨクトは呪いを解くヒントを得た。『永遠』でありながら自由に動けるヨクトにのみ、この『涅槃』を扱える。
「……さて」
旅とは言えども、特に荷物は要らない。最低限の鞄と路銀だけを持ち、荒野に立つ。
「これで、予め持ってた『呪い』の情報は……あとふたつか。西、パライラ島『永遠の戦い』。北、ユビュエム地方『永遠の眠り』。……どっちから行くかな」
300年で、やっとひとつ。『呪い』は全部でいくつあるか分からない。
だがヨクトは往く。
永遠に続く旅を、いつか終わらせる為に。
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